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第二章 神の手に阻まれる幼き日の夢
第53話
しおりを挟む「腕を落とされても生え変わる、か。 なるほど。 ……どういう事だ?」
アイビスは額に汗をかいていた。アイビスの操る守護霊は先程、爬虫類の様な霊獣を攻撃した。霊獣の後頭部を狙った拳は、身を捻って伸ばされた霊獣の右腕に直撃し、それを破壊した。
しかし、霊獣は完全に右腕を失った訳ではなかった。骨を砕いた感触はあったが、それは攻撃の後も霊獣の胴体に繋がっていた。
すると霊獣は微塵も動揺を見せず、あまりにも自然な動作で自身の右腕を引きちぎった。そして残る左手で手近なナーゲルの骸を拾い上げると、その腹を齧り取った。するとあろう事か、ナーゲルの肉を飲み込んだ霊獣は、たった数秒の内に失ったばかりの右腕を再生してしまったのだ。
その一連の動作を、アイビスはただ見ていた。観察した上で、何が起きたのか分からなかった。
「……なぁ、”終わりの秩序”って知ってるか?」
霊獣は新たに生え変わった新品の右手を握り、その感触を確かめる様に振り回した。
アイビスは、目の前の霊獣がどの程度の知性を持っているのか知らない。しかし、そんな事お構いなしに語り掛けていた。
「───”永遠”ってのは虚構だ。 果てるまで攻め続ければ、いずれ死ぬんだろ?」
───バリバリッ
破裂音と共に漆黒の守護霊は砂の大地を蹴る。そして霊獣との距離を一気に詰めると、頭部めがけて拳を繰り出す。霊獣はそれを、身を翻して回避した。
「逃がすか」
拳が躱された直後、守護霊は左足で回し蹴りを繰り出し、追撃。霊獣はこれを両腕でガードした。
「……頭部が弱点、は間違い無いな」
霊獣は頭部への攻撃のみを極端に警戒している。この霊獣にも人間同様、脳に相当する器官があるのかは分からないが、恐らく頭部を再生する事は出来ないのだろう。そう、アイビスは判断した。
しかし、霊獣の肉体は硬い。鱗に覆われている体表は硬度が高い上に、ツルツルと滑る表面は角度によって打撃を受け流す。
不意打ちでなければ、内部に響く程の衝撃は与える事が出来なさそうであった。打撃を主な攻撃手段としているアイビスの守護霊とは、まさに最悪の相性と言える。
「問題は、尻尾だな」
───バリッ
漆黒の守護霊の打撃は、一撃では霊獣の肉体を破壊出来ない。硬質の鱗の盾は強靭な上に、尋常でない速度と動体視力により、霊獣は攻撃を被弾した際の衝撃を最小に抑える。そして繰り出される尻尾の攻撃。
「ふん」
漆黒の守護霊の打撃は、やはりいなされてしまう。
そして直後に襲い来る霊獣の尻尾、この攻撃が馬鹿にならない威力を持っている。直撃すれば間違いなく瀕死になるであろう事は見ただけで分かる。
「読めたぞ」
アイビスは観察により、霊獣の行動を把握しつつあった。
こちらが高速で接近すると、霊獣はまず被弾箇所を判定。それが頭部なら腕によるガードを固め、他の部位であれば意に介さずカウンターを狙う。腹や腕への攻撃は通るのに、頭部への攻撃は一切通さない見切りの良さは、その高い動体視力故であろう。その上で、損傷した箇所は他の霊獣を喰うなどの少ない補給で蘇生する事が出来る。全く馬鹿げた生命力である。
そして攻守の癖もある様だ。移動時は四足歩行だったのが、戦闘に入ってからは前足を一切地に付けていない。上体を持ち上げ視界を確保しつつ、前足は頭部を守る事にのみ用いている。逆に、攻撃時に用いるのは尻尾のみであった。
「尻尾の攻撃を躱し、両腕のガードを掻い潜った上で、頭部を粉砕する」
言葉にすれば単純な手順だが、相手は正体不明の異形の霊獣である。
「まぁ、いつも通りだな」
しかし、アイビスにとってそんな事は問題ではなかった。
