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助け人
しおりを挟むズシリとのしかかられた重みで、メイヴィスは呻きながら目を開ける。
すると、誰かが自分の上に跨り、こちらを睨みつけているのが見えた。手には短剣が光り、メイヴィスの目が開いたのを見てそれを頭上に掲げる。
「!」
抵抗する間もなく、剣はメイヴィスの胸に真っ直ぐ振り下ろされた。
躊躇いもなく突き刺さった刃は、いとも容易くメイヴィスの心臓に達する。メイヴィスが絶命するのに、そう時間はかからない。
(でん、か)
痛みより、飛び散り流れる血より、メイヴィスは己を刺殺した相手に動揺した。それは紛れもなく、オルティエの次期国王であったのだ。
「メイヴィス様!」
意識はとっくになくなっている。にもかかわらず、誰かの悲鳴が聞こえる。
けれど、メイヴィスはその声にはもう応えられなかった。
♢♢♢♢♢
バチッと目を開け、メイヴィスは息を乱しながら起き上がった。震える手で胸に触れる。薄っぺらい皮膚に刃が刺さっていないのを確認すると、深く息を吐いた。
「……」
頭を抱え、先ほどの光景が夢であったのだと言い聞かせる。そうして息を整えた後、周りを見渡した。
(ここは、どこ?)
温泉の脱衣所で休んでいたはずが、いつのまにか移動している。窓の外は暗く、とっくに夜を迎えていた。
メイヴィスは、見覚えのない部屋にいた。皆寝静まっているのか、誰もいない。タオル一枚だった体にはゆったりした服が着せられており、枕は冷やされていた形跡がある。
(誰の、部屋?)
調度品はシンプルで、それだけでは部屋の主人が男か女かさえわからなかった。
ゆっくりとベッドから降りると、部屋の隅に自分のケープがかけられているのが見えた。
(部屋に戻りたい)
自分のものではない服を脱ぎ、下着の上からケープを羽織る。足は見えているが、お尻さえ隠れていれば大きな問題ではない。
メイヴィスを動かしたのが誰であれ、迷惑をかけたことには違いない。謝りたい気持ちはあったが、その背後に待ち受ける冷たい視線が、今のメイヴィスにはどうしても怖かった。
部屋の扉を開け、廊下の左右を見る。幸い、誰もいない。
だが困ったことに、メイヴィスは自分の現在位置から部屋に戻るルートがわからなかった。
見張りを避けながら歩き回るしかないのかとため息をついた、その時。
「っ!」
廊下に灯された光が、全て点滅した。かと思えば、扉の右の光だけが点き、左の光が消える。
(右へ行け、ということ?)
こんなことができるのは、あの精霊だけだろう。だが、本を閉じている今コーディが動けるとも思えず、メイヴィスは身動きが取れない。
しかし、そんなメイヴィスを急かすように光はまた明滅する。
(行くしかないのね)
意を決して、メイヴィスは部屋から飛び出した。できるだけ足音を立てずに、早歩きで廊下を辿る。曲がり角では息を殺し、次の光の誘導を待った。
が、メイヴィスはある想定を忘れていた。
それは、誰かが部屋から出てくることであった。メイヴィスは目の前で開いた扉を前に身を隠すことはできず、そのまま出てきた誰かとぶつかって座り込んでしまった。
「うっ」
「お嬢様!」
向こうもよろけ、背後に控えていた侍女が支えに入る。メイヴィスはその呼び方から、ぶつかったのが一番会いたくない相手ではないとわかった。
だが、見つかってしまったことに変わりはない。
「曲者!」
と、侍女がメイヴィスを見つけ、主人を庇って衛兵を呼ぼうとする。フードを被ったメイヴィスの姿は、確かに深夜でなくとも不審者以外の何者でもない。
「待ちなさい」
何を思ったのか、誰かは侍女を止める。そして床を見つめて動かないメイヴィスの前に腰を下ろした。
「やはりメイヴィス様でしたか」
メイヴィスは、フードの縁を掴んで目深に引っ張る。正体が露見しようと、今は誰にも顔を見られたくなかった。
「メイヴィス様、私です。ルーナです」
メイヴィスは、フードを持つ手が震え始めた。相手がルーナだからではない。誰であっても同じだ。ルーナの背後の冷たい視線が、怖くて仕方ないのだ。
反応のないメイヴィスの手を覆い、ルーナは握りしめた。
「メイヴィス様?」
ぽろりぽろりと目から涙がこぼれ落ちる。それを覗き見たルーナは目を丸くしたが、メイヴィスのケープの下が下着であることに気づき、自分のマントを重ねた。そして、メイヴィスの背中に手を回して立たせた。
「メイヴィス様、私がお部屋までお連れしましょう。あなたはここにいて」
「しかし」
「すぐ戻るわ」
侍女を黙らせ、ルーナはメイヴィスを支えて歩き出す。メイヴィスはされるがままだった。
カレンがルーナに連れられたメイヴィスを見て悲鳴をあげ、すぐさまベッドに横たわらせる。
メイヴィスが戻ってこないので騒ぎ立てずに探していたらしい。
「メイヴィス様。脱衣所であなたを見つけたのは私です。ぐったりしていらしたので、近くの部屋にお運びいたしました。何やらご不安にさせたようで、申し訳ありません」
ルーナには何の落ち度もない。謝るのはメイヴィスの方であった。
「……私こそ、みっともない姿を晒してしまい申し訳ありません。ご迷惑までおかけして」
落ち着いたメイヴィスが謝ると、ルーナは微笑んだ。
「つい長湯をしてしまいますよね。私は大丈夫です。メイヴィス様がお元気であれば、それで良いのです」
ところで、とルーナは続ける。
「なぜ服をお脱ぎになったのでしょうか。差し支えなければ、お聞かせいただけますか」
メイヴィスは悩んだが、口を開く。
「私の服ではありませんでしたので、恐れ多くて」
「恐れ多いだなんて。ただの夜着ですのに」
自分のものではない服を、我が物顔で着ていられなかった。ただそれだけなのだが、ルーナはどうやら納得していないらしい。
「……夢見が悪くて、動揺していたのです」
「そうでしたか。失礼しました」
適当にでっちあげると、ルーナはこれ以上の長居は無用だと思ったのか、お大事に、と言い残して自室へ戻っていった。
「侯爵令嬢様! どこにも見当たらなくて心配しました……」
ギュッと手を握られ、メイヴィスは居心地の悪さを感じていた。一人で行くと言ったのにこのザマだ。穴があったら入りたい。
「ごめんなさい」
「いいえ、いいえ……湯当たりしてしまったのですね」
「そうみたい」
実際はほんの数分浸かっていただけだ。あの程度でのぼせていては、療養になどなりもしない。
返事をすると、カレンは大きく息を吐く。
「伯爵令嬢様にどうお礼をするべきか……」
と呟いているのが聞こえた。
「カレン。私、殿下に殺される夢を見たの」
唐突に物騒な話をするメイヴィスに、カレンは一瞬呆けた。
「なっ、何ですって? 殿下が?」
「……怖かった」
もぞもぞと布団を耳まで被るメイヴィスに、カレンがよしよしと背中を撫でる。
「心配いりません、侯爵令嬢様。殿下はそのようなことはなさいません」
「うん、わかってる」
カレンにはそう返すが、メイヴィスは信じていなかった。サイラスにとって、愛していない、興味もない小娘を殺すことは、造作もないことだ。わかっている。
「しかし、伯爵令嬢様は侯爵令嬢様がお倒れになったことを誰にもお伝えしなかったようです。殿下がご存じであれば、私に伝わったでしょうから」
「それは、妙ね」
「騒ぎを起こしたくなかったのでしょうか」
「……殿下は療養にいらしてるから、そうかもしれないわね」
だが、メイヴィスが倒れた程度でサイラスが動揺するとは思えない。手当を命じるだけにとどまっただろう。
ルーナがしたことは、ただの人助けだ。そのまま見捨てたってよかった。どうせ自業自得なのだから。助けたにしても、周囲に言いふらして恩を売ればいいのにそれはしなかった。
「侯爵令嬢様の名誉をお守りしたのかもしれませんね」
しかし、ルーナが秘密を守ったとしても侍女が言いふらしているだろう。明日になれば、周知の事実だ。
「……あの方は、お優しいわね」
見せかけかもしれないが、メイヴィスはそう結論づけた。
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