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結婚したばっかり、とかでも

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 男性は鼻白んだようで、ひざの上に足を組んで頬杖をついていた。演じているリコ自身も恥ずかしいのだから、当たり前の反応だ。だが、あさっての方向へ話をそらすことができた。

 思った瞬間、肩を強く抱き寄せられて、変な声をあげてしまった。驚いてキトエを仰ぐと、表情をそぎ落とした顔で男性を凝視していた。

 怒っている。ものすごく。

 肩に回された手が強くて、少し痛い。そのまま体を反転させられて、屋台を背に歩き出す。

「キトエ、あの……手」

 男性に呼び止められることもなく、屋台から充分距離をとれたところで、キトエを見上げた。キトエはずっと怒っていたのか、リコを認めて今しがた気付いたというように慌てて手を離した。

「す、すまない!」

「だ、大丈夫」

 そうして、別の屋台で鳥と羊の干し肉を手早く買って、街を出た。



 橙と桃色が混ざった夕空は、淡い紫に地平線まで追いやられていた。

「ご、ごめんねキトエ。あんなこと言っちゃって」

 街を出れば、乾いた大地に細い木々がまばらに生える風景が広がるだけになる。人がいないのを確認して、リコは切り出した。本当はもっと早く謝りたかったのだが、街中《まちなか》で聞かれていたら怪しい会話すぎるので言えなかったのだ。

 キトエは気まずそうに顔をそらして、何度か言いかける。

「その……あ、愛人?」

「ええと、うん。そう。ごめんね」

 街に入る前に目星をつけていた、今晩夜を明かす場所へ向かっていた。土を踏む靴音だけが続いて、耳が痛い。

「正直、いきなり何を言い出すのかと……もっとほかにあったんじゃ……旅芸人って設定もあったし」

「旅芸人って言っても普通すぎて追及されると思ったの! だから前に読んだ本に似たような場面があったからとっさに」

『何という本を読んでいるんだ』とキトエのけげんな顔に書いてあったが、別にリコもそんな本ばかり読んでいたわけではない。屋敷にいたころは外に本を買いに行くことも許されなかったから、キトエに頼んで買ってきてもらうことが多かった。だからキトエも知っているはずだ。リコが魔術や魔女の本ばかり読んでいたことを。

 火を灯せる程度の魔法が標準的な世界で、リコは人を殺めることができるほどの魔力を持っていた。この国では珍しい薄桃色の髪と、青に紫、緑が混ざる不思議な瞳のせいもあって、『魔女』と疎まれていた。

 だから、魔力をなくすために、魔女ではなくなるために、怪しげなものから歴史書まで、関係しそうな本をひたすら読んだ。結果として、リコは魔女のままだった。

 その中には魔女が出てくる大衆小説や、単にリコが読みたかっただけの恋愛小説も含まれていた。愛人の一場面は、少し大人向けの恋愛小説のものだったと思う、おそらく。そういう本を読んでいたのは否定できないが。

「別に、あ、愛人じゃなくて……結婚したばっかり、とかでもよかったんじゃないのか」

 キトエは自分で言って自分で恥ずかしくなったのか、思いきりそっぽを向いた。たしかに屋台の男性を鼻白ませて話をそらすなら、それでもよかったか。そう思ったら、急速に首筋から頬に熱が集まってくるのを感じた。『結婚したばかり』のフレーズが頭の中を回る。

 キトエと、結婚する。とても幸せなはずなのに、胸の痛みが同時にあった。

「このあたりでいいか?」

 キトエが立ち止まって、意識が引き戻された。荒野のなかでは葉のついた木が密集している場所で、夜を越すために当たりをつけていたところに着いたのだった。

「あ、うん。いいよ。火、おこしちゃうね」
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