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5章

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 ――だなんて、そんなしみったれた未来をわたしが求めているだなんて思ったら、とんだ大間違いだ。この

「――大バカやろーーーーーッ!」

 突如口汚い叫び声を上げたマイカを、グドは目を丸くして見下ろした。だけどマイカはそんなものにはちらりとも視線を向けはしない。

 マイカがヴァンたち以外と話すのが苦手なのは、どうやって話せばいいか分からないから。
 分からないならどうすればいいか。

 ――無視すればいい。

 マイカは辿り着いたその結論に従うように、グドには見向きもせずヴァンを睨みつけた。

「何で黙って突っ立ってんのよ! 何か言いなさいよ! わたし、ホントに行っちゃうわよ!」
「だから行けっつってんだろ。毎日イライラもオドオドもしなくていい、幸せな生活が待ってるぜ」
「会ったことがあるのかかどうか知らないし覚えてもない人のところに行って、本当にそれが幸せだと思ってるの!?」
「そりゃあ、ここにいるよりはよっぽどマシな生き方が出来るだろうよ」

 激昂するマイカに、しかしヴァンは驚くでもなくいつも通りの態度で、煙草を咥えたまま静かに答えた。

「マシってなによ! わたしそんなの分かんない! ここにいないほうが幸せだなんて理由が、全ッ然分かんない!」
「そりゃ、お前がガキだからさ。大きくなりゃ分かることもある」
「わたしが何を知らないのよ! あんたが何を知ってんのよ! あんたが、わたしの何を分かってるっていうのよ!」

 今度は何も言い返さず、黙り込む。紫煙をくゆらせながら、じっとマイカを見つめる。

「わたしの好きな食べ物言ってみろ! 飲み物は? 匂いは? 色は? 服は!?」
「そのくらいだったら、全部分かるぜ。答えてやろうか」
「知ってるわよ! 知ってること、知ってるわよ! だけど、今から行くところはわたしのそんなことも知らない人のところなのよ! そんな場所で、わたしが絶対幸せになれるって保証はあるのかって言ってんのよ!」

 ヴァンはその場に佇んだまま、変わらない表情でマイカの激昂を受け流す。

「そんなの、教えてやればいいだろ。誰だって最初は何も知らない。だから言葉にしてやればいい。簡単なことだ。くだらねえ家族ごっこなんかじゃねえ、本物の家族なんだから」
「だけど、あんたはやっぱりわたしのこと分かってなんかない!」

 マイカはその言葉には応えず、激しく唾を飛ばしながら叱責を続けた。

「わたしの好きな場所言ってみろ! わたしはどこが一番好きか、言ってみなさいよ!」

 ヴァンは一瞬動きを止めて、ため息に乗せて煙草の煙を静かに吐き出した。

「‥‥マイカ、お前はまだ色んなことを知らないだけだ。汚ねえ世界に慣れすぎて、ココ以外の場所がどんなところか分かんなくなってるだけだ。知らなくて、比べようがなければ良いも悪いも言えないだろ。だから――」
「うるさいッ! さっきから、ガキだとか知らないとか、適当な理由ばっかりつけて‥‥! 確かに知らないわよ! でも結局、マシとかクズとか、綺麗とか汚いとか、そんなの全部――あんたの価値観じゃない! わたしにあんたの価値観を押し付けんな! バカ野郎!」

 その言葉に、ヴァンは今度こそ完全に動きを止めて、何も言い返せなくなってしまった。
 目を丸くして言葉を失っているヴァンに、マイカは容赦なく悪態を連ねた。

「バカのくせに兄貴とか呼ばれていい気になって偉そうにするなら、妹のひとりくらい取り返してみせたらどうなのよ! 兄弟はみんな大事だとか傷つけたら許さないとかカッコつけた寝言ばっかり言って、わたしのことはどうでもいいって言うの!? いい加減にしなさいよ!」

 ぽかんと口を半開きにしたまま情けなく突っ立って、取り落としそうになった煙草の端をぎゅっと噛み潰す。
 何も言うことが出来ず煙草を吸う手も止まり、じっとマイカに視線を返し――思わず、口の端が持ち上がった。
 それが自虐の笑みか喜びの笑みかは自分でも判然としないまま、挑発的に口の端を吊り上げて笑みを上塗りした。

「あれ、おかしいな。お前のこと妹だなんて言ったことねえはずだけど。で? イマイチ言いたいことが分かんねえんだけど、言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
「言わなくたって分かれバカ! 分かってるくせに言わそうとすんな大バカ!」

 苛立たしげに叫ぶマイカだが、ヴァンはニヤニヤと笑うのを止めようとしない。

「マイカ、今、オレとお前の間にはデケェ壁があるんだ。ソッチ側は誰かが手を差し伸べてくれる優しい世界。コッチ側は全部自分でなんとかしなきゃいけないクソみてえな世界。意地張って黙ってる間は、この壁は絶対に越えられないぜ。手助けが欲しいならせめてハッキリ口に出してくれねえと、誰も何もしてくれねえぞ。助けを求めるくらいなら出来るだろ? たとえお前が無力なガキ、、、、、でも」

 マイカは唇をぎゅっと引き結んで悔しげに歯を食い縛った。鋭い瞳でヴァンを睨みつけ、震えるほどに拳を握りしめる。
 そして意を決したように息を吸って、叫んだ。

「‥‥わたしは、みんなと一緒にいたいの! 知らない人のところには行きたくない! わたしはここにいたい! 行くなって言ってよ! 帰って来いって行ってよ! わたしが帰る場所はどこなのか教えてよ! わたしだけ突き放さないでよ! わたしだけ特別扱いなんてしないでよ! 妹って呼んでよ! バカみたいに兄貴面して強引に引っ張ってよ! わたしもくだらない家族ごっこに巻き込んでよ! これ以上わたしから家族を失わせないでよ! 嫌なの! 辛いの! 苦しいの! ‥‥こんな当たり前のこと、言わせんじゃないわよ――バカ兄貴っ!」

 ひと息に言い終えると、マイカは肩で息をしながら再びヴァンを睨みつける。ヴァンは満足そうに笑って煙を吐き出すと、煙草を奪った弟を呼んでお行儀よく携帯灰皿に煙草を押し付けた。
 ヴァンはそこで一度笑みを消して、静かな瞳でマイカを見据えた。

「‥‥マイカ。オレたちのこと、怖くないのか?」

 マイカはそれを聞かれることすら屈辱だと言わんばかりに、瞳を怒らせ歯を食い縛る。

「‥‥怖いわよ。怖いに決まってるでしょ。いつだって鉄砲ぶら下げてナイフ振り回して、平気で人を殴るし殺すし、血を見ても悲鳴を聞いても顔色一つ変えないし、なにしでかすか分かんないバカばっかりで、すごく怖いわよ」

 マイカの口調はいつものように、少し苛立たしげ。だけどそれは恐らく、弱さを吐露することへの恐怖を押し隠すための強がりだ。今までの態度が全て虚勢だったことを認め、自分が逆らう力のない〝下〟の存在であると認める行為。それはマイカにとって、とてつもなく恐怖であるはずだ。

「けど、怖いのはどこだって一緒じゃない。さっきから外の世界は綺麗だ綺麗だって言ってるけど、そんなの見た目だけの話でしょ。街に買い物に出かけて、いつも思うもん。この人、笑ってるばっかりでいったい何を考えてるんだろうって。綺麗に見えるだけで、本当に綺麗な場所なんてどこにもないことくらい、あんただって分かってるんでしょ」

 この子の頭の良さは知っていたつもりだったが、思っていた以上の鋭さも持ち合わせている。その眼で相手を正しく見極められるマイカだからこそ、こんな場所から早々に離れるべきだと思っていた。

 だけど――。

「だからわたしは、綺麗な世界が嫌い。見せかけだけの安心や信頼なんて、気持ち悪いだけだもの」

 ――それがヴァンの価値観で、マイカの価値観と当てはまらないというのなら仕方ない。

 出来ることは、人生の先輩として裏の世界の生き辛さってのを教えてやることくらいだ。

「けど、ここより身の危険がないのは確かだぜ」
「どうかしら。それ、わたしがどういう経緯でこんな最低の場所に来ることになったか、分かって言ってる? それならいっそ、あんたらの近くにいるほうがきっと安全だろうし‥‥安心するのよ」

 言いづらそうに一瞬言い淀みつつ、視線を外して小さな声で呟いた。が、その直後にいつもの鋭い目つきで睨み上げると、威勢を取り戻してヴァンに指を突きつけた。

「ていうか、あんただって外のことなんて何も知らないでしょ! こんな所に閉じこもってるあんたが、ココ以外の何を知ってんのよ! 偉そうに知ったかぶんな、バカ!」

 偉そうに世の真理のような何かを説いていたヴァンの動きが完全に停止し――ぶふぉ、と弟の一人が吹き出したのをきっかけとして、重々しかった空気が途端に爆笑に包まれた。

「だははは! 兄貴、マイカちゃんの言う通りだぜ!」
「あはは! 言い負かされてんぞ兄貴ー!」
「完全に兄貴の負けだなこれは」
「やっぱマイカちゃんがウチで最強だぜ!」
「こんな情けねえ兄貴久々に見たよ!」

 口々に好き勝手なことを言いながら、バシバシと背中を叩かれる。言い返そうにも、あまりにも正論すぎて言葉が出てこない。中途半端に冷静さを保っているがゆえに、自分の情けなさが見えすぎてしまうのがツラいところだ。
 とりあえず手ごろな位置にいた数人にゲンコツを喰らわせて、マイカに言い訳を返す。

「‥‥お、オレだって元々はフツーだったんだよ。別に知らないワケじゃねえ」
「でもフツーに生きてられなくなったからこんな所にいるんでしょ。つまりわたしと一緒なんじゃない。なおさら出て行きたくなくなったわ」

 ぶふぉお、と弟たちはさらに吹き出して、再びヴァンの体をバシバシと叩く。

「兄貴、もう無理だ諦めろ」
「今の兄貴は残念すぎるぜ」
「マイカちゃんのほうが頭良いんだから」
「ったくよー、これじゃおれ殴られ損じゃねえか」

 再び手ごろな位置にある頭に拳を振り下ろしてから、今度こそ諦観のため息を吐いた。これ以上の言い合いは、悔しながら情けなくなるばかりのような気がしてきた。
 ヴァンは再びグドに視線を戻し、自分の中の気持ちを切り替えるようにニィっと怪しげな笑みを浮かべた。
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