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第三章 2
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夜だというのに、外は明るかった。
あばら家の透間から、陣を取る野盗達の焚火が揺らいで見えた。
何が面白いのか、赤ら顔で豪快に笑い飛ばしていた。村の女達に酌をさせて、上機嫌だ。
「……」
少年はその透間から外を覗き、駆け寄りたい衝動を必死に抑え、力一杯歯を食い縛った。
だが、息だけは殺さなければならない。
――母ちゃん!
一人の女性を捉えた少年の目には、涙がじんわりと浮かんでいた。
相手は野盗でも、元リュウランゼ――危険な仕事から逃れたくて、協会から脱走。村を見つけては殺人、強盗、強姦――数え切れんばかりの悪事を働く連中だ。
まぁ、生きる為にああしているのだろうが……。そんなことはどうでも良い。
とにかく今、ニヤついた男が、決して血色の良くない母の尻を触っている。
――くそっ!
でも、どうすることも出来ない。立ち向かったところで殺されるのがオチだ。
現に、ついさっき隣の旦那が妻を庇おうとしたが、瞬く間に右肩から袈裟切り。
真っ二つ。
目の前で、剣の切れ味を見せつけられたばかりだったからだ。
村人達に恐怖を植え付けるには充分だった。というより、疲れたというのが本音だろうか。
世の中、戦に明け暮れるようになり、毎日のようにこういう輩が現れては蹂躙していくのだ。
どんな努力をしても、力で捻じ伏せられるのがこの世の理だった。
少年は家の中を見回した。
やはり食糧はなく、精々錆び付いた鍋が囲炉裏の上で忘れ去られていたぐらいだろうか。
ここ二、三日アイツらが居座ってから、木の皮を煮出した白湯ぐらいしか口にしていない。
もう、腹の虫しか、この村で音を上げる者はいなかった。
――俺に、力があれば……。
臆病な自分を恨んで、怨んで、憾んで……。
「……消えたい」
自然と出た言霊だった。
戦う勇気もない、ましてやこの世を生きる図々しさもない。
ただ、自分を滅したい。
その気持ちが、体内で鬱積し、容量を超え、耐え切れず“無意識”がそう言わせていた。
『やめてください!』
一瞬、ほんの一瞬だが意識の海に沈んでいた少年が、一気に現実に引き戻された。
――母ちゃん!?
『五月蝿ぇんだよっ! この俺様に酒ぶっ掛けやがって!』
野盗の一人が、母の首根っこを掴み、自分の頭上まで強引に持ち上げた。
『――!』
母の顔から血の気がたちまち消え失せ、目はカッと見開かれた。
まるで打ち上げられた魚の如く、口をパクパクさせていた。
どうやら、つまずいた母が持っていた酒を誤って野盗に掛けてしまったらしい。
などと認識している場合ではない。
母を掴み上げた野盗の右手には、何処から盗んできたのか、派手な装飾の剣が焚火の炎を鋭く反射させていた。
『俺様はなぁ。女を抱くか、殺らねぇと、怒りが収まらねぇタチなんだよ』
という野盗の言葉に、仲間が丈夫そうな歯を見せながら、「また始まったよ」と目を細め出した。
『――さぁ。今日は“どっち”にしようかなぁ。へへへ……』
武士は長い舌を蛇のようにチラつかせながら、母の頬を舐めるなり「不味い」と吐き捨てた。
もちろん、味として“不味い”と言ったのではない。それは“女として”の魅力がないと言っているのだ。
刹那、剣が天高く突き上げられた。同時に母を無造作に投げつけた。
野盗は、その後の惨劇を想像したのか、笑いを堪えられないようで、肩を震わせながら柄を握った右手に、更に左手を添え始めた。
一方、漸く呼吸が出来るようになった母が、力の限り叫んだ。
『こ、殺さないでぇぇぇ……!』
その声に、木々に留まっていた鴉達が一斉に飛び立ち、夜空を、月明かりを染め出した。
それと共に、不気味な鳴き声が闇を切り裂いた。
生まれて初めて見た、母親の必死な姿だった。
――か、母ちゃん……。
少年はとにかく目を瞑るしかなかった。目の前に底なしの闇が口を開けていた。
でも、音だけは聞こえる。それなのに、母親の悲鳴は聞こえて来なかった。
「……?」
そして少年は不審に思いながら、目を恐る恐る開けた――。
「……あれ?」
先刻まで、透間から外の景色を――そうだ。母ちゃんが死んじまう! ……何だ? 何も見えない。
ただ一つ、少年に分かったことがあった。
――手が濡れている?
