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4章

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 よれた白いパーカーと、色あせたジーンズ。ヘアバンドを付けて少しだけ普段と雰囲気を変えて、口にはトッポ。気の抜けた格好で街を歩くのは、血と人の死を見慣れた裏の世界を生きる男。

 ビッグブラザーという二つ名を与えられその界隈では高名となりつつあるが、本人にはあまり自覚がない。集団を形成する人数はさほど多くはないが、ひとりひとりのレベルが高く少数精鋭を成り立たせている。組織として動いているつもりがないので名前などは付けていないが、同業者などからはヴァン一家やヴァン兄弟と呼ばれることが多い。

 そんな男だからといって、彼らは何も人気ひとけのない裏通りでしか活動を許されていないわけではない。買い物に出ることもあるし、意味も無く散歩してみたくなる時だってある。不用意にあちこちに顔を晒すのは好ましくないかもしれないが、こそこそと身を隠し続ける生活を送るつもりなどはない。世間一般から外れている自覚はあれど、人目を恐れるような後ろめたいことをしているつもりはなかった。

 彼が歩いているのはいつもの寂れた裏通りではなく、多くの人々が行き交う市街地。そして今、彼の側にはひとりの少女がいた。
 赤色のセーターにデニムのスカートと黒いタイツ。長く美しい金色の長髪をなびかせながら、ヴァンから一歩分だけ距離を空けて前を歩いている。背筋を伸ばし翡翠色の鋭い瞳は真っすぐ正面に向けられ、毅然としすぎた態度はどこか虚勢を張っているようだ。

 市街を歩く2人の間に会話は無い。マイカは振り返りもせず早足で歩き続けていた。
 普通の格好をして表通りに姿を現して何をしているかというと、理由はごくごく平凡なもの。買い物である。

 特別珍しいことではなく、むしろこうしてマイカを連れて出かける頻度は高い。だがどこかの常連になるつもりはなく、向かう場所は電車や車やバイクなど、様々な交通手段を使ってあっちこっち。同伴するのは常にヴァンかリアのどちらかだった。

 今から向かうのは洋服店。これもいつものことで、マイカの私服が大量にあるのはそのためだ。
 店が近づいてくると、マイカの歩調はわずかに緩くなる。詳しい場所は分かっていないので、案内しろという無言の指示である。ヴァンも何も言わないままマイカを追い越して予め調べていたその店に向かい、後ろをついてくるマイカと共に入店した。

 そこまで広くはないものの、品揃えは悪くない店内。目立つ場所には流行りものの服が並べられてはいるが、どちらかというとマイナージャンルの占める割合が多い。またマイカの為に来ていることもあり、子供服が多く取り揃えられている店であることも特徴だ。

 当たり前のことだが、店内には血の臭いも火薬の香りも漂ってはいない。店員の腰に武器は無く、懐に隠し持つスペースがあるようにも見えない。彼女らの細腕では誰かを殺すどころか、身に降りかかる危険すら振り払うことは困難なのではないだろうか。

 彼らにとっての〝普通〟から大きく外れた当たり前の光景がそこにはあった。

 店内にほとんど客はおらず、入店した2人に店員の視線が集まる。その瞳に殺気など込められているはずもなく、警戒心がまるで無いその姿は隙だらけだ。ヴァンの腕があればナイフ1本で反応する間も与えず店員を殺すことも容易いだろう。

 言うまでもなくそれは可不可の話であり、実行に移すつもりがあるはずもない。歩きながら咥えていたトッポはちゃんと入店前に食い終え、大人しく店内に並ぶ服をぐるりと見渡した。
 暇を持て余していたのだろう、店員の女性は2人の入店を確認するとこちらへと近づいてきて営業スマイルを浮かべた。

「いらっしゃいませ、何かお探しの服はありますか?」

 声をかけられ、ヴァンは無言でマイカの背を押す。いつものように睨んだり振り払ったりすることはなく、マイカは背筋を伸ばして店員を見つめ、指先を弄りながらややおどおどとした様子で口を開いた。

