魔王国の宰相

佐伯アルト

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Ⅱ 魔王国の改革

9節 宰相のお仕事 其の二 ①

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 獣人たちとの和平交渉の二日後。朝八時のことである。

 執務室の扉が開け放たれ、三人が入室する。大欠伸するエイジ、普段通りのシルヴァ、そして頭にタンコブのあるべそかきダッキである。

 今朝はメイドに代わり、シルヴァが早めに起こしにきたのだが、その時ダッキは既にエイジのベッドで包まっていた。ある種の寝起きドッキリをかまされたエイジが侵入手段を問うと、メイド達を脅迫して鍵を強盗したのだとか。タンコブはその折檻の結果である。

 そんな出来事もあったが、そのまま彼らは仕事場に向かったというわけだ。昨日ちょっとした修羅場があったせいで、少し彼らの間に流れる空気がぎくしゃくしている。が、その時の汚名を返上すべく、宰相は仕事に打ち込むのである。

「さて、ダッキ。他の職員が来る前に、仕事ぶりを確認させてもらおうか」

 新調した第二秘書机にダッキを座らせると、テストをするかのように目の前に書類を数枚置く。

「できるまで、オレは準備を整えておこう」

 ダッキがカリカリと万年筆を動かし始めると、エイジは眠たげな目のままロッカーの整理を始めた。すると、すぐそばにシルヴァが寄ってきては、その手伝いをする。

「エイジ様、昨晩はいつ頃まで作業をなされていたのですか?」
「深夜一時頃までだが……その後全く寝付けなくてな、睡眠時間は四時間ちょっとだ」
「……睡眠不足なようでしたら、無理はなさらぬよう」

 呆れと心配半々な様子で忠言すると、一旦手を止めてダッキの方へ向かう。

「こちらは処理が終わったものですか? 随分と粗がありますが」
「あら、おおよそ問題ないと思いますが。エイジ様はどのくらい仕事をこなせば良いとおっしゃっていますの?」

「……八割、低くても七割と」
「なら、この程度でも問題ないのではありませんこと? わたくしは一つを徹底的に詰めるよりも、程々に切り上げてさっさと片付けていきたいんですの」

 言い負かされて、悔しそうなシルヴァ。しかし、まだ諦めていないようで粗探し。

「……そこを横着するのは、よろしくありません」
「でも、今のところ失敗もなく効率よく進んでいますわ」

「ふん、それでいつまでも秘書として通用するとは思わないことです」
「今のシルヴァさん、とっても小物臭いですわよ」
「ッ‼︎」

 こんなんで、よくもまあ昨日はトラブルにならなかったよな、と感心するレベルの険悪さだ。犬猿の仲とはこういうことを言うのだろうか。

「でもまあ、シルヴァはその速度かつ完成度高くやれるんだからすごいさ。それに、ダッキもよくそこまで要領よくできるものだ。二人とも、オレより全然器用だな、羨ましいよ」

 とはいえ、今はエイジがいる。二人を褒めて、仲を取り持つ。彼女達もエイジが緩衝材になったことで、一旦矛を収めたようだ。

「わたくしの仕事ぶりはいかがですの?」
「ああ、十分及第点だ。……そういえば、装いを変えたんだな」

 ダッキは今までと装束を改め、チャイナドレス風の衣装を身に纏っている。メイド脅迫の序でに新たな装いを拝借したようだ。少し秘書感が増していた。

「というよりスパイだが……ん」

 ダッキのチャイナドレスをよく見てみると、スリットから覗く脚には苦無が数本巻きつけられており、袖からは峨嵋刺がびし、そして__

「やん、どこ見ておりますの? エッチ……!」

 胸元からは匕首あいくちがチラリと見えた。が、すぐさま恥ずかしがるような身振りをするダッキが隠してしまった。

「随分と、いろんなところに暗器を仕込んでいるもんだな」
「あら、バレてしまいましたわ」

「そんなんで、ベッドに潜り込まれていたと思うと恐ろしいよ」
「うふふ、貴方様に向けるつもりは微塵もございませんわ。わたくしがこのような物騒なものを持つのは偏に……そこの秘書様が、近距離戦を苦手としているそうで、頼りなさげでございましょうから」

