64 / 69
第三部 世田高の預言者たち
第64話 三界の深淵
しおりを挟む
落ちた明人を、砂のクッションが受け止めた。
踏ん張りきれずに尻餅をついた。
ざらりとした砂の感触が手のひらに伝わった。
冷たく乾いた風が頬に吹きつけた。
「……どこだ、ここ」
あたりを見て、つぶやいた。
煌々と月影に照らされた白砂が、視界いっぱいに広がっている。
どこまでも続く砂の海。
夜空には雲一つない。
冷たく輝く星々と、明るく光る満月が、漆黒の空を彩っている。
ギイイイイイイイ、ギイイイイイイイ、と悲鳴のような軋み音が鳴っていた。
「……?」
不思議な光景を見た。
観覧車を思わせる巨大な金属の車輪が宙に浮き、しかもゆっくりと動いている。しかも、よく見れば、それがあちこち無数にある。
どういうわけか、重厚な金属製の輪を支える6つの太いスポークには、それぞれ人間の胸像が提げられていた。
真上からやや右、時計で言う1時と2時の間にある胸像は、赤ん坊。
そこから時計回りの方向に、少年、青年、中年、高年、老年。
つまりは六つの胸像を乗せた巨大な車輪が動いて、軋み音を奏でているのだ。
そのとき異変が起きた。
老年の胸像が頂点――時計で言うと12時――にさしかかったところで、白骨と化し、塵と消えたのだ。
そして頂点に達したところで、その塵から赤ん坊が現れた。
先ほどまで赤ん坊だった胸像は少年になっていた。
あとは同じだ。
時計回りの方向に、少年、青年、中年、高年、老年……。
ギイイイイイイイ、ギイイイイイイイ、と軋む金属の悲鳴が、広大な空間に鳴り響く。
莫大な質量を伴って動く巨大な車輪は、ゆっくりと、だが確実に動いていて、たとえ巨人が手で押さえようとも止まらないのであろうと思えた。
「明人、大丈夫か」
いつのまに来ていたのか、ベルが隣にいた。
他のメンバーはまだ誰もいない。明人とベルが一番乗りらしい。
「大丈夫。それより、ここはどこだろう」
「三界の深淵。いわば三界の土台だ。本来は空間と時間がなく侵入できないのだが、光の神が仮初めの形を持たせてくれた。表側の三つの小世界がすべて消えたため、裏側の世界を引きずり出せたのだろう」
そう言ってベルは周囲を見まわした。
緩慢に動く巨大な車輪を見上げた。しばらく観察していたが、
「運命の輪ではなさそうだな。人生に見立てた呪い、か」
「どういうこと?」
「乗っている胸像は一つ一つが参加者の象徴だ。ゆっくり動くのは時間の経過。それぞれのスポークの指す位置が、6分の1進むと、1日経つ。頂点に戻ると――つまり、6日後を終えると――、死を迎える。三界の死の呪いを可視化するとああなるのだろう。人は、生まれ、日々と共に老い、最後に必ず死ぬ。その人生のプロセスを模した呪いで、原初の二人であるホフニとアルバは、かつて互いに敵の死を呼びこもうとしたのだろう」
「……」
思い当たる節があった。
いつかのマルバシ酒店の店主の死だ。あのとき彼は急激に老化して死んだ。
時の経過と共に老い、最後に死ぬ。その人生のプロセスを模したから、あのようになったわけだ。
「もっとも、今は表の三界がない。今見ているのは過去の参加者の記録だろうな。お前と千星の像だけは、探せばどこかにあるのかもしれないが。一回転に6日かかる車輪に乗ってな」
そう言って、もう一度ベルは宙に浮かぶ無数の車輪を見上げた。
明人も同じようにした。
上半身だけの人が、生み出され、使われ、死に、原料となり、また生み出される。
それが車輪のワンサイクル。
遥か彼方まで、無数の車輪が続いている。
遙か彼方まで、無数の人間が車輪に乗せられて巡っている。
きっと地平線の向こうでも同じことが起きているのだろう。
あちこちで、人が生まれ、生まれ、生まれる。無数の人があちこちで生まれている。数えきれないほど生まれている。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。無数の人が、あちこちで死んでいる。数えきれないほど死んでいる。
軋みながら無機質に動き続ける、巨大な車輪のスポークに乗って、その無情な動きに逆らう術もなく、老いていき、死んでいる。
男も女も、貴き者も卑しき者も、富める者も貧しい者も、健やかな者も病める者も。
天と地のあいだで、ひと時の人生が、見渡す限り無数に繰り広げられ、その結末を死によって閉じられている。
一回転を人生に見立てた車輪が広がる世界は、形を与えた者が知恵を司る神であるが故か、これまでとは全く異なって、厳粛さに満ちていた。
どさどさっ、と、後ろで重い物が落ちる音が連続した。
「ふうっ」
「おっとお!」
「あいった~……。背中打った……」
華麗に着地した千星、幸十。そして背中から落ちたサラであった。
それぞれ服装が変わっている。千星は闘争界で着ていた白スーツ、幸十は学生服、サラは長い白のローブ。
ネコ姿のアナが千星から分離した。
「おー、焦った。大丈夫かよ、サラ」
「おおきに、なんとか大丈夫」
そう言って、幸十が差し出した手を掴んで、よいしょとサラが起き上がった。
「あれっ、ゆっきーも来たの? もう呪いは解けたはずだろ」
と明人が聞くと、
「だからってオレだけ『お疲れっした』なんてできるわけねーだろが。サラに来て欲しいとも言われたしな」
と幸十は男気を見せた。
「おー、カッコイイじゃん」
と明人はからかうように言った。
半ばは本音でもある。
幸十は口は悪いし、好き嫌いも激しいし、付き合う相手もとことん選ぶ。だが、付き合うと決めた相手にはとことん付き合ってくれもする。今のような非常事態において、これほど頼もしい友人もそういない。
「だろぉ? これはドヤ顔していいと自分でも思うわ」
と幸十は明人に得意げな顔をしてみせた。
その近くで周囲を観察していた千星が、
「なんだか静かな世界だね。今までと全然違う」
とサラに話しかけた。
「欲を煽ろうとして来んから、静かに感じるんとちゃうかな。ここ、人を誘惑して破滅させるための世界ではないみたいやし」
車輪群を見上げながら、サラが世界の本質を言い当てた。
さすが光の神の薫陶を受けた預言者である。
「あ、それだ。すっごいわかる、それ」
と千星がうなずいた。
千星もサラと同じく神から指導を受けた身ではあるが、どちらかと言えば最前線で暴れるタイプである。参謀タイプのサラとはところどころで性質の違いが際立つ。
「さてと。皆ちょっと聞いて。この世界のどこかにある神殿の中に、三界の呪いの基点を象徴化しているらしいんや。それを壊せばええみたい。そうすれば古宮くんと早池峰さんの呪いも解けるし、三界も二度と復活せんらしいで」
とサラが言った。
「神殿? どこだろう」
「んーと。あ、あれじゃね? ほれ、あの丘の上」
と幸十が指さした。
その指の先には、たしかに砂の海に浮かぶ島のような丘があり、その丘の上に神殿らしき建物のシルエットがあった。
それはいいが、かなり距離がある。
「遠いね」
「遠いな」
「遠いよね」
「遠いですね」
「遠くね」
サラを除く全員が一斉に同じことを言った。
ばつの悪そうな顔でサラが首をすくめた。
「い、いやあ。おかしいんやわ。神殿のそばに出してくれるって聞いていたんやけどね。手違いでもあったんかな。すぐ神殿に入らなあかんはずなんやけど……」
ベルが耳をぴくりと震わせた。
「待て。神殿のそばに出るはずだった、だと? しかも、すぐに入るべきとも言われていたのか?」
「え、ええ、まあ。『四人の人の子が、すぐに神殿に入らなければならない』と言われとりました。予定が変わったんか、全然違《ちご》てますけど……」
「どうかしたの、ベル?」
「うむ……。気にしすぎかもしれんが、もしかするとまずいかもしれん」
「あ、ちょっとごめんなさい」
サラが眉をひそめ、耳を塞いだ。
「え、えっ? 『今すぐ走れ。遠ざけた者たちがやってくる』?」
慌てた風につぶやいた。叱責でもされたかのようだ。
ベルの血相が変わった。
「やはりか!? みな、すぐ神殿に向けて走れ! 今すぐだ!!」
なにに気がついたのか、ベルが勢いよく手を振ると、率先して突然駆けだした。
「了解、でもどうしたの!?」
わからないまま、すぐに明人も続いた。アナもだ。
「グズグズするな、お前たちも走れ!」
