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夜会チョコレイト
君を守れなかった
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「子槻さん! だめ、だめです、やめてください、死んでしまいます」
駆け寄って腕をつかもうとした。刹那、自分も殴られるかもしれない、と恐怖が走ったが、感情を振り払って子槻の腕をつかむ。
振り向いた子槻は赤い目で春子を捉えて、泣き出しそうに顔を歪めた。
「春子! けがは、すまない、またわたしは……!」
「わたしは大丈夫ですから、落ち着いてください」
炎が広がり始めたからか、ようやく幾人かが駆けてきた。警察が、意識のもうろうとしていた青年を連れていった。
寝台で上体を起こした春子の隣で、子槻がこの世の終わりのように顔を伏せて座っている。
青年が連れていかれたあと、春子の左腕から血が流れているのを認めた子槻は、卒倒せんばかりだった。けれどすぐに参加者の中から医者を呼び、応急処置をさせ、話を聞きたいという警察も強引に振りきって、家へ帰ってきた。人力車の中で、子槻は一言も喋らなかった。
そうして春子は部屋に寝かされ、かかりつけの医者を呼ばれ、もう一度手当てを受けた。家までやって来た警察を、子槻は「春子のけがが悪化したらどうしてくれる」とものすごい剣幕で追い返そうとしたが、春子が何とか止めた。そして春子は寝台で事情聴取を受けた。
青年は西洋かぶれを断罪する団体の一員だったようで、新聞のとおり夜会を潰すために乗りこんできたそうだ。子槻も一緒に事情聴取を受けたが、正当防衛で罰せられることはなかった。ただ、ずっと不機嫌と苦しそうな感情をないまぜにしたような顔をしていた。
そうして来客が全員帰り、寝台の春子の隣で子槻がうなだれて座っているのである。
「あの、本当にけがはたいしたことはないので、平気です。昔、木に登って枝で切ってしまったときくらいのものです。利き手ではありませんし」
最初からずっと「たいしたことはない、平気だ」と言っているのだが、子槻の心配ぶりは度を越していた。短刀でけがをしたのは左腕だけで、もみ合ったせいで腕も脚も痛かったが、命には関わらない。
春子は帰ってきてから手当てを受けるために着物に着替えたが、子槻は着替えもせず燕尾服のままだ。染みついた煙の匂いが流れてくる。
「痕が残ってしまったらどうするのだ……いや、わたしは春子に傷痕があっても何があっても妻にすることに何の変わりもないが、婦人の肌に傷を残してしまうなど……」
落ちこんでいるように見えて意外と元気なのかもしれない、と春子は子槻の口癖のような物言いにおかしくなる。
「大丈夫ですよ。心配しすぎです。それに、こうなったのはわたしの責任でもあります。子槻さんの言うとおりまっすぐ戻っていればよかったんです」
「違う! 悪いのは襲った輩に決まっているだろう!」
子槻が顔を上げる。痛みをいっぱいに広げた表情で、こらえられなくなったように目を伏せる。
「それに、君を守れなかったわたしが悪いのだ。あんなにそばにいたのに。今はちゃんと、君のそばにいられるのに」
子槻が沈んでいた原因が春子のけがだけではなかったことに、ようやく気付いた。もっと早く気付くべきだったのだ。春子は慌てて身を乗り出す。
「それは、違います。子槻さんは助けに来てくれました」
「けれど君はとても恐ろしい思いをしただろう。襲った輩もそうだが、わたしも君の前で暴力を振るってしまった。あんな輩など放っておいて、真っ先に春子の心配をするべきだったのだ」
「それは……た、たしかに恐ろしくなかったといえばうそですが、わたしのためにやってくれたことでしょう? それに」
駆け寄って腕をつかもうとした。刹那、自分も殴られるかもしれない、と恐怖が走ったが、感情を振り払って子槻の腕をつかむ。
振り向いた子槻は赤い目で春子を捉えて、泣き出しそうに顔を歪めた。
「春子! けがは、すまない、またわたしは……!」
「わたしは大丈夫ですから、落ち着いてください」
炎が広がり始めたからか、ようやく幾人かが駆けてきた。警察が、意識のもうろうとしていた青年を連れていった。
寝台で上体を起こした春子の隣で、子槻がこの世の終わりのように顔を伏せて座っている。
青年が連れていかれたあと、春子の左腕から血が流れているのを認めた子槻は、卒倒せんばかりだった。けれどすぐに参加者の中から医者を呼び、応急処置をさせ、話を聞きたいという警察も強引に振りきって、家へ帰ってきた。人力車の中で、子槻は一言も喋らなかった。
そうして春子は部屋に寝かされ、かかりつけの医者を呼ばれ、もう一度手当てを受けた。家までやって来た警察を、子槻は「春子のけがが悪化したらどうしてくれる」とものすごい剣幕で追い返そうとしたが、春子が何とか止めた。そして春子は寝台で事情聴取を受けた。
青年は西洋かぶれを断罪する団体の一員だったようで、新聞のとおり夜会を潰すために乗りこんできたそうだ。子槻も一緒に事情聴取を受けたが、正当防衛で罰せられることはなかった。ただ、ずっと不機嫌と苦しそうな感情をないまぜにしたような顔をしていた。
そうして来客が全員帰り、寝台の春子の隣で子槻がうなだれて座っているのである。
「あの、本当にけがはたいしたことはないので、平気です。昔、木に登って枝で切ってしまったときくらいのものです。利き手ではありませんし」
最初からずっと「たいしたことはない、平気だ」と言っているのだが、子槻の心配ぶりは度を越していた。短刀でけがをしたのは左腕だけで、もみ合ったせいで腕も脚も痛かったが、命には関わらない。
春子は帰ってきてから手当てを受けるために着物に着替えたが、子槻は着替えもせず燕尾服のままだ。染みついた煙の匂いが流れてくる。
「痕が残ってしまったらどうするのだ……いや、わたしは春子に傷痕があっても何があっても妻にすることに何の変わりもないが、婦人の肌に傷を残してしまうなど……」
落ちこんでいるように見えて意外と元気なのかもしれない、と春子は子槻の口癖のような物言いにおかしくなる。
「大丈夫ですよ。心配しすぎです。それに、こうなったのはわたしの責任でもあります。子槻さんの言うとおりまっすぐ戻っていればよかったんです」
「違う! 悪いのは襲った輩に決まっているだろう!」
子槻が顔を上げる。痛みをいっぱいに広げた表情で、こらえられなくなったように目を伏せる。
「それに、君を守れなかったわたしが悪いのだ。あんなにそばにいたのに。今はちゃんと、君のそばにいられるのに」
子槻が沈んでいた原因が春子のけがだけではなかったことに、ようやく気付いた。もっと早く気付くべきだったのだ。春子は慌てて身を乗り出す。
「それは、違います。子槻さんは助けに来てくれました」
「けれど君はとても恐ろしい思いをしただろう。襲った輩もそうだが、わたしも君の前で暴力を振るってしまった。あんな輩など放っておいて、真っ先に春子の心配をするべきだったのだ」
「それは……た、たしかに恐ろしくなかったといえばうそですが、わたしのためにやってくれたことでしょう? それに」
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