短い話たち

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もしも神様が願いを叶えてくれるのなら、私は結婚前に帰って恋愛のやり直しをしたいと思った。
誰も知らない?いや、一部の人だけが知っているらしい話があって、実は神様は実在して、一つだけ願いを叶えてくれるのだそうだ。
私はそれを、その一部の人から聞いたからそれは確かなんだと信じた。というのも、その人は神様にお願いして今の地位と財産を得たからだ。
その経緯のリアルさで、私は神様がいることを改めて確信し、さっそく祈った。

私にとってのリアルは、私の家の玄関で起こった。
私の家の玄関を入るとすぐに二階に上がる階段がある。私は洗濯物を干しに行った二階から階段を降りる途中でそれを見た。
神様が玄関に立っていたのだ。
神様は神様らしい格好をして立っていた。
「神様?」
私が聞くと
「そうだが、君だね?昔に帰りたいというのは」
そう神様は言った。
「はい」
そう答えながら私が見る玄関は、私が生まれてからずっと見ている玄関だ。
私は一人娘なので、夫をこの家に迎えてずっとここに住んでいる。
思えばこの玄関にはいろんな人が出入りした。
昔は私の両親や友達の顔がそこにあったが、今は夫と子供たちだ。両親は亡くなり、その頃の友達ももうここには来ない。でも玄関だけは変わらずに外に向けて口を開けている。言わば思い出の出入り口だ。だから神様はここにいるのかなと私は思った。
私の本当の思い出…
実は私は、あの日玄関を出て行ったまま二度と入って来なくなった「彼」に会いたいと思い続けている。夫や子供には悪いが、時々その思いが疼く。
ちょっとした感情の行き違いで、二階の私の部屋で大喧嘩して、勢いで別れ話になってしまって、ドタドタと階段を降りて玄関から出て行った彼とは、あれからまったく会っていない。私は彼を追って階段の途中から落ちて、涙を流しながら玄関にへたり込んでいた。異変に気づいて慌てて玄関に来て「寂しい」と呟く私の肩をそっと抱いてくれた母親はもうとっくに死んでいる。なのに玄関はあの日のまま外に向かって口を開けて、そこに立つ人を待っている。それはまるで私の願望の姿のようだ。
音信がない代わりに、彼はあれから私の記憶の「離れ」に住むようになった。あの日の姿のまま。
そんな彼と出かけるのは、その頃の街の風景の中だけだ。時代がどんどん進んで、街の風景もがらりと変わり、私も老けて行く中で、やっぱり私はあの日の玄関から彼を追って出たいという願望が我慢できなくなる日が増えて来た。

「あなたの願いは叶えるが、昔を得たら今は失うよ」

懐古に気を取られてぼーっとしていた私は、神様の声にハッとなった。
そうか、優しい夫も、可愛い子供もいない世界なんだ、私が行きたいのは。

「それでもいいのかな?」

神様は重ねて言う。

「はい」

無意識に言ってしまった。
神様は消えていた。
玄関はそのままだ。
私は恐る恐る玄関を出た。
少し歩いた。
私の家の周辺は古い町なので、しばらくは何かが変わったのか変わっていないのかが分からなかった。遠くで車が走る音がする。
しかし角を曲がった途端、それが「あの頃」なのが分かった。
とっくに廃業した店がそこにあったから。そしてぽつんぽつんと歩く人の格好が古めかしかったから。
一瞬は嬉しかった。でもすぐに複雑な気持ちになった。もう、夫も子供もあの家にはいないんだ。そしてすぐ、私は恐怖を覚えた。
すれ違う人の顔がくり抜かれたように無いのだ。すれ違いざまに何気なく中を覗いたら、どうやら身体もくり抜かれているようだ。
友達同士で身振り手振り話している通行人には声が無かった。でも生活の音だけはしっかりと聞こえている。

「どうして?」

「みんな今を生きているからだよ。そこにいるのは、今に向けて出て行った中身がいた、あの頃の入れ物だよ」

神様の声が聞こえた。
だったら彼がどれなのか分からないじゃない。それに夫になるはずの人も分からない。
途端に私は「今」に帰りたくなった。しかし願いは一つしか叶わない。

しょんぼりと私は家に帰った。
玄関には母親の格好をした入れ物が立っていた。
入れ物に向かって私は、無駄だと分かりながら「寂しい」と話しかけた。
入れ物はそっと私の肩を抱いた。
玄関の姿見に一瞬、私の姿が映った。
それは「今」の私だった。

私は今からまた、今を生きるしかないと思った。
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