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第三部 世田高の預言者たち

第60話 ピクニックに行く夢

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 金属オリの床に千星を横たわらせ、明人は腕を組んだ。
 ホフニの言う処刑の用意がいつ終わるかはわからないが、そう遠いことではないだろう。死地から抜け出す方策を考え出さなければならない。

(けど、いったいこんな状態からなにができるってんだ。……いや、ダメだ。諦めたら終わりなんだ。なにか方法があると思わないと)

 明人はアルバの励ましを思いだしながら、折れそうになる心を必死にはげました。
 古代の老祭司のヒントを、もう一度思いだした。

(祭司アルバの見立てによれば、これまでと違って虚栄界を壊すための鍵はない。とすると、ゆっきーやコーエンさんが鍵を壊して救出してくれるってのも期待できないわけだ。鍵は、俺の言葉、らしいけど……。……俺の言葉……)

 ふふっ、と明人は笑ってしまった。
 自分で考えながら、あまりに滑稽こっけいだと感じたのだ。

(言葉!? そんなものをどうやって鍵の代わりにするんだ! さっきだってみんな聞く耳を持ってなかったじゃないか!)

 無理にも程がある。
 そう思わざるを得なかった。
 聞く者の心を揺るがし、ひいては世界さえ揺らすほどの言葉。
 いったいそんなものがどこにあるというのか。

 まして今の明人は罪人として扱われているのである。
 いったい誰が罪人の言葉を真摯しんしに聞くというのか。

「明人」

(ムチャクチャだ! できるもんか! できるってんなら祭司アルバがやっぱり出てきて自分でやればよかったんだ!)

 頭を抱えた。涙も出てきた。
 もうすぐ死ぬ。きっとなにもできずに死ぬ。
 三千年もの長きに渡って人を殺し続けてきた怪物が、絶対に殺すと息巻いているのだ。どうして逃れられるというのか。できるわけがない。

「明人」

「え?」

 呼びかけられていることに気がついた。
 前を見ると、ベルが目の前にいた。

「考えるのは良い。今できるのはそれだけだ。だが、考えるなら生きる方法を考えねば」

「あ……」

 言われて、なぜこんな目に、とばかり考えだしていた自分に気がついた。

「考えてることがわかるんだ?」

「顔に出ていた」

「そっか。……うん。ごめん」

 ぽん、とベルが明人の足を叩いた。
 ベルは背丈があまりないので、明人を励ますときはいつも足を叩く。
 おかげで少し落ち着いた。

(そうだ。しっかりしないと。俺だけじゃないんだ。ちーちゃんまで殺されてしまう)

 ぱん、と両手でほおを叩いて、気合いを入れ直した。
 ジンジン痛むが、少なくとも目は覚めた。

(考えないと。ホフニは見世物にすると言っていた。町の人間をどれだけ集める気かしらないが、大神官として集めるんだろうから、大勢だろう。集める時間がかかるはずだ。考えるための時間はある)

 唇をぎゅっと噛んだ。
 頭を石で砕かれるわけにはいかない。自分も、千星もだ。

「鍵があればね。ゆっきーとコーエンさんに希望を託せたかもしれないのに」

「本当だな。八神は行動力があるし機転も利く。サラは光の神の預言者だ。もし鍵が存在するなら、光の神の加護を得たサラが虚栄界を破壊できた可能性はじゅうぶんあった。……いや、その場合、我らがここにたどり着く前に破壊できていたかな。なにしろあの光の神の預言者だ。おそらく今ごろは、我らが捕まったのを知って頭を抱えているのだろうが……」

「光の神はそんなにすごいんだ」

「なんと言っても知恵の神だからな。私も一目置いている。その助力を得ているサラも相当な力量の持ち主だったろう?」

「たしかにね。それなら、もしかしてまた助けてくれるかな」

「どうかな。前回はたしかに助けられた。だが、それはホフニの心の隙をつけたためだ。奴が大神官としての己に執心していたからこそ、あの場は逃れられた。今回の公開処刑はわけがちがう。異教の預言者の処断は、大神官としての晴れ舞台だ。これを中断させることは、奴の執着――つまり大神官ホフニという自己実現に真っ向から挑戦するに等しい。邪魔をすれば、前回のような甘い顔を見せることはあるまい」

「そっか。そうだよね……」

 たとえそうでなくとも、処刑場に堂々と乗り込んで邪魔したとなると、いくらなんでもサラや幸十がホフニに敵対していることを誤魔化すことはできないだろう。いかに幸十が演技派であったとしてもだ。
 やはり自分たちでなんとかこの窮地を乗り切らねばならないわけだ。

(『その言葉によって人々の目を開かせた場合』……か)

 明人はアルバの言葉をもう一度頭の中で繰り返した。
 人々の目を開かせるとは、もちろん『まぶたの皮を上下に引っ張る』ことではなく、『気づかせる』の意だろう。
 人々が気づいていない物事があるということだ。
 では、それは何か。
 と。

「ん……あれ、ここは……?」

 千星が目を開け、起き上がった。
 きょろきょろと当たりを見まわしている。
 アナもそのそばに出現した。出るなり、金属オリの扉を蹴り開けようとしたのは、やはりベルの妹である。

「そっか。私、捕まっちゃったんだ。明人くんも」

「しくじったよ。気を失っていたけど、だいじょうぶ?」

「なんとか。……でも、悔しい。なんだか最近肝心なところで負けてばかりな気がする」

 はあ、と千星がため息をついた。

「外から城門を適当に攻撃していたら、ホフニが町の人を盾にしながら襲ってきてさ。もろともなぎ払うわけにいかないし、アナちゃんの盾も一方向にしか効果がないしで、最後は数に押されちゃったんだよね。気絶する前に嫌な羽音がしたから、たぶん意識を飛ばしたのはホフニなんだと思うけど」

「ええ、あの忌々しいハエの群れに奇襲を受けたのが決定打でした。町の人間が襲ってこなければ、なんとでもなったのですがね。……なんと愚かなことでしょう。自分たちを殺そうとしているホフニに従い、助けようとしている私たちを襲うとは!」

 アナが千星のとなりに戻って不満を露わにした。

「ほんとだよ。やっぱり、なぎ払っちゃえば良かったかな」

 かなり過激な発言が飛び出た。
 その美貌に怒りがにじみ出ていた。

「しょうがないさ。あの人たちはなにも知らないんだし、下手に知ると殺されかねないんだから。なぎ払わなくて正解だったと思うよ。きっとその場はよくても、後で後悔したろうから」

「……そうかな。まあ、そうかも」

 なだめが効いたか、千星に穏やかな表情がすこし戻ってきた。

「でも、なんだか割に合わないね。私たち、あの人たちのためにもがんばってるはずなんだけど」

「まあね。俺たちはたぶん誰にも評価されないんだろう。もし首尾良く三界を破壊して皆を解放できてもね。けどさ。評価されなくても、あの人たちは数日後の突然死を免れるんだ。あの人たちの家族や、友達や、恋人が、悲しむこともなくなる。良いじゃない、それで」

 そう言った。
 貪食界で出会ったマルバシ酒店の店主とその老母の出来事を、明人はまだ鮮明に憶えている。
 あのような悲劇は、防げるなら防いだほうがいい。

 それにベルだって、この悪夢から人々を無事に帰らせるために、ずっと骨身を惜しまず働いているのだ。今信仰されているわけでも、新たに信仰を得られるわけでもないというのに。

「わぁステキ。カッコイイ」

 はー、と千星が大きく息を吐いた。
 感心した風でもあり、呆れた風でもあった。

「明人くん、なんだか変わったね。すっかり預言者様って感じ」

「それほどでも」

 と茶化して答えると、

「もう」

 と千星は苦笑した。
 機嫌は直ったようだ。

「けど、ちょっとすねすぎかな。誰にも評価されないってことはないでしょ」

「そうかな」

「そうだよ。だって、私は評価するもの。一人分で悪いけど」

 思わぬことを言われて、明人はきょとんと千星を見つめた。
 敬意と愛情のこもった、千星の優しいまなざしが返った。
 胸が温かくなった。
 興奮とはまた違う、穏やかな喜びがあった。

「ありがと。誰の評価よりも価値があるよ」

「どういたしまして。ふふっ、一番だね、私」

 肩を寄せてくる千星を、同じく明人は肩で受け止めた。
 温もりが伝わる。
 すぐ近くに、彼女の顔がある。
 愛しい瞳がすぐ側にある。

「最期かもしれないから、言っちゃうんだけどさ。ずっと好きだった」

「やっぱり? そうだと思った」

 くすりと千星が笑った。

「本当は、私もそうなんだ」

 視線が絡みあう。
 互いの顔がこれまでにないほど近づく。
 甘い唇が、唇にやさしく触れた。

 身を離した千星の瞳は、しかし悲しげであった。

「でも、残念。せっかく恋人になれたのに、私たち、すぐお別れだね」

 そう言ってオリの頑丈な鉄格子を見、続けて処刑場となるのであろう舞台上の大岩を見た。
 石打ちにされることを、まだ彼女は知らないはずだ。だがこの先なにが起きるかは察しがつくのだろう。

「……まだそうとは限らないさ」

「どうにかなるの?」

「わからない。でも祭司アルバって人にアドバイスはもらえたんだ。最後の最後まで、あがいてみるよ」

「そっか。明人くんは、強いね。……うん。私も元気出さないと、だよね。諦めたら終わりなんだし」

 ぐっと千星が両手を握った。

「ねえ、こういうときは、やりたいことを考えると元気が出るんだよ。もし生きて帰れたら、ピクニックに行こ? 通学路の近くに美味しいパン屋さんがあってね。そこのパンでサンドイッチを作ったらすごく美味しいの。実はずっと明人くんにも食べてみて欲しいと思ってたんだ」

「いいね。よさそうだ」

 無理に自分を元気づけようとしているのは感じられたが、指摘はしなかった。
 きっと彼女も、なにもせずにいたら絶望と不安で潰れてしまいそうなのだ。
 たしかに、処刑を目前に控えたときに使う手段ではないかも知れない。だが、そんなときに元気を出す方法など、どうして知っていなければならないのか。明人も千星も高校生なのだ。

「でしょ。暖かくなるころに、世田谷公園に行ってさ。噴水の前で、お日様に当たって……」

 明るくふるまおうとしていた千星の声が、ついに震え始めた。

「サンドイッチを、一緒に、食べて……」

 言葉はそこでとぎれた。
 ずっとこらえていたのであろう涙が、千星の瞳からついにこぼれた。

「ちーちゃん……」

 明人は千星をそっと抱きよせた。
 綺麗な顔が明人の胸に埋まった。
 華奢きゃしゃな体がふるえ、嗚咽おえつが漏れだした。

「……」

 千星の細い肩を明人はぎゅっと抱きしめた。
 気持ちは明人にも痛いほどわかる。
 生きているうちにやりたかったことは、きっともう叶わない。ほんの少し弱気になるだけでそう信じてしまいそうになるのは、明人も同じことだ。
 冷たい金属のオリの中、二人で見る日常の夢は、なんと素敵で幸せで、輝いていることか。

「……行けるよ。きっと行こう。ゆっきーやコーエンさんとも。みんなで、生きて帰ってさ」

 気休めだと自分でも感じながら、千星の頭を優しくなでた。
 どこまで信じてもらえたか明人にも自信がないが、こくこくと千星はうなずいた。

 門から大勢の人間たちがでてきた。
 何人かが明人たちの閉じ込められているオリを指さして、何かを話している。
 公開処刑を見るためにやって来たのだ。

(くそ。諦められるもんか。鍵……鍵となる言葉だ)

 千星の頭を抱き寄せたまま、ぎり、と明人は無言で奥歯をかみしめた。
 表情に欠ける兵士人形が、その手にロープと鍵を持って牢に近づいてきた。
 その無慈悲な目は、まずお前だと言うように、明人へと向けられていた。
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