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第二部 生と死の境
第38話 月曜日の風景
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三界から戻ると日常である。
今日は月曜日。学校も普通にある。
明人が教室に入ったときには、千星がすでに自分の席についていた。同じクラスの女子と話している最中であった。
(元気そうだな)
昨日のことが尾を引いていないか心配だったが、見た感じおかしなところはなさそうだ。
体のダメージも残っていないのだろう。聞いていたとおりフィードバックが走るのは死んだ場合だけで、ケガだけなら現実に戻ったときにリセットされるわけだ。
当然ながら千星は世田校の制服を着ている。昨夜の白い軍服風スーツとは雰囲気が違うが、胸を高鳴らせるのは同じだ。
視線に気がついたのか、千星が明人を見てほほえんだ。
明人も手を振って応えた。
ただし目立たないように、だ。
良くも悪くも千星は注目を集めやすい。しかもこれまで明人とはあまり接点がなかった。
男女の生徒二人が突然いつもと違ったことをすると、いざ鎌倉とばかり、恋愛話に飢えたクラスメートがピラニアのごとく寄ってきかねない。
(ちーちゃんはやっぱり可愛いなあ)
つくづくそう思いつつ、自分の机にカバンを置き、イスに座った。
見たばかりの千星の微笑を思いだして胸を熱くした。
昨夜いろいろあったせいか、いつにもまして彼女を意識している自分を感じずにいられなかった。ときに女性を女神にたとえるのがよくわかった。
もっとも千星の場合、本当にアナが憑いていることもあるので、比喩の域におさまらないのだが。
と、視界のはしでなにか動いた。
何かと思って明人が視線をそちらに移すと、手のひらサイズに縮んだアナが机の上に鎮座ましましていた。
「っ?」
いささか驚いたが、声は出さずに済んだ。
アナはそのモフモフした腕でプラカードらしきものを抱えていた。
そこにはきれいな字でこうあった。
『あとで打ち合わせしよう Chat Id: 2X811924 千星(Chiho)』
(なるほど)
すぐに明人は自分のスマホを取り出した。
チャットアプリを起動し、アナが掲げている番号を入力してみると、たしかにChihoなる人物のアカウントが表示された。
ドキドキしながら友達申請をした。
だが彼女自身はまだ友人としゃべっている最中だから、申請が通るのは後だろう。
アナに軽く頷いて見せると、彼女も頷き返して、ふっと消えた。
◇ ◇ ◇
午後のけだるい日差しが差しこむ武道場に、すぱん、と乾いた音が鳴った。
「ったー。くっそ、やられた」
柔道畳に大の字になって、幸十が今しがた自分を投げたばかりの明人を見上げた。
体育の合同授業である。今回は柔道だ。伝統文化を学ぶ一環だとかで、世田高では柔道が授業に取り入れられている。
ベルも見物のために明人のすぐそばだ。
「なんか度胸ついたな、あっきー。思いきりがよくてビビったぞ。特訓でもやったのか?」
よいせ、と起き上がって幸十が言った。
明人に自覚はなかったが、貪食界と闘争界で何度となく死にかけたことが一種の特訓になっていたのかもしれない。ヒヤヒヤし通しであったことはまちがいない。
「……どちらかというと肝試しかな」
鬼もでたしモンスターもでた。
ただし本気で襲ってくる者ばかりという点が肝試しとは異なる。
「肝試し? また季節外れなことしてんな。けど根性つくなら悪くねーや。オレも行かせろよ。最近あっきーと遊べてねーしさ」
「好き好んでやるもんじゃないよ。マジで。遊びに行くなら普通に遊ぼう。明日か明後日の放課後はどう」
本当のことは言えないから適当にはぐらかしつつ、そう提案した。今日は千星との打ち合わせがあるのでダメだ。
その日に、それとなく別れを告げるのもいいと思った。
「おう、いいな」
幸十は明るく返事した。
当たり前だが、明人がなにを言い残そうかと考えていることなど、幸十は知るよしもないわけだ。
「ところで、あっきー。最近付き合い悪いのって、サラが関係してたりしねぇか?」
と幸十が珍しく探るような目で明人を見た。
「ごめん、そもそも誰」
「うちのクラスの金髪美人だよ。サラ=コーエン。ほれ、向こうの」
と武道場の奥を指差した。
その先には、よくめだつ金髪の柔道着姿の少女が同級生あいてに型稽古にはげんでいる。
「ああ、前に言ってた彼女。いや、ぜんぜん関係ないよ。名前も今聞いたばかり」
「そうか。オレのカンもあてになんねーな」
「むしろなんでそんなことを? 接点ないじゃん」
そう聞くと、幸十は自分でも不思議だったのか、あー、と腕組みして首をかしげた。
「そういや、なんでだろうな。強いて言うなら……ここんとこサラが遠い目をしてることが多いから、か? なんか雰囲気が最近のあっきーと似てたんだよな」
「そんなのよく気づくね。見過ぎ。なに、付き合ってんの?」
「そんなんじゃねーよ」
「気があるくらいか」
「るっせ」
幸十の顔がすこし赤くなった。
これは確定だろう。
「まあ、良い子なのはまちがいないけどな」
そんなのろけを付け加えられた。
この様子だと、つきあっていないまでも、それなりにもう仲良くなってはいそうだ。
ゲーム以外にほぼ興味をしめさなかった求道者も変われば変わるものである。
くだんのサラをもう一度見ると、彼女も明人の方を見ていた。
おかしなことに気がついた。
サラの視線が明人の右手のさらに下――つまりベルに向いていたのだ。だが彼の姿は見えないはずである。幸十も気づいた様子はない。
(……たまたま目が向いただけか?)
気になったが、すぐに彼女は視線をそらし、もう明人を見ることはなかった。
◇ ◇ ◇
なだらかな丘に一面のブドウ畑が広がっていた。
大きなブドウの実があちこちにぶら下がってる。明るい日差しに照られた紫色が美しい。
爽やかな風が吹いて、ざあっ、といやされそうな葉擦れ音が周囲を満たした。
「いいとこだね。アナ様の世界だから、闘技場みたいな感じかと思ってたよ」
と明人は隣のベルに言った。
放課後、作戦会議のためアナの世界に招かれたのである。
「アニーは豊穣神の側面も持つからな。実は私もだが」
「へえ。じゃあ兄妹で豊穣神なんだ?」
「うむ。ただ得意分野がすこし違う。アニーはどちらかというと畜産よりで、私は農耕よりだ。アニーは愛を司る女神でもあるのでな。ほれ、家畜として飼っているウシやヒツジを増やしたいと思ったら、愛がいるだろう?」
「ああ、そういうこと……」
飼っているウシたちが愛し合うと子ウシができる。家畜が増えて豊かになる。愛が豊穣に繋がるわけだ。
「けど、ベルが農耕なのはどうして?」
そう聞いた。
ベルは鉾をあざやかに操っている印象が強い。むしろ兄妹そろって戦神と言われた方がしっくりくるくらいである。
「私の場合は天の恵みを司るからだな。崇められていたころは雷雨をもたらすので喜ばれた」
「水やりの神様として崇められてたってこと?」
「そんなところだ。……なんだその微妙な顔は。厳しい渇きに耐えねばならない地において、水は生命の源なのだぞ。多湿多雨の日本の基準で物を考えるでない」
ベルの耳が横を向きつつ後ろに反った。イカ耳である。
そのとき足音がして、ブドウの木々の向こう側から誰かがやってきた。
「いらっしゃいませ、ベル様、明人くん」
千星であった。二人を迎えに来たのであろう。
明人たちを見て、明るくほほえんだ。
千星は南地中海の国々を思わせる上品なリネンのワンピースを着、革のサンダルを履いていた。制服とも軍服ともちがう、美しい装いだ。風光明媚なブドウ畑によく合うばかりか、彼女の健康的な魅力をもより引き立てていた。
「こんにちは」
と明人は軽く笑って応えたが、千星のあでやかな姿に早くもドキドキしはじめていた。
それに期待せずにいられなかった。
千星が手にさげた蔓籠の中に、宝珠のようなみずみずしいブドウが詰めこまれていたからだ。
きっと、もてなしの用意をしてくれているのだろう。
今日は月曜日。学校も普通にある。
明人が教室に入ったときには、千星がすでに自分の席についていた。同じクラスの女子と話している最中であった。
(元気そうだな)
昨日のことが尾を引いていないか心配だったが、見た感じおかしなところはなさそうだ。
体のダメージも残っていないのだろう。聞いていたとおりフィードバックが走るのは死んだ場合だけで、ケガだけなら現実に戻ったときにリセットされるわけだ。
当然ながら千星は世田校の制服を着ている。昨夜の白い軍服風スーツとは雰囲気が違うが、胸を高鳴らせるのは同じだ。
視線に気がついたのか、千星が明人を見てほほえんだ。
明人も手を振って応えた。
ただし目立たないように、だ。
良くも悪くも千星は注目を集めやすい。しかもこれまで明人とはあまり接点がなかった。
男女の生徒二人が突然いつもと違ったことをすると、いざ鎌倉とばかり、恋愛話に飢えたクラスメートがピラニアのごとく寄ってきかねない。
(ちーちゃんはやっぱり可愛いなあ)
つくづくそう思いつつ、自分の机にカバンを置き、イスに座った。
見たばかりの千星の微笑を思いだして胸を熱くした。
昨夜いろいろあったせいか、いつにもまして彼女を意識している自分を感じずにいられなかった。ときに女性を女神にたとえるのがよくわかった。
もっとも千星の場合、本当にアナが憑いていることもあるので、比喩の域におさまらないのだが。
と、視界のはしでなにか動いた。
何かと思って明人が視線をそちらに移すと、手のひらサイズに縮んだアナが机の上に鎮座ましましていた。
「っ?」
いささか驚いたが、声は出さずに済んだ。
アナはそのモフモフした腕でプラカードらしきものを抱えていた。
そこにはきれいな字でこうあった。
『あとで打ち合わせしよう Chat Id: 2X811924 千星(Chiho)』
(なるほど)
すぐに明人は自分のスマホを取り出した。
チャットアプリを起動し、アナが掲げている番号を入力してみると、たしかにChihoなる人物のアカウントが表示された。
ドキドキしながら友達申請をした。
だが彼女自身はまだ友人としゃべっている最中だから、申請が通るのは後だろう。
アナに軽く頷いて見せると、彼女も頷き返して、ふっと消えた。
◇ ◇ ◇
午後のけだるい日差しが差しこむ武道場に、すぱん、と乾いた音が鳴った。
「ったー。くっそ、やられた」
柔道畳に大の字になって、幸十が今しがた自分を投げたばかりの明人を見上げた。
体育の合同授業である。今回は柔道だ。伝統文化を学ぶ一環だとかで、世田高では柔道が授業に取り入れられている。
ベルも見物のために明人のすぐそばだ。
「なんか度胸ついたな、あっきー。思いきりがよくてビビったぞ。特訓でもやったのか?」
よいせ、と起き上がって幸十が言った。
明人に自覚はなかったが、貪食界と闘争界で何度となく死にかけたことが一種の特訓になっていたのかもしれない。ヒヤヒヤし通しであったことはまちがいない。
「……どちらかというと肝試しかな」
鬼もでたしモンスターもでた。
ただし本気で襲ってくる者ばかりという点が肝試しとは異なる。
「肝試し? また季節外れなことしてんな。けど根性つくなら悪くねーや。オレも行かせろよ。最近あっきーと遊べてねーしさ」
「好き好んでやるもんじゃないよ。マジで。遊びに行くなら普通に遊ぼう。明日か明後日の放課後はどう」
本当のことは言えないから適当にはぐらかしつつ、そう提案した。今日は千星との打ち合わせがあるのでダメだ。
その日に、それとなく別れを告げるのもいいと思った。
「おう、いいな」
幸十は明るく返事した。
当たり前だが、明人がなにを言い残そうかと考えていることなど、幸十は知るよしもないわけだ。
「ところで、あっきー。最近付き合い悪いのって、サラが関係してたりしねぇか?」
と幸十が珍しく探るような目で明人を見た。
「ごめん、そもそも誰」
「うちのクラスの金髪美人だよ。サラ=コーエン。ほれ、向こうの」
と武道場の奥を指差した。
その先には、よくめだつ金髪の柔道着姿の少女が同級生あいてに型稽古にはげんでいる。
「ああ、前に言ってた彼女。いや、ぜんぜん関係ないよ。名前も今聞いたばかり」
「そうか。オレのカンもあてになんねーな」
「むしろなんでそんなことを? 接点ないじゃん」
そう聞くと、幸十は自分でも不思議だったのか、あー、と腕組みして首をかしげた。
「そういや、なんでだろうな。強いて言うなら……ここんとこサラが遠い目をしてることが多いから、か? なんか雰囲気が最近のあっきーと似てたんだよな」
「そんなのよく気づくね。見過ぎ。なに、付き合ってんの?」
「そんなんじゃねーよ」
「気があるくらいか」
「るっせ」
幸十の顔がすこし赤くなった。
これは確定だろう。
「まあ、良い子なのはまちがいないけどな」
そんなのろけを付け加えられた。
この様子だと、つきあっていないまでも、それなりにもう仲良くなってはいそうだ。
ゲーム以外にほぼ興味をしめさなかった求道者も変われば変わるものである。
くだんのサラをもう一度見ると、彼女も明人の方を見ていた。
おかしなことに気がついた。
サラの視線が明人の右手のさらに下――つまりベルに向いていたのだ。だが彼の姿は見えないはずである。幸十も気づいた様子はない。
(……たまたま目が向いただけか?)
気になったが、すぐに彼女は視線をそらし、もう明人を見ることはなかった。
◇ ◇ ◇
なだらかな丘に一面のブドウ畑が広がっていた。
大きなブドウの実があちこちにぶら下がってる。明るい日差しに照られた紫色が美しい。
爽やかな風が吹いて、ざあっ、といやされそうな葉擦れ音が周囲を満たした。
「いいとこだね。アナ様の世界だから、闘技場みたいな感じかと思ってたよ」
と明人は隣のベルに言った。
放課後、作戦会議のためアナの世界に招かれたのである。
「アニーは豊穣神の側面も持つからな。実は私もだが」
「へえ。じゃあ兄妹で豊穣神なんだ?」
「うむ。ただ得意分野がすこし違う。アニーはどちらかというと畜産よりで、私は農耕よりだ。アニーは愛を司る女神でもあるのでな。ほれ、家畜として飼っているウシやヒツジを増やしたいと思ったら、愛がいるだろう?」
「ああ、そういうこと……」
飼っているウシたちが愛し合うと子ウシができる。家畜が増えて豊かになる。愛が豊穣に繋がるわけだ。
「けど、ベルが農耕なのはどうして?」
そう聞いた。
ベルは鉾をあざやかに操っている印象が強い。むしろ兄妹そろって戦神と言われた方がしっくりくるくらいである。
「私の場合は天の恵みを司るからだな。崇められていたころは雷雨をもたらすので喜ばれた」
「水やりの神様として崇められてたってこと?」
「そんなところだ。……なんだその微妙な顔は。厳しい渇きに耐えねばならない地において、水は生命の源なのだぞ。多湿多雨の日本の基準で物を考えるでない」
ベルの耳が横を向きつつ後ろに反った。イカ耳である。
そのとき足音がして、ブドウの木々の向こう側から誰かがやってきた。
「いらっしゃいませ、ベル様、明人くん」
千星であった。二人を迎えに来たのであろう。
明人たちを見て、明るくほほえんだ。
千星は南地中海の国々を思わせる上品なリネンのワンピースを着、革のサンダルを履いていた。制服とも軍服ともちがう、美しい装いだ。風光明媚なブドウ畑によく合うばかりか、彼女の健康的な魅力をもより引き立てていた。
「こんにちは」
と明人は軽く笑って応えたが、千星のあでやかな姿に早くもドキドキしはじめていた。
それに期待せずにいられなかった。
千星が手にさげた蔓籠の中に、宝珠のようなみずみずしいブドウが詰めこまれていたからだ。
きっと、もてなしの用意をしてくれているのだろう。
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