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メール
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そのメル友とは、1回だけ会う約束をしたのだけど、会いそびれてしまって以来そのままになっている。
住んでいる所があまりにも遠いから、その機会はとても貴重だったのに。
趣味のサイトで知り合って、そのままメル友になった。
お互いの神秘性を重視したから、僕も相手も、名前や住所はもちろん、年齢、容姿もぜんぜん明かしていない。
お互いが知っているのは、違う性別であることと、同じ国の何地方に住んでいるという漠然としたことだけだ。僕は男だから、当然相手は女性だ。
どこかに相手がいるのに見える所に相手はいない、見える相手はいないのに確かに相手はいる。
言葉で表せば変な関係だが、その言葉こそがふたりの顔であり声だ。
そのままになってもう30年は経つのに、プライベートな話はしない、そんなルールがあるからお互いの言葉は歳を取らずに行き交っている。
もうここまで来ると、むしろ会わない方がいいのかなとも思ってしまう。
「ねえ、そちらにいる僕はどんな顔をしていて、僕の言葉は、どんな声が読んでるの?」
「私こそ、それを聞きたいわ」
お互いが打つ文字は、一文字一文字がまるで指先や唇の動きに見えて、そんなやり取りを立体化する。
でもやっぱり、お互いプライベートを聞きたい時は何度かあったようで、それを匂わすような言葉が行き来したこともある。
しかしいつまでもお互い若くはない。
いつまでも潤おう容姿をしているわけでもない。そんな諦めが勝ってか、いつしかそんな言葉もなくなった。
お互いがキーを打つ指は、だんだん皺が増えてか細くなっているのだろうけど、どういうのだろう、それだけに互いを求める気持も高まっているような気がする。30年を経てお互いが確実に、寂しさを感じる年齢になったからだろうか。
そう、身体に反比例して、言葉はどんどん潤って行くのだ。艶めかしいと言った方が合っているかも知れない。
会わない時間が血肉になって重なって行くからだろうか。そしていつか体温を持つ。
「私ね、最近、あなたのメールの文字をなぞってるのよ」
こんな言葉がある日来た時は、思わず身体が震えた。
相手は幾つなんだろう。ちなみにメールの始まりの時僕は23歳だった。だからもう53になる。
仮に始まりの時、相手が20歳だったとしたら今は50歳だ。
そんなことを考えている時にその言葉が来た。
20歳のふくよかだった指がすっかり細くなり、乾燥した指先の皮膚が僕の文字をなぞっている。その光景を想い震えたのだ。
それから間もなくのことだ。こんなメールが突然来た。
「会いたい」
なぜ今になって?
正直なんだか白けてしまった。30年かけて培ったものが一気に崩れて行く気がした。でも反面、会いたい気持も湧いていた。
迷った挙句、了解の返事をした。ただお互い、名前と容姿は明かさなかった。待ち合わせの日時と場所と、目印だけを記した。これが最後の神秘だなと思った。
目印を見て相手は分かった。それは意外と若い女性だった。どう見ても10代だ。計算が合わない。初めは人違いかと思ったが、向こうから声を掛けて来たので間違いではなかった。
彼女は鞄から蓋付きの白い陶器の瓶を出して僕に渡した。
「これは?」
僕のこの問いへの彼女の答はこうだった。
瓶の中に入っているのは、亡くなった彼女の母親の骨だという。骨は火葬の時にそっと取ったものらしく、それは右手の人差し指の先のものだという。骨はほとんど灰になっていたが、手指の骨は比較的原形を残していたという。だからこの骨は、右手の人差し指に間違いありませんと彼女は言った。
私とメールのやり取りをしていたのは、この骨の主ですと彼女は言った。
今日のことは、母親の遺言なんですと彼女は言った。あの「会いたい」は、母親が病床で、亡くなる間際に右手の人差し指で打ったもので、私が焼かれたら、私の右手の人差し指の先の骨をメールの相手に渡してほしいとその時言ったそうだ。後のやり取りをしたのは私ですと彼女は言った。
僕はまた敢えて、彼女の素性を聞かなかった。結局、神秘は継続された。
「結婚してたのか」
僕は相変わらず独身のままの自分がなんだか惨めに思えた。それは微かな期待の結果だったと思う。
結局遊ばれていたのかなと思った。
でも遊びなら、大切な自分の遺骨をわざわざ僕に届けるのもおかしいなと思い、これもまた神秘だなと変に納得した。
家に帰って瓶の蓋を開けた。
瓶の口をテーブルに向けると、カスカスの白い骨片がカランと出た。
テーブルの上のそれを、しばらくぼんやりと眺めていた。そのうち妙な想像に耽り出した。
一つ一つの文字のキーを叩き、単語にし、言葉に紡いだのはこの力ない骨で、かつては骨を動かす肉がここに巻いていて、その肉に栄養を与える血管があり、意思を伝える神経があったんだな。
今は虚しいその想像には色ばかりが浮かんで来る。
僕は宙を見た。
桃色の肉、そこに通う血液と神経の赤。
そして皮膚の肌色とピンクの爪先。
そこまでを僕の頭に描かせて、そこから先は何もない無色の人。
ただその顔だけは僕の頭に焼き付けた。
10代の娘の顔として。
あなたはそんな人なんだ。
僕は思い立ってメールを打った。
生きているはずの僕が最後のメールを打っていた。
「そういう死に方、いや、そういう生き方もあるんですね」
メールの返事は当然なかったが、送り戻されることもなかった。
住んでいる所があまりにも遠いから、その機会はとても貴重だったのに。
趣味のサイトで知り合って、そのままメル友になった。
お互いの神秘性を重視したから、僕も相手も、名前や住所はもちろん、年齢、容姿もぜんぜん明かしていない。
お互いが知っているのは、違う性別であることと、同じ国の何地方に住んでいるという漠然としたことだけだ。僕は男だから、当然相手は女性だ。
どこかに相手がいるのに見える所に相手はいない、見える相手はいないのに確かに相手はいる。
言葉で表せば変な関係だが、その言葉こそがふたりの顔であり声だ。
そのままになってもう30年は経つのに、プライベートな話はしない、そんなルールがあるからお互いの言葉は歳を取らずに行き交っている。
もうここまで来ると、むしろ会わない方がいいのかなとも思ってしまう。
「ねえ、そちらにいる僕はどんな顔をしていて、僕の言葉は、どんな声が読んでるの?」
「私こそ、それを聞きたいわ」
お互いが打つ文字は、一文字一文字がまるで指先や唇の動きに見えて、そんなやり取りを立体化する。
でもやっぱり、お互いプライベートを聞きたい時は何度かあったようで、それを匂わすような言葉が行き来したこともある。
しかしいつまでもお互い若くはない。
いつまでも潤おう容姿をしているわけでもない。そんな諦めが勝ってか、いつしかそんな言葉もなくなった。
お互いがキーを打つ指は、だんだん皺が増えてか細くなっているのだろうけど、どういうのだろう、それだけに互いを求める気持も高まっているような気がする。30年を経てお互いが確実に、寂しさを感じる年齢になったからだろうか。
そう、身体に反比例して、言葉はどんどん潤って行くのだ。艶めかしいと言った方が合っているかも知れない。
会わない時間が血肉になって重なって行くからだろうか。そしていつか体温を持つ。
「私ね、最近、あなたのメールの文字をなぞってるのよ」
こんな言葉がある日来た時は、思わず身体が震えた。
相手は幾つなんだろう。ちなみにメールの始まりの時僕は23歳だった。だからもう53になる。
仮に始まりの時、相手が20歳だったとしたら今は50歳だ。
そんなことを考えている時にその言葉が来た。
20歳のふくよかだった指がすっかり細くなり、乾燥した指先の皮膚が僕の文字をなぞっている。その光景を想い震えたのだ。
それから間もなくのことだ。こんなメールが突然来た。
「会いたい」
なぜ今になって?
正直なんだか白けてしまった。30年かけて培ったものが一気に崩れて行く気がした。でも反面、会いたい気持も湧いていた。
迷った挙句、了解の返事をした。ただお互い、名前と容姿は明かさなかった。待ち合わせの日時と場所と、目印だけを記した。これが最後の神秘だなと思った。
目印を見て相手は分かった。それは意外と若い女性だった。どう見ても10代だ。計算が合わない。初めは人違いかと思ったが、向こうから声を掛けて来たので間違いではなかった。
彼女は鞄から蓋付きの白い陶器の瓶を出して僕に渡した。
「これは?」
僕のこの問いへの彼女の答はこうだった。
瓶の中に入っているのは、亡くなった彼女の母親の骨だという。骨は火葬の時にそっと取ったものらしく、それは右手の人差し指の先のものだという。骨はほとんど灰になっていたが、手指の骨は比較的原形を残していたという。だからこの骨は、右手の人差し指に間違いありませんと彼女は言った。
私とメールのやり取りをしていたのは、この骨の主ですと彼女は言った。
今日のことは、母親の遺言なんですと彼女は言った。あの「会いたい」は、母親が病床で、亡くなる間際に右手の人差し指で打ったもので、私が焼かれたら、私の右手の人差し指の先の骨をメールの相手に渡してほしいとその時言ったそうだ。後のやり取りをしたのは私ですと彼女は言った。
僕はまた敢えて、彼女の素性を聞かなかった。結局、神秘は継続された。
「結婚してたのか」
僕は相変わらず独身のままの自分がなんだか惨めに思えた。それは微かな期待の結果だったと思う。
結局遊ばれていたのかなと思った。
でも遊びなら、大切な自分の遺骨をわざわざ僕に届けるのもおかしいなと思い、これもまた神秘だなと変に納得した。
家に帰って瓶の蓋を開けた。
瓶の口をテーブルに向けると、カスカスの白い骨片がカランと出た。
テーブルの上のそれを、しばらくぼんやりと眺めていた。そのうち妙な想像に耽り出した。
一つ一つの文字のキーを叩き、単語にし、言葉に紡いだのはこの力ない骨で、かつては骨を動かす肉がここに巻いていて、その肉に栄養を与える血管があり、意思を伝える神経があったんだな。
今は虚しいその想像には色ばかりが浮かんで来る。
僕は宙を見た。
桃色の肉、そこに通う血液と神経の赤。
そして皮膚の肌色とピンクの爪先。
そこまでを僕の頭に描かせて、そこから先は何もない無色の人。
ただその顔だけは僕の頭に焼き付けた。
10代の娘の顔として。
あなたはそんな人なんだ。
僕は思い立ってメールを打った。
生きているはずの僕が最後のメールを打っていた。
「そういう死に方、いや、そういう生き方もあるんですね」
メールの返事は当然なかったが、送り戻されることもなかった。
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