魔王国の宰相

佐伯アルト

文字の大きさ
上 下
220 / 235
Ⅴ ソロモン革命

8節 秘書の不満 ①

しおりを挟む


 魔王城に帰って、数十分。分析と、とるべき対応を頭の中でシミュレートすると、秘書の部屋の前に向かう。同じ階にある彼女の部屋の位置は、入ったことこそないが流石に覚えている。

 三度扉を叩く。反応はないが、いることは分かっている。恐る恐るドアを開けた。

 シルヴァの部屋は、宰相や王女よりやや高級感と広さが抑えられてはいるが、立派な部屋だ。その中は彼女の性格の表れか、やり過ぎなほど整頓されて生活感がなかった。当の本人は上着や装備品を外したいつもよりラフな格好で、ベッドに腰掛け、手を膝の上で揃えて、目を閉じていた。

「お邪魔するよ」

 扉を閉め、部屋の中央まで進む。そしてそこで足を止める。これ以上進むなという圧を感じた。立ち止まると、目を合わせた彼女は口を開いた。

「何故、呼ばれたか分かりますか?」

 答えは既に考えてきた。

「ああ。怒っている、というよりは不満があるんだね」

 ピクリと眉尻が動く。

「オレが帰ってきてからというもの、キミはずっと自分の感情を押し殺してきた。まあ、今まで一緒に過ごしてきた身としては、感情を出さないからこそ不機嫌だってのはずっと分かってたよ……ごめんな、遅くなってしまった」

 体も僅かに揺れた。

「キミはきっと、怒っていて、悔しくて、そして哀しいのだろう。それは……君はオレの秘書であり護衛だ。にも拘わらず、重用してくれないオレに歯痒く感じ、頼ってくれないことが切なく、いざという時に役立てなった自分が不甲斐なかった」

 彼女はゆっくりと立ち上がり、エイジに向き合う。そして__

「何故そこまで分かっていながら‼︎」

 突如叫んだ。ここまで彼女が感情的になるとは思っていなかったが、彼は努めて落ち着くようにする。こちらの方が彼女には良さそうだから。

「あなたが、この前遠征に行った時、大怪我をしたと聞きました……無事だからよかったものの、その時私がいればと…何度も何度も…後悔しました。……何故なのですか⁉︎ どうして私を!」

 今まで抑えていた想いが堰を切ったように、詰め寄り両手で胸倉を掴む。激情に応じるように、その目尻からは止めどなく雫が流れていく。

__これほどとは……悪いことをしたな__

「すまなかった。キミが悪いんじゃない、全てオレが軽率だったんだ。オレは……早くなんとかしなければと気が急いて、一人で突っ走ってしまった。一人でなんでもできてしまうと、自惚れ付け上がっていた」

 目を見つめて、反省してますオーラを全開にする。すると力が弱まり、目線が逸れた。

「私が正体を、明かせないせいですか?」
「そんなの、もう気にしてないさ。むしろオレは、優秀なキミに引け目を感じていたほどさ。オレがやるまでもなく全て片付けてしまうんじゃないかとね。キミ含め、幹部達は優秀だ。なら、凡人たるオレができること如きで、手を煩わせるわけにはいかない」
「私は……私こそ、大した者ではありません。むしろエイジ様こそ、必要な存在です」

 エイジの胸に掌を当て、見つめ合う。赤く泣き腫らしたような目だが、もう涙は止まっていた。

「……ねえ、一つ、ずっと訊きたいことがあったんだけど」
「はい。何でしょうか」
「何故、キミはそこまでオレに尽くしてくれるんだ?」

 そんな理由くらい、幾つも検討がついている。それでも、彼女の口から直接聞きたい。

「決まっています。貴方は、この世界に、この国の未来に必要な存在だからです」
「それは違うな。必要だとかいう義務的な割には、随分感情的になっていたじゃないか」

 この会話は想定していない。ここから先は出たとこ勝負。彼女に関しての考察は済ませた、それを基に言い負かす。

「私は、貴方を尊敬して__」
「それも、答えにはなり得ないだろう? 何より、その手のはもう通用しないぞ。君は、正確に相手の能力を測ることくらいできるはずだ。オレは、知識こそ役に立つが、オレ自身の能力自体は、言うほど器用でないことなんか自分でよくわかっている」
「ぐむ…」

