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第一部 お支払いはあなたの命で
第13話 最高の生
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(いったいどうなる……?)
のぼりの後ろに隠れたまま、明人は、グラドル人形に引っかけられたアラサー男を観察しはじめた。
すると、近くの空いていたテーブルに座らされたアラサー男は、駆けつけ一杯とばかりグラドル人形にさっそくビールを注がれた。そのまま勧められるままに飲み、並んでいるご馳走もどんどん口にしてみせた。
その間、ずっとデレデレしっぱなしだ。きっと美人に酌をしてもらえるのが嬉しいのだろう。なにしろ相手の見た目はグラドルだ。
グラドル人形も、男にあわせて食べているように見えた。
だが、そう見えるだけだ。
皿の上の食べ物はほとんど減らない。ときおりジョッキを口元に近づけるが、飲んではいない。実際は、アラサー男が鯨飲馬食とばかりに食い散らかすその姿を、ただ観察していた。
その目はゾッとするほど不気味だ。
昨夜、千星が蜘蛛みたいと評したのがよくわかった。
やがてアラサー男が勧められなくとも自分から飲み食いしはじめた。食欲が暴走しはじめたようだ。
そして、とうとうグラドル人形に目もくれなくなった。ひたすら夢中になって飲み、食べ始めた。
すると、グラドル人形はさっさとテーブルを立ち、人混みの向こうへとその姿を消した。もう用はない、ということらしい。
背筋がうすら寒くなるほど効率的な流れだ。
(そういうことか)
あのグラドル人形――サクラが会場に配置されている理由がわかった。
食べさせる役なのだ。参加者が食事に夢中になるよう誘導しているわけだ。
おそらく、さきほど明人に声をかけてきたように、まだ食べていない者が狙われるのだろう。
昨晩はでくわさなかったが、あのとき明人は早々に自分からテーブルに着いて食べはじめたし、食べるのをやめた後は千星と一緒にあちこち歩きまわっていたから、寄ってこなかった、といったところではないか。
食べさせたがる理由まではわからないが、運営側にはそうさせたい事情があるのだろう。
と、先ほどのアラサー男が、早くも顔を真っ赤にして机につっぷすのが見えた。実は下戸だったらしい。
その割には最初からビールを豪快にあおっていたが、もしかして若いセクシー美女の前で酒に強いところを見せたかったのだろうか。だとしたら悲しい結末である。
ほどなくして、このスーツを着たアルコール漬けは、従業員らしき別の人形に発見された。そして、魚市場のマグロのように引きずられていった。
行き先は、ベルが『決して行くな』と言っていた、あの大門の裏側だろう。
「シャレにならないな」
鳥肌がたつのを感じながら、独りごちた。ベルが言うとおり、まさしくここは人の食欲や色欲につけこむ世界なのだ。
おそらく千星も昨夜ああして声をかけられたのだろう。
酔っ払いに絡まれたんだな、くらいに明人は考えていたが、事態ははるかに深刻だったわけだ。よくかわしたものである。
(とはいえ裏を知らないままじゃ、いつか罠にかかる。なんとか早池峰さんにこの世界のことを教えてあげないと)
そう思った。
千星をこのような小細工の餌食にさせるわけにはいかない。気の毒だし、明人としてもそれは我慢ならないことだ。
「よし」
明人は大門の反対側へとむかって歩き出した。
(昨夜見た扉のところに言ってみよう。早池峰さんはあの扉に興味しんしんだったし、もしかしたらまたあそこに来るかもしれない)
そう気がついたのだ。
人ごみや置物を押し退けるようにしながら、ひたすら歩いた。
会場はどこもがっつく客たちで満ちていた。ガチャガチャと食器同士が当たる音や、咀嚼音が絶えなかった。みな豚のように貪り食っていた。
その一心不乱に飲み食いする様子を横目に見ながら、
(食事だけが楽しみ、なんて人にとっては、この貪食界こそが楽園なのかもしれないな)
ふと明人はそう考えた。
無趣味を自虐してそう言うのではなく、本当に食事だけを人生の楽しみと見定めた人間にとって、こここそがまさに約束の地だ。
なにしろ味自体は極上である。
しかも現実と違っていくらでも食べられる。
いられるのは六日間だけだが、そのあいだはひたすら美食の限りを尽くせるのだ。
たとえ正気を失ってひたすらガツガツ食べまくっていても。
食べ続けることで肥大化した食欲に、飲食物をむりやり口内へ流しこまれていても。
自分でもやめられなくなって、自分自身にひたすら食わされ続けている有様が、楽園を訪れることに成功した善人の姿にはとうてい見えないとしても。
ここは食のみを楽しみと見定めた人間にとり、まちがいなく最高の生を提供する楽園だろう。
(……どこの誰だか知らないが、この世界を創った奴はきっと最悪の野郎だな)
明人は静かに歯がみした。
だが好都合だ。
もしもベルの言う通りに、この世界を壊せるなら、遠慮なくぶち壊しにしてやれるのだから。
◇ ◇ ◇
歩くことしばし、あの二つの扉の前までたどり着いた。
昨日と同じく、鼻持ちならない金の扉には封がされており、血なまぐさい鉄の扉だけが向こう側に行けるようになっていた。
(早池峰さんはいない……か)
まだ来ていないのか、最初から向かっていないのか、千星らしき姿はなかった。
当てが外れてがっかりしたが、待っていれば来るかもしれない。そう思い直して、明人はその場にとどまることにした。
(不気味な扉だな)
なんとなしに鉄の扉を見上げながら、そんな感想を抱いた。
昨晩、千星はこの扉にかなりの興味を示していた。
だがこれのどこが千星の心に刺さったのか、明人にはさっぱり理解できない。
ただのおどろおどろしい汚れた扉だ。べったりとついている汚れもまるで血のようで、むしろ嫌悪感さえ覚える。これならこちらの醜悪な世界のほうがまだマシだろう。
と、
「兄ちゃん」
聞きなれないダミ声で突然よびかけられた。
「はい?」
考え事にふけっていたこともあっていささか驚いたが、ともあれ振り向いた。
声のした方に四十過ぎくらいの中年男が立っていた。
なんとも不潔感のある男であった。
色あせた古い靴とすり切れたジーパンもよくないが、なにより着ている本人がまずい。皮膚はざらつき、白目も黄色がかっていて、なんとも病的だ。
そのへらへら笑いは、おそらく当人は愛想良くしているつもりなのであろうが、うさんくささをかえって強めていた。
(また人形か?)
そう疑ったが、見ると男の浅黒い右手に数字らしきものがちゃんとあった。人間ではあるようだ。
ワッペンには【2】とあった。余命はあと2日ということだ。
「あんた、昨日べっぴんの姉ちゃんと一緒にいた兄ちゃんだろ」
中年男は投げやりな感じの声でそんなことを言い、明人ににじりよるように近づいた。酒臭さがぷんと漂った。
「あ、はい」
明人は嫌なものを感じたが、態度に出さないよう勤めて手短に答えた。
「あの姉ちゃんなら、ちょっと前にそこの扉から出ていったぜ。よっぽどここがお気に召さなかったんだろうな。すげえ美人だったのにこっちが合わないなんてもったいねえよなあ」
へへっ、と卑しく笑い、男はなんのつもりか右手で親指を握りこむ卑猥なジェスチャーをして見せた。
「あ、そうなんですか。どうも」
追いかけよう。あとコイツやな感じがするから避けよう。ベルはちゃんと合流してくれるだろう。
そう思って、明人は男に背をむけた。
「あ、おい!」
だが明人が向かおうとした先に、男が驚くほど早く回りこんできた。
「待った待った。行くのはちょーっと待ってくれ」
「なんですか」
そう問うと、へへっ、と男はまた卑しく笑った。
明人の胸のワッペンを指さして、おかしなことを言った。
「どうせここを出ていくんだったらよ。そのワッペン、譲ってくんねえかな」
「このワッペンを、ですか?」
「おう、そのワッペンさ。代わりにここや扉の向こう側について、俺が知っていることを教えてやるからよ。ワッペンに【5】って書いてあるってことは、あんた、今日が二日目だ。そうなんだろ。ってこた、ここや向こうのことをまだ全然知らねぇはずだ。だったら聞いておいて損はねぇぜ。それに、どうせそのワッペンはな、扉を潜ったら消えちまうんだ。またこっちに来れば、そのときにまたもらえるんだ。だから情報料に置いていっていいんだ。兄ちゃんはなんにも損しねぇんだから。な、そだろ?」
男はゴールキーパーのように鉄の扉の前に立ちはだかったまま、酒臭い息をまき散らした。
(くさっ!)
正直イラッときた。
酒臭いしうさんくさいし邪魔くさい。
(断ろう)
と衝動的に押し退けたくなったが、しかし、思いなおした。
空中にふわふわと浮かぶ、蠅のマークのついた提灯を見上げ、明人はすこし考えた。
うさんくさいのは頂けないが、男の提案そのものはそう悪くない。
ワッペンに【2】とあるからには、この中年男は今日で5日目だ。それだけこの貪食界に長くいた相手が持つ情報とやらには興味がわく。
それに、男は今も食事に夢中になっていない。なにかを観察し続けていられた可能性は高いだろう。あるいは世界を壊す鍵につながる情報だって持っているかもしれない。
報酬のワッペンだって安いものだ。
再発行については正直怪しいものだが、どうせ元から明人には必要ないものである。これをつけていると食べ放題になるわけだが、明人はもうここの食事を口にする気がないのだ。
ベルからは合流できるまでむやみに動かないよう言われているが、すこし話を聞くていどであればかまうまい。
もし彼が来る前にこの世界の仕組みの一端でも握ることに成功すれば、格好がつくではないか。情報の質によっては、預言者(仮免)あつかいも改善できるだろう。
(乗ってみるか)
そんな気になった。
「いいですよ。聞かせてください」
「そう来なくちゃな」
アラフォー男がにちゃりと笑った。
明人も笑おうとしたが、すこし引きつった感じがした。
だが気づかなかったのか、気にとめなかったのか、男は特に反応を見せなかった。
「よし、向こうのテーブルにかけようぜ。ここで長話してると怪しまれる」
とテーブル群を指した。
のぼりの後ろに隠れたまま、明人は、グラドル人形に引っかけられたアラサー男を観察しはじめた。
すると、近くの空いていたテーブルに座らされたアラサー男は、駆けつけ一杯とばかりグラドル人形にさっそくビールを注がれた。そのまま勧められるままに飲み、並んでいるご馳走もどんどん口にしてみせた。
その間、ずっとデレデレしっぱなしだ。きっと美人に酌をしてもらえるのが嬉しいのだろう。なにしろ相手の見た目はグラドルだ。
グラドル人形も、男にあわせて食べているように見えた。
だが、そう見えるだけだ。
皿の上の食べ物はほとんど減らない。ときおりジョッキを口元に近づけるが、飲んではいない。実際は、アラサー男が鯨飲馬食とばかりに食い散らかすその姿を、ただ観察していた。
その目はゾッとするほど不気味だ。
昨夜、千星が蜘蛛みたいと評したのがよくわかった。
やがてアラサー男が勧められなくとも自分から飲み食いしはじめた。食欲が暴走しはじめたようだ。
そして、とうとうグラドル人形に目もくれなくなった。ひたすら夢中になって飲み、食べ始めた。
すると、グラドル人形はさっさとテーブルを立ち、人混みの向こうへとその姿を消した。もう用はない、ということらしい。
背筋がうすら寒くなるほど効率的な流れだ。
(そういうことか)
あのグラドル人形――サクラが会場に配置されている理由がわかった。
食べさせる役なのだ。参加者が食事に夢中になるよう誘導しているわけだ。
おそらく、さきほど明人に声をかけてきたように、まだ食べていない者が狙われるのだろう。
昨晩はでくわさなかったが、あのとき明人は早々に自分からテーブルに着いて食べはじめたし、食べるのをやめた後は千星と一緒にあちこち歩きまわっていたから、寄ってこなかった、といったところではないか。
食べさせたがる理由まではわからないが、運営側にはそうさせたい事情があるのだろう。
と、先ほどのアラサー男が、早くも顔を真っ赤にして机につっぷすのが見えた。実は下戸だったらしい。
その割には最初からビールを豪快にあおっていたが、もしかして若いセクシー美女の前で酒に強いところを見せたかったのだろうか。だとしたら悲しい結末である。
ほどなくして、このスーツを着たアルコール漬けは、従業員らしき別の人形に発見された。そして、魚市場のマグロのように引きずられていった。
行き先は、ベルが『決して行くな』と言っていた、あの大門の裏側だろう。
「シャレにならないな」
鳥肌がたつのを感じながら、独りごちた。ベルが言うとおり、まさしくここは人の食欲や色欲につけこむ世界なのだ。
おそらく千星も昨夜ああして声をかけられたのだろう。
酔っ払いに絡まれたんだな、くらいに明人は考えていたが、事態ははるかに深刻だったわけだ。よくかわしたものである。
(とはいえ裏を知らないままじゃ、いつか罠にかかる。なんとか早池峰さんにこの世界のことを教えてあげないと)
そう思った。
千星をこのような小細工の餌食にさせるわけにはいかない。気の毒だし、明人としてもそれは我慢ならないことだ。
「よし」
明人は大門の反対側へとむかって歩き出した。
(昨夜見た扉のところに言ってみよう。早池峰さんはあの扉に興味しんしんだったし、もしかしたらまたあそこに来るかもしれない)
そう気がついたのだ。
人ごみや置物を押し退けるようにしながら、ひたすら歩いた。
会場はどこもがっつく客たちで満ちていた。ガチャガチャと食器同士が当たる音や、咀嚼音が絶えなかった。みな豚のように貪り食っていた。
その一心不乱に飲み食いする様子を横目に見ながら、
(食事だけが楽しみ、なんて人にとっては、この貪食界こそが楽園なのかもしれないな)
ふと明人はそう考えた。
無趣味を自虐してそう言うのではなく、本当に食事だけを人生の楽しみと見定めた人間にとって、こここそがまさに約束の地だ。
なにしろ味自体は極上である。
しかも現実と違っていくらでも食べられる。
いられるのは六日間だけだが、そのあいだはひたすら美食の限りを尽くせるのだ。
たとえ正気を失ってひたすらガツガツ食べまくっていても。
食べ続けることで肥大化した食欲に、飲食物をむりやり口内へ流しこまれていても。
自分でもやめられなくなって、自分自身にひたすら食わされ続けている有様が、楽園を訪れることに成功した善人の姿にはとうてい見えないとしても。
ここは食のみを楽しみと見定めた人間にとり、まちがいなく最高の生を提供する楽園だろう。
(……どこの誰だか知らないが、この世界を創った奴はきっと最悪の野郎だな)
明人は静かに歯がみした。
だが好都合だ。
もしもベルの言う通りに、この世界を壊せるなら、遠慮なくぶち壊しにしてやれるのだから。
◇ ◇ ◇
歩くことしばし、あの二つの扉の前までたどり着いた。
昨日と同じく、鼻持ちならない金の扉には封がされており、血なまぐさい鉄の扉だけが向こう側に行けるようになっていた。
(早池峰さんはいない……か)
まだ来ていないのか、最初から向かっていないのか、千星らしき姿はなかった。
当てが外れてがっかりしたが、待っていれば来るかもしれない。そう思い直して、明人はその場にとどまることにした。
(不気味な扉だな)
なんとなしに鉄の扉を見上げながら、そんな感想を抱いた。
昨晩、千星はこの扉にかなりの興味を示していた。
だがこれのどこが千星の心に刺さったのか、明人にはさっぱり理解できない。
ただのおどろおどろしい汚れた扉だ。べったりとついている汚れもまるで血のようで、むしろ嫌悪感さえ覚える。これならこちらの醜悪な世界のほうがまだマシだろう。
と、
「兄ちゃん」
聞きなれないダミ声で突然よびかけられた。
「はい?」
考え事にふけっていたこともあっていささか驚いたが、ともあれ振り向いた。
声のした方に四十過ぎくらいの中年男が立っていた。
なんとも不潔感のある男であった。
色あせた古い靴とすり切れたジーパンもよくないが、なにより着ている本人がまずい。皮膚はざらつき、白目も黄色がかっていて、なんとも病的だ。
そのへらへら笑いは、おそらく当人は愛想良くしているつもりなのであろうが、うさんくささをかえって強めていた。
(また人形か?)
そう疑ったが、見ると男の浅黒い右手に数字らしきものがちゃんとあった。人間ではあるようだ。
ワッペンには【2】とあった。余命はあと2日ということだ。
「あんた、昨日べっぴんの姉ちゃんと一緒にいた兄ちゃんだろ」
中年男は投げやりな感じの声でそんなことを言い、明人ににじりよるように近づいた。酒臭さがぷんと漂った。
「あ、はい」
明人は嫌なものを感じたが、態度に出さないよう勤めて手短に答えた。
「あの姉ちゃんなら、ちょっと前にそこの扉から出ていったぜ。よっぽどここがお気に召さなかったんだろうな。すげえ美人だったのにこっちが合わないなんてもったいねえよなあ」
へへっ、と卑しく笑い、男はなんのつもりか右手で親指を握りこむ卑猥なジェスチャーをして見せた。
「あ、そうなんですか。どうも」
追いかけよう。あとコイツやな感じがするから避けよう。ベルはちゃんと合流してくれるだろう。
そう思って、明人は男に背をむけた。
「あ、おい!」
だが明人が向かおうとした先に、男が驚くほど早く回りこんできた。
「待った待った。行くのはちょーっと待ってくれ」
「なんですか」
そう問うと、へへっ、と男はまた卑しく笑った。
明人の胸のワッペンを指さして、おかしなことを言った。
「どうせここを出ていくんだったらよ。そのワッペン、譲ってくんねえかな」
「このワッペンを、ですか?」
「おう、そのワッペンさ。代わりにここや扉の向こう側について、俺が知っていることを教えてやるからよ。ワッペンに【5】って書いてあるってことは、あんた、今日が二日目だ。そうなんだろ。ってこた、ここや向こうのことをまだ全然知らねぇはずだ。だったら聞いておいて損はねぇぜ。それに、どうせそのワッペンはな、扉を潜ったら消えちまうんだ。またこっちに来れば、そのときにまたもらえるんだ。だから情報料に置いていっていいんだ。兄ちゃんはなんにも損しねぇんだから。な、そだろ?」
男はゴールキーパーのように鉄の扉の前に立ちはだかったまま、酒臭い息をまき散らした。
(くさっ!)
正直イラッときた。
酒臭いしうさんくさいし邪魔くさい。
(断ろう)
と衝動的に押し退けたくなったが、しかし、思いなおした。
空中にふわふわと浮かぶ、蠅のマークのついた提灯を見上げ、明人はすこし考えた。
うさんくさいのは頂けないが、男の提案そのものはそう悪くない。
ワッペンに【2】とあるからには、この中年男は今日で5日目だ。それだけこの貪食界に長くいた相手が持つ情報とやらには興味がわく。
それに、男は今も食事に夢中になっていない。なにかを観察し続けていられた可能性は高いだろう。あるいは世界を壊す鍵につながる情報だって持っているかもしれない。
報酬のワッペンだって安いものだ。
再発行については正直怪しいものだが、どうせ元から明人には必要ないものである。これをつけていると食べ放題になるわけだが、明人はもうここの食事を口にする気がないのだ。
ベルからは合流できるまでむやみに動かないよう言われているが、すこし話を聞くていどであればかまうまい。
もし彼が来る前にこの世界の仕組みの一端でも握ることに成功すれば、格好がつくではないか。情報の質によっては、預言者(仮免)あつかいも改善できるだろう。
(乗ってみるか)
そんな気になった。
「いいですよ。聞かせてください」
「そう来なくちゃな」
アラフォー男がにちゃりと笑った。
明人も笑おうとしたが、すこし引きつった感じがした。
だが気づかなかったのか、気にとめなかったのか、男は特に反応を見せなかった。
「よし、向こうのテーブルにかけようぜ。ここで長話してると怪しまれる」
とテーブル群を指した。
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