「か、かわいい感じの‥‥フリルとか、欲しい、です‥‥」

 普段のマイカしか知らなければ、世にも珍しい光景だと驚くことだろう。
 だが、マイカは買い物の時はいつもこうだ。ヴァンたち以外の人と話すことが極端に苦手で、外に連れ出して最初の頃はマトモに口をきくことすら出来なかった。その時から考えれば、こうして1人で面と向かって話せているだけでも凄まじい躍進である。

「お好みの色はありますか?」
「あ、えっと‥‥あ、赤とか、明るい、感じの色‥‥」
「赤ですね。今着てるセーターみたいな「――だけ! ‥‥じゃ、なくて。‥‥黒とか白の、シンプルな色も好き‥‥です」

 早速促そうとする店員を遮って声を張り、すぐにゆるゆるとしぼんで再び囁くような声に戻ってしまう。
 あまりにもぎこちないマイカの様子に店員は少しだけ驚いたような反応を示すものの、嫌な顔をすることなく話を聞いてくれている。

「暖色系か、モノトーンですね。他には、何かこだわりはありますか?」

 少し身を屈めてマイカの目線に合わせ、視線を泳がせるマイカに焦れることなく返答が来るのを静かに待ってくれている。丁寧な対応にマイカはわずかに身を引いて視線だけで店員の様子を窺い、ちらりと背後のヴァンに視線を向けてくる。ヴァンが何も言わず頷いて見せると、マイカは納得したように視線を前に戻した。

 店員に案内されて店の一角に進んでゆくマイカを見届け、ヴァンは一旦店を後にした。金は渡してあるので、一人でも困ることはないだろう。
 退店間際にマイカに視線を向けてみると、緊張に姿勢を伸ばしたまま色々な服を手に取って眺めていた。

 今日の目的はマイカの買い物だけなので、少しだけ手持無沙汰になる。しかし時間を潰す術は考えており、ヴァンはひとり近くのスーパーへと足を向けた。
 おい一般ピーポー共、ビッグブラザーのお出ましだぜ!などという奇行に走るワケもなく、一般ピーポーを意味もなく睨みつけることもなく、こそこそと人目をはばかることもなく、真っすぐ前を向いて通りを歩く。

 真っ当な生き方をしている人間でないとはいえ、何も知らない人から見ればちょっと目つきの悪いヤツ程度でしかないだろう。まさか今すれ違っている男が懐に本物の銃を隠し持っているかもしれないと考えている者は恐らくいない。

 ヴァンはスーパーに入店し入口に重ねてある買い物かごをひとつ抜き取ると、まずはお菓子コーナーへと向かった。
 棚に並べられている色とりどりのお菓子たちにはほとんど目もくれず、一直線にトッポを探す。この前の報酬がまだ大量に残っているが、たくさんあって困るものではない。季節限定の味を数箱カゴに放り込む。

 それから仕方なく、自分は食べる予定のない菓子を選ぶため吟味を開始した。たまに買ってみるとマイカが少しだけ嬉しそうな顔をする憎いポッキーを睨みつけながら、手を伸ばすのはカントリーマアムやアルフォート。口でキープという概念を持たないこれらの菓子には魅力を感じられないのだが、マイカはこういったしっとり系のクッキーがわりと好きなのだ。早くトッポ信者として目覚めて欲しいものだと願うばかりである。

 一応他のコーナーにも目を向けはしたが、最近はギルにメシ当番を押し付けがちなこともあり、我が家の冷蔵庫事情はあまり把握していない。結局菓子ばかりを買い物かごに詰めてレジに向かうことになりそうだ。

 どうやったら10歳の少女の機嫌を取れるか。そんなことを悩みながら、裏世界の有名人は大衆向けのスーパーで大人しく買い物に勤しむのであった。
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