 目が逸される。口ごもり、反論は飛んでこない。ならば……少し怖いが、核心に踏み込む。

「……では、何だと思うのですか」

「キミってもしかして……オレのことが好き?」

「!!?」

 一瞬で顔が真っ赤になった。

__何このかわいい生き物⁉︎__

 理性が揺らぐが……

__いや、まだだ、まだ抑えろオレよ……!__

「なん…なのですか……貴方という人は…!」

 指摘してからというものも、顔を背けられて目が合わない。さっきよりは落ち着いたが、別の意味で興奮しているのか頬には朱がさしていて、耳は未だ真っ赤。

「なんでオレのこと好きになったの?」
「………」

「仕事している姿がカッコよかったとか?」
「……!」

「それとも……優しくしてくれたから、みたいな?」
「ッ……」

 息を呑んだ。まさかそんなだとは思わなかったエイジも驚く。

「それも…ありますが……」

 目が合う。一瞬彼女は逸らそうとするが、耐えて真っ直ぐ見つめる。


「貴方は、私の世界に、色をくれたからです」


 彼女にしては抽象的な答えが返ってきて、少し驚く。

「確かに、貴方の仰る通り、私が優秀だという自覚はあります。ですが、それが……それこそが、私にとってのコンプレックスだったのです」

「……どういうことだ?」

「私にとって、多くのことは簡単で、やり甲斐や達成感といったものがない。全てが、つまらなかったのです」

 常に劣等感に悩まされ、苦労や挫折が多かった彼からすれば、贅沢なものに思える。でも、本人にとってその虚無感は深刻だろうから、そういった感情は出さない。

「私がここにいるのは、ベリアル様に恩があるからです。恩に報いるため、自ら考えて、役立つであろう知識の学習や、武芸の鍛錬をしてきました。しかし__」

 一旦言葉を区切った。その表情は、嘗ての苦悩に塗れた暗いもの。

「その先に至れなかった。して差し上げたいこと、やりたいことが見つからなかった。ベリアル様は、恩返しに拘る必要はないと、私に何も要求することはなかったのですが……だからこそ、何も見えなくなってしまったのです」

 つまるところ、彼女には自主性がない、能動的になれなかったのが本質的な悩みなのだろう。そして、優秀だからこそ、その能力を持て余し、全て簡単だから目の前のものに打ち込むこともできず。

 けれど、彼女はそこで顔を上げて、エイジをまっすぐ見つめた。その瞳の中に、光が灯る。

「そこに、貴方が現れた。エイジ様の言葉と行動が、私を変えてくださったのです」

「……オレには思い当たる節がないんだけど」
「そうなのですか? でも、私にとって大切な、一番大きく心を動かしたあの言葉は。今でも、ハッキリ思い出せます」

 彼女は、自分の口で、その言葉を反芻する。

『オレは、この国を……世界を救いたいと思ったんだ。オレが異世界から来たってのは……聞いてるみたいだな。そんなオレからすれば、この国、この世界は苦しみに満ちている。そう思えるんだ。戦争にせよ、飢えにせよ。病や不便もあるし、対して娯楽はない。それを、オレは見て見ぬ振りはできなかった……! オレには、それを変えられる知識が、能力があるのだから! それを使うには、世界を変えるには。この立場しかない。そう思ったからこそ指導者に、宰相になりたいと願ったんだ。そして、その本懐を遂げるには、優秀な者たちの力が必要なんだ。分かりやすく言い換えよう……オレには、君の力が必要だ』

 大袈裟な話。それを覚えられていて、ましてや真に受け、大切な言葉として胸に留めているだなんて。恥ずかしいことこの上ない。 

「そんな、大きな志を持つ貴方の下でなら、きっと私は退屈しない。必要とされる、生きる意味を見つけられると。そう、思ったのです」

「ただその場の思いつきで言ったことだよ?」
「では、全くの嘘なのですか?」

「いや、そういうわけじゃ__」
「ええ、そうでしょうね。咄嗟に口をついて出た言葉ならば、嘘はつけない。その言葉は、確かに本心だと感じられました。それに、貴方はそこまで無責任ではないですから」

 怒ったり、恥じらってばかりだった彼女の顔に、笑顔が戻った。

「それと、その……私が不眠症だということは、ご存知ですよね」
「えっ⁉︎ 初耳だけど!」
「えっ……伝えて、おりませんでしたか……?」

 本気で知らなそうな顔に、焦り出す。今日の彼女は、本当に感情豊か。

「と、ともかく、です! 私には、トラウマがありまして。以来、なかなか寝付くことができなくなっていたのですが。以前、その……エイジ様の肩を枕にしてしまったことが、ありましたよね」

「ん? ああ、多発テロで走り回って疲れてた時か」

「その時こそが、私にとって最も癒された瞬間だったのです。あれほど深く、安らかに眠れたことはなかった。貴方の存在が、私に安らぎを与えてくれたのです」

 そこまで行くと、エイジの方が照れてしまう。そこまで想われている、彼女にとって大切な存在になれていることが嬉しい。

「それだけでは、ありません。貴方にまだ明かせていない、この出自。その所為で、私は疎外感を感じ、また誰も信用できず孤独だった。けれど貴方は、そんな私に居場所をくれた。一人の人として接して、部下として扱い、頼ってくれた……そんな、貴方を…私は……いつしか…好きになっていたのです」

 その表情からは、想いを告げる恥ずかしさと、受け入れられるのかという不安が見えた。

「私は……貴方を好きになっても……いいですか…?」

 彼女にとって……これは一世一代の賭けだろう。想いを告げた以上、どちらにせよ、もう今まで通りの関係ではいられなくなる。それにもし、拒否されてしまったのならば。きっと……仕事は続けられたとしても、その心は立ち直りはしないだろう。

 彼にとってのシルヴァは、とても魅力的だ。容姿的にも性格的にも能力的にも。拒否などするはずがない。しかしエイジとて、諸手を挙げては受け入れられず、脳裏に浮かぶものはある。一ヶ月ほど前、自らに想いを告げた、一人の女性が気掛かりだ。

『でも、もし許されるのならば……恋人でなくていい、伴侶になんて到底なれなくても……あなたと、一緒にいても…いいですか…? あなたの大切なヒトに、して、くれますか……?』

___……ッ! ははっ、我ながらサイッテーだな……__

 あのシーンを思い出していたら、あることに気づいてしまった。

__別に、そんな関係じゃないもんな。正式にお付き合いしているわけじゃない。だったらまァ……__

 その答えを、エイジは……唇を重ねることで示した。

「!!?!?」

 大混乱。突然のことに何が何だかさっぱりわからず、咄嗟に腕に力を込めて離そうとするも、瞬時に抱きしめられて逃げられない。

「ダメなわけないだろ。むしろ……嬉しいな。キミのような、とても魅力的な女性に好いてもらえるだなんて」
「あわ…わ…わた、しは…」

 普段冷静な彼女がひどく動揺し、悉く受けに回る様は、エイジを昂らせる。そんな彼の目に、真っ赤な耳が映り込む。欲望のままに、唇でちょっと甘噛み……

「ひやぁ!!?」

 可愛らしい悲鳴をあげる。慣れぬ感覚に目を白黒させている。

「なっ……ななっ、なにを…⁉︎」
「そこに、美味しそうな耳があるのが悪い」

 そしてその隙に抱き上げる。

「~~~!!?」

 オーバーロード。脳回路が焼けるような感覚で思考ができないシルヴァは、動きが完全に固まった。

 そのまま、エイジはベッドに近寄り、十分近づいたところで絡れるように倒れ込むと、上体を起こし覆い被さる。

 目があった瞬間、シルヴァは顔を背け目を静かに瞑ったが、暫くすると目を開けて横目で何かを訴えてきた。

「全く……そそるのもうまいやつだ」

 左手でシルヴァの手を握り、右手を後頭部に添えて、そっと唇を塞いだ。
しおりを挟む
script?guid=on
感想 0

あなたにおすすめの小説

いい子ちゃんなんて嫌いだわ

F.conoe
ファンタジー
異世界召喚され、聖女として厚遇されたが 聖女じゃなかったと手のひら返しをされた。 おまけだと思われていたあの子が聖女だという。いい子で優しい聖女さま。 どうしてあなたは、もっと早く名乗らなかったの。 それが優しさだと思ったの?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

勇者(代理)のお仕事……ですよねコレ?

高菜あやめ
恋愛
実家の提灯屋を継ぐつもりだったのに、家出した兄の帰還によって居場所を失ってしまったヨリ。仕方なく職を求めて王都へやってきたら、偶然出会ったお城の王子様にスカウトされて『勇者(代理)』の仕事をすることに! 仕事仲間であるルイーズ王子の傍若無人ぶりに最初は戸惑っていたが、ある夜倒れていたルイーズを介抱したことをきっかけに次第に打ち解けていく……異世界オフィスラブ?ストーリーです。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

泡風呂を楽しんでいただけなのに、空中から落ちてきた異世界騎士が「離れられないし目も瞑りたくない」とガン見してきた時の私の対応。

待鳥園子
恋愛
半年に一度仕事を頑張ったご褒美に一人で高級ラグジョアリーホテルの泡風呂を楽しんでたら、いきなり異世界騎士が落ちてきてあれこれ言い訳しつつ泡に隠れた体をジロジロ見てくる話。

学園にいる間に一人も彼氏ができなかったことを散々バカにされましたが、今ではこの国の王子と溺愛結婚しました。

朱之ユク
恋愛
ネイビー王立学園に入学して三年間の青春を勉強に捧げたスカーレットは学園にいる間に一人も彼氏ができなかった。  そして、そのことを異様にバカにしている相手と同窓会で再開してしまったスカーレットはまたもやさんざん彼氏ができなかったことをいじられてしまう。  だけど、他の生徒は知らないのだ。  スカーレットが次期国王のネイビー皇太子からの寵愛を受けており、とんでもなく溺愛されているという事実に。  真実に気づいて今更謝ってきてももう遅い。スカーレットは美しい王子様と一緒に幸せな人生を送ります。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

【完結・7話】召喚命令があったので、ちょっと出て失踪しました。妹に命令される人生は終わり。

BBやっこ
恋愛
タブロッセ伯爵家でユイスティーナは、奥様とお嬢様の言いなり。その通り。姉でありながら母は使用人の仕事をしていたために、「言うことを聞くように」と幼い私に約束させました。 しかしそれは、伯爵家が傾く前のこと。格式も高く矜持もあった家が、機能しなくなっていく様をみていた古参組の使用人は嘆いています。そんな使用人達に教育された私は、別の屋敷で過ごし働いていましたが15歳になりました。そろそろ伯爵家を出ますね。 その矢先に、残念な妹が伯爵様の指示で訪れました。どうしたのでしょうねえ。

処理中です...