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1・愛と憎悪
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しおりを挟むユイが再びマナの首に手を伸ばし、ネコのようにあごの下をくすぐった。にゃー、と鳴き声を上げながらマナはユイの胸元に顔をうずめる。
「なんで急にそんなこと思ったの?」
ユイはやる気なさげに「んー」と小さく唸ってから、
「殺してみたいなー、って思った客がいたから」
こともなげにそう答えた。
ユイの言葉に大きな苛立ちは感じられない。ユイはあまり他人に興味を示さず、友好的なものは当然、怒りなどもあまり覚えないらしい。
だからその客に対して特別大きなストレスを抱いたというわけではなく、漠然と鬱陶しいと思った程度なのだろう。
「まあだから、そいつも俺じゃ多少でも接点があるから殺しづらいし、店の中だとカメラもあるし、本当に殺したい奴ほど殺しにくいんだなーって思っただけ」
そう語るユイをマナは思わずじっと見つめ、その視線にユイは首を傾げる。
「ユイくんも、そんなこと考えるんだ」
「そりゃ、俺だって色々考えるさ。ま、頻度は少ないし考えっ放しで何もする気ない自覚はあるけど」
相変わらず平坦な口調のユイの胸に、しかしマナは笑うこともできずぎゅっと寄り添う。
「私の知らないユイくんがいるんだ」
「ま、ちょっとくらいはいるんじゃない? 俺の知らないマナはいないの?」
「いないよ。私は私の全部ユイくんにあげてるもん」
マナは迷いなくそう答える。言葉通りマナはすでに、自分の全てをユイに捧げているのだから。
「そっか。でも、マナより俺のこと知ってる人なんていないよ」
「当たり前だよ」
そんな奴居るはずがないし、居ていいはずがない。マナはユイの言葉に、むっとした表情を返した。
誰かと比べるような発言は、例えマナが一番という意味であっても好ましくない。ユイにとってのマナは、〝一番〟ではなく〝唯一〟であってほしいから。
「マナは、そういうこと考えたことない?」
「いつも考えてるよ。ユイくん以外、みんな死ねばいいのにって」
「下手に手を上げるなよ」
「分かってるよ。約束だもんね」
マナは笑顔で返して、ユイの小指と自分の小指を絡めた。そのまま指を全部絡めて、胸に抱く。
お互いに、殺したい相手はいても本当に殺すことは難しい。確かにそれはひどくもどかしい話だと思った。自分と関係ない相手は殺しやすく、自分と関係ある相手ほど殺しにくい。そしてそのメリットに伴って、リスクも大幅に増加する。確かに誰かを殺すというのは、思いの外簡単ではない。
ふと、その考えと先程のユイの言葉が繋がった。
ユイが嫌いな人間は、少しでも接点があるからユイには殺しにくい。
ユイは何としても自分の手で殺したいとか、そんな憤りもこだわりを持っているわけではない。
――じゃあ、私がそいつを殺せばいいんじゃないかな。
それは大発見とでも言うべき思いつきだった。我ながら、ひどく冴えた発想だ。
ユイの言う客とマナには関係もないし、だからこそ動機もない。そもそも見たことすらもないのだから。
つまり傍から見れば、マナには殺す理由も、その見返りも全くないように見える。
そう、傍から見れば。
しかしマナには、それをしようと思えるだけの十分な理由があるし、見返りだって十分すぎるほどにある。
理由はもちろん、ユイに負の感情を与えるヤツなんて死ねばいいから。
そして見返りはもちろん――ユイの平穏。
自分の為に大きなリスクを負うのはバカらしいけれど、それがユイの為ならばなんだってしてあげられる。
もちろんそれが上手くいったとして、正直に「私が殺したよ」なんて言うつもりはない。だってそんなこと、敢えて言うほどの大それたものではないと思ったから。
掃除したよとか料理作ったよとか洗濯したよとか、当たり前のことを毎回言う必要が無いのと同じように、わざわざ恩着せがましく言う必要はない。褒めてほしいからするのではなく、ユイに笑っていてほしいからするだけなのだから。
人がひとり死ぬ。
たったそれだけのこと。
ユイは言った。人を殺すこと自体は簡単だと。その通りだと思う。ぱっと思いつくだけでも様々な方法が思い浮かんでくる。
そんな簡単なことで、ユイの平穏が手に入るのだ。こんな素敵な話が他にあるだろうか。
ユイは喜んでくれるだろうか。ユイは笑ってくれるだろうか。ユイはマナを褒めてくれるだろうか。ユイはもっとマナを好きだと言ってくれるだろうか。
いや、だから特別なことではないのだ。気づかれなくたって構わない。ユイが安らかでいてくれるなら。
でもやっぱり、喜んでくれると嬉しい。褒めてくれると嬉しい。抱き締めてくれると嬉しい。ユイがしてくれること全てが嬉しい。
ぐるぐるとそんなことを繰り返し考えているとなんだワクワクしてきた。ユイの為に自分にできることがあると思うといつも嬉しくてたまらない。
「どうしたのマナ。なんか嬉しそうだな」
「考え事してたー」
「‥‥どんなこと?」
「ふふ、ユイくんのこと」
ユイは一瞬だけ何か思考するように無言でマナを見つめてから、ほんのわずか、口元を笑みの形に歪めた。
たとえわずかだろうと、ユイが感情を表に出してくれることは珍しい。だから、嬉しそうなユイを見るとマナは嬉しくて胸の奥に激しく熱が灯るような喜びを覚える。
「そっか」
そしてそれだけを呟くユイは、マナの考えていることなど全てお見通しだと言ってくれているようでもある。
「ねーユイくん、もしかして私の考えてること全部バレちゃってる?」
「もちろん。マナの考えてることなんか全部お見通し」
「そっかー。じゃあ、今私は何を考えてるでしょう」
「俺のこと」
ユイは迷いなく即答した。そしてマナも、にっこりと笑顔で頷く。
「正解。じゃあ、他には?」
「無いよ。マナは、俺のことだけ考えてるんだろ?」
再びユイは即答し、マナももう一度笑顔で頷いた。
「せーかい。さすがユイくん、だーい好き」
言ってキスをすると、ユイは静かにマナを抱き締めてくれる。
「そうだよ。私はユイくんのことだけをずっと考えてるから。だからユイくんの為だったら、なんだってできるからね」
「――知ってるよ」
その言葉にも、ユイは即答した。胸に顔をうずめて抱き締められているマナには、ユイがどんな表情をしているのかは窺い知れなかったが、その体温も鼓動も、いつも通りの穏やかなユイのものだった。
やっぱりユイは、なんでも分かってくれている。マナのことを分かってくれるのはユイだけで、ユイのことを分かっているのもマナだけだ。
だから、そんなユイを苛立たせるような奴は、死んでしまえばいい。殺してしまった方がいい。
ユイ以外のものなんて何もかも、無くなってしまえばいい。
やっぱりマナはユイが、ユイだけが大好きだ。
「ねーユイくん、もういっかいシよ?」
「ええ? 俺ちょっと疲れた」
「だめー。私はまだ疲れてないもーん」
ぺちゃー、とユイの上に乗っかり、胸に頬をくっつける。
「理由になってませんが」
呆れた呟きを漏らすユイに答えず首筋に舌を這わすと、「発情期か」と突っ込みを入れながら、がばりと上下を入れ替えられた。
「じゃ、今日と明日はマナがご飯係な」
「うん、いいよ。でもユイくんも一緒に作ろうね」
「いいよ」
唇を交わし、ユイはマナの求めに応じてくれた。
気持ちいいとか、刺激が欲しいとか、そんなのじゃない。
ただユイと繋がっていたい。だからマナはユイを求めた。
ユイだけを求めて、後はいらないと思った。
あの時からずっと、ユイのことしか見えなくなっていた。
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