195 / 235
Ⅴ ソロモン革命
4節 着手 ⑤
しおりを挟む「師匠……?」
九十九は呼ばれたような気がして振り返った。しかし石膏の白い大地には九十九の他に誰もいない。
「……」
九十九はここで六十八が待っていると思っていた。掟を破った九十九を殺すために……その覚悟で来た。
しかし――そこには誰もいなかった。
「何故……」
そこで九十九は奇岩の陰に何か置いてあることに気付いた。走り寄ってみると、それはいつか六十八が九十九に見せた、歴代のレッセイたちの作ったプレパラートの入った平たい木箱だった。木箱には藍色の鉢巻きが結ばれている。
「師匠のだ」
九十九の中でドクン、と心臓が鳴る。嫌な予感がした。空はわずかに薄闇、夜明けが近い。
九十九は大急ぎで宿営地へと走って戻った。
「確かに死んでいます。後頭部が割れていますから」
そう言って従者は頭の周囲に赤黒い血を流して倒れている六十八の様子を確かめた。
「ふん、つまらん死に方だったな。目障りだ、さっさと埋めてしまおう」
「七条様、あれを」
従者の言葉に七条は顔を向けた。誰か走ってくる。九十九だ。
七条は嗤う。
(自らノコノコやってくるとは……探す手間が省けたわ)
「こんな朝早くから何を集まってるんだ?」
ハアハアと息をつきながら九十九は声をかけると輪の中に入り――目を見張った。
「師匠……師匠……!!」
九十九は血がつくのも構わず目をつぶったまま倒れている六十八の遺骸にすがり、そしてその頬を両手で包んだ。
「そんな、一体、どうして。なんで!?」
「飛び降りたのだ。その男は、掟を守ると言って飛んだ」
七条が言った。九十九は茫然とする。掟を守る――破ったのは九十九だ。なぜ。
――わからないの?
九十九の脳裏に七十七の言葉が響く。そうだ。掟を破ったのは九十九だ。
一二三である六十八に弑されなくてはならなかった――しかし六十八はやってこなかった。
自分の愛弟子を殺すことができなかった。
それは掟破りだ。だから――掟に従って、死んだ。
九十九の瞳からぼろぼろと涙がこぼれた。ぬぐっても、ぬぐっても落ちてくる。
(――師匠になら殺されてもいいよ、なんて)
なんて勝手な言い草だったのだろう、自分は。
たちまち九十九の脳裏に六十八に拾われてからの果てしない旅路が色鮮やかによみがえった。
砂の海、青を閉じ込めた水面。師の背中に揺られながら七色の空を仰ぎ見た。
――懐かしく厳しい笑顔。
(俺は、本当に何も知らなさすぎる)
いつか自分は六十八をどこかへ置いてなど行けないと思った。師を見捨てることなどできないと。
なのになぜ自分は――六十八は自分を殺せるなどと思ったのだろう。
(大馬鹿野郎だ、俺は)
嫌になる――後悔ばかりで。
師匠、と九十九は嗚咽を漏らした。
六十八を包む血だまりは次第に結晶化していく。やがてそれは六十八の身体を覆い、わずかに顔だけ残し赤い鉱床となった。
「残念だったな、鎮魂の祈りでも捧げ給えよ。そのあと死んでもらう」
七条のセリフに九十九は立ち上がった。目を拭うと、
「どういう意味だ」
「君には世話になった。それだけは感謝しよう。だが、貴様には罪人の血が流れている。ゆえに我々はとどめを刺しに来たのだ。自分が罪深い存在である事はわかっているのだろう?」
「……カガクシャのことか。どこでそれを」
「どこで知ろうがどうでもいい。我々はお前たちに千年もの間苦しめられてきた。レッセイが死ねばすべてはおさまる。七十七とやらもこの男も死んだ。お前も死ぬのだ」
従者たちが槍や回路を持ちだす。
七十七姉まで……九十九は頭を振った。
「何をしているの!?」
玲瓏な声が響いて一同は動きを止めた。ロサの入り口から、少女が出てくる。
アルタだ。
「何を――何をしているのエズ? 九十九? ……武器など持ちだして……」
アルタは早くに発つだろう、九十九たちを見送るつもりでいち早く起きてきたのだ。しかしその場の異様な雰囲気を察し、不審な顔で近づいてきて――息を飲んだ。
「これは、————レッセイの惣領では!? なぜ!?」
「アルタ様お下がりください。我々はこれから処刑を行わなくてはならない」
七条は冷ややかに言った。
「できればあなたに見せたくはなかった」
「何を言ってるの、エズ」
「私はもう七条です、アルタ様。レッセイ・ギルドは殺す。この世界のために」
「何を言ってるのよ!!」
アルタの表情が壊れる。六十八の亡骸と九十九を交互に見、
「まさかエズ――いえ七条。あなたがやったの」
「その男は勝手に自ら死んだだけです。残るは九十九、貴様だけだ」
「どうしてそんなことするのよ!」
アルタは悲鳴を上げて七条の腕にすがった。
「それはあなたが一番よく知っておいでのはずだ!!」
七条はアルタの手を払い、叫ぶ。
「穢れたカガクシャの――その千年後の姿がこ奴なのです! いてはならない!」
「七条……! 貴方、九十九と私の会話を聞いていたのね……! だめよ、九十九はカガクシャとは違うわ! 私たちを助けてくれた! 神様なのよ!」
「この男は神などではありませんぞ。悪魔です。アルタ様は騙されているのです! レッセイ・ギルドさえいなければクリスタリスはいなくなるんだ!」
そうすればロサも――と、言葉を続けようとしたところで下腹部に走った鋭い痛みに七条はガクリと膝をついた。
腹から、剣が突き出でている。
血が垂れ、地面に落ちて――染みた。ヴァルル、とアルタは息を飲む。
七条を刺したのは源上だった。
剣を刺したまま、源上はなぜ、と声を震わせる。
「なぜレッセイを殺すのですか。彼らの正体がなんであれ、僕たちの救世主だった。いや、それよりも――なぜ七条、あなたがそんな殺戮をするのですか。手を汚すのですか。――そんなのは騎士の姿ではない! なぜ! なぜ堕ちてしまったのです! あなたを尊敬していたのに! 僕の尊敬する騎士長は死んでしまった!!」
慟哭。
源上はずるりと剣を引き抜くと、
「あなたはもう騎士などではない!」
――そういって剣を放り出した。血を吐き、七条が手をつく。
「源上、貴様――」
「彼を殺すというならあなたはただの人殺しだ!」
そう叫んで源上は膝を折り泣いた。畜生、畜生、と。
七条は放りだされた剣を見る。それは七条――エズが持っていた、騎士の剣だった。騎士の証。
ロサの誇りある騎士の剣が――穢れた。
レッセイだけじゃない。
自分も汚れている。
もう騎士の姿などどこにもない。
思わず目をつぶった。
「――それでも!」
ドン、と七条は地面を拳で叩く。塞がっていく腹の痛みに耐えながら、叫んだ。
「それでも私はロサを生かす! アルタ様を生き延びさせてみせる!! あなたを! 守ると! 私は誓った……! 例え堕ちようと……そのためにレッセイを殺す、殺してみせる!」
我が王よ……!
そういって七条は苦悶の表情でアルタの足元に突っ伏した。アルタはめまいがする思いでその姿を凝視し、その場に崩れ落ちそうになって――踏みとどまった。
(――ああ、生きることはこんなにも汚い。生き延びることはこんなにも辛い)
彼の何を責められるというのか。
七条の罪は――自分の罪だ。
0
お気に入りに追加
109
あなたにおすすめの小説
いい子ちゃんなんて嫌いだわ
F.conoe
ファンタジー
異世界召喚され、聖女として厚遇されたが
聖女じゃなかったと手のひら返しをされた。
おまけだと思われていたあの子が聖女だという。いい子で優しい聖女さま。
どうしてあなたは、もっと早く名乗らなかったの。
それが優しさだと思ったの?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
勇者(代理)のお仕事……ですよねコレ?
高菜あやめ
恋愛
実家の提灯屋を継ぐつもりだったのに、家出した兄の帰還によって居場所を失ってしまったヨリ。仕方なく職を求めて王都へやってきたら、偶然出会ったお城の王子様にスカウトされて『勇者(代理)』の仕事をすることに! 仕事仲間であるルイーズ王子の傍若無人ぶりに最初は戸惑っていたが、ある夜倒れていたルイーズを介抱したことをきっかけに次第に打ち解けていく……異世界オフィスラブ?ストーリーです。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
泡風呂を楽しんでいただけなのに、空中から落ちてきた異世界騎士が「離れられないし目も瞑りたくない」とガン見してきた時の私の対応。
待鳥園子
恋愛
半年に一度仕事を頑張ったご褒美に一人で高級ラグジョアリーホテルの泡風呂を楽しんでたら、いきなり異世界騎士が落ちてきてあれこれ言い訳しつつ泡に隠れた体をジロジロ見てくる話。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
学園にいる間に一人も彼氏ができなかったことを散々バカにされましたが、今ではこの国の王子と溺愛結婚しました。
朱之ユク
恋愛
ネイビー王立学園に入学して三年間の青春を勉強に捧げたスカーレットは学園にいる間に一人も彼氏ができなかった。
そして、そのことを異様にバカにしている相手と同窓会で再開してしまったスカーレットはまたもやさんざん彼氏ができなかったことをいじられてしまう。
だけど、他の生徒は知らないのだ。
スカーレットが次期国王のネイビー皇太子からの寵愛を受けており、とんでもなく溺愛されているという事実に。
真実に気づいて今更謝ってきてももう遅い。スカーレットは美しい王子様と一緒に幸せな人生を送ります。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる