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16:二回目の再会
しおりを挟む治の退院決定連絡を病院から貰った今日は、土曜日であった。
少しスッキリとした気分の洋一は、ふと時計を見上げて呟いた。
「あれは母が外泊時に自殺を図った時、母の最期の外泊だから…十八歳の土曜日の夕方か夜か、夕飯時だった。もう七年にもなるのか…」
今の時刻は午後六時をまわったところだった。
洋一は七年経った今でも、あの日の彼女の向日葵の様な笑顔が脳裏に焼き付いていた。
洋一は孤独を感じそうになった時、ずっと自分はこのままなんじゃないかとふと焦燥感に駆られる時、彼女の笑顔を思い出しては、自分を保つことが出来ていた。
たった二回会っただけの彼女だが、何故か彼女は自分のことを忘れずに覚えていてくれている気がしてならなかった。
それは洋一の願望に違いなかったが、彼女の存在は、孤独な洋一にとって無くてはならない存在となっていた。
「どこかで元気にやっているといいんだけどな…」
これもまた、度々口を突いて出て来るセリフだった。
勿論会いたい気持ちが全くない訳ではない。
しかし人との関係性を築くことが苦手で自分に自信のない洋一は、会うことが怖くもあった。
"自分を知られて幻滅されたくない、それなら今まで通り記憶の中で会えたらいい"
ずっとそう思っていた。
しかし、治に対し寛容な気持ちを持つことが出来た今日、洋一はいつもより自分を誇らしく感じていた。
そして、彼女の笑顔が無性に見たいと思ったのであった。
洋一は七年ぶりにあの、彼女と二回目に遭遇したファーストフード店へ来た。
あまり栄えている地域ではないため、まだ潰れていなかったことにほっとしながら店内へ入り、ハンバーガー+ポテト+ドリンクの一般的なセットを注文し、前と同じ窓際のカウンター席に腰を下ろした。
本当に会えるなんてことは思ってはいなかった。
今どこに住んでいるのかも、名前も、彼女のことを洋一は何も知らない。
ただ洋一は、こうやって昔を思い出し、暖かい気持ちに浸りたかっただけであった。
七年前と同じように窓から下を見下ろしながら、洋一は行き交う人々を眺めていた。
しかし今日考えるのは、和美のことでも治のことでもない、向日葵の彼女のことだった。
"どんな女性に成長したのだろうか?"
"どんな仕事をしているのだろうか?はたまたまだ学生か?"
"恋をしているのだろうか?"
"今もあの笑顔で幸せに暮らしていますように"
何も知らない彼女のことを考えながら、心から彼女の幸せを願う洋一であった。
「あっ」
道路を見下ろしていた洋一の口から、思わず声が漏れた。
今洋一の真下を通りハンバーガー店に入った女性が、何となく彼女に感じが似ていた様な気がしたのだ。
ストレートの黒髪が風になびいていた。
「今はあんな感じかなあ…」
そう思わず呟いてしまい、自分が変態みたいだなと自嘲したところで、洋一は帰ろうかとジュースの残りを飲み干した。
その時、カウンター席を一つ空けた右横に座った人が声を掛けて来た。
「…あのっ。私のこと憶えていませんか?」
右横を見た洋一は目を丸くする。
先ほど見下ろしていた黒髪の女性が横にいて、こちらを見て話し掛けているのだ。
向日葵の様な笑顔を浮かべながら...。
「......あ、元気にしてる?」
何とも間抜けな顔と返事をしてしまい、自分で自分に洋一は苦笑いをしてしまった。
しかし目の前の彼女はそれを聞き、”ぱあっ”と更に表情を明るくし、満面の向日葵笑顔で一気に話し始めた。
「あれから同じ曜日の同じ時間に、用事がない時は毎週ここに来ていたんです!
土曜日の午後七時半頃!二時間だけって決めて!
おかげですっかり毎週土曜の夜はここで過ごすようになって、学生の頃はレポートや宿題、今は仕事の勉強をする良い時間になっています!
本当に勉強が捗るんですよ!