ベルが千星、幸十、サラを鋭く促した。
「え、なになに?」
「なんなんだよ、急に!?」
「急ぐで! わからんけど、声がめっちゃ慌ててはった! ただごとやない!」
千星、幸十、サラが戸惑いながらも追いかけてきた。
駆けながら明人はベルに聞いた。
「いったいなにがあったの、ベル!?」
「妨害を受けている! これほど遠くに落ちたのは、彼の予定が変わったのではない! ホフニたちに位置を変えられたのだ! お前たちをあの神殿に入らせまいとしてな!」
走りながらベルが応えた。
「え!? あいつら、まだ来るの!?」
「来るから彼が警告している! まずいぞ、ここはいわば奴らの本拠地だ! 来るとしたら、これまでの比ではないのが……」
言いかけて、なにかを感じとったのか、ベルが後ろを向いた。
その顔が引きつったのを見て、明人たちも後ろを見た。
「あ……!」
遠く、上空に巨大な何かが蠢いていた。
星空を隠す、漆黒の帳――おそらくは空を覆う蠅の大軍勢。
しかもそれが、一斉に明人たちに向けて押し寄せてきていた。
まだ距離があるにもかかわらず、聞き覚えのある不気味な羽音がかすかに届いた。
「なっ……なんだありゃ! 前の比じゃねえぞ!?」
幸十がすっとんきょうな声をあげた。
「ここは呪いの基点のすぐそばだ! 奴らの力は最大限に発揮される!」
と走りながらベルが言った。
「ま、まずいよ、これ。これじゃ、たぶん神殿にたどり着く前に追いつかれちゃう」
千星が足を止めないまま振り返り、不吉な予感を口にした。
彼女の言うとおりであった。
星々の光を次々飲みこんでいく禍々しい蟲のベールは、無情なほど早く距離を詰めてきている。
そして、神殿ははるか遠くだ。
これでは追いつかれる前にたどり着くことは到底できそうにない。
「ヤッベー……。詰んでねえかこれ」
「まずいね」
明人は短く答えた。
あの数だ。あっという間に飲み込まれるだろう。その結果は死だ。これまで他の者がそうなったように、もがき苦しんで死ぬ。
と、併走していたアナがサラに問うた。
「サラよ。『四人の人の子が神殿に入る』とあの方がおっしゃっていた、と言いましたね。それに間違いありませんか?」
「は、はい。そこは大丈夫です」
サラの答えに、こくん、とアナがうなずいた。
「よろしい。ならばまだ手はあります。明人さん、千星ちゃん、八神、サラ、最後まで決して諦めてはなりませんよ。兄様、私はここに留まって時間を稼ぎます」
四人に発破をかけた後、アナは剣呑な顔でベルに言った。
「やむを得ん。任せるぞ」
「はい。あの卑しい者どもに、戦神とはなにかを思い知らせてやります。あとはお願いします」
「ちょ、ちょっとアナちゃん!? 冗談だよね?」
あわてて千星がアナを引き留めた。
「千星ちゃん、わかるでしょう。あなたは皆と共に神殿へたどり着かなければならないのです。……私がいなくても、すべきことをするのですよ」
アナが立ち止まり、蠅の大軍勢のほうに向き直った。
「アナちゃん!? ウソ、嫌だよ!」
千星が足を止めて懇願するように言った。皆も足を止めた。だが、
「早く行きなさい!」
厳しい叱責が千星を打った。
千星がびくっと泣きそうな顔で体を震わせた。
「大丈夫、やられはしません。あなたがやりとげられれば、またすぐ会えますよ」
「絶対?」
「絶対です。私を誰だと思っているのですか、千星ちゃん。戦神アナトですよ」
「……信じるからね」
「ええ、信じなさいな。……ふふっ、思えば、私が千星ちゃんに信じると言ってもらえたのは、これが初めてですね。女神と巫女なのに、おかしなこと」
くすっとアナが笑った。
千星が複雑な顔でなんとか笑おうとしていた。
「さ、早く行きなさい!」
「……うん。またね」
「ええ、また」
身をひるがえし、千星が駆けだした。うつむいて、ぎゅっと唇をかみしめたまま。
明人たちもすぐに続いた。
どれほど駆けた頃か。
後ろが急に明るくなり、明人の背中を燃えさかる炎の音が叩いた。
骨の髄まで凍らせそうな、悪鬼の啾啾たる遠い悲鳴がそれに続いた。
「え!?」
駆けながら明人が振り返ると、天まで届く火柱が、まるで剣山のようにいくつも立ち上り、蠅の大群を貫いていた。
まるで炎の柱でできた神殿のようだ。
その麓で、長く美しい銀髪をなびかせた大人の女性が、その美貌を赤い火の光に照らされていた。
宙に浮く刀槍を無数に従え、銀の鎧に身を包み、その肩に蠅であったとおぼしき塵を降り積もらせて。
(え)
と明人が思った、その次の瞬間、蠅の群れの先頭を遮るように巨大な炎の壁が立ち上り、戦女神の姿もまた壁の向こうに隠れた。
「明人、足を止めるな! いくらアニーでもそう長くは食い止められん! すぐに乗り越えてくるぞ!」
「りょ、了解!」
思わず呆けていた明人だが、ベルに言われてすぐにまた走り出した。
神殿までの距離は、まだ三分の一も縮まっていない。
踏ん張りきれずに尻餅をついた。
ざらりとした砂の感触が手のひらに伝わった。
冷たく乾いた風が頬に吹きつけた。
「……どこだ、ここ」
あたりを見て、つぶやいた。
煌々と月影に照らされた白砂が、視界いっぱいに広がっている。
どこまでも続く砂の海。
夜空には雲一つない。
冷たく輝く星々と、明るく光る満月が、漆黒の空を彩っている。
ギイイイイイイイ、ギイイイイイイイ、と悲鳴のような軋み音が鳴っていた。
「……?」
不思議な光景を見た。
観覧車を思わせる巨大な金属の車輪が宙に浮き、しかもゆっくりと動いている。しかも、よく見れば、それがあちこち無数にある。
どういうわけか、重厚な金属製の輪を支える6つの太いスポークには、それぞれ人間の胸像が提げられていた。
真上からやや右、時計で言う1時と2時の間にある胸像は、赤ん坊。
そこから時計回りの方向に、少年、青年、中年、高年、老年。
つまりは六つの胸像を乗せた巨大な車輪が動いて、軋み音を奏でているのだ。
そのとき異変が起きた。
老年の胸像が頂点――時計で言うと12時――にさしかかったところで、白骨と化し、塵と消えたのだ。
そして頂点に達したところで、その塵から赤ん坊が現れた。
先ほどまで赤ん坊だった胸像は少年になっていた。
あとは同じだ。
時計回りの方向に、少年、青年、中年、高年、老年……。
ギイイイイイイイ、ギイイイイイイイ、と軋む金属の悲鳴が、広大な空間に鳴り響く。
莫大な質量を伴って動く巨大な車輪は、ゆっくりと、だが確実に動いていて、たとえ巨人が手で押さえようとも止まらないのであろうと思えた。
「明人、大丈夫か」
いつのまに来ていたのか、ベルが隣にいた。
他のメンバーはまだ誰もいない。明人とベルが一番乗りらしい。
「大丈夫。それより、ここはどこだろう」
「三界の深淵。いわば三界の土台だ。本来は空間と時間がなく侵入できないのだが、光の神が仮初めの形を持たせてくれた。表側の三つの小世界がすべて消えたため、裏側の世界を引きずり出せたのだろう」
そう言ってベルは周囲を見まわした。
緩慢に動く巨大な車輪を見上げた。しばらく観察していたが、
「運命の輪ではなさそうだな。人生に見立てた呪い、か」
「どういうこと?」
「乗っている胸像は一つ一つが参加者の象徴だ。ゆっくり動くのは時間の経過。それぞれのスポークの指す位置が、6分の1進むと、1日経つ。頂点に戻ると――つまり、6日後を終えると――、死を迎える。三界の死の呪いを可視化するとああなるのだろう。人は、生まれ、日々と共に老い、最後に必ず死ぬ。その人生のプロセスを模した呪いで、原初の二人であるホフニとアルバは、かつて互いに敵の死を呼びこもうとしたのだろう」
「……」
思い当たる節があった。
いつかのマルバシ酒店の店主の死だ。あのとき彼は急激に老化して死んだ。
時の経過と共に老い、最後に死ぬ。その人生のプロセスを模したから、あのようになったわけだ。
「もっとも、今は表の三界がない。今見ているのは過去の参加者の記録だろうな。お前と千星の像だけは、探せばどこかにあるのかもしれないが。一回転に6日かかる車輪に乗ってな」
そう言って、もう一度ベルは宙に浮かぶ無数の車輪を見上げた。
明人も同じようにした。
上半身だけの人が、生み出され、使われ、死に、原料となり、また生み出される。
それが車輪のワンサイクル。
