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第一部 お支払いはあなたの命で
第19話 世界の鍵をめぐる戦い
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「っ!?」
ギンッ、という金属音とともに明人の背中を衝撃が走った。肺の中の空気が飛び出した。視界がぶれた。
(背中を棒で殴られた!? 誰に!?)
「こっちに飛べ明人ッ!!」
惑う暇もなく、斜め後ろからベルのせっぱつまった叫びが飛んだ。
(なんだ!? なにが起きた!?)
だが明人はすぐさま誘う声のほうに全力で跳ねた。
確認は後だ。
こちらの正体はバレていた。スーツ女に攻撃されたのはまちがいない。
腕が筒状のなにかを弾き飛ばした。
カブトムシの甲羅を思わせるツルツルしたものが、首と頭をなで、遠ざかった。
先のとがった黒く長い奇怪なものを視界の端にとらえた。それはスーツ女の肩へと続いていた。
(あの凶器か!?)
それまでいた位置のそばにベルの鉾が立っていた。
いま背中を叩いたのはおそらくあれだ。
いや、正確には叩いたわけではない。背中にまわってあの黒い凶器を受けてくれたのだ。そして衝撃を殺しきれずに明人の背に当たった。
後ろから飛び出したベルが、明人と空中ですれ違い、鉾を荒々しくつかみとった。
勢いを殺さず一気にスーツ女に迫り、鉾を振り下ろし、しかしスーツ女から伸びる黒い影がそれを逸らし、ギギッ、と硬質の物体同士が擦れる音が響く。
鉾の穂先が地面をたたく直前にベルがくるりと回転して横に薙ぐ。だがスーツ女は飛びのいてかわす。
スーツ女がかわしざまに持っていた大皿をベルに投げつける。ベルは飛んでくる大皿を鉾の柄で弾き、ために体勢が崩れて飛びかかれなくなる。
ベルの号令とともに鉾がスーツ女にむかって飛ぶ。しかし女の黒い腕が弾く。
あさってのほうへと飛び去ろうとした鉾が、しかし途中で向きを変えてベルの手元に戻る。
明人、スーツの女、ベルが、順に着地した。
恐ろしいほど濃密な攻防だ。わずかな間に互いの生死が何度入れ替わったのか。
「そんなはずはない、と思いたかったがな」
ベルがすばやく明人を守るように立ちふさがり、鉾を構えた。
「人間だな、貴様」
「え?」
明人はまじまじとスーツ女を見た。
たしかにおおむね人間だ。だが肩から伸びる、蜘蛛の足にも似た黒い腕は、言い訳無用だろう。
そう。
凶器と思っていたのは黒い腕であった。蜘蛛の足のようにところどころ節があり、気持ち悪く蠢いていた。しかも牙に似た鋭い爪が先端についている。大門の裏でホステス風の女性の額を撃ち抜いたのもあれだろう。
「そいつが人間? まさか」
とうてい信じられず、明人はそうつぶやいた。
だがベルの様子は真剣そのものだ。
スーツ女も皮肉気な薄ら笑いを浮かべた。
「それ以外のなにかに見えたかい」
口調が素に戻っていた。もう隠す必要はない、ということだろう。
「そんな腕をつけていれば当然だ。身体改造はほどほどにすべきだな」
「モンスターカスタマー対策だよ。ご理解願いたいね。なにせほら、昨今はマナーの悪い客も多いだろう? 長物を持ちこんだりさ」
からかうように言って、スーツ女はベルの持つ鉾を見ながらあごをしゃくった。
「お前の客になった覚えはないがな」
ベルは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「答えろ。なぜそのようなことができる。貴様は何者だ。なぜここにいる」
問い詰めるようにまくしたてた。
だがスーツ女は答えず、侮蔑するように口の端を歪めた。
そんな秘密をペラペラしゃべる奴がどこにいる――そう言わんばかりだ。
代わりに、手にしていたオタマを挑発するように振って見せた。
「お前らだろ。これを狙ってコソコソしている悪魔どもってのは」
そう言った。
その肩から伸びた黒腕は、オタマのそばでぴたりと静止している。引き絞られた弓を思わせた。ひとたび放てば、刹那の間に射程内の獲物を撃ち抜くのだろう。
「私は悪魔ではない」
ベルがスーツ女をにらみつけた。
(最初からなにもかも知られていたのか)
明人は唾を飲んだ。
いつバレたのか。それはわからない。
だが死地に飛びこんだことはたしかだ。
ここは周囲に視界が通らない。見られたくないことをするにはうってつけだ。
しかも近くの客が一切騒がない。みな視線をベルと明人に注いでいる。周囲は全員サクラだったのだ。
ここはきっと、運営者の秘密の処刑場だ。まんまと誘いこまれたのだ。
だが、それでもベルは平然と要求してのけた。
「こちらの目的がわかっているなら話は早い。そのオタマ……いや、魔法の釜を寄こしてもらおう。そうすれば見逃してやる」
「いいね。そこまで知ってるわけだ。殺すには十分だね」
スーツ女はベルの要求をまるでとりあわず、にたりと口の端を歪めた。
「聞こえた奴はかかれ! まずぬいぐるみに化けてるほうだ!」
声量をおさえた号令が鋭くかけられた。
とたん、スーツ女の近くのテーブルにいたサクラたちが立ち上がった。小声だったからか、動いたのは一部だ。他は待機している。
スーツの青年、ダウンジャケットを着た老人、中年太り、細身の初老、マッチョな角刈り。計五名がベルに次々と襲いかかった。やせこけた老人まで青年と同じように俊敏に動く様は異様そのものだ。
人形をかからせ、ベルが手一杯になったところをあの異形の腕で撃ち抜く。
スーツ女の目論見はそんなところだろう。
だが狙われたベルは微動だにせず、襲いかかってくる人形たちを見上げていた。
と思ったら、とつぜん動いた。
飛びかかって来たスーツの青年の横をすり抜け、後ろのダウンジャケットを着た老人の顔面に飛び蹴り一発、そのまま三角飛びの要領で残る三名向けて鉾を振る。
着地。
人形たちすべてが、ほぼ同時にその場に転がった。全員黒い煙と化して消え失せた。
ベルが目にもとまらぬ速さですべて斬り捨てていたのだ。
ベルは先ほどとまったく同じ位置に立っていた。構えも変わらない。ぴたりと静止している。異なるのは、周囲からすこし人形が減ったことだけだ。
「すっげ……」
思わずつぶやきが漏れた。
さしものスーツ女も目を剥いていた。
「殺すには十分、と考えるには早かったようだな?」
ベルが先ほどのお返しとばかりに軽く首をかしげて見せた。
「チッ」
憎々しげにスーツ女が舌打ちした。その顔からは先ほどの余裕が失せている。
「最後の警告だ。おとなしくそのオタマを渡せ。断れば討つ。言っておくが、私は他の神ほど超然主義を守らないぞ」
鉾の切っ先とともに、ベルが最終通告を突きつけた。
おそらく、その気になれば今すぐ切り捨てられるのだろう。人形相手ならとっくにそうしているのだろう。だがスーツ女は人間だった。どのような人間であれ、だ。
スーツ女が地面に映る己の影を見下ろした。
腹立たしげに歯がみし、だがすぐベルをにらんだ。
「悪魔め」
呪うかのように吐きすてた。
「何度も言わせるな。私は悪魔ではない」
だがスーツ女はベルの反駁に応えなかった。
後ろに高く、高く飛んだ。
ジャンプしたのではない。文字通り飛んだのだ。客やテーブルのはるか上を飛び越えていった。
高度だけで数メートルはあった。放物線を描いてはいるが、常軌を逸した跳躍力だ。
「逃げた!?」
はるか遠くに跳び去って行くスーツ女を、明人は狼狽しながら見上げた。
かなわないと悟って撤退を選んだのだ。しかしこのジャンプ力は!
普段は現実と同じようにふるまうこの三界は、いざとなれば反則を使ってくる。それは聞いていた。
だがまさかこれほどとは。
しかも状況は最悪だ。彼女はこのまま雲隠れし、人形たちを使って明人たちを追いこむだろう。ベルはともかく、明人はどうすればしのぎきれるのか? それに隠されてしまうであろう魔法の釜は、一体どうやって見つけ直せばいい?
「逃がすか!」
ベルが弾丸のように飛んだ。こちらも飛んだ。
鉾をかまえた高速のトラネコ模様が一直線にスーツ女に迫る。
両者が、上空で交差する。
スーツ女の短い悲鳴が起き、
「明人ーっ!!」
離れていくベルの叫び声が空から届いた。
「オタマが落ちた! お前が壊してくれ! 頼んだぞ!!」
「えっ!?」
蠅の提灯が照らす中、二つの大きな影が、自由落下に身を任せて遠くへ飛び去っていく。
だが、別の方向にもう一つ。
小さな物体がくるくると回転しながら、大門から近いあたりに向かって落ちていた。
ちょうどオタマ並の大きさであった。
「わかった!」
聞こえないと知りつつ応え、明人は一直線に駆けだした。
ギンッ、という金属音とともに明人の背中を衝撃が走った。肺の中の空気が飛び出した。視界がぶれた。
(背中を棒で殴られた!? 誰に!?)
「こっちに飛べ明人ッ!!」
惑う暇もなく、斜め後ろからベルのせっぱつまった叫びが飛んだ。
(なんだ!? なにが起きた!?)
だが明人はすぐさま誘う声のほうに全力で跳ねた。
確認は後だ。
こちらの正体はバレていた。スーツ女に攻撃されたのはまちがいない。
腕が筒状のなにかを弾き飛ばした。
カブトムシの甲羅を思わせるツルツルしたものが、首と頭をなで、遠ざかった。
先のとがった黒く長い奇怪なものを視界の端にとらえた。それはスーツ女の肩へと続いていた。
(あの凶器か!?)
それまでいた位置のそばにベルの鉾が立っていた。
いま背中を叩いたのはおそらくあれだ。
いや、正確には叩いたわけではない。背中にまわってあの黒い凶器を受けてくれたのだ。そして衝撃を殺しきれずに明人の背に当たった。
後ろから飛び出したベルが、明人と空中ですれ違い、鉾を荒々しくつかみとった。
勢いを殺さず一気にスーツ女に迫り、鉾を振り下ろし、しかしスーツ女から伸びる黒い影がそれを逸らし、ギギッ、と硬質の物体同士が擦れる音が響く。
鉾の穂先が地面をたたく直前にベルがくるりと回転して横に薙ぐ。だがスーツ女は飛びのいてかわす。
スーツ女がかわしざまに持っていた大皿をベルに投げつける。ベルは飛んでくる大皿を鉾の柄で弾き、ために体勢が崩れて飛びかかれなくなる。
ベルの号令とともに鉾がスーツ女にむかって飛ぶ。しかし女の黒い腕が弾く。
あさってのほうへと飛び去ろうとした鉾が、しかし途中で向きを変えてベルの手元に戻る。
明人、スーツの女、ベルが、順に着地した。
恐ろしいほど濃密な攻防だ。わずかな間に互いの生死が何度入れ替わったのか。
「そんなはずはない、と思いたかったがな」
ベルがすばやく明人を守るように立ちふさがり、鉾を構えた。
「人間だな、貴様」
「え?」
明人はまじまじとスーツ女を見た。
たしかにおおむね人間だ。だが肩から伸びる、蜘蛛の足にも似た黒い腕は、言い訳無用だろう。
そう。
凶器と思っていたのは黒い腕であった。蜘蛛の足のようにところどころ節があり、気持ち悪く蠢いていた。しかも牙に似た鋭い爪が先端についている。大門の裏でホステス風の女性の額を撃ち抜いたのもあれだろう。
「そいつが人間? まさか」
とうてい信じられず、明人はそうつぶやいた。
だがベルの様子は真剣そのものだ。
スーツ女も皮肉気な薄ら笑いを浮かべた。
「それ以外のなにかに見えたかい」
口調が素に戻っていた。もう隠す必要はない、ということだろう。
「そんな腕をつけていれば当然だ。身体改造はほどほどにすべきだな」
「モンスターカスタマー対策だよ。ご理解願いたいね。なにせほら、昨今はマナーの悪い客も多いだろう? 長物を持ちこんだりさ」
からかうように言って、スーツ女はベルの持つ鉾を見ながらあごをしゃくった。
「お前の客になった覚えはないがな」
ベルは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「答えろ。なぜそのようなことができる。貴様は何者だ。なぜここにいる」
問い詰めるようにまくしたてた。
だがスーツ女は答えず、侮蔑するように口の端を歪めた。
そんな秘密をペラペラしゃべる奴がどこにいる――そう言わんばかりだ。
代わりに、手にしていたオタマを挑発するように振って見せた。
「お前らだろ。これを狙ってコソコソしている悪魔どもってのは」
そう言った。
その肩から伸びた黒腕は、オタマのそばでぴたりと静止している。引き絞られた弓を思わせた。ひとたび放てば、刹那の間に射程内の獲物を撃ち抜くのだろう。
「私は悪魔ではない」
ベルがスーツ女をにらみつけた。
(最初からなにもかも知られていたのか)
明人は唾を飲んだ。
いつバレたのか。それはわからない。
だが死地に飛びこんだことはたしかだ。
ここは周囲に視界が通らない。見られたくないことをするにはうってつけだ。
しかも近くの客が一切騒がない。みな視線をベルと明人に注いでいる。周囲は全員サクラだったのだ。
ここはきっと、運営者の秘密の処刑場だ。まんまと誘いこまれたのだ。
だが、それでもベルは平然と要求してのけた。
「こちらの目的がわかっているなら話は早い。そのオタマ……いや、魔法の釜を寄こしてもらおう。そうすれば見逃してやる」
「いいね。そこまで知ってるわけだ。殺すには十分だね」
スーツ女はベルの要求をまるでとりあわず、にたりと口の端を歪めた。
「聞こえた奴はかかれ! まずぬいぐるみに化けてるほうだ!」
声量をおさえた号令が鋭くかけられた。
とたん、スーツ女の近くのテーブルにいたサクラたちが立ち上がった。小声だったからか、動いたのは一部だ。他は待機している。
スーツの青年、ダウンジャケットを着た老人、中年太り、細身の初老、マッチョな角刈り。計五名がベルに次々と襲いかかった。やせこけた老人まで青年と同じように俊敏に動く様は異様そのものだ。
人形をかからせ、ベルが手一杯になったところをあの異形の腕で撃ち抜く。
スーツ女の目論見はそんなところだろう。
だが狙われたベルは微動だにせず、襲いかかってくる人形たちを見上げていた。
と思ったら、とつぜん動いた。
飛びかかって来たスーツの青年の横をすり抜け、後ろのダウンジャケットを着た老人の顔面に飛び蹴り一発、そのまま三角飛びの要領で残る三名向けて鉾を振る。
着地。
人形たちすべてが、ほぼ同時にその場に転がった。全員黒い煙と化して消え失せた。
ベルが目にもとまらぬ速さですべて斬り捨てていたのだ。
ベルは先ほどとまったく同じ位置に立っていた。構えも変わらない。ぴたりと静止している。異なるのは、周囲からすこし人形が減ったことだけだ。
「すっげ……」
思わずつぶやきが漏れた。
さしものスーツ女も目を剥いていた。
「殺すには十分、と考えるには早かったようだな?」
ベルが先ほどのお返しとばかりに軽く首をかしげて見せた。
「チッ」
憎々しげにスーツ女が舌打ちした。その顔からは先ほどの余裕が失せている。
「最後の警告だ。おとなしくそのオタマを渡せ。断れば討つ。言っておくが、私は他の神ほど超然主義を守らないぞ」
鉾の切っ先とともに、ベルが最終通告を突きつけた。
おそらく、その気になれば今すぐ切り捨てられるのだろう。人形相手ならとっくにそうしているのだろう。だがスーツ女は人間だった。どのような人間であれ、だ。
スーツ女が地面に映る己の影を見下ろした。
腹立たしげに歯がみし、だがすぐベルをにらんだ。
「悪魔め」
呪うかのように吐きすてた。
「何度も言わせるな。私は悪魔ではない」
だがスーツ女はベルの反駁に応えなかった。
後ろに高く、高く飛んだ。
ジャンプしたのではない。文字通り飛んだのだ。客やテーブルのはるか上を飛び越えていった。
高度だけで数メートルはあった。放物線を描いてはいるが、常軌を逸した跳躍力だ。
「逃げた!?」
はるか遠くに跳び去って行くスーツ女を、明人は狼狽しながら見上げた。
かなわないと悟って撤退を選んだのだ。しかしこのジャンプ力は!
普段は現実と同じようにふるまうこの三界は、いざとなれば反則を使ってくる。それは聞いていた。
だがまさかこれほどとは。
しかも状況は最悪だ。彼女はこのまま雲隠れし、人形たちを使って明人たちを追いこむだろう。ベルはともかく、明人はどうすればしのぎきれるのか? それに隠されてしまうであろう魔法の釜は、一体どうやって見つけ直せばいい?
「逃がすか!」
ベルが弾丸のように飛んだ。こちらも飛んだ。
鉾をかまえた高速のトラネコ模様が一直線にスーツ女に迫る。
両者が、上空で交差する。
スーツ女の短い悲鳴が起き、
「明人ーっ!!」
離れていくベルの叫び声が空から届いた。
「オタマが落ちた! お前が壊してくれ! 頼んだぞ!!」
「えっ!?」
蠅の提灯が照らす中、二つの大きな影が、自由落下に身を任せて遠くへ飛び去っていく。
だが、別の方向にもう一つ。
小さな物体がくるくると回転しながら、大門から近いあたりに向かって落ちていた。
ちょうどオタマ並の大きさであった。
「わかった!」
聞こえないと知りつつ応え、明人は一直線に駆けだした。
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