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展開⑤
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そこそこ話していたが、刺朗とのやりとりは実は1秒にも満たなかったようだ。
「…いなくなった…」
幸恵の呟きの先の言葉だった。
(またあの現象に似ている…ん?)
後藤はこの時、あの奇妙な現象に刺朗が関わっていると確信した。
思い立って
「ご主人のお顔を、少し見せて下さい」
と幸恵に断ると、遺体の顔に掛けられた白布をめくった。
(あっ!)
幸恵に悟られまいと、思わず声を殺した。
川原の遺体は、この部屋に運んで棺桶から出し、この布団に寝かせたのだが、その時は確かに目を瞑っていたし、口も閉じていた。なのに今…
遺体の目は開き、口許はまるで笑うように開いて、白い前歯を覗かせているのだ。まるで何かを見て笑っているようだ。当然動かないから、気の触れた人間そのものに見えた。
後藤はそっと白布を顔に掛け直した。
しばらく沈黙の時間が流れた。
そのうち幸恵が力なく立ち上がってよろめいたので、あわてて平井が立ち上がり介抱した。
「少し休まれた方が…私たちはまだおりますので、ここで仏様の番をしておきますから」
と、後藤は言い、平井に目配せした。
幸恵を伴って平井が部屋を出た。
後藤がひとりになった途端、祭壇の線香の煙の揺らぎが大きくなった。
煙は消えずに、次第に雲のように固まり始めた。
そして徐々に人の形になって来た。
そうだ、川原の本で見た「物質化する霊魂」の写真そっくりだと後藤は思った。だとしたらこれは刺朗で今、川原の体から出たのではないか…
後藤は再び、遺体の顔の白布をめくった。
遺体の目と口は、元通り閉じていた。
煙の塊はすっかり人の全身になっていた。それはやはり子供の姿だった。
半透明の白い子供は、細く開けてあったサッシの隙間からスーッと表に出て行った。
幸恵はもう2時間ほど眠っている。
その間、戻って来た平井に、刺朗の声を聞いたこと、川原の遺体が変化したこと、霊魂らしきものが現れたことを話した。
平井はやはりオカルトでしたねと微笑んで言った。その微笑みは、心なしか諦めにも思えた。というのも、先の会議では確かに過去の事件で川原は有罪、今回の事件はおそらく自殺であるから罪には問えないだろうと、いわばふたりの推理通りの意見でほぼ一致したのだが、その中身はふたりの考えと大きく違っていたからだ。
ほとんどの刑事は、これは川原の自己陶酔がもたらした粉飾自殺だと考えていた。刑事部長もそうだった。
ふたりがもたらした資料の大半は、自殺を彩るでっち上げだとも言った。
彼らは川原は気功で体得した気合いの持続と、止血、鎮痛を以って刃物をねじ込んだとしか考えられない、現実ではこの方法しかあり得ないと言い切った。なんともお粗末な結論だろう。
これらを聞いて後藤は、あの写真集のあとがきの冒頭にあった言葉を思い出した。
【それはわれわれが三次元の生き物ゆえの、思考の諦めの言葉である】
今それは、警察がこういう結論しか出せないことを、刺朗、いや川原が予測して吐いた嘲りの言葉に思えた。
考えてみれば、他の刑事たちは後藤の記憶障害めいた現象や、平井の姉の件のような、この世の不可思議を知らない。
そして今、刺朗が三次元にこうして現れたのだ。しかし彼は決して、三次元の刑事たちには姿を見せないだろう。不可思議を知る後藤と平井の目だけに彼らの有様を見せることで、人間の愚かさを、子供の声で笑い続けるのだろう。
後藤は平井と苦笑いを交わした。それは今からは、このふたりで刺朗と対峙するのだという意思確認だった。
「ごめんください」
玄関で声がする。
そうだ、川原の部下たちが、通夜と葬儀の手伝いをすると言っていたのだ。それに葬儀屋も来る。
「幸恵さん、起こして来ます」
平井が立った。
後藤は、再び祭壇に焼香した。
煙がまあるく立ち上った。
川原宅を出て、重い足取りで最寄りの駅まで歩いている時だ。不意に平井が呟いた。
「川原は実は、どこかで生きているような気がするんです」
「…いなくなった…」
幸恵の呟きの先の言葉だった。
(またあの現象に似ている…ん?)