遥か彼方まで、無数の車輪が続いている。
遙か彼方まで、無数の人間が車輪に乗せられて巡っている。
きっと地平線の向こうでも同じことが起きているのだろう。
あちこちで、人が生まれ、生まれ、生まれる。無数の人があちこちで生まれている。数えきれないほど生まれている。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。無数の人が、あちこちで死んでいる。数えきれないほど死んでいる。
軋みながら無機質に動き続ける、巨大な車輪のスポークに乗って、その無情な動きに逆らう術もなく、老いていき、死んでいる。
男も女も、貴き者も卑しき者も、富める者も貧しい者も、健やかな者も病める者も。
天と地のあいだで、ひと時の人生が、見渡す限り無数に繰り広げられ、その結末を死によって閉じられている。
一回転を人生に見立てた車輪が広がる世界は、形を与えた者が知恵を司る神であるが故か、これまでとは全く異なって、厳粛さに満ちていた。
どさどさっ、と、後ろで重い物が落ちる音が連続した。
「ふうっ」
「おっとお!」
「あいった~……。背中打った……」
華麗に着地した千星、幸十。そして背中から落ちたサラであった。
それぞれ服装が変わっている。千星は闘争界で着ていた白スーツ、幸十は学生服、サラは長い白のローブ。
ネコ姿のアナが千星から分離した。
「おー、焦った。大丈夫かよ、サラ」
「おおきに、なんとか大丈夫」
そう言って、幸十が差し出した手を掴んで、よいしょとサラが起き上がった。
「あれっ、ゆっきーも来たの? もう呪いは解けたはずだろ」
と明人が聞くと、
「だからってオレだけ『お疲れっした』なんてできるわけねーだろが。サラに来て欲しいとも言われたしな」
と幸十は男気を見せた。
「おー、カッコイイじゃん」
と明人はからかうように言った。
半ばは本音でもある。
幸十は口は悪いし、好き嫌いも激しいし、付き合う相手もとことん選ぶ。だが、付き合うと決めた相手にはとことん付き合ってくれもする。今のような非常事態において、これほど頼もしい友人もそういない。
「だろぉ? これはドヤ顔していいと自分でも思うわ」
と幸十は明人に得意げな顔をしてみせた。
その近くで周囲を観察していた千星が、
「なんだか静かな世界だね。今までと全然違う」
とサラに話しかけた。
「欲を煽ろうとして来んから、静かに感じるんとちゃうかな。ここ、人を誘惑して破滅させるための世界ではないみたいやし」
車輪群を見上げながら、サラが世界の本質を言い当てた。
さすが光の神の薫陶を受けた預言者である。
「あ、それだ。すっごいわかる、それ」
と千星がうなずいた。
千星もサラと同じく神から指導を受けた身ではあるが、どちらかと言えば最前線で暴れるタイプである。参謀タイプのサラとはところどころで性質の違いが際立つ。
「さてと。皆ちょっと聞いて。この世界のどこかにある神殿の中に、三界の呪いの基点を象徴化しているらしいんや。それを壊せばええみたい。そうすれば古宮くんと早池峰さんの呪いも解けるし、三界も二度と復活せんらしいで」
とサラが言った。
「神殿? どこだろう」
「んーと。あ、あれじゃね? ほれ、あの丘の上」
と幸十が指さした。
その指の先には、たしかに砂の海に浮かぶ島のような丘があり、その丘の上に神殿らしき建物のシルエットがあった。
それはいいが、かなり距離がある。
「遠いね」
「遠いな」
「遠いよね」
「遠いですね」
「遠くね」
サラを除く全員が一斉に同じことを言った。
ばつの悪そうな顔でサラが首をすくめた。
「い、いやあ。おかしいんやわ。神殿のそばに出してくれるって聞いていたんやけどね。手違いでもあったんかな。すぐ神殿に入らなあかんはずなんやけど……」
ベルが耳をぴくりと震わせた。
「待て。神殿のそばに出るはずだった、だと? しかも、すぐに入るべきとも言われていたのか?」
「え、ええ、まあ。『四人の人の子が、すぐに神殿に入らなければならない』と言われとりました。予定が変わったんか、全然違《ちご》てますけど……」
「どうかしたの、ベル?」
「うむ……。気にしすぎかもしれんが、もしかするとまずいかもしれん」
「あ、ちょっとごめんなさい」
サラが眉をひそめ、耳を塞いだ。
「え、えっ? 『今すぐ走れ。遠ざけた者たちがやってくる』?」
慌てた風につぶやいた。叱責でもされたかのようだ。
ベルの血相が変わった。
「やはりか!? みな、すぐ神殿に向けて走れ! 今すぐだ!!」
なにに気がついたのか、ベルが勢いよく手を振ると、率先して突然駆けだした。
「了解、でもどうしたの!?」
わからないまま、すぐに明人も続いた。アナもだ。
「グズグズするな、お前たちも走れ!」
ベルが千星、幸十、サラを鋭く促した。
「え、なになに?」
「なんなんだよ、急に!?」
「急ぐで! わからんけど、声がめっちゃ慌ててはった! ただごとやない!」
千星、幸十、サラが戸惑いながらも追いかけてきた。
駆けながら明人はベルに聞いた。
「いったいなにがあったの、ベル!?」
「妨害を受けている! これほど遠くに落ちたのは、彼の予定が変わったのではない! ホフニたちに位置を変えられたのだ! お前たちをあの神殿に入らせまいとしてな!」
走りながらベルが応えた。
「え!? あいつら、まだ来るの!?」
「来るから彼が警告している! まずいぞ、ここはいわば奴らの本拠地だ! 来るとしたら、これまでの比ではないのが……」
言いかけて、なにかを感じとったのか、ベルが後ろを向いた。
その顔が引きつったのを見て、明人たちも後ろを見た。
「あ……!」
遠く、上空に巨大な何かが蠢いていた。
星空を隠す、漆黒の帳――おそらくは空を覆う蠅の大軍勢。
しかもそれが、一斉に明人たちに向けて押し寄せてきていた。
まだ距離があるにもかかわらず、聞き覚えのある不気味な羽音がかすかに届いた。
「なっ……なんだありゃ! 前の比じゃねえぞ!?」
幸十がすっとんきょうな声をあげた。
「ここは呪いの基点のすぐそばだ! 奴らの力は最大限に発揮される!」
と走りながらベルが言った。
「ま、まずいよ、これ。これじゃ、たぶん神殿にたどり着く前に追いつかれちゃう」
千星が足を止めないまま振り返り、不吉な予感を口にした。
彼女の言うとおりであった。
星々の光を次々飲みこんでいく禍々しい蟲のベールは、無情なほど早く距離を詰めてきている。
そして、神殿ははるか遠くだ。
これでは追いつかれる前にたどり着くことは到底できそうにない。
「ヤッベー……。詰んでねえかこれ」
「まずいね」
明人は短く答えた。
あの数だ。あっという間に飲み込まれるだろう。その結果は死だ。これまで他の者がそうなったように、もがき苦しんで死ぬ。
と、併走していたアナがサラに問うた。
「サラよ。『四人の人の子が神殿に入る』とあの方がおっしゃっていた、と言いましたね。それに間違いありませんか?」
「は、はい。そこは大丈夫です」
サラの答えに、こくん、とアナがうなずいた。
「よろしい。ならばまだ手はあります。明人さん、千星ちゃん、八神、サラ、最後まで決して諦めてはなりませんよ。兄様、私はここに留まって時間を稼ぎます」
四人に発破をかけた後、アナは剣呑な顔でベルに言った。
「やむを得ん。任せるぞ」
「はい。あの卑しい者どもに、戦神とはなにかを思い知らせてやります。あとはお願いします」
「ちょ、ちょっとアナちゃん!? 冗談だよね?」
あわてて千星がアナを引き留めた。
「千星ちゃん、わかるでしょう。あなたは皆と共に神殿へたどり着かなければならないのです。……私がいなくても、すべきことをするのですよ」
アナが立ち止まり、蠅の大軍勢のほうに向き直った。
「アナちゃん!? ウソ、嫌だよ!」
千星が足を止めて懇願するように言った。皆も足を止めた。だが、
「早く行きなさい!」
厳しい叱責が千星を打った。
千星がびくっと泣きそうな顔で体を震わせた。
「大丈夫、やられはしません。あなたがやりとげられれば、またすぐ会えますよ」
「絶対?」
「絶対です。私を誰だと思っているのですか、千星ちゃん。戦神アナトですよ」
「……信じるからね」
