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第二章 2
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「何でお前がいるんだよ!」
朝から混乱しっ放しのレッドの喉は、もうカラカラだった。
一方刀は、気怠そうに答えた。
「ああ。あの女から担いでもらった」
「あの女?」と口ずさみながら、レッドの目がみるみる大きくなっていく。
ユズハのことだ。まったく、なんてことをしてくれたんだ……。
レッドがこめかみを押さえ出した。
一方、砕封魔は相変わらず空気を読まない。
「どうした。頭が痛いか?」
「……」
「あの女に、“金をやるから”って言ったら、簡単に運んでくれたよ」
「……」
刀の説明に、レッドが扉に手を付きながら項垂れた。もう一つの手で、腹部を押さえながら。
「どうした。脇腹が痛むのか? これだから人間という生き物は……」
「胃が痛いんだ!」
「そうか。胃か……。胃って何だ?」
「もう良い! ていうか、何で俺の家なんだよ」
「ベッドがある。それに飯炊きがいる。それ以上贅沢言ったら、罰が当たるだろ」
「飯炊きって、俺のことか!」
「よく分かったな」
刀の空気を読まない発言に、怒りを覚えたレッドが、その勢いに任せて、刀に手を掛ける。――その瞬間、脳裏に何かが過った。
――危ない。また、操られる!
しかし車は急には止まれない。時既に遅し。レッドの手も止まれなかった。柄の硬い感触が掌に触れた。
刹那、頭が急に前のめりになる。
時間差で上半身が揺らぎ、下半身が立位を保てず――結局、額を扉に勢いよくぶつけてしまった。
「!」
視界一杯に火花が散った。慌てて額を押さえようとするも、両の手は言うことを聞いてくれない。
右手が勝手に扉に触れ、勢い良く開け放たれたのだ。
おかげで、眩しい陽光から目を遮ることができなかった。ちなみに左手は刀を持っており、レッドの言うことを聞いてくれず、右手同様頭上まで上げることはできなかった。
「ど、何処行くんだよ!」
長屋の往来で、大きな独り言――少なくとも、そこを行き来する人間達にはそうとしか見えなかった――を発したレッドは、ぎこちなく歩かされていた。まるで下手なマリオネットだ。右手と右足が同時に動く。
共同井戸が遠ざかっていく。思わず喉が鳴った。怨めしい。
「ちょっと欲しいものがあってよぉ」
一方刀の声は、他の人間には届かなかった。どうやら、左手を通して脳内に伝わるらしい。
「欲しいもの?」
レッドが、他の人間の視線を気にしながら、小声で反応する。
レッドの問いに、答えた砕封魔の声はいつもより抑揚が少なかった。
「……思ったより、体の損傷が激しくてな」
「テレーゼのことか」
レッドの言霊も、刀に合わせて硬くなる。あの陽気な刀が、真剣なのだ。彼女の体の損傷も深刻なのだろう。
「昨日のバグの糸に、毒が仕込まれていたらしい」
「待てよ。俺も糸に触れてるだろ」
「そこは、俺も不思議に思っていたんだが。もしかしたら、おめぇに毒の耐性があるのかもしれねぇ」
その言葉に、レッドが鼻を鳴らす。
「馬鹿な。俺は、ただの人間だよ?」
「だが、現にこうして歩いている。アイツは、出来なかったんだ。だから金を握らせて、運んだんだ」
思わず足を止めそうになったレッドだったが、刀が許してくれない。
既に長屋を抜けて、街の雑踏が辺りを呑み込んでいた。それなのに、レッドの思考は、喧騒という名の外界と繋がっていなかった。
自分の体にそんな特長があったなんて知らなかったな……。
不思議な気分だ。嫌な気分でも、だからといって良い気分でもない。
「……それで、彼女は治るのか?」
「正直分からん。本当は医者を探してぇどころだが、金は掛かるし、第一リュウランゼなんか診てくれるヤツなんかいねぇだろうし。――それに、アイツの体は“特殊”でな。そもそも普通の医者じゃ、太刀打ち出来ねぇだろうなぁ」
刀が珍しく、弱音を吐いた。
――リュウランゼは医者からも嫌われてるんだよな……。
レッドが小さく溜息を吐いた。
「それにしても、彼女の体が“特殊”っていうのは?」
「飯も食わねぇし、息も吸わねぇ。つまり“生きる屍”だ」
「なんだそりゃ? 俺を飯炊き呼ばわりしておいて。――というか、それって生きていることになるのか?」
「ああ。俺とアイツは一心同体。どちらかの命が消えれば、もう片方も死ぬ。今俺が、おめぇと話しているということは、まだ望みはあるっていうことだ」
「……何か良く分からないけど。それで、これからどうする?」
「とりあえず、解毒剤が欲しい」
「解毒剤か。そんなもの、この街で手に入るとしたら――」
レッドがそう言いながら、視線を上げた。その先には、街の中心部にそびえ立つ巨大な円筒形の黒い壁があった。
壁の中は、別世界だ。
“貴族”の住む屋敷がある、庶民にとってはいわば“聖域”だ。彼らは、モジュールを使い、まるで魔法のような生活をしている、という噂だ。
そしてその中心に、“帝”の城がある。
「あそこか。それとも……」今度は視線を落とした。
「“闇市”か」レッドの言葉も地面に沈んだ。
朝から混乱しっ放しのレッドの喉は、もうカラカラだった。
一方刀は、気怠そうに答えた。
「ああ。あの女から担いでもらった」
「あの女?」と口ずさみながら、レッドの目がみるみる大きくなっていく。
ユズハのことだ。まったく、なんてことをしてくれたんだ……。
レッドがこめかみを押さえ出した。
一方、砕封魔は相変わらず空気を読まない。
「どうした。頭が痛いか?」
「……」
「あの女に、“金をやるから”って言ったら、簡単に運んでくれたよ」
「……」
刀の説明に、レッドが扉に手を付きながら項垂れた。もう一つの手で、腹部を押さえながら。
「どうした。脇腹が痛むのか? これだから人間という生き物は……」
「胃が痛いんだ!」
「そうか。胃か……。胃って何だ?」
「もう良い! ていうか、何で俺の家なんだよ」
「ベッドがある。それに飯炊きがいる。それ以上贅沢言ったら、罰が当たるだろ」
「飯炊きって、俺のことか!」
「よく分かったな」
刀の空気を読まない発言に、怒りを覚えたレッドが、その勢いに任せて、刀に手を掛ける。――その瞬間、脳裏に何かが過った。
――危ない。また、操られる!
しかし車は急には止まれない。時既に遅し。レッドの手も止まれなかった。柄の硬い感触が掌に触れた。
刹那、頭が急に前のめりになる。
時間差で上半身が揺らぎ、下半身が立位を保てず――結局、額を扉に勢いよくぶつけてしまった。
「!」
視界一杯に火花が散った。慌てて額を押さえようとするも、両の手は言うことを聞いてくれない。
右手が勝手に扉に触れ、勢い良く開け放たれたのだ。
おかげで、眩しい陽光から目を遮ることができなかった。ちなみに左手は刀を持っており、レッドの言うことを聞いてくれず、右手同様頭上まで上げることはできなかった。
「ど、何処行くんだよ!」
長屋の往来で、大きな独り言――少なくとも、そこを行き来する人間達にはそうとしか見えなかった――を発したレッドは、ぎこちなく歩かされていた。まるで下手なマリオネットだ。右手と右足が同時に動く。
共同井戸が遠ざかっていく。思わず喉が鳴った。怨めしい。
「ちょっと欲しいものがあってよぉ」
一方刀の声は、他の人間には届かなかった。どうやら、左手を通して脳内に伝わるらしい。
「欲しいもの?」
レッドが、他の人間の視線を気にしながら、小声で反応する。
レッドの問いに、答えた砕封魔の声はいつもより抑揚が少なかった。
「……思ったより、体の損傷が激しくてな」
「テレーゼのことか」
レッドの言霊も、刀に合わせて硬くなる。あの陽気な刀が、真剣なのだ。彼女の体の損傷も深刻なのだろう。
「昨日のバグの糸に、毒が仕込まれていたらしい」
「待てよ。俺も糸に触れてるだろ」
「そこは、俺も不思議に思っていたんだが。もしかしたら、おめぇに毒の耐性があるのかもしれねぇ」
その言葉に、レッドが鼻を鳴らす。
「馬鹿な。俺は、ただの人間だよ?」
「だが、現にこうして歩いている。アイツは、出来なかったんだ。だから金を握らせて、運んだんだ」
思わず足を止めそうになったレッドだったが、刀が許してくれない。
既に長屋を抜けて、街の雑踏が辺りを呑み込んでいた。それなのに、レッドの思考は、喧騒という名の外界と繋がっていなかった。
自分の体にそんな特長があったなんて知らなかったな……。
不思議な気分だ。嫌な気分でも、だからといって良い気分でもない。
「……それで、彼女は治るのか?」
「正直分からん。本当は医者を探してぇどころだが、金は掛かるし、第一リュウランゼなんか診てくれるヤツなんかいねぇだろうし。――それに、アイツの体は“特殊”でな。そもそも普通の医者じゃ、太刀打ち出来ねぇだろうなぁ」
刀が珍しく、弱音を吐いた。
――リュウランゼは医者からも嫌われてるんだよな……。
レッドが小さく溜息を吐いた。
「それにしても、彼女の体が“特殊”っていうのは?」
「飯も食わねぇし、息も吸わねぇ。つまり“生きる屍”だ」
「なんだそりゃ? 俺を飯炊き呼ばわりしておいて。――というか、それって生きていることになるのか?」
「ああ。俺とアイツは一心同体。どちらかの命が消えれば、もう片方も死ぬ。今俺が、おめぇと話しているということは、まだ望みはあるっていうことだ」
「……何か良く分からないけど。それで、これからどうする?」
「とりあえず、解毒剤が欲しい」
「解毒剤か。そんなもの、この街で手に入るとしたら――」
レッドがそう言いながら、視線を上げた。その先には、街の中心部にそびえ立つ巨大な円筒形の黒い壁があった。
壁の中は、別世界だ。
“貴族”の住む屋敷がある、庶民にとってはいわば“聖域”だ。彼らは、モジュールを使い、まるで魔法のような生活をしている、という噂だ。
そしてその中心に、“帝”の城がある。
「あそこか。それとも……」今度は視線を落とした。
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