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3.5章 閑話

09 世界が変わる日 イーリス視点

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 私の名前はイーリス・シェリルバイト、シェリルバイト家の三女です。
 家族はお父様とお母様、それに領主を継ぐお兄様と他家へと嫁入りしたお姉さまが二人います。
 貴族家に生まれた人間は己の天職を領地経営の役に立つようにと、教えられ育てられます。
 二人のお姉さまは計算と家政の天職を持ち、同派閥の貴族家へとお嫁に行きました。
 お兄様は騎士の天職を持ち、指揮の天職を持つ同派閥の貴族からお嫁さんをもらっています。

 ですが、私は……。
 私が頂いた天職は料理人……このような天職を持っている人は見たことも聞いたこともありません。
 天職を鑑定してくださった神官様も初めて聞く天職なようで、どのような事柄に有用な天職かわからないと仰っていました。
 このような天職を持ってしまった私は貴族家の一員として失格なのです。

 私が平民であれば、あるいは貴族家でも新興の男爵家などであればどんな天職でも問題なかったかもしれませんが、シェリルバイト家は王国創設から王家に仕える由緒正しい貴族家です。
 そのような他の見本となる人間が領地に何も還元できない天職を持つなど、他の貴族はもちろんのこと領民にさえ晒すことはできない汚点なのです。
 家族はこんな私にも優しい言葉をかけてくださいますし、お兄様もお義姉さまも他家へと嫁に行かなくても、このまま領地で自由に暮らしていいと仰ってくださっています。
 ですが、領民の税金で暮らしている領主一家が何もできないままのほほんと暮らすなど、許されるはずもないのです。

 何かしなければならないという思いと、でも何もできないという現実に苛まされる毎日を暮らしていると、お父様からどうしても晩餐に出てほしいと言われました。
 領主館の中でお仕事をしているお母様や、まだ婚姻前で正式な領主一家ではなく対外的な仕事ができないお義姉さまならばともかく、基本的に領地を飛び回ることの多いお父様から食事に誘われるのは珍しいことです。
 もちろん私に否やはなく、食事を共にすることにしました。

「イーリスや、今日の食事はどうだった?」

 晩餐の後にお父様に食堂に残るようにと言われて、お話をすることになりました。

「お父様、あのような食事は初めてでしたが確かに美味しかったです」

 今日の晩餐にはいつものように甘い果物や食べやすい野菜ではなく、平民が常食している緑菜を使ったものや、誰も食べないような植物や獣の肉を使ったという料理なるものが出たのです。
 ステーキと呼ばれていた獣の肉は普段食べている野菜などとは違い、確かな弾力と温かさがあり少し食べづらかったですが複雑な味がありました。
 ポテトサラダと呼ばれる聞いたこともない植物が原料の白っぽいモノや、平民が食べている緑菜を使ったスープと呼ばれるものも、果物とは違った酸味や甘味を感じ美味でした。
 平民は普段このようなものを食べているのかと、給仕をしてくