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第四章 3
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刹那、既に限界の来ていたバネを、背後の爆発が解き放った。
狼の身体は縛り付けてあった大地より射出――と目で追うより速く、その肩とショーテルの柄の下部が勢い良くがぶつかり合う。
耳をつんざくような甲高い音と共に、立つのさえ難しい風圧が迸り、周囲を縦横無尽に駆け抜ける。
大地が軋む中、互いが足を地面にめり込ませることで、相手の攻撃から吹き飛ばされるのを辛うじて防いでいた。
もうここまで来たら、牙とかショーテルとかの話ではない。力と力がぶつかり合う、分かり易い構図に切り替わったのだ。
いや、男の方が少し不利なようだ。
視界の端々から不規則に繰り出される牙達の鋭い連打に、否が応でも反応しなければならない。
呼吸を整えることも出来ずに、静寂の海から引き摺り出されたまま、視界の外へと弾き返そうと刃を左右に振り続けるしかなかった。
「アァァァ……!」
まるで、嘲笑うかのように獣が咆哮を上げる。
瞬間、獣が素早くバックステップ。
開いてしまった間合いを詰めようと、男が本能的に半歩前に置いていた右足に体重を掛け、地を蹴った。
一瞬浮遊感を覚え、迫り来る空気の膜を突き破ろうと槍のように鋭く、硬く――さらに前傾姿勢なっていく。
聴覚が風圧によって、仮初めの麻痺を覚える。
「!」
しかしそれは叶わなかった。
足下の爆発音によって掻き消されてしまったのだ。
威力はないが、予想外の閃光に目が眩む。
男の透きをつくには、これで充分だった。
さらに、爆風が周囲を道連れにして強襲していく。もちろん、ユズハの悲鳴も巻き込みながら――。
「!?」
突然、旋風が眼前に出現したかと思うと、ユズハの身体が何かの力によって押し倒されてしまった。
決して風圧によるものではない。
腹部に衝撃が鈍く走ったのだ。
「アァァ――!」
何と腹部に乗っていたのは、先刻まで男と戦っていたはずの狼だった。
状況把握出来なかったユズハが、慌ててジタバタともがくも、当然目の前の獣は降りてなどくれない。
その際、後方の地面に穴が見えた。そう。獣一頭が通り抜けられる程に……。
――もしかして、今までの爆発ってこの穴を隠す為に!?
「ハッ! ハッ!」
視界一杯に、長い鼻と大きな口が肉迫した。
生温かい息が、唾液が彼女の頬で這い回る。
同時にユズハの本能が恐怖する。
「や……め、て……」という声すら、形を成さなくなっていた。
その後獣も本能の赴く儘、眼下の獲物を味わおうと、ゆっくり……ゆっくり……と前足を彼女の胸に……。
――助……けて……。
「!?」
何故か獣は動きを止めてしまった。自身の切断された前足を視界に入れながら。
急に苦しみ出す狼の背後で、声がした。
「……“ベルク”は土を潜ることができる。気を付けることだ」
漸く呼吸をすることが出来たユズハの視界には、のた打ち回る狼――ベルクの後方で、血に塗れたショーテルを手にした男がいた。
刹那、何と男の左手が軽く振られただけで、ベルクを一〇〇メートル程先まで吹っ飛ばしてしまった。
一方ベルクは、空中で無様にジタバタともがき始めていた。
いや違う。
ただ吹き飛ばされたように思えたが、良く目を凝らすと、まるで猫のように身体を丸め空気抵抗を減らし、急に顔を出した重力に引っ張られ、みるみる地面に向かい――綺麗に着地してしまった。
「……」
一方男の方はというと、ゆっくりと右踵を左爪先の一直線上に置いた。さらに重心を右屈みにして、こちらに目掛けて突進して来るベルクに、漸く切先を向けたのだ。
「――アァァァ!」
未だに止まない、ベルクによる足音と咆哮、そして飛び散る破片と粉塵――。
それらが混然となりながら、まるで目の前の男を倒すために結集し、男の体を、五感を絶え間なく痛めつけようと駆け抜け――なかった。
一瞬の出来事だった。右の牙に歪な亀裂が入り、直後状況を把握できなかったベルクが動きを止めたのだ。
「グッ――アァァ!」
悲鳴に似た哮りを上げながら、その牙は弾けるように粉砕されてしまった。
「……」
気付いたら、何と男はベルクの後方にいた。
先刻まで、獣が前方に向けて突進しようとしていたのに、標的がいつの間にか移動していたのだ。
そう。野生の獣の動体視力が追いつかない程に――。
どうやら突進して来る獣に対し、その牙達の激しい乱打を、まるで水面を流れる葉の如く、無駄のない動きで且つ優雅にその攻撃を回避していたようだ。
それも、ベルクの目に留まらない速さで、だ。
たった一秒前の出来事だった。
今、男の背後で爆発が起きた。
しかしそれより素早く、ベルクに向かって飛び出していた。無言のままショーテルを構えながら。横一線に。獣の頭部――いや、そこから胴体、後足へと、刃を差し込み、まるで肉の解体の如く通り過ぎていく。
「……?」
あまりにも呆気ない幕切れに、暫く自分の身体の異変に気付かなかったが、ベルクは時間差でそれが激痛に変換されると共に、急に自我を失う程暴れ回っていた。
「――アァァァ!」
一方男は後ろを振り返ることはせず、眉一つ動かさず静かにショーテルを背負うだけだった。
と同時に、背後で“ドスン”と大きな音がした。
ベルクが、先刻の一太刀で漸く倒れたのだ。
つい今まで奏でていた喧騒が霧散し、耳が痛くなる程の静寂が男の周りに突如出現する。
「……」
一方ユズハは、あまりに目まぐるしく展開していく事態に、気を失ってしまった。
狼の身体は縛り付けてあった大地より射出――と目で追うより速く、その肩とショーテルの柄の下部が勢い良くがぶつかり合う。
耳をつんざくような甲高い音と共に、立つのさえ難しい風圧が迸り、周囲を縦横無尽に駆け抜ける。
大地が軋む中、互いが足を地面にめり込ませることで、相手の攻撃から吹き飛ばされるのを辛うじて防いでいた。
もうここまで来たら、牙とかショーテルとかの話ではない。力と力がぶつかり合う、分かり易い構図に切り替わったのだ。
いや、男の方が少し不利なようだ。
視界の端々から不規則に繰り出される牙達の鋭い連打に、否が応でも反応しなければならない。
呼吸を整えることも出来ずに、静寂の海から引き摺り出されたまま、視界の外へと弾き返そうと刃を左右に振り続けるしかなかった。
「アァァァ……!」
まるで、嘲笑うかのように獣が咆哮を上げる。
瞬間、獣が素早くバックステップ。
開いてしまった間合いを詰めようと、男が本能的に半歩前に置いていた右足に体重を掛け、地を蹴った。
一瞬浮遊感を覚え、迫り来る空気の膜を突き破ろうと槍のように鋭く、硬く――さらに前傾姿勢なっていく。
聴覚が風圧によって、仮初めの麻痺を覚える。
「!」
しかしそれは叶わなかった。
足下の爆発音によって掻き消されてしまったのだ。
威力はないが、予想外の閃光に目が眩む。
男の透きをつくには、これで充分だった。
さらに、爆風が周囲を道連れにして強襲していく。もちろん、ユズハの悲鳴も巻き込みながら――。
「!?」
突然、旋風が眼前に出現したかと思うと、ユズハの身体が何かの力によって押し倒されてしまった。
決して風圧によるものではない。
腹部に衝撃が鈍く走ったのだ。
「アァァ――!」
何と腹部に乗っていたのは、先刻まで男と戦っていたはずの狼だった。
状況把握出来なかったユズハが、慌ててジタバタともがくも、当然目の前の獣は降りてなどくれない。
その際、後方の地面に穴が見えた。そう。獣一頭が通り抜けられる程に……。
――もしかして、今までの爆発ってこの穴を隠す為に!?
「ハッ! ハッ!」
視界一杯に、長い鼻と大きな口が肉迫した。
生温かい息が、唾液が彼女の頬で這い回る。
同時にユズハの本能が恐怖する。
「や……め、て……」という声すら、形を成さなくなっていた。
その後獣も本能の赴く儘、眼下の獲物を味わおうと、ゆっくり……ゆっくり……と前足を彼女の胸に……。
――助……けて……。
「!?」
何故か獣は動きを止めてしまった。自身の切断された前足を視界に入れながら。
急に苦しみ出す狼の背後で、声がした。
「……“ベルク”は土を潜ることができる。気を付けることだ」
漸く呼吸をすることが出来たユズハの視界には、のた打ち回る狼――ベルクの後方で、血に塗れたショーテルを手にした男がいた。
刹那、何と男の左手が軽く振られただけで、ベルクを一〇〇メートル程先まで吹っ飛ばしてしまった。
一方ベルクは、空中で無様にジタバタともがき始めていた。
いや違う。
ただ吹き飛ばされたように思えたが、良く目を凝らすと、まるで猫のように身体を丸め空気抵抗を減らし、急に顔を出した重力に引っ張られ、みるみる地面に向かい――綺麗に着地してしまった。
「……」
一方男の方はというと、ゆっくりと右踵を左爪先の一直線上に置いた。さらに重心を右屈みにして、こちらに目掛けて突進して来るベルクに、漸く切先を向けたのだ。
「――アァァァ!」
未だに止まない、ベルクによる足音と咆哮、そして飛び散る破片と粉塵――。
それらが混然となりながら、まるで目の前の男を倒すために結集し、男の体を、五感を絶え間なく痛めつけようと駆け抜け――なかった。
一瞬の出来事だった。右の牙に歪な亀裂が入り、直後状況を把握できなかったベルクが動きを止めたのだ。
「グッ――アァァ!」
悲鳴に似た哮りを上げながら、その牙は弾けるように粉砕されてしまった。
「……」
気付いたら、何と男はベルクの後方にいた。
先刻まで、獣が前方に向けて突進しようとしていたのに、標的がいつの間にか移動していたのだ。
そう。野生の獣の動体視力が追いつかない程に――。
どうやら突進して来る獣に対し、その牙達の激しい乱打を、まるで水面を流れる葉の如く、無駄のない動きで且つ優雅にその攻撃を回避していたようだ。
それも、ベルクの目に留まらない速さで、だ。
たった一秒前の出来事だった。
今、男の背後で爆発が起きた。
しかしそれより素早く、ベルクに向かって飛び出していた。無言のままショーテルを構えながら。横一線に。獣の頭部――いや、そこから胴体、後足へと、刃を差し込み、まるで肉の解体の如く通り過ぎていく。
「……?」
あまりにも呆気ない幕切れに、暫く自分の身体の異変に気付かなかったが、ベルクは時間差でそれが激痛に変換されると共に、急に自我を失う程暴れ回っていた。
「――アァァァ!」
一方男は後ろを振り返ることはせず、眉一つ動かさず静かにショーテルを背負うだけだった。
と同時に、背後で“ドスン”と大きな音がした。
ベルクが、先刻の一太刀で漸く倒れたのだ。
つい今まで奏でていた喧騒が霧散し、耳が痛くなる程の静寂が男の周りに突如出現する。
「……」
一方ユズハは、あまりに目まぐるしく展開していく事態に、気を失ってしまった。
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