6日後はデッドエンド ~世田高生は、死の運命を受け入れない~

とりくろ

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第一部 お支払いはあなたの命で

第21話 老若

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 スーツ女が鬼の形相で明人をにらみつけた。目をつり上げ、歯を食いしばり、まばたき一つせずに。
 息が荒い。着地後すぐ、オタマを守るためにこちらにむかって駆けてきたのだ。
 よく見ると左の二の腕あたりの生地が裂けていた。袖口から血が流れ、手首を伝っていた。ベルと空中でやり合ったときの手傷だろう。

「クソガキが……!」

 地面に散乱していたビフテキの欠片を、スーツ女が革靴で踏みにじった。靴底のはしから黒い煙が立ち上った。

「よくもこの楽園を台無しにしてくれたね」

 怨嗟えんさに満ちた汚い響きが、のどから絞りだされた。
 肩から伸びる硬質の黒腕こくわんが、怒りをあらわすように気色悪くうごめいた。
 息苦しくなるほどの悪意が明人の体に絡みついた。

 身を焼くような憎悪と殺意。
 それは本当に感じとれるものなのだと、明人は生まれて初めて知った。

「食われて骨になる楽園なんてあるかよ。地獄の間違いだろ」

 呑まれてしまわないよう虚勢を張った。
 本当は足が震えていた。
 息が乱れた。
 顔から血の気が引いていくのが自分でもわかった。

 避難する人々が、しかし二人には決して近寄ることなく通り過ぎていく。誰も明人とスーツ女のあいだに割りこまない。
 プロレスラーを思わせる立派な体格の男がちらりとスーツ女を見たが、慌てて顔を背け、大きな体を縮こめてそそくさと逃げて行った。

「地獄か」

 スーツ女は鼻を鳴らした。

「食う側に立てない畜生にとっちゃ、そうかもね」

 唇をまがまがしくじ曲げた。だが目は明人をにらみつけ続けている。周囲の人間たちを一瞥さえしない。
 その足先がじりと動いた。
 いつ飛びかかってきてもおかしくない。

(やばい)

 明人は目をそらさなかった。
 そらせなかった。

 実のところ、戦う術はない。
 素手でやりあうなど論外だ。向こうには黒腕という凶器がある。
 だから余計に目をそらせないのだ。
 こうなったらハッタリを効かせて、明人にも反撃の手段があるのだと思いこませなければならない。
 むこうが怒りに駆られながらも、まだ襲ってこない理由があるとしたら、それは先ほどあの黒腕を明人が防いだことに他なるまい。実際に防いだのはベルなのだが、そのことをスーツ女は知らないのだ。
 だから、戦えるフリをする。
 時間を稼ぎ、ベルが来るまでなんとか持たせるのだ。
 ベルはよほど遠くまで離れたと見えて、まだ姿も見えない。あるいは人形に妨害されていたのかもしれない。だが人形たちは全滅したから、いま向かってきている最中だろう。
 希望は、きっとある。

 明人の後ろでひと際大きな地響きが起きた。ついに傾いていた大門が倒壊したらしい。
 飛び散る小石や破片が、明人の体のあちこちにぱらぱらと当たった。
 大きな建材も容赦なく飛んでいるらしく、レンガが重そうな音を立ててそばに落ち、転がった。
 あんなものが当たれば大怪我をする。
 だがそれでも、明人はスーツ女の挙動から目を離さなかった。

(よそ見したら終わる)

 その確信があった。
 どれほど危険でも、今は目をそらせない。そんなことをすれば、気がついたときには、あの異形の腕で頭を撃ち抜かれているだろう。

 もちろん危ない。
 今この瞬間、後ろから大きな塊が頭にでも直撃したらおしまいだ。あっさりとどめを刺されてしまうだろう。
 そこは、自分の運を信じるよりなかった。

 と。
 小さな破片がスーツ女の左頬にも当たった。
 ざらりと、そのあたりから何かがこぼれた。
 砂の固まりに見えた。
 その様子はなぜか周囲の崩れる崖を思わせた。

(……?)

 眉をひそめた明人に気がついたのか、それとも何か感じたのか。
 ハッとしてスーツ女が頬を左手で隠した。
 怯えた、ようであった。
 その手の指と指の間から、砂状のなにかがこぼれ落ちていた。

 今度は女の右のかめかみに小さな破片が当たった。
 当たったところがまた崩れた。

「くっ、くそっ!」

 スーツ女が明人そっちのけで、空中に視線をやった。

(なんだ?)

 怪訝けげんに思う明人が見る前で、女は片手を顔の前に出し、落ちてくる破片をふりはらいだした。
 だが大量に飛んでくる破片を全て防げるものでもない。その手をすり抜けて、ウズラの卵くらいの大きさの石が右目近くに当たった。

「うっ!?」

 うめいたスーツ女の顔肌かおはだがごっそりとこぼれ落ちた。
 地面に落ちたその肌が、剥がれたペンキのようにボキリと折れ、ちらばった。

「え……?」

 明人は己の目を疑った。
 皮の剥げたスーツ女の右目の近くだけが老いていた。そこだけ色が変わり、シミとシワができていた。

(あのときと同じ……? いや、なにか変だ)

 以前マルバシ酒店の店主に起きた急激な老いが、彼女にも起きたのかと思った。
 だがなにか違う。
 あのときは全身が一気に老いていった。だが今回は、顔の一部だけが老いている。その周囲は若く美しい女の顔のままだ。
 思わずギクリとするほどの異様な姿であった。

「あああ……!? 見るな。見るな! クソっ、畜生! ああ、こぼれる! クソォ!」

 スーツ女が今度は右目を手で隠した。
 左手は頬に当てたままだ。両手がふさがった。
 今度はなにもしていないのに鼻がもげた。
 いや、鼻の形をした肌が剥がれて、その下からシミだらけの鼻が露出した。

 なにが起きていたのか明人にもようやくわかった。

「その顔、つくり物なのか」

 つまりは化粧。
 もはや特殊メイクの域だが、おそらくそういうことだろう。
 あの老いた顔こそが本来の姿なのだ。
 彼女は以前、大門の裏で参加者をハエの生贄に捧げ、代わりになにかを受けとっていた。
 一体なにを受けとったのかと首をひねったものだが、なんのことはない。見せかけのアンチエイジングに費やすための原料だったわけだ。

 だが。
 クモの単眼のごとき不気味な瞳が、指と指の間から赫怒かくどに燃えて明人をねめつけた。

(しまった)

 今の言葉は禁忌タブーだったのだ。
 あまりに異様な光景に気を取られて思わず口にしてしまったが、失策だった。
 それも、致命的な。

「キアアアアアアアアーッ!!」

 言葉にさえならぬむき出しの狂気が響き渡る。
 老若ろうにゃく入り混じる顔面をあらわにして、スーツ女が明人に狂奔きょうほんする。
 黒腕の鋭い先端が、一直線に明人の額に向かう。

「……!」

 明人はかわさない。
 かわせない。

(嘘だろ!?)

 とっさに体が動かなかった。
 どす黒い気迫に呑まれていた。蛇ににらまれた蛙のように。

 眉間みけんを貫かれて頭蓋骨に穴が開く、あっけない音が響いた。
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