砂埃を被った草の様な色の体表は確かに強固であったが、速度では僅かにアイビスの守護霊が上回っていた。
どれ程強皮膚が丈夫であろうと、衝撃を全て無視できる訳では無い。
───バリバリッ
「欠点が割れれば容易い」
高速で接近したアイビスの守護霊が、霊獣の腕を掻い潜り、下顎を捉えた。
「それでも動く、か……」
霊獣の下顎は破壊され、筋組織による固定を脱し、力なく垂れ下がる。
霊獣は守護霊から距離を取ると、外れた下顎を迷い無くちぎり捨てた。そして手近な霊獣の骸を剥ぐと、その断面から滴る血を飲み、失った下顎を蘇生する。
「面倒な」
「ガゼル!」
聞き馴染んだ声が聞こえる。次の瞬間、大剣を手にした守護霊が戦闘に割り込み、霊獣に斬り掛かった。
「待たせた!」
───バリッ
「良い、抑えておけ」
霊獣はガゼルの大剣を躱したが、上体をのけぞる体制となったため、尻尾での追撃は叶わない。その隙を突き、漆黒の守護霊は霊獣の背後に回り込む。
「……行け」
アイビスの呟きに応え、漆黒の守護霊は拳を繰り出す。しかしこれは失敗に終わる。
「まるで、後ろにも手があるみてぇだな」
霊獣はこれまで攻撃にしか活用しなかった尻尾を盾に守護霊の拳を回避。地を蹴って距離を取った。
「得物は変えないのか?」
「悪いがガス欠だ。 新たに術を出す余力はねぇ」
カルロの加勢は戦況を有利にしたが、彼も疲弊している。
そして霊獣は動いた。狙いはカルロの守護霊。大剣を携え、機動力で劣るガゼルを標的に選んでいた。
「ブルー、《木の鞭》!」
重い剣を構えるガゼルの前方、霊獣との間に突如木が割り込んだ。
ハルの守護霊、ブルーが生成した木は霊獣の動きを捉えたかに見えたが、その前身を封じる前に成長を止めてしまう。
「っ……!」
ハルは膝を突いた。
「ガス欠か……!」
カルロの言葉は正しい。
ハルはこの戦いで殆ど霊獣を狩っていない。そのため、精霊の補給が間に合わず、ガス欠となっていた。エネルギーの源たる精霊の保有量が減少した事で、ブルーは存在を維持出来ず姿を消した。宿主のハルは砂に手を付き、乱れる呼吸をなんとか整えようとしていた
霊獣は簡単に木の拘束から逃れ、ガゼルへと攻撃を続ける。
───バリッ
「……構わん、下がってろ」
アイビスの守護霊が駆ける。しかし単調な攻撃は簡単に躱されてしまう。アイビスの守護霊が霊獣の尻尾による攻撃を受けそうになった時。
「は?」
突如生成された木が、霊獣を飲み込んだ。霊獣は全身を激しく動かして抵抗するが、木の成長は止まらない。
――――バリバリッ
「行け!」
突然の事にも一切怯まず、アイビスは言葉に力を込める。
そして跳躍した漆黒の守護霊は、無防備となった霊獣の頭部めがけて拳を叩き付けた。
「……もう、動いてくれるなよ」
守護霊の一撃により、既に原型を忘れた霊獣の頭部を見据え、アイビスは呟いた。
「やったみてぇだな」
再生する気配の無い霊獣を見届け、カルロは砂に身を投げる。
「アイビスさん、カルロさん!」
ハルが声を掛けてくる。息が乱れている様子から、ハルの疲労も相当であろう事が窺えた。
「あぁ、ハル、助かったぜ……。 最後の木、見事だったな」
カルロも声が細くなっている。明らかにいつもの覇気は感じられない。
「最後の、木、ですか?」
「そうだ。 ガス欠であんだけデカいのを出せるなんてな」
カルロは霊獣を飲み込んでなお成長を続けた木を指差す。しかし、ハルは首を傾げていた。
「あれを、僕が……?」
「……なんでも良い。 とにかく、霊獣の群れは止めた」
噛み合わない会話を打ち切り、アイビスが告げる。
「戻るぞ」
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