しかも生温かい。上から、掌に何かの液体が“どろり”、と流れ落ちていたのだ。だが、何故か見ることが出来ない。
いや、後になって強烈な“何か”が少年に襲い掛かった。
「うおぉぉぉ……!」
両眼に、気の狂う程の痛みが走ったのだ。
慌てて掌で眼を押さえながら、ところ構わずのた打ち回った。
たとえ、ものにぶつかり血を流しても、野盗達が乾いた笑い声を上げようとも、もう関係ない。
最早、母親のことを心配している場合ではない。
自分の両眼が切られたのだ。一体、何故か――。
「あ……ぁ……」
意識が消えたり点いたりと、短時間で何度も何度も明滅しているのに、聴覚だけはしっかりしていた。
「かぁ――。餓鬼。おめぇも堪ったもんじゃねぇよなぁ。自分の身を守る為に、我が子を捧げる母親の下に生まれたなんてよ」
――何言ってる? 母ちゃんが殺されたくないばかりに、俺を売った?
刹那、左頬を蛇のように長い舌が這い回っていた。あの野盗だ。下品な笑い声も一緒だ。
同時に母親の顔が歪んで見えた。――いや、違う。実際の光景ではない。何故なら見えないのだ。それなのに“想像の世界”ですら、母の顔は歪んでいたのだ。
もしかしたら、今見えない方が良いのかもしれない……。
「お、お願いです! あの子をどうしようと構わない。だから、私だけは助けて!」
――母ちゃ……ん……。
*
「――それから兄は、目も見えず、死ぬこともできず……。ただ、牢獄で生かされ続けた」
話を続けていたエルザの顔は、悔しさに歪ませていた。唇を噛みながら、視線を上げられずにいた。
多分、今無理に上げれば、また涙が溢れるに違いない。それを力づくで抑えているようだった。
そんな彼女に、砕封魔が冷静に話し掛けた。
「普通なら、すぐに殺されたり、下っ端として奴隷扱いにするっていうのに、牢獄で生かすとはなぁ。――その野盗達は、何か企んでやがるな」
刀の問いに、エルザが答えてくれた。
「そうなの。彼らは、探していたのよ。――“宝”を」
「宝!」宝というワードに、ユズハが勝手に笑顔になる。
勝手に「宝よ!」「金持ち!」と盛り上がる彼女を無視し、砕封魔が話を続けた。
「要するに、宝の在り処を知っているのが、その兄貴って訳か」
「そう! 宝はあなた達に上げる。だから、兄を助けて!」
一方、エルザの話を聞いていたレッドは、苦笑いを浮かべた。
――悪い冗談だろ。まったく。
確かに、少女の兄のことを考えると可哀想だが、自分にも立場があるのも事実。
「……おいおい。待てよ。俺達は協会から雇われた身だぞ。人間を相手にしたら、クビどころか命も奪われる」
「だから、内緒でやるのよ」
「はぁ!?」
「あら。聞こえなかった? だから内緒に――」
「聞こえてるよ! ……はぁ。俺は、平穏に生きたいんだよ」
頭を掻きながら、俯くレッド。
もしかしたら、心が揺れ動いているのかもしれない。口では平穏と言っているが、数日前の戦闘を何処かで欲しているのかもしれない――と。
一体、どちらが本当の自分なのか。
しかも目の前にいる依頼人は、憎い貴族。その彼女を、助けるというのか?
思考を纏めきれていないレッドの耳元に、ユズハが囁いた。
「だから、宝を手に入れて、悠々自適な余生を過ごすのよ」
「余生って、なんか年寄りくさいなぁ」
「年寄り!? 私はまだ一五よ!」
ユズハの言葉に、レッドとエルザが目を丸くする。
「一五!? ――俺より年下じゃないか! 何でそんなに偉そうなんだ!」というレッドの一方で、エルザも反応した。
「私よりも、年下なの? 大丈夫?」
エルザの言葉に、今度はユズハが目を丸くする。
「……年下? アンタ、一体何歳なの?」
「ん? 十六よ」
『はぁ!?』レッドとユズハが驚きの声を上げる。
一方、エルザは眉間に皺を寄せたかと思うと、慌ててベッドから飛び降りて、彼らに近づいた。
しかも、「まさか。私を子供だと思ってた?」と言いながら、貧しい胸を反らしながら、レッドの顔を睨みつける始末。
そんな彼女に押され、レッドは「い、いやぁ。そんなことは……」と、狼狽を隠せないでいた。
足が彼女から逃げようと後退ろうとする。
しかし狭い家の中、数歩歩いたところで、囲炉裏に背中が当たってしまった。
しかしエルザの追及は終わらない。
「ねぇ!」
「ハハハ……」
その時だった。
カラン、と何かが床に落ちた音がしたのだ。
一同の視線が、その音の主に集中する。ユズハとレッドは正体を確かめようと覗き込む。
その一方で、何故かエルザの顔が、さっきまでとは打って変わって、蒼白になっていた。
レッドが、床に転がる小瓶を拾い上げた。そしてラベルを読み上げる。
「“目薬”?」
読み上げたレッドは一瞬考えていたが、エルザの“やらせ”に気付き、顔を赤らめた。
「お、俺を騙したのか!」
さっき流した涙は偽物――。
そんな彼に対し、エルザはまるで悪戯が見つかった子供のごとく、舌をペロッと出して謝りだした。
「エヘッ。バレちゃった」
*
一方その頃、街の中心に聳え立つ大きな壁。その内部は貴族の居住区となっているのだが、この街どころか大陸を統べる帝は、そこにはいなかった。
臣下の一人が慌てて帝に駆け寄り、手書きの“報告書”を手渡した。
話しかけるのがご法度だから、こういう方法を取ったのだろう。身なりが庶民のものと同じなのが、気になるが。
「……」
帝が報告書に目を落とした。
――ジャンクボンドが、街を出る……か。
どうやら臣下は、庶民に溶け込んで、砕封魔達の動向を探るスパイだったらしい。
帝が報告書を読み終えると、臣下に視線を移した。その目は、氷よりも冷たかった。
その視線に睨まれた臣下が、仕事を完遂させて帝に貢献した喜びよりも、得体の知れない恐怖に怯えていた。
顔面蒼白の臣下が、慌てて逃げようと身を翻した。――その背中に、炎の球体がめり込んだ。
「――!」
熱さというより、鋭い痛みが襲った。――と、臣下が思ったかどうか分からない。何しろ、瞬く間に燃え尽きたのだ。
「……」
人の形に汚れた床に、帝は何の感情を抱かない視線を向けていた。
あばら家の透間から、陣を取る野盗達の焚火が揺らいで見えた。
何が面白いのか、赤ら顔で豪快に笑い飛ばしていた。村の女達に酌をさせて、上機嫌だ。
「……」
少年はその透間から外を覗き、駆け寄りたい衝動を必死に抑え、力一杯歯を食い縛った。
だが、息だけは殺さなければならない。
――母ちゃん!
一人の女性を捉えた少年の目には、涙がじんわりと浮かんでいた。
相手は野盗でも、元リュウランゼ――危険な仕事から逃れたくて、協会から脱走。村を見つけては殺人、強盗、強姦――数え切れんばかりの悪事を働く連中だ。
まぁ、生きる為にああしているのだろうが……。そんなことはどうでも良い。
とにかく今、ニヤついた男が、決して血色の良くない母の尻を触っている。
――くそっ!
でも、どうすることも出来ない。立ち向かったところで殺されるのがオチだ。
現に、ついさっき隣の旦那が妻を庇おうとしたが、瞬く間に右肩から袈裟切り。
真っ二つ。
目の前で、剣の切れ味を見せつけられたばかりだったからだ。
村人達に恐怖を植え付けるには充分だった。というより、疲れたというのが本音だろうか。
世の中、戦に明け暮れるようになり、毎日のようにこういう輩が現れては蹂躙していくのだ。
どんな努力をしても、力で捻じ伏せられるのがこの世の理だった。
少年は家の中を見回した。
やはり食糧はなく、精々錆び付いた鍋が囲炉裏の上で忘れ去られていたぐらいだろうか。
ここ二、三日アイツらが居座ってから、木の皮を煮出した白湯ぐらいしか口にしていない。
もう、腹の虫しか、この村で音を上げる者はいなかった。
――俺に、力があれば……。
臆病な自分を恨んで、怨んで、憾んで……。
「……消えたい」
自然と出た言霊だった。
戦う勇気もない、ましてやこの世を生きる図々しさもない。
ただ、自分を滅したい。
その気持ちが、体内で鬱積し、容量を超え、耐え切れず“無意識”がそう言わせていた。
『やめてください!』
一瞬、ほんの一瞬だが意識の海に沈んでいた少年が、一気に現実に引き戻された。
――母ちゃん!?
『五月蝿ぇんだよっ! この俺様に酒ぶっ掛けやがって!』
野盗の一人が、母の首根っこを掴み、自分の頭上まで強引に持ち上げた。
『――!』
母の顔から血の気がたちまち消え失せ、目はカッと見開かれた。
まるで打ち上げられた魚の如く、口をパクパクさせていた。
どうやら、つまずいた母が持っていた酒を誤って野盗に掛けてしまったらしい。
などと認識している場合ではない。
母を掴み上げた野盗の右手には、何処から盗んできたのか、派手な装飾の剣が焚火の炎を鋭く反射させていた。
『俺様はなぁ。女を抱くか、殺らねぇと、怒りが収まらねぇタチなんだよ』
という野盗の言葉に、仲間が丈夫そうな歯を見せながら、「また始まったよ」と目を細め出した。
『――さぁ。今日は“どっち”にしようかなぁ。へへへ……』
武士は長い舌を蛇のようにチラつかせながら、母の頬を舐めるなり「不味い」と吐き捨てた。
もちろん、味として“不味い”と言ったのではない。それは“女として”の魅力がないと言っているのだ。
刹那、剣が天高く突き上げられた。同時に母を無造作に投げつけた。
野盗は、その後の惨劇を想像したのか、笑いを堪えられないようで、肩を震わせながら柄を握った右手に、更に左手を添え始めた。
一方、漸く呼吸が出来るようになった母が、力の限り叫んだ。
『こ、殺さないでぇぇぇ……!』
その声に、木々に留まっていた鴉達が一斉に飛び立ち、夜空を、月明かりを染め出した。
それと共に、不気味な鳴き声が闇を切り裂いた。
生まれて初めて見た、母親の必死な姿だった。
――か、母ちゃん……。
少年はとにかく目を瞑るしかなかった。目の前に底なしの闇が口を開けていた。
でも、音だけは聞こえる。それなのに、母親の悲鳴は聞こえて来なかった。
「……?」
そして少年は不審に思いながら、目を恐る恐る開けた――。
「……あれ?」
先刻まで、透間から外の景色を――そうだ。母ちゃんが死んじまう! ……何だ? 何も見えない。
ただ一つ、少年に分かったことがあった。
――手が濡れている?
しかも生温かい。上から、掌に何かの液体が“どろり”、と流れ落ちていたのだ。だが、何故か見ることが出来ない。
いや、後になって強烈な“何か”が少年に襲い掛かった。
「うおぉぉぉ……!」
両眼に、気の狂う程の痛みが走ったのだ。
慌てて掌で眼を押さえながら、ところ構わずのた打ち回った。
たとえ、ものにぶつかり血を流しても、野盗達が乾いた笑い声を上げようとも、もう関係ない。
最早、母親のことを心配している場合ではない。
自分の両眼が切られたのだ。一体、何故か――。
「あ……ぁ……」
意識が消えたり点いたりと、短時間で何度も何度も明滅しているのに、聴覚だけはしっかりしていた。
「かぁ――。餓鬼。おめぇも堪ったもんじゃねぇよなぁ。自分の身を守る為に、我が子を捧げる母親の下に生まれたなんてよ」
――何言ってる? 母ちゃんが殺されたくないばかりに、俺を売った?
