短い話たち

weo

文字の大きさ
上 下
245 / 360

向かいの席

しおりを挟む
夏の寝苦しい夜、ベッドにうつ伏せになってまどろんでいる僕の脳裏には、あの日の景色が浮かんでいた。

あの日…
もう半世紀も昔のあの日だ。
僕の向かいには彼女がいる。外はとても寒いけど、ここは暖房がよく効いている。お互い着ていた上着を脱いでコーヒーを注文した。
「暖かいね、ここ」
そう言い出す僕は隣を見ている。
隣にはだれも座っていない椅子があるだけなのに。
「どうして隣に言うの?」
となぜか悲しそうな彼女の言葉が聞こえる。

あ、そうか。
僕が隣を見るのは、いつもそこに妻がいるからだ。
妻とは、彼女と別れたすぐ後に知り合った。寂しかったのかも知れない。すぐに結婚した。

妻はどういうわけか、僕の向かいに座りたがらない。結婚前から今までずっと、僕の隣にしか座らない。半世紀ずっと、僕の隣にいる。だから僕は、隣を見るのがすっかり癖になっている。

「癖なんだよ」
前に向き直ってそう言うと、そこには誰もいない。
ただ、一人分のコーヒー代が置かれている。
「お待ちどうさま」
店の人が二人分のコーヒーを置いて行った。
コーヒーからは確かに湯気が上がっている。
今日は確かにあの日だし、ここは確かに、今は廃墟になっているあの喫茶店だ。

僕は慌てて、これは夢なんだと思い直す。
でも、景色はさらに鮮明になる。コーヒーは湯気を立てたままだ。
僕は藁をも掴む気持ちで、向かいに置かれた、湯気のまだ立つコーヒーを隣に回した。
顔を上げたら妻がそこにいて、コーヒーを飲んだ時にこの夢が覚めると思った。

しかし隣には、誰もいなかった。
湯気の立ち続けるコーヒーがあるだけだった。
そして僕の目の前には、一人分のコーヒー代があるだけだった。

たまらなく寂しくなった。
妻に電話しようとしたらアドレスに名前が無かった。
しばらく茫然としていた。
僕はコーヒーを口にした。
淹れたてのまま熱かった。
誰もいない向かいを見て、隣を見て、飲み干したカップを置いた。すぐに飛び出して、家に帰ろうと思った。

店の人が、二人のカップと、店を引き上げた。

夢が覚めた。
僕は喫茶店の廃墟の前に倒れていた。
救急車の音が聞こえる。

そして確かに蝉が鳴いている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【一話完結】3分で読める背筋の凍る怖い話

冬一こもる
ホラー
本当に怖いのはありそうな恐怖。日常に潜むあり得る恐怖。 読者の日常に不安の種を植え付けます。 きっといつか不安の花は開く。

意味がわかるとえろい話

山本みんみ
ホラー
意味が分かれば下ネタに感じるかもしれない話です(意味深)

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

拷問部屋

荒邦
ホラー
エログロです。どこからか連れてこられた人たちがアレコレされる話です。 拷問器具とか拷問が出てきます。作者の性癖全開です。 名前がしっくり来なくてアルファベットにしてます。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

意味がわかると下ネタにしかならない話

黒猫
ホラー
意味がわかると怖い話に影響されて作成した作品意味がわかると下ネタにしかならない話(ちなみに作者ががんばって考えているの更新遅れるっす)

機械拷問研究所

荒邦
ホラー
機械姦的な感じです。

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜アソコ編〜♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとエッチなショートショートつめあわせ♡

処理中です...