魔王国の宰相

佐伯アルト

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Ⅴ ソロモン革命

5節 過渡期 ⑤

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「何の要件ですか。魔銃を作れという指示は聞いていましたが」
「ああ。それもそうだが、今回はある工業的製法を伝えようと思ってね」
「それは?」
「ズバリ……ハーバー・ボッシュ法とソルベイ法だ! ふっふふふ、コイツは超画期的な製法なんだ」

 紙を取り出して、机に置く。その表面には、ビッシリと化学式や補足が書き込まれていた。メガネを使って、色々と事前に調べてある。

「まずは、ハーバー・ボッシュ法について。これは、端的に言えばアンモニアを生産する方法だ。鉄単体を触媒に、あるいは鉄鉱石や、それに酸化カルシウムを付加した三重促進鉄触媒を使用。水素と窒素を入れ、400~600℃、25~35MPa、つまり1気圧の250~350倍の圧力を加える。低温高圧化で、超臨界流体状態にして反応させることで、アンモニアができる。水素は簡単な元素だから、錬金術で大量に作り出せる。窒素はそこらじゅうに有り余ってる。問題は、そもそも200atmの高気圧を作れるかということと、その高圧に耐えられる容器だね………。250気圧は、魔導具でもそう簡単に作り出せる圧力じゃない。圧縮機を作るか、水管ボイラーが最有力候補__」

「ねえ、いいかい? アンモニアって確か、あの臭いやつだよね。作ってどうするの?」

「アンモニアを反応させると、硫酸と混ぜれば硫酸アンモニウム、二酸化炭素と混ぜれば尿素を作り出すことができる。そしてこれらは……肥料になるんだ」

 エイジは再び紙を取り出す。しかし、それは全知の紙片ではない。ただの用紙だ。そこに化学反応や特性、用法を次々と書いていく。

「植物が成長する上で必要な要素。そのうち空気や水、土から回収できるものを除いて、特に量を必要とし、かつ不足しがちな元素が窒素(N)、リン(P)、そしてカリウム(K)だ。リン酸塩は、ええと……リン鉱石を掘り出せばいい。カリウムは、そこらの鉱石の中に塩化カリウムが含まれているから、それをそのまま撒けばいい。この二つは既に見つかっていて、窒素の肥料が作れれば、これで三要素が揃う。さて、肥料があるとどうなる?」

「ああ、そういうことか! 肥料があれば、栽培量が増える。そうすれば、餓えることもなくなる」

「そう、これこそが緑の革命! さて、硫酸アンモニウムは即効性があるが、土壌が酸性になってしまうため害がある。尿素は遅効性だが、害は少ない。併用していこう。そして、尿素は保湿クリームに使われる。前頼んだろ、ハンドクリームとか作って欲しいって。さて、尿素の工業的製法はっと……」

 そして、ついには黒縁メガネを取り出す。これは、化学反応に関しては別に描画する必要もなくすぐ記せるうえ、書物よりは圧倒的に負担が少ない。

「カルバミン酸アンモニウムを経て……NH_2CONH_2(尿素)ができると。150~200℃、120~270atm、20~40minと。さて、更にアンモニアにオストワルト法を適用、硝酸が作られる。この硝酸を使えば、ニトロ化ができる。つまりニトログリセリンやニトロセルロースが生成可能だ。グリセリンは獣脂から、セルロースは植物から取り出せる。これを使えば……ダイナマイトのような爆薬や、無煙火薬のような弾薬を作れる。そうさ、さっき言っていた銃の弾薬が作れるんだよ!」

「なるほど、それほどまでに可能性が広がりますか。であれば、まさに革命と呼ぶに相応しいですね」

 うんうんと、化学反応式を見たフォラスとノクトは大きく頷く。

「え、分かるの? 二人とも……」

 その反応が想定外だったか、レイエルピナが間の抜けた顔をしている。

「はい、彼に教わりましたからね」
「過労休暇以来、二人にはちょくちょく化学(ばけがく)知識、教えてたんだよ。錬金術師たちとのケミカルトークは楽しいね」
「うん! 僕たちも色々知ることができて、とても楽しいよ」

 三人が楽しそうに笑い合う。その空気に、理解が追いつかない組は疎外感を覚え。

「お、レイエルピナちゃん、ヤキモチ焼いてるのかな~?」
「べ、別にそんなんじゃ__」

「さらにだ、ハーバーボッシュ法で作り出したアンモニアは、ソルベイ法で使用できる。ソルベイ法もこれまた、画期的な製法でね。何がすごいかっていうと、電気が必要なくて、無駄がない点だ。ソルベイ法で作るのは炭酸ナトリウムと炭酸水素ナトリウムで、原料は石灰石(炭酸カルシウム)、飽和食塩水、そしてアンモニア。石灰石は、セメントの原料だし。酸性土壌ポドソルの中和のために散布もしてるでしょ」

 だがそんなことにはお構いなく、ノってきたエイジは滔々と話し続ける。

「飽和食塩水にアンモニアを溶かした後に二酸化炭素を通じると、炭酸水素ナトリウムが沈澱して、塩化アンモニウムができる。二酸化炭素を手に入れるには、高炉の煙とかからでもいいんだけど、石灰石をコークスと加熱して二酸化炭素を作った方がいい。この反応でできた酸化カルシウムは、水と反応させて水酸化カルシウムにする。それをさっきの工程の副産物である塩化アンモニウムと反応させると、アンモニアが回収できる。……つまりだ、アンモニアはほぼ全て回収して再利用ができるんだ。しかも、炭酸水素ナトリウムを熱分解すれば、二酸化炭素も回収できてしまう。以上の工程で余るのは、なんと塩化カルシウムだけ。しかもその塩化カルシウムは乾燥剤・除湿剤として利用できる。どうだ、極めて効率的だろう⁉︎」

「炭酸水素ナトリウムと、炭酸ナトリウムの用途は何でございましょう?」

「炭酸ナトリウムは、一番有名なのがガラスの原料だ。次に塩基性洗剤。あとは石鹸を作るときにも使える。そして炭酸水素ナトリウムこと重曹だが、こっちは多いぞ! まずは洗浄・脱臭能力があるから洗剤に。次に入浴剤だ。軽い傷や皮膚病に効能があり、美肌効果なんかもある。さらに! ベーキングパウダーになる。パンをこねたときに練り込んでおくと、加熱によって二酸化炭素を発生させる性質から、焼くと膨らむんだ! つまり、寝かせる工程が不要となるわけだよ。無論、しっかり酵母で発酵させた方が食感が良かったりはするがね。あとは……そのまま加えるだけでは苦味の元になってしまうからね、スイーツを作るとかだったら酒石酸水素カリウムみたいな酸化剤がいる。さて、あとは水に溶かしてクエン酸を混ぜれば炭酸水にもなる。消火剤は……必要性は薄いな。まあともかく、こんな感じにいっぱいあるよ」

「ふーん。だったら、二酸化炭素の回収を諦めてでも、重曹の生産を増やした方がいいかもだぁ」

「まあ、それ以外にも、食塩水を電気分解してもいいんだけどね。食塩水を電気分解すれば水素と塩素が手に入る。水素はさっきのハーバー・ボッシュ法に、塩素は漂白殺菌作用があるから水に溶かして浄水したり。プラスチックは、今のところないし……知ってると思うけど、塩素は毒あるから気をつけてね。で、食塩水を電気分解すると溶液は水酸化ナトリウム溶液になる。これを二酸化炭素で中和することでも炭酸水素ナトリウムは得られるんだ。それに、水酸化ナトリウム自体にも用途はある。紙を作るときや、洗剤にも。うん……よし! これも実施しよう。隔膜法のやり方を書く。……ほい、実装よろしく‼︎」

 設計図や理論図。それらが細かく書き込まれた紙をノクトに手渡す。

「これらの工業的製法の期限は?」
「ゆっくりでいいよ、特に決めない。あれば便利くらいだから」

 これでやっと一息つけたように、エイジは椅子に座り込む。

「皆に一応言っておくが、最優先は鉄道の敷設やそれに関連する技術の確立だからね。今日頼んだ銃やら工業的製法やらは、片手間くらいの気持ちでやっておいてくれればいいさ」

 念押ししておく。レイエルピナやフォラスたちは、今やっていることよりもこちらの方がずっと気になる様子だったから。

「さてぇ、これでおーわり。長い間拘束してごめんよ」

 防音結界を解き、鍵を開ける。各人にとって興味深い話題ではあったろうが、先ほどの会議も含めると長い時間、かつ膨大な知識を押し付けられたためにお疲れのご様子。やっとこさ解放されて、ホッとしたようだ。テミスとレイエルピナは銃の設計図を手に、話しながら退室。シルヴァは議録を抱え整理に向かい、ダッキは現場の仕事へ、ノクトは実験設備の設計図を真剣な顔で眺めながら出ていく。

「……そうだ、そういえば、やっと訊ける。フォラスさん」
「はい? 如何なさいました」
「……魔族化の時に使用した幻魔器。あれの本来の持ち主について知りたい」

 全く考えもしなかった内容なのだろう。フォラスが固まり、極めて不思議そうな顔をする。

「人柄を知りたいなど……感謝でもするのですか? 既に彼らはこの世にはいないというのに」
「いえ、そうではなく……例えば戦闘技能や、特殊能力の扱いの才能や腕など」

「なぜか、だけ教えてはくれませんかね」

「……オレはな、本来はすごく不器用なはずなんだ。けど、ほんの数週間程度の練習で、ある程度使えるようになってしまった……だから、こう考える。その幻魔器は元から能力の扱いに関して優れた適性を持っていたか、或いは……持ち主の技術という記憶が、オレに継承された可能性があると……」

「技能の継承……ですか。幻魔器の移植については、サンプルの絶対数が少なすぎるためになんとも言えませんがね、その仮説は考察するに値すると思えます。要するに、その可能性はあるでしょう。貴重な意見ですからね、留めておきます。さて、本来の持ち主についてですが……ええ、確かに皆優れた技術をお持ちでした。戦闘能力がどうであったかは詳細には記憶しておりませんが、魔力の量や質、扱いの技術、種族として備わる能力などは、間違いなく。優れた物を優先的に使えという、魔王様の意向に従わせていただきましたからね」

 サラリと明かされる贔屓。ともかく、証明には至らないが、仮説の否定はされなかったから、収穫はある。

「そうですか……今日はいろいろと、どうも」

 フォラスは軽く一礼すると、書類をかき集めてさっさと出て行った。理論の実証でもしたくてたまらないのだろう。そして彼を最後に、この部屋にはエイジ一人だけになる。

 そんな彼は掌に目を落とし、その手を握る。

「もし……もしその仮説が正しいとしたら……オレが本当に自分で手に入れた力は、何なんだ……」
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