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対決⑨
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「淡々と書いているな、川原は」
後藤が呟いた。
「それは他人事だから出来るんだな」
また呟いた。
「みんな自分はしていないということだ…」
「じゃ、誰の仕業なんです?」
呟きに平井が聞く。
「決まってるじゃないか」
後藤が言い切る。
「刺朗さ」
後藤は続ける。
「あの夕食の場面、川原の顔はほころびていたよな」
さらに言う。
「そして刺したんだ。だから刺朗という名前なんだよ。川原にとって、良心だけが川原なんだ。USBの文章を打っているのは、刺朗という別人の犯罪記録を記す川原なんだよ」
平井の朗読が響く。
「凛、僕と幸恵の間に出来たたったひとりの子供だ。
僕の予言通り、凛は僕の顔をずいぶん受け継いでいた。平均を遥かに上回る可愛さだった。この子を見て可愛い思った時、頭の中で、可愛いという文字に可哀想とふりがなを付ける奴がいた。
凛が生まれたのは結婚して3年目の時だった。その頃僕はもう、弁当捨てが日常行事化していて、虐めの感覚がぼやけ出していた。すると幸恵がちっとも可愛くなくなって来た。
いやいや、彼女は毎日、朝早くから美味しい廃棄物を作っているんだ、愛らしいじゃないかと、サディスティックな言葉を自分に振りかけてみるのだが、その効果は長続きしなかった。僕はまるでヤク切れの麻薬中毒者だった。
僕の心は、まだ【あいつ】と共有のままだった。
凛がもうすぐ1歳になろうかというあの日は、絵に描いたような休日だった。空は綺麗に晴れて、太陽が青い空に一日をかけて笑顔の孤を描いていた。
その太陽もようやく川向こうの街に着地しようかという夕方、僕はリュックに麦茶の入った哺乳瓶、離乳食の瓶にスプーン、それから出刃包丁とゴミ用のポリ袋、そして睡眠薬を入れていた。
矛盾する組み合わせだ。
命を育む道具と、命を絶つ道具。
僕と【あいつ】がそれぞれチョイスしたものだ。
ベビーベッドの中では凛が天井を見つめて手足をばたつかせていた。何が嬉しいのか、ようやく生えて来た前歯を見せて笑っている。
本当に可愛らしい。
僕は夕食を作っている幸恵に、凛と散歩に行くと断って家を出た。
リュックを背負い、片手で凛を抱いていた。凛の体温が暖かかった。
しばらく歩くと、大きな川の堤防に出た。いつも会社の行き帰りに通る所だ。
そしてこの川に、幸恵の真心が籠った弁当を捨てている。
川向こうに沈もうとしている夕日を、凛と眺めた。凛の柔らかい髪が、風に浮いていた。それはタンポポの綿毛のようだった。
あいつと僕は、愛おしさで一杯になった。
堤防を下り、川縁に来た。
大きな岩があった。
後藤が呟いた。
「それは他人事だから出来るんだな」
また呟いた。
「みんな自分はしていないということだ…」
「じゃ、誰の仕業なんです?」
呟きに平井が聞く。
「決まってるじゃないか」
後藤が言い切る。
「刺朗さ」
後藤は続ける。
「あの夕食の場面、川原の顔はほころびていたよな」
さらに言う。
「そして刺したんだ。だから刺朗という名前なんだよ。川原にとって、良心だけが川原なんだ。USBの文章を打っているのは、刺朗という別人の犯罪記録を記す川原なんだよ」
平井の朗読が響く。
「凛、僕と幸恵の間に出来たたったひとりの子供だ。
僕の予言通り、凛は僕の顔をずいぶん受け継いでいた。平均を遥かに上回る可愛さだった。この子を見て可愛い思った時、頭の中で、可愛いという文字に可哀想とふりがなを付ける奴がいた。
凛が生まれたのは結婚して3年目の時だった。その頃僕はもう、弁当捨てが日常行事化していて、虐めの感覚がぼやけ出していた。すると幸恵がちっとも可愛くなくなって来た。
いやいや、彼女は毎日、朝早くから美味しい廃棄物を作っているんだ、愛らしいじゃないかと、サディスティックな言葉を自分に振りかけてみるのだが、その効果は長続きしなかった。僕はまるでヤク切れの麻薬中毒者だった。
僕の心は、まだ【あいつ】と共有のままだった。
凛がもうすぐ1歳になろうかというあの日は、絵に描いたような休日だった。空は綺麗に晴れて、太陽が青い空に一日をかけて笑顔の孤を描いていた。
その太陽もようやく川向こうの街に着地しようかという夕方、僕はリュックに麦茶の入った哺乳瓶、離乳食の瓶にスプーン、それから出刃包丁とゴミ用のポリ袋、そして睡眠薬を入れていた。
矛盾する組み合わせだ。
命を育む道具と、命を絶つ道具。
僕と【あいつ】がそれぞれチョイスしたものだ。
ベビーベッドの中では凛が天井を見つめて手足をばたつかせていた。何が嬉しいのか、ようやく生えて来た前歯を見せて笑っている。
本当に可愛らしい。
僕は夕食を作っている幸恵に、凛と散歩に行くと断って家を出た。
リュックを背負い、片手で凛を抱いていた。凛の体温が暖かかった。
しばらく歩くと、大きな川の堤防に出た。いつも会社の行き帰りに通る所だ。
そしてこの川に、幸恵の真心が籠った弁当を捨てている。
川向こうに沈もうとしている夕日を、凛と眺めた。凛の柔らかい髪が、風に浮いていた。それはタンポポの綿毛のようだった。
あいつと僕は、愛おしさで一杯になった。
堤防を下り、川縁に来た。
大きな岩があった。
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