刹那、左頬を蛇のように長い舌が這い回っていた。あの野盗だ。下品な笑い声も一緒だ。
同時に母親の顔が歪んで見えた。――いや、違う。実際の光景ではない。何故なら見えないのだ。それなのに“想像の世界”ですら、母の顔は歪んでいたのだ。
もしかしたら、今見えない方が良いのかもしれない……。
「お、お願いです! あの子をどうしようと構わない。だから、私だけは助けて!」
――母ちゃ……ん……。
*
「――それから兄は、目も見えず、死ぬこともできず……。ただ、牢獄で生かされ続けた」
話を続けていたエルザの顔は、悔しさに歪ませていた。唇を噛みながら、視線を上げられずにいた。
多分、今無理に上げれば、また涙が溢れるに違いない。それを力づくで抑えているようだった。
そんな彼女に、砕封魔が冷静に話し掛けた。
「普通なら、すぐに殺されたり、下っ端として奴隷扱いにするっていうのに、牢獄で生かすとはなぁ。――その野盗達は、何か企んでやがるな」
刀の問いに、エルザが答えてくれた。
「そうなの。彼らは、探していたのよ。――“宝”を」
「宝!」宝というワードに、ユズハが勝手に笑顔になる。
勝手に「宝よ!」「金持ち!」と盛り上がる彼女を無視し、砕封魔が話を続けた。
「要するに、宝の在り処を知っているのが、その兄貴って訳か」
「そう! 宝はあなた達に上げる。だから、兄を助けて!」
一方、エルザの話を聞いていたレッドは、苦笑いを浮かべた。
――悪い冗談だろ。まったく。
確かに、少女の兄のことを考えると可哀想だが、自分にも立場があるのも事実。
「……おいおい。待てよ。俺達は協会から雇われた身だぞ。人間を相手にしたら、クビどころか命も奪われる」
「だから、内緒でやるのよ」
「はぁ!?」
「あら。聞こえなかった? だから内緒に――」
「聞こえてるよ! ……はぁ。俺は、平穏に生きたいんだよ」
頭を掻きながら、俯くレッド。
もしかしたら、心が揺れ動いているのかもしれない。口では平穏と言っているが、数日前の戦闘を何処かで欲しているのかもしれない――と。
一体、どちらが本当の自分なのか。
しかも目の前にいる依頼人は、憎い貴族。その彼女を、助けるというのか?
思考を纏めきれていないレッドの耳元に、ユズハが囁いた。
「だから、宝を手に入れて、悠々自適な余生を過ごすのよ」
「余生って、なんか年寄りくさいなぁ」
「年寄り!? 私はまだ一五よ!」
ユズハの言葉に、レッドとエルザが目を丸くする。
「一五!? ――俺より年下じゃないか! 何でそんなに偉そうなんだ!」というレッドの一方で、エルザも反応した。
「私よりも、年下なの? 大丈夫?」
エルザの言葉に、今度はユズハが目を丸くする。
「……年下? アンタ、一体何歳なの?」
「ん? 十六よ」
『はぁ!?』レッドとユズハが驚きの声を上げる。
一方、エルザは眉間に皺を寄せたかと思うと、慌ててベッドから飛び降りて、彼らに近づいた。
しかも、「まさか。私を子供だと思ってた?」と言いながら、貧しい胸を反らしながら、レッドの顔を睨みつける始末。
そんな彼女に押され、レッドは「い、いやぁ。そんなことは……」と、狼狽を隠せないでいた。
足が彼女から逃げようと後退ろうとする。
しかし狭い家の中、数歩歩いたところで、囲炉裏に背中が当たってしまった。
しかしエルザの追及は終わらない。
「ねぇ!」
「ハハハ……」
その時だった。
カラン、と何かが床に落ちた音がしたのだ。
一同の視線が、その音の主に集中する。ユズハとレッドは正体を確かめようと覗き込む。
その一方で、何故かエルザの顔が、さっきまでとは打って変わって、蒼白になっていた。
レッドが、床に転がる小瓶を拾い上げた。そしてラベルを読み上げる。
「“目薬”?」
読み上げたレッドは一瞬考えていたが、エルザの“やらせ”に気付き、顔を赤らめた。
「お、俺を騙したのか!」
さっき流した涙は偽物――。
そんな彼に対し、エルザはまるで悪戯が見つかった子供のごとく、舌をペロッと出して謝りだした。
「エヘッ。バレちゃった」
*
一方その頃、街の中心に聳え立つ大きな壁。その内部は貴族の居住区となっているのだが、この街どころか大陸を統べる帝は、そこにはいなかった。
臣下の一人が慌てて帝に駆け寄り、手書きの“報告書”を手渡した。
話しかけるのがご法度だから、こういう方法を取ったのだろう。身なりが庶民のものと同じなのが、気になるが。
「……」
帝が報告書に目を落とした。
――ジャンクボンドが、街を出る……か。
どうやら臣下は、庶民に溶け込んで、砕封魔達の動向を探るスパイだったらしい。
帝が報告書を読み終えると、臣下に視線を移した。その目は、氷よりも冷たかった。
その視線に睨まれた臣下が、仕事を完遂させて帝に貢献した喜びよりも、得体の知れない恐怖に怯えていた。
顔面蒼白の臣下が、慌てて逃げようと身を翻した。――その背中に、炎の球体がめり込んだ。
「――!」
熱さというより、鋭い痛みが襲った。――と、臣下が思ったかどうか分からない。何しろ、瞬く間に燃え尽きたのだ。
「……」
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