後藤はこの時、あの奇妙な現象に刺朗が関わっていると確信した。
思い立って
「ご主人のお顔を、少し見せて下さい」
と幸恵に断ると、遺体の顔に掛けられた白布をめくった。
(あっ!)
幸恵に悟られまいと、思わず声を殺した。
川原の遺体は、この部屋に運んで棺桶から出し、この布団に寝かせたのだが、その時は確かに目を瞑っていたし、口も閉じていた。なのに今…
遺体の目は開き、口許はまるで笑うように開いて、白い前歯を覗かせているのだ。まるで何かを見て笑っているようだ。当然動かないから、気の触れた人間そのものに見えた。
後藤はそっと白布を顔に掛け直した。
しばらく沈黙の時間が流れた。
そのうち幸恵が力なく立ち上がってよろめいたので、あわてて平井が立ち上がり介抱した。
「少し休まれた方が…私たちはまだおりますので、ここで仏様の番をしておきますから」
と、後藤は言い、平井に目配せした。
幸恵を伴って平井が部屋を出た。
後藤がひとりになった途端、祭壇の線香の煙の揺らぎが大きくなった。
煙は消えずに、次第に雲のように固まり始めた。
そして徐々に人の形になって来た。
そうだ、川原の本で見た「物質化する霊魂」の写真そっくりだと後藤は思った。だとしたらこれは刺朗で今、川原の体から出たのではないか…
後藤は再び、遺体の顔の白布をめくった。
遺体の目と口は、元通り閉じていた。
煙の塊はすっかり人の全身になっていた。それはやはり子供の姿だった。
半透明の白い子供は、細く開けてあったサッシの隙間からスーッと表に出て行った。
幸恵はもう2時間ほど眠っている。
その間、戻って来た平井に、刺朗の声を聞いたこと、川原の遺体が変化したこと、霊魂らしきものが現れたことを話した。
平井はやはりオカルトでしたねと微笑んで言った。その微笑みは、心なしか諦めにも思えた。というのも、先の会議では確かに過去の事件で川原は有罪、今回の事件はおそらく自殺であるから罪には問えないだろうと、いわばふたりの推理通りの意見でほぼ一致したのだが、その中身はふたりの考えと大きく違っていたからだ。
ほとんどの刑事は、これは川原の自己陶酔がもたらした粉飾自殺だと考えていた。刑事部長もそうだった。
ふたりがもたらした資料の大半は、自殺を彩るでっち上げだとも言った。
彼らは川原は気功で体得した気合いの持続と、止血、鎮痛を以って刃物をねじ込んだとしか考えられない、現実ではこの方法しかあり得ないと言い切った。なんともお粗末な結論だろう。
これらを聞いて後藤は、あの写真集のあとがきの冒頭にあった言葉を思い出した。
【それはわれわれが三次元の生き物ゆえの、思考の諦めの言葉である】
今それは、警察がこういう結論しか出せないことを、刺朗、いや川原が予測して吐いた嘲りの言葉に思えた。
考えてみれば、他の刑事たちは後藤の記憶障害めいた現象や、平井の姉の件のような、この世の不可思議を知らない。
そして今、刺朗が三次元にこうして現れたのだ。しかし彼は決して、三次元の刑事たちには姿を見せないだろう。不可思議を知る後藤と平井の目だけに彼らの有様を見せることで、人間の愚かさを、子供の声で笑い続けるのだろう。
後藤は平井と苦笑いを交わした。それは今からは、このふたりで刺朗と対峙するのだという意思確認だった。
「ごめんください」
玄関で声がする。
そうだ、川原の部下たちが、通夜と葬儀の手伝いをすると言っていたのだ。それに葬儀屋も来る。
「幸恵さん、起こして来ます」
平井が立った。
後藤は、再び祭壇に焼香した。
煙がまあるく立ち上った。
川原宅を出て、重い足取りで最寄りの駅まで歩いている時だ。不意に平井が呟いた。
「川原は実は、どこかで生きているような気がするんです」
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