あなたのおかげです、ありがとうございます!」
一気に捲し立てられ、その迫力にやや圧倒をされながら、情報の多さや突っ込みどころの多さに戸惑いながら、洋一は思わず苦笑いをした。
「...はは。何でお礼を言われてるのかよくわからないよ」
「あ…あはは。そうですよね」
恥ずかしそうに少し俯きながら、彼女は続けた。
「...前に会った時は元気がなさそうでしたけど、今日は元気そうでほっとしました。
最近は幸せにお過ごしですか?」
“幸せか”と問われ、洋一は一瞬固まった。
今の洋一は、十五歳の頃の様に無条件に”幸せだ”とは即答できない。
苦笑いになりながら、洋一は誤魔化した。
「七年も前のことをよく憶えているな...。そうだったかな。君は、元気にしてる?」
彼女は俯いていた顔を思いっきり上げて、洋一を”じーっ”と大きな目で見つめて来た。
「…七年前ってよく憶えていますね。私は勿論憶えていますけど…」
洋一は『しまった!』と一瞬気まずく思った。
「私は元気ですよ!
勿論この七年間、色々な事がありましたけど、ここに通う習慣のおかげでかなり救われました。
最初はまたあなたに会いたくて通っていたんですけど、いつの間にか習慣になって、私の精神安定剤としての時間になっていました。
勿論あなたにもとても会いたかったんですけどね!会えてよかったです!
私の七年が成就しました!」
“にー”と大きな真っ黒な瞳が、目を瞑っているのではないかと言う程細くなり、大きな向日葵の様な笑顔になった。
洋一は、心臓が”どくん”と大きく飛び跳ねるのを感じた。
真っすぐ何の迷いもなく伝えて来る彼女に、初めての自分の心臓の鼓動に、洋一はたじたじとなり訳が分からなくなってしまっていた。
しかし、彼女の笑顔を見ていると、自然に洋一も笑顔にならずにはいられなかった。
「私は父と母が離婚をしたので、今は母と二人で暮らしています。
以前アドバイスをいただいたことをずっと忘れずに心掛ける様にしています。
思いやる気持ちが一番大切ですよね?
母と想いをきちんと伝え合いながら生活をしています。
今、私は幸せです」
“ミシッ”
先ほどまで飛び跳ねていた心臓が、急激に凍り付くのを洋一は感じた。
「あの、名前を教えて貰えませんか?…あと、連絡先とか…」
洋一は固まった。彼女とを再会が出来て嬉しかった。
しかし彼女の中の洋一は、"十五歳の洋一"のまま止まっているのだ。
洋一は独りぼっちになり弱っている治を完全に見捨てはしなかったし、親子の縁を完全に断ち切ることはしなかった。しかし、今後も治に会う気もなければ退院後の治をサポートする気もない。
治に不幸になって欲しいとは思ってはいないが、幸せへの手助けをする気も全くないのだ。
和美もずっと病院に預けたままだ。
治と和美に対する様々な気持ちが一瞬で駆け巡った。
"俺は今、人と思いやり合うことが出来ていない"
当たり前でわかり切っていたことを、洋一をは改めて実感させられたのだった。
そして、彼女にとって自分はプラスの存在では決してなく、マイナスの存在だと。
「...会えてよかったよ。もうここには来ないから。これからも元気でね」
洋一が精一杯の笑顔でそう答えると、目の前の大きな黒い瞳が見開かれた。
「待って下さい!やっと会えたのに…
前回は呼び止めることが出来なくて、凄く後悔をしたんです!」
「俺は15歳の頃の俺とは別人だから。
良い思い出だけを覚えて居てくれたら嬉しいな。じゃあね」
洋一は一切彼女の目を見ずに一気に言葉を投げ捨て、きっと何か言いたいであろう彼女を置いて店を出た。
洋一は逃げたのだ。
会いたいなんて思うんじゃなかった。
洋一の中の彼女は会う度に更新されるが、彼女の中の洋一は初めて会った、十五歳の何の悩みもない、幸せいっぱいの洋一のままなのだ。
今の洋一を知って、あの瞳やあの笑顔を曇らせたくはなかった。
幸せな頃の洋一の記憶で居て欲しかった。
洋一は、もう会いには行かないと心に誓った。
いつか、一方的にふらっとあの笑顔を見掛けることができたらいいな…。
そんなことを思いながら、洋一は早足に自宅へ戻った。
『俺はこれからずっと、一人で生きて行くのだろうか…』
本当は人に踏み込み、人と向き合う勇気がないだけだということを、洋一は頭のどこかでわかってはいた...。
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