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第一章 この世界は愛に満ちている

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「それは、興味深い事実だな」

 青年の持つ特異性。

 青年の言葉を信じるなら、それは過去の経験或いはそれに起因する青年の人格にあるのだろう。

 “弱かった”。

「つまり、今は違う・・・・ということか」

 青年は薄く微笑む。それが答えだった。

「どうやって、強くなった?」

「それも違うよ。皆が弱く・・・・なった・・・んだ」

 青年は間を置いて続ける。

魔法を覚えた・・・・・・ことで・・・ね」

「……何?」

手でしか魔力・・・・・・を操れ・・・ない・・なんて、不便だと思わない?」

 それは現代魔法学の常識を覆す一言だった。

「しかし、それは……」

「効率は確かに良いよね。まず他人に見せられる。言葉もそうだね。文字にして伝えられるし残すこともできる」

「あぁ、だからこそ学校では……」

「だからこそ、見えないものに拘らなくなってしまうんだ」

 青年は笑う。

「おじさんは、自分の心臓がどんな形か知ってる?」

「……心臓?」

 質問の意図が分からず、思わず聞き返してしまった。

「実は心臓は四つの部屋に分かれているんだ。血を投げる部屋と受け止める部屋が左右に一つずつ付いているんだよ」

「それは、知っているが……」

「考えてみてよ。心臓から投げ出された血が肺を通り酸素を含んでまた心臓に戻り、酸素を含んだ血がまた心臓から投げ出されて全身に巡っていくんだ」

「それに、何の意味が?」

「魔力も同じだよ」

 さっぱり意味が分からない。

「皆、最初は同じだったはずだ。心底自分を愛していたはずなんだ。けどいつしか人は、他人に気付いて自分を見失ってしまう。何ができるか、何を持っているか、何を知っているか……そういうことで比べようとしてしまう」

 青年はどこか悲しげに、言葉を続ける。

「やがて皆、手を動かすように意識的に魔法を使うようになる。確かに手を使えばいろんな事ができるよね。けど、意識して心臓を動かしている人はいないんだ。忘れてしまうんだよ。“生きてるだけで素晴らしい”ってことを」

「それが教育の欠点だと……無知で居られる方が幸せだと、君は言うのか?」

「極論だけどね。何でもできるからこそ、人は何をするか選ばないといけないんだ。そして何かを選んだ時、同時に選ばなかったものを惜しんでいる」

「……つまり、君は何も・・しない・・・ことでその技術を身に付けた、と?」

「ん~ちょっと違うけどそれで良いや」

 少し、分かった気がした。

「俺はただ、魔法そんなものが無くても自分がとっても素敵な存在だと知っている。原動力は自己愛だよ。自分には・・・・できる・・・と、そう信じら・・・れるか・・・……いや違うな。知って・・・いるか・・・が大事なんだ」

「……それに、どれ程の価値がある?」

「ほら比べた! そうやって評価したがるから見失うんだよ。俺はもっとシンプルな理由で生きてる。だから大切なものを見失う事がないんだ」

 大切なもの。それは、彼が随分前に手放してしまったものだった。

「もちろん難しいことはできないよ。けど、生きるための最低限・・・は満た・・・たせる・・・。そんな感じ」

「なるほどな……見せてもらっても?」

 彼は今、悔しいのだ。

「……良いけど、良いの? おじさん、今ならまだやり直せるよ?」

「優しいな」

「まぁ、半分は面倒くさいからなんだけどね。これはおじさんが意識下で操る魔法とは全く別の、無意識下での魔力の行使だ」

「君は今日、いったい何度常識を覆すつもりなんだ」

 そして、嫉妬していた。

「俺は狭量だからね。誰かが考えた常識とか興味無いんだ。んで、これはあくまで根源的欲求を満たすための魔法だから、複雑なことはできない」

「では、その魔法はどんな目的を成すのかな?」

 憎んでいる。目の前の、自分が辿り着けなかった境地に若くして至っている存在を。

「ん~俺の場合は“死にたくない”かな。思考を放棄して、殺意を向けてくる敵を反射で迎撃する。だから意識的な行動、例えば手加減とかができない」

「なるほど不便だな、元より必要無いさ」

 清々しい程に。

「……本当に良いんだね?」

「くどいぞ……いやそうだな、もう一つだけ聞いておこう」

「何?」

「その魔法を、ニホンゴでは何と言うのだ?」

 彼の問いに、青年は少し考えてから返答した。

「“自己肯定感”」

「……そうか」

「最後にもう一つ。俺の魔法は手も使わないし詠唱もない。無意識に発動する」

「本当に不便だな」

「だから、合言葉だけ決めてるんだ───」

 ふと、青年の姿が霞んだように気配が薄まった。

「───どうでもいい・・・・・・

「……っ!」

 そして薄まった気配が激しく揺らいだような錯覚を覚えた直後、胸に、穴が空いていた。

「……見事」

 最後に、一目見ておきたいと力を振り絞って背後を振り返る。その時の青年の顔は、とても言葉通りの表情には見えなかった。

 その在り方を見届けて、満足した彼は───

「……ありがとう。一人語りに付き合ってくれて」

 地に伏しこと切れた亡骸を見下ろして呟いた青年は、まだ温かい心臓を握り潰す。そして血濡れの左手でポケットから何かを取り出し、その可動部分を引き抜いた。

 バチン

「痛ってぇぇぇえええええええ!!!」

 青年の叫び声は、暗い闇夜に名残惜しそうに響いた。
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