 ダッキがその言葉を言い終えた。瞬間__一切の予備動作なくシルヴァが短剣を抜き取り、ダッキの喉笛に突きつける。それは、瞬きよりも短い出来事だった。

「私はこのように、暗殺術を身につけています。戦闘をさせる隙さえ与えません」
「あらあら、それはそれは怖いですわねぇ」

 だが、対するダッキも動じない。刃が迫る寸前で、手に持っていた扇で唾を押さえた。これも暗器、鉄扇である。彼女は余裕ありげに口角を上げていたが、目は微塵も笑っていない。

 それぞれの暗殺道具を構え、至近距離で睨み合う二人。それはさながら龍虎相摶つようだ。片や虎じゃなくて狐だし、シルヴァに至ってはよく分からないけども。

「オレの近くでそんなもの振り回さないで……怖いよ」
「「この程度で貴方を傷つけられるとは思えないですけれど」」

 二人揃ってそんなことを言うが、状況を思い出して頭を冷やしたのか、武器を収めて距離を取る。

「とはいえ、それだけの能力があるようなら、護衛というのも信頼できそうだね」
「「はい、ご安心ください。貴方様に仇なそうなどという身の程知らずの害虫は、私が瞬く間に始末いたします。不届き者は指一本触れさせません」」

 照らし合わせたかのように、一言一句違わず、全く同じタイミングで発してみせた。

「相性良いんだか、仲悪いんだか……」

 困ったような笑顔をすると、それぞれに仕事の指示を出して距離を離す。その内にエイジはペンやインク、紙の補充や机の掃除だったりを始めていった。

「あら、トップであるあなたが、そのような雑務をなさるのですね?」
「まあな。彼らにはオレのせいで苦労かけっぱなしだから、少しくらいは何かしてやらんと」
「実際は恐縮させて逆効果なのですけどね」
「え、そうだったの⁉︎」

 すごく意外だったらしく、エイジは仰天する。ダッキはそれが可笑しくて堪らない。

「あ、そういえば思い出したことがありましたわ。気になったんですけれども、なぜエイジ様は怒らないんですの?」
「ん~、だって……宰相という実質最高権力者で、かつ幹部に並ぶほどの力を持つ者に怒られたら怖いでしょ? 何されるか分かったもんじゃないだろうし。だから、たまには声音、口調もフレンドリーというか親しみやすさを意識して出して、そこまで恐れられないようにしているつもり」

「私からも。なぜ、エイジ様はそのようなご配慮をなさるようになったのですか?」
「オレは、威張ったり怒鳴ったりなどの威圧より、能力によって人望を得たいんだよ。オレがこの異世界に来る前に働いていたところでは、クソ上司が山ほどいたからな。そいつらを反面教師にして、オレはそうなるまいとしている。ま、上司になるのが数年後だったりしたら、その心意気も忘れていたかもしれないが……今の反骨精神があるうちになれて良かった」

 彼がほんの少しばかり身の上話をすると、秘書二人は目を輝かせる、ないしオーラが明るくなるなどして、いかにも興味津々といった様子になった。

 しかし、幹部達にせよ、メイド達にせよ、そしてこの秘書達にせよ。それ程まで自分についての話は面白そうなのかな、とエイジは不思議であった。

「エイジ様が以前どのようなことをされていたのか、興味が湧いてきましたわ」
「よろしければ、お聞かせ願えるでしょうか」
「あんまり面白い話でもないが……」

 保険を掛けるような前置きをすると、ぽつぽつと話し出す。

「企業、つってもわからないだろうから……まあ、オレが働いてたのは商人のグループみたいなもんだと思ってくれ。そこは、元々第五、六志望あたりだったんだが、就職活動を思いっきり失敗してそこに入ることになったの。その会社は今どき数を減らしつつある年功序列だったよ。まあ、自分の能力に自信なかったからそこでもいいな、と思ってた時だったから入ったんだけど」

 そんな話をし始めてからというもの、エイジの空気が重くなる。その様子に、秘書達もつい身構えてしまう。

「最初に配属されたのは、開発部の中でも社内システムを管理するとこ。……だったんだが、不正が横行しててな。いろいろ手を尽くしてバレないようにしつつ摘発したんだが、そんなことできそうなのはオレしかいないってことであっさりバレて、総務に左遷された……それが入社半年後のことさ。当初はクビにならなくてよかったと思ったが、今思い返せばそこで辞めときゃよかったな」

「不正の摘発で処罰って……そんなのおかしいではないですか!」

「シルヴァは純粋だね。だけど、社会ってのはそういうドス黒いもんなのさ。んで、総務なんて聞こえは良いが、実際は雑用係みたいなもんだった。他からは軽んじられ、そのストレスからか課内ではパワハラモラハラが常習されてる。仕事が終わらないから残業は当たり前、上は頭の固い連中ばっかりだから新しい技術を新しい人員が持ちこむのは信頼できないからと却下だ。実際は自分たちが理解できなものを持ち込まれて無能を証明されんのが嫌だったんだろうがなクソが‼︎」

 昂った彼が悪態を吐き捨てると、その怨嗟に圧されて身を震わせた。

「それに……特にオレは目をつけられてた。不正の摘発もそうだが、非効率な手法の批判と新規導入よる改善の提案、不手際の指摘……生意気に映ったんだろうよ。たまたま上の目に留まって褒められた案もあるが、その手柄は当然のように横取りされた。上司の裏を掻いて、恥をかかせつつオレの功績を認知させたこともあったが、左遷の経歴から揉み消され。むしろ腹いせに負担を増やされた始末」

 その闇の深さに、秘書二人は慄いた。そして、だからこそエイジがここまで善くあろうと振る舞っている理由も深く理解できた。

「それは……酷い経験をなさったんですのね。ちょっと可哀想ですわ」
「その会社は報いを受ければ良いのに……」

「お陰で認めてもらっている今は、オレにとっては楽園みたいなもんだ。……あ、そうそう。ちなみに、この世界に来る前にオレはとある置き土産をしておいてあげたんだ。オレが使ってた自動処理システム、実はオレが管理しないと停止するどころかエラーを吐き続けてだな……どんな設計してあるかなんてのはオレしかわかんないし、オレより詳しい奴もいない。よって内側から蝕み全てを崩す、さいっこうの時限爆弾を置いといてやったんだぁ。今どうなってるか確認する術はないが……きっと阿鼻叫喚の地獄絵図だろうねぇ。情報は壊滅、経理は崩壊、株は暴落、そして倒産だあ……きっひひアハハハハ! ザマァみやがれ‼︎」

 狂気的な哄笑を上げるエイジに、二人はゾッとしたようにドン引きする。

「エイジ様って、執念深いタイプですのね」
「ああ、根に持つタイプだ。少なくとも、絶対に五倍以上にして返してやるさ」

「……エイジ様、まさか、魔王国にもそのようなものを用意しているのですか?」
「それ程ヤバいモンは作っちゃいねぇが……少なくとも、今のような中途半端な状態でオレがいなくなったら、進行中の計画が何のために用意されたものかを察することができる者がいないために、どこに向かえばいいかわからず宙ぶらりん、下手すればそのまま空中分解よな」

 今まではその実力を畏れ、知見や能力を尊敬していたものだが。この話を聞いてからは、えも言われぬ不気味な不安を抱かざるを得ない。彼が何者なのか、わかった気になっただけ。まだまだ多くを隠すその淵の、モヤを少し取り払ったかと思えば果てはまだ遠く。まるで虚無を進んでいる感じがした。

「……っと、もうこんな時間か。お喋りはここまで。さあ、仕事が始まるぞ」

 だがそんな感じは、彼が雰囲気を変えると嘘のように霧散した。変遷著しい彼の態度に振り回されていた秘書達も、今度こそ正気を取り戻して業務に向けた活動を再開する。
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