「ええ、信じなさいな。……ふふっ、思えば、私が千星ちゃんに信じると言ってもらえたのは、これが初めてですね。女神と巫女なのに、おかしなこと」
くすっとアナが笑った。
千星が複雑な顔でなんとか笑おうとしていた。
「さ、早く行きなさい!」
「……うん。またね」
「ええ、また」
身をひるがえし、千星が駆けだした。うつむいて、ぎゅっと唇をかみしめたまま。
明人たちもすぐに続いた。
どれほど駆けた頃か。
後ろが急に明るくなり、明人の背中を燃えさかる炎の音が叩いた。
骨の髄まで凍らせそうな、悪鬼の啾啾たる遠い悲鳴がそれに続いた。
「え!?」
駆けながら明人が振り返ると、天まで届く火柱が、まるで剣山のようにいくつも立ち上り、蠅の大群を貫いていた。
まるで炎の柱でできた神殿のようだ。
その麓で、長く美しい銀髪をなびかせた大人の女性が、その美貌を赤い火の光に照らされていた。
宙に浮く刀槍を無数に従え、銀の鎧に身を包み、その肩に蠅であったとおぼしき塵を降り積もらせて。
(え)
と明人が思った、その次の瞬間、蠅の群れの先頭を遮るように巨大な炎の壁が立ち上り、戦女神の姿もまた壁の向こうに隠れた。
「明人、足を止めるな! いくらアニーでもそう長くは食い止められん! すぐに乗り越えてくるぞ!」
「りょ、了解!」
思わず呆けていた明人だが、ベルに言われてすぐにまた走り出した。
神殿までの距離は、まだ三分の一も縮まっていない。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

剣の世界のβテスター~異世界に転生し、力をつけて気ままに生きる~
島津穂高
ファンタジー
社畜だった俺が、βテスターとして異世界に転生することに!!
神様から授かったユニークスキルを軸に努力し、弱肉強食の異世界ヒエラルキー頂点を目指す!?
これは神様から頼まれたβテスターの仕事をしながら、第二の人生を謳歌する物語。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】
永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。
転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。
こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり
授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。
◇ ◇ ◇
本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。
序盤は1話あたりの文字数が少なめですが
全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
律と欲望の夜
冷泉 伽夜
大衆娯楽
アフターなし。枕なし。顔出しなしのナンバーワンホスト、律。
有名だが謎の多いホストの正体は、デリヘル会社の社長だった。
それは女性を喜ばせる天使か、女性をこき使う悪魔か――。
確かなことは
二足のわらじで、どんな人間も受け入れている、ということだ。

神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました
土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。
神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。
追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。
居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。
小説家になろうでも公開しています。
2025年1月18日、内容を一部修正しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる