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第一部 お支払いはあなたの命で

第10話 ベルの世界でバーベキュー

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 扉の向こう側に出るなり、まばゆい光が明人の目をくらませた。

 思わず目をつぶると、顔を爽やかな風がなでた。愛らしい小鳥のさえずりが耳に届いた。

 腕をひさしとして影を作り、目が慣れてくるのを待つことしばし。
 おそるおそる目を開くと、

「おおー……」

 視界いっぱいに、輝く世界が広がった。

 心が洗われるような満天の青空と、やさしく包むような暖かい陽光。

 みずみずしい草花のじゅうたんが敷きつめられた草原が、遠く、地平線の向こうまで続き、心地よい風がとおりすぎるのにあわせて穏やかに揺らぐ。
 ぽつぽつと群れている羊たちが、思い思いにのんびり草を食み、あるいは横になってくつろいで、のどやかな時をすごす喜びを、眺める者にも分かちあたえる。

「ここは……?」

 どうやら丘の上にいるらしい。下から登ってくるための階段が見えた。
 どこに繋がっているのかと目で追うと、巨大な建造物に行き着いた。

 これも壮麗な、石造りの神殿であった。

 純白の床の上には、何本もの円柱がそびえたっている。
 その円柱群の上には、巨大な屋根が乗っている。
 その屋根には、草原に降り注ぐ雷雨、ブドウらしき果物、男神と女神などなど、神話を語っているのであろうレリーフが彫りこまれていて、その緻密さと荘厳さで明人を圧倒した。

 つまりは、草原の海に浮かぶ、丘の上の神殿。
 そのそばにいるのだとわかった。

 と、鼻腔を良い匂いがくすぐった。バーベキューのような匂いだ。

「?」

 見ると、串肉が数本、焼けていた。
 場違いなほど近代的なバーベキューコンロの上で、脂をしたたらせて香ばしい煙を上げていた。バーベキューのような、というよりむしろバーベキューそのものだ。

「あらためて合格おめでとう。直来なおらいと言うそうだが、日本でも神事が終わったら食事にするものと聞く。それにならい、ちょっとした軽食を用意したので食べていってくれ」

 いつのまにかコンロのそばにいたベルが、ポフポフ拍手しながら言った。
 ベルは頭に焼き鳥屋のお兄さんがするような白いはちまきを締め、ネコ耳の下のあたりの毛をわしっとさせていた。その後ろには『ごくろうさま』と記された横断幕が掲げられていた。

「……ありがとう。頂くよ」

 この異国の神様なりに日本文化を理解した結果なのだろう。その努力は認められてしかるべきだが、なにかがズレていることを明人は指摘したほうがいいのかもしれない。

「うむ、遠慮はいらないぞ。日本ではお供え物として肉を捧げることは珍しいようだが、過去に私を祀っていた神殿では、むしろ肉が主流でな。こうしてよく肉を焼いていたものなのだ。さすがに焼き台はもうすこし気取っていたし、過去と言っても三千年ほど過去だがな」

 と昔語りをしながら、ベルはコンロそばの台に上って、焼き具合を確かめるようにのぞきこんだ。
 はるか昔とは言っていたが、実に三千年も昔だったわけだ。すると、ここは三千年前のベルの神殿を再現した世界なのだろう。

「へえ。ところ変われば品変わるというか、それだけ年代をさかのぼれば色々と違うよね」

「うむ。だからこの肉もただの肉ではない。聖なる肉だ。まあぶっちゃけると普通の神戸牛なのだが、当時の神官どもの主張に従えばそうなる。私に供えられる以上、それは聖なるホーリーな肉なのだそうだ」

 豪州産牛肉オージー・ビーフならぬ聖なる牛肉ホーリー・ビーフというわけだ。

 ちなみに串に通した肉と肉の間には、ニンニクとタマネギも挟まれていた。こちらもおそらく聖なるニンニクと聖なるタマネギなのだろう。

「ありがたみ十分だね。でもベルにお供えって、ベルは食べられたの? ここならともかく、現実……というか物質界では肉体がないでしょ」

「もちろん食べられない。だから実際に食べたのは信徒と神官たちだ。日本でいうところのお下がりだな。信徒が連れてきた生きた家畜を神官自身や専門の係がほふり、さばいて、肉を焼いて皆で食べていたわけだ。【捧げ物】と言われていた。時代が下ると事情が変わってくるのだが、すくなくとも当初は焼き肉が儀式の目当てだったな。ほら、お前の分」

 とベルはコンロから取った焼けたての串肉を木皿に乗せ、明人に手渡した。

 椅子やテーブルはないので立ち食いだ。紙ナプキンも添えてあるのが親切ポイントである。

「ありがと。でもせっかく捧げられても食べられないんじゃ意味ないね。すくなくともベルには」

「ないな。だから、どうせなら善き人間として振る舞い続ける努力を捧げてもらいたかった。そのほうが私も喜ばしかったし、捧げた本人の人生もより良いものになったことだろう。ところが、人々は自分の幸せを願う場合であっても、己の努力ではなく無関係な動物の肉を捧げたがった。神官どももそれを諫めず、それどころかかえって自ら要求して、毎日せっせとバーベキューにいそしんでいた。おかしな話だ」

 とベルは肩をすくめ、自分の分の串焼きをとった。

「うーん……。まあ、アウトドアで食べる焼き肉はおいしいよね」

「特に他人の金で食う肉はな」

 ベルは自ら豪快に歯を使って肉を串から外し、もっしゃもっしゃと食べ始めた。
 タダ肉とは、神官たちにとって、ということだろう。お供え物を持ってくる信徒はもちろん自腹だからだ。

「ああ、この肉はロハだから気にしなくて良いぞ。お前は遠慮せずに食べてくれ」

「これも幻だからってことね。了解、頂くよ」

 明人も同じように口にして噛んでみた。

 どんなものかと半分おそるおそるだったが、噛みきったとたん、熱々の牛肉からジューシーな肉汁がほとばしった。
 しっかり効いた塩とハーブが口の中で混じり、極上の特濃スープとなって口の中に広がった。ほどよく焼けた肉の香ばしい匂いも嬉しかった。

 明人はすぐに飲みこんでしまった。
 はあっ、とため息が出た。なるほど、これでは昔の神官たちが何かにつけて儀式をやりたがったのも無理はないと思えた。

「美味しいね! これが幻なんて信じられない」

 ベルは穏やかに微笑んだ。

「それは良かった。当時の味つけを再現したものだ。三千年前の味だと思えば、情緒もあっていいだろう」

「最高」

 本心から答えた。海外旅行に行ってもこのような体験は味わえないだろう。船や飛行機でも距離は越えられる。だが時代は超えられない。

「さて、このまま己の神殿の観光案内に移るのも悪くないのだが、そうもいかない。食べながらでいいから、そろそろ真面目な話もしよう」

 とベルが言った。

 ぽん、という音と煙のエフェクト付きで、コンロのとなりに石製の大きなテーブルが出てきた。
 ついで、光沢があるその上面に、砂時計と、以前見た学生服を着たぬいぐるみが表れた。例の、背中に【5】と描いた明人のぬいぐるみだ。

「俺が生き残る方法だね?」

「うむ。先に結論から言おう。お前が死ぬのは、お前の言うところの【夢】の世界に、お前が囚われているからだ。よって死なずに済む方法も単純。あの【夢】――入眠を契機にお前を閉じ込める小世界から解放されればいい。あの小世界を破壊して、な」

「小世界を、破壊する?」

「そうだ。以前お前の手のひらの数字は1日経つことで1減る、と言ったな? あれは実のところ簡略化した説明でな。正確に言うと、例の世界の中で一定時間過ごすと数字が減るのだ。数字が余命を表す日数となるのもそのためだ。夜にあの世界に引きずり込まれて一晩を過ごすと、手のひらの数字が1減るから、結果としてお前の余命の日数と一致するわけだ」

 テーブルの砂時計がひっくり返った。

 見る間に上部の砂が下に落ちていく。すべて落ちたとき、ぬいぐるみの明人の数字が【4】となった。

「俺の手のひらの数字が減るのは、あの世界に行って時間を過ごしちゃうから、ってことか。逆に言えば、行かなきゃ数字も減らないから、死なないと」

「そういうことだ」

 また砂時計がひっくり返った。
 が、砂が途中で止まった。ぬいぐるみの明人の数字は【4】のままだ。

「それ、破壊する必要ある? あの世界に行かなきゃいいだけだよね」

「そうなのだが、無理だった。私もいろいろ試したのだ。捕囚された人間たちが、あの世界に再び引きずりこまれずに済む方法をな。結論から言って、あらゆる試みが失敗した。なにをどうやっても入眠とともに引きずりこまれてしまう。おそらく、いったんあの世界に繋がれてしまったら、逃れる術はないのだ。誰も、己の影からは逃げられないようなものでな」

 ベルがそう言うなり、見覚えのある透明のバルーンがテーブルの上に現れた。【貪食界】と記されているあれだ。
 そのバルーンの内側から鎖が伸びて、ぬいぐるみの明人に繋がれた。

 鎖が巻き取られはじめた。ひっぱられたぬいぐるみが、バルーンの球皮にめり込んだかと思うと、すぽんと中に入ってしまった。
 すると砂時計の中の砂が落ち始め、やがて全てなくなり、ぬいぐるみの明人の数字も【3】に変わった。

「……なるほどね」

「そのため、残る方法はあの世界を破壊することくらいなのだ。牢獄となる世界そのものが壊れてしまえば、人間を閉じこめることもできなくなる。簡単な理屈だ。幸いにして、これまでの挑戦の中でそれが可能なことは確認できた」

 また砂時計がひっくり返った。
 だが、数字が【3】から【2】に変わる前に、バルーンが音を立てて割れた。砂時計も一緒にはじけた。ガラスと砂の飛び散った上に、ぬいぐるみの明人が落っこちた。

 だが、どんなに時間が経っても、ぬいぐるみの明人の数字は【3】のままだ。

「そういうことか。簡単だね――理屈だけは」

 明人は残骸まみれの自分のぬいぐるみを見下ろしながら言った。

 たしかに理屈はわかる。

 あの世界に何度も行くと死ぬ。だが行かないようにするのは無理だ。だからあの世界そのものを破壊する。力業もいいところだが、筋は通っている。

 問題はそんなことができるのか、ということだ。

「わかったようだな。そう。理屈は簡単なのだが、実現が難しいのだ。前に成功の見込みが薄いと言ったのはそこだ。しかも問題はまだあってな」

 とベルが空になった串で指すと、砂時計の破片が集まりはじめた。やがて元の砂時計に戻った。

 さらに先ほどとは違う透明のバルーンが出現した。見る間に膨らんでいった。やがて平べったい真円を描くバルーンができあがり、ぷかりと空中に浮きあがった。

 今度のバルーンは、中を仕切りで三つに分かたれていた。
 それぞれのブロックには貪、争、栄、と一文字づつ書かれていた。どれにも参加者を模したらしきぬいぐるみがいくつか入っていた。

 ベルが指を三本立てた。

「厄介なことに、あの世界は三つのブロックに分かれている。お前が昨夜訪れたのはそのうちの一つ、前に言った【貪食界】だ。しかしそれだけではなく、後二つ、【闘争界】【虚栄界】と私が呼んでいる世界がある」

 とベルは持っている串で3つのブロックを次々に指した。

(あっちで見た、扉の向こうの世界だな)

 明人にも思い当たるフシがあった。

 昨夜、千星と一緒に見つけた、あの二つの扉だ。
 おどろおどろしい銃の装飾がなされた鉄の扉と、成金趣味全開の金の扉。あれがそれぞれ闘争界、虚栄界へと繋がる扉なのだとしたら、イメージにぴったりだ。

「お前が助かろうと思ったら、この三つの世界――すなわち【三界】すべてを破壊しなければならない。どれか一つでも残っている限り、6日後の死の運命からは逃れられないからだ。たとえば仮に貪食界を破壊したとする。その場合、そこにいた者たちはいったん追い出されるのだが、次の晩には残っている世界に送られてしまうのだ。過去に2度ほど成功したが、2度ともそうなった。結局、三界からの脱出はできない。そして、三界のどの世界に行こうとも、数字は等しく減ってしまうのだ」

 とベルが言ったのと同時に、貪と描かれたブロックが弾けた。

 だがぬいぐるみはバルーンの外に出なかった。今度は争と書かれたブロックの中に閉じ込められていた。

「と言って、やぶれかぶれで無茶もできない。あの夢の中で命を落とすと、本当に死んでしまうからだ。私の世界と同じ事情だな。肉体の死を迎えるとフィードバックが走って精神まで死んでしまうわけだ。こちらは6日経つ必要さえない」

 バルーンの下に、ベッドで寝ているぬいぐるみが表れた。
 バルーンの中にも同じ顔のぬいぐるみがある。

 と思うと、バルーンの中に閉じ込められているほうのぬいぐるみの首がコロリと落ちた。

 下で寝ていたぬいぐるみの顔が青くなり、チーン、というお鈴の音とともに、天使の輪っからしきものが浮かんだ。幽霊がよく付けている三角頭巾も頭に装着された。
 なんともポップなエフェクトだ。
 宗教もちゃんぽんすぎる。

 だが意味することはシャレになっていない。

「……死んだ人を見たの?」

「もう何人もな」

 ベルはため息をついた。

「ともかくそのようなわけで、お前があと5度眠りについた後に、目を覚ませるとしたら――」

 ぱん、ぱん、ぱん、と次々音を立て、バルーンの3つのブロックが全て弾けた。ぬいぐるみたちが無事脱出した。

「――このように、お前を捕らえているあの三つの小世界、すなわち【三界】を破壊できたときだけだろう」

「ふむ……」

 いろいろと疑問はある。そもそも本当か、ということもわからない。明人には、ベルが貪食界と呼ぶあの世界に本当に戻らされることさえ、確かめられていないのだ。
 しかし、それは今晩になれば嫌でもわかるだろう。

 いま明人が一番気になることは、

「そもそも世界を壊すってどうやるの。とほうもないことのように思えるけど」

 ということだった。
 壊せばいい、と簡単に言うがそんなことが可能なのか。

「そうだろうな。私も知ったのは偶然だった。あの世界には存続させるための鍵となるアイテムがある。それを壊すとあの世界も崩れてしまうのだ。もちろん、物質界ではこんなことは起こらない。アメリカの自由の女神が倒壊しても、それが理由でアメリカが不自由な国になったりしないようにな。ところがあのちゃちな小世界では事情が違う。鍵となる象徴が崩れると、世界まで崩れてしまうのだ。もろい竹組足場が、支えるロープを失っただけであっけなく全体が崩壊するように。だから、その鍵となるアイテムを見つけて壊せばいいのだ」

「へえ?」

「ま、そんな顔になるのは無理もない。どういうものなのか、実際にやってみるといい。この串を折ってみろ」

 そう言って、ベルが自分の持っていた木串を紙ナプキンに包み、明人に手渡した。

「これを折ればいいの?」

「ああ。遠慮はいらない」

「どれ」

 実は鋼のように固いとか、そういうオチかと思ったが、力をいれるとあっけないくらい簡単に折れた。

 ぺき、という音が聞こえ、二つ折りになってささくれた串が見え、細い木片のはじける感触が指に伝わって――木串のかたさが指に伝わらなくなったのと同時に、ぐにゃりと世界がゆがんだ。

 視界が暗闇に覆われた。
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