精霊王の番

為世

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第一章 雑魚狩り、商人、襲撃者

第11話

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 黒髪の青年誌がハルと出会う十年前。彼はその日、山に居た。

 山といえば、生い茂る自然。

 大地に深く根ざした樹々は、その掌ともいえる枝葉を空に向け広く伸ばし、太陽の恵みを一身に受け止める。

 そしてそこに流れる澄んだ空気。

 生物にとって、なくてはならない存在でありながら、人の目には映らない不可視の気体。それは、誰に頼まれるでもなく生命に恩恵をもたらし続けている。

 人の手の加わっていない山は、生命力に溢れている。

 見上げれば空を狭くする樹々、足元を見れば生い茂る草花、時折現れるのはそれらの自然を糧に生活する獣たち。

 そして、目の前には逞しい翼を持つ霊獣……。

「うぉぉおおおいっ! なんかデカイの居んぞ!!!」
「おいおい早くしねぇと、ほら。 鳥の昼ご飯にされちまうぞぉ」
「俺はやらねぇぞ! 来んなよ! あっち行け! 絶対そっちのオッサンの方が食いごたえあるだろ!」

 対峙するのは、二人の男。

 一方は黒髪に青い目をした少年。まだ幼い少年の顔からは焦りの色がありありと見え、額の汗は緊張を表現している。
 もう一方は中年の男性。右頬の十字傷が印象的な彼は、何やら少年に指示を出している。

 しかし、両者の表情から窺える熱量には随分と温度差が見られた。
 命の危機を直感により察知している少年に対し、中年の男は今にも欠伸をしそうな程気の抜け切った表情である。

「ケェェェェエエンッ!」
「うぉぉおお!」

 視界を覆う翼と、自分など一撃のうちに葬られてしまうであろう凶暴な爪を持つ霊獣は、丸腰の少年に向け必殺の攻撃を繰り出す。

 少年は、対峙した霊獣の爪を、間一髪のところで身を転がして躱し、更に山の奥地へと向かって走り出す。

「知ってるぞ、コイツ”フリューゲル”だろ! 強ぇ方の霊獣だって……学校で習ったぞ!」

 息を切らしながら、黒髪の少年は悪態をつく。

 霊術学校で習う科目は主に、「精霊学」「霊承史」「霊術学」の三教科である。
 この中で、霊獣を扱うのは「精霊学」である。

 《全ての生命は法則のもとに現象を伴い、あるいは駆使して存在する》
 
 生命に課された最も単純な法則は、《食物連鎖》である。

 人間の支配が及ぶ領域で生きている者には、全く縁のない話である。しかし、ここは自然と霊獣の支配下である山。無力な少年は、霊獣の空腹を満たす役割を以って、その人生を終えることになるだろう。

「おら、何してる。 さっさと殺らねぇと自分が死んじまうぞ」
「やらねぇって言ってんだろ! 物騒なこと言うな!」

 少年は激昂する。

 そんな少年に向け、猛禽類の霊獣は更なる攻撃を繰り出す。
 背中ごしに霊獣の剥き出しの殺意を察知すると、少年は地面を蹴って自身の右方向へと跳躍した。少年を捕らようと繰り出された鋭利なくちばしは、空を切って地面に突き立てられる。
 少年はそんな様子を振り返ることもせず、霊獣を置き去りにして走り出す。

 少年の顔は怒りと緊張で強張っているが、その表情に”恐怖”の色は無い。

「逃げてばっかじゃキリがねぇぞ。 さっさと守護霊フェイドを呼ばねぇか」
「アンタは黙ってろ!」

 少年はなおも全力疾走し続けている。少年の走力は凄まじく、人並外れた身体能力を持っているのか、常人のそれを遥かに逸脱した速度であった。

 霊獣と出会った地点からはかなり離れ、既に中年男性の姿は見えないが、声だけは何故かはっきりと聞き取れた。
 まるで、脳に直接話し掛けられているようだ、と少年は思う。

 既に霊獣ともかなりの距離を確保していた。

───バリッバリバリッ
「く、っ!!」

 少年は再び、霊獣と遭遇した時と同じ言葉を叫んだ。

 先程と異なる点は、少年の表情に不安と恐怖が渦巻いている点である。

 フリューゲルは、成人した冒険者でも油断すれば命を落とす程の力を持っている。
 対して、少年の歳の頃は十歳程であろうか。その歳であれば、大型の霊獣を前に恐怖を抱いたとしても不思議はない。

 しかし、明らかに様子がおかしい。少年の視線、その焦点は、霊獣を捉えていないのだ。
 少年は何もない宙空に向かって叫んでいた。
 
 まるでそこに、霊獣とは別の

 次の瞬間。

 どこからともなく、漆黒の肌、黄金色の長髪を持つ守護霊が現れた。
 そして、現れた守護霊は誰の指示も受けることなく、ゆっくりと歩みを進める。

「やめろ! !」

 守護霊は、少年の制止を意に介すこともなく歩き続ける。
 そして霊獣が守護霊の存在を認め、攻撃対象を少年から守護霊に移すと、奇声を上げながら突進を始めた。

「ケケェェェエエンッ!」
「くそっ、止まれ!!」

 少年は、守護霊の目を通して霊獣を見つめる。

 守護霊の目は、対象の霊指数を推し測る。
 少年には目前の霊獣が、取るに足らない

 漆黒の守護霊は、地面を割る程の脚力でもって天高く跳躍した。

 霊獣は遥か上空に移動した守護霊を見上げると、後を追うように広げた翼を羽ばたいて離陸する。

 漆黒の守護霊は空中で身構えると、上昇してくる霊獣を見据え狙いを定める。
 そして、落下の勢いそのままに霊獣へと飛来し、その脳天に拳を叩きつけて粉砕した。

 あまりにも呆気ない決着であった。

「相変わらず、制御の効かねぇ守護霊フェイドだな。 暴走する力は、いつか自身の身をも滅ぼすぞ」
「……うるさい! だから戦いたくなかったんだ!」

 漆黒の守護霊は霊獣の最期を見届けると、ゆっくりと風景に溶け込んでいくように色を薄めていき、やがて完全に姿を消した。

「そうも言ってられねぇ。 もちろん、不毛な争いなら避けるべき時もある。 だがな、自分の”運命”から逃げることは、絶対に出来ないんだ」
「………」

 少年は何を語ることもなく、ただ奥歯を噛み締めていた。

「……理解することを怖れるな。 わかっちまえば、「なんだそんな事か」って事もあるだろう。 目を背けるな。 大丈夫だ。 扱いを知れば、使い方なんぞいくらでも選べる」
「……こんな力、いらねぇ。 俺はもう何もしたくないんだよっ……!」

 言い捨てる少年に、中年の男は優しく語り掛ける。

「そう言うな。 人には役割、”出番”ってもんがあるんだ。 その力の意味も、いずれわかる。 その日は必ず訪れる」
「……良いのか? 俺にこんな力を使わせて。 いつかお前を襲うかも知れないぞ」
「良いさ。 お前がそれを望むならな」

 言って、中年の男はどこか遠くを見つめるように目を細める。

「ただその力が、誰かを救う形で活かされる事を祈っているがな……」
「は? 今なんて言った?」
「何でもない。 帰るぞ。 今日は、特大チキンステーキに決まりだな」

 中年男の最後の言葉は、少年には届かなかった。しかし、少年はそんなことを意に介す事もなく、二人して帰路に着くのであった。



 そして、現在。

「……おぉ、やってるねぇ。 見えるか? あの馬鹿デカい”霊指数”の奴が”雑魚狩り”だ。 ん? 何か知らねぇ奴らがいるな。 まぁ良いか。 それにしても大漁だな」
「あの、さっきも言いましたけど、坊主じゃなくてハルです……。 あと、何が見えるんですか? 僕には普通に山しか見えないんですが……」

 ナツの部屋を後にしたハルは、フジマルの誘いに乗って街外れの草原に来ていた。ここは山が近く、フジマルはさっきから山の方を見て何やら一人で話していた。

 訪れた草原にはひとつの小屋と、少し離れた所に一際大きな建物が建っていた。フジマル曰く、大きな建物は一月ほど前に建てられ、何やら見知らぬ顔の人物が出入りしているとの事であった。
 自然との調和を一切無視したその白い建物は、工房なのだろうか。煙突などが見られるが、その開いた口からは何かが排出されている気配は感じられない。
 ハルはその存在に違和感を強く覚えたが、フジマル曰く、「興味ねぇ」との事だ。
 
 そして、小さい建物の方はフジマルの家であるとのことだ。

 こんな所に住んでいるのか、とハルは呆れに似た感情を抱いた。
 そんな話をしていると、フジマルは山の方を気にし始めた。目を細めてしばらく何やら観察していたかと思うと、冒頭のように話し始めたのだった。

「”霊視”ってのは、慣れると守護霊フェイドを通さなくてもある程度使えるようになる。 つまり、俺くらいになると、この距離で山の様子がわかるってこった」
「へぇ……」

 ハルは曖昧な相槌を打った。この男、フジマルの言っていることが自分にはにわかに信じられなかったため、返事に困っていた。

───ついて来なければよかった。

 ハルは、はっきりと後悔していた。

「信じてねぇな。 疑ってる内は何も身につかねぇ。 守護霊フェイドの扱いもおんなじさ。 ”理解すること”、それが力だ」
「はぁ……」

 ハルはまたしても曖昧な相槌を打った。
 そんなハルを他所に、フジマルは続ける。

「……山の霊獣が増えてる」
「はい?」

 いきなり何だ?とハルは思った。

「人間も自然も霊獣も、全て精霊の一部だ。 そしてその総量は決まっている。 学校で習ったな?」
「はい。 保存の法則、””、ですよね? それが何か?」

 この世界には昔、広い海があった。空には龍が舞っていた。
 やがて人間が地上を支配した。
 すると、それらは歴史の記述の中へと住処を変えていった。

「この星における、現在の人間の精霊支配率は、三割程だそうだ」
「はい知ってます。 学校で習ったので」

 この星は、精霊の循環によって成り立っている。精霊とは即ち、生命であり自然であり現象であり資源でありエネルギーだ。
 人間が増えれば霊獣が減る。街が発展すれば、自然は砂漠へと姿を変えていく。無限など存在しない。形あるものは全て、次の生命の糧となって形を変え、循環していく。

 すべからく、”終わり”が待っている。

 この、当たり前とも言えるこの星のルールのことを、学校では保存の法則、或いは”終わりの秩序”と習う。

 この”終わりの秩序”は、”不老不死”の否定の根拠として用いられる。

 それが現在、星全体の総量の、三割もの精霊を人間が保有している。
 生態系などあったものではない。

 霊獣も精霊である。総量を超えて存在することはない。それが「増えた」と言うことは。

「誰か、亡くなったんですか? それも、”スターン”クラスの人間が……」
「察しがいいな。 まぁ、そうなるだろう」

 生命が持つ精霊の量には個体差がある。
 ”霊草”などがその例である。他の個体より多くの精霊を保有する草のことを、この星では”霊草”と呼んでいるが、それは人間にも同じことが当てはまる。

 ナツが放った炎の球や、カルロが見せた岩の剣も、何もないところから生み出したものではない。あれは彼らが保有する精霊を、守護霊を通すことで任意の物質へと変換したものだ。

 ただし、何でも出せる訳ではない。自身がその原理を深く理解した対象を再現することが出来る、と言った方が正しいだろう。

 そのため、生態が広く理解された霊獣は、人間の意思によって生み出すことができる。

 霊獣を研究し、多種多様の霊獣を操る事が出来る者は”霊獣使い”と呼ばれる。

 これが、等級ランクの中でも最上級を意味する”スターン”の人間ともなれば、現在は歴史書の中にしか存在しない幻の霊獣や、百年以上観測されていない幻の災害なども再現出来ると言われている。

 それが亡くなり、精霊として星中にばら撒かれたと言うことは……。

「こりゃ、戦争になるなぁ」
「戦争……」

 ハルは眩暈がした。

「……そろそろ、時期なのかもな……」
「はい?」
「いや、なんでもねぇ。 独り言だ。 よし坊主、約束通り稽古をつけてやろう」

 フジマルは何事かを呟いて、ハルはそれを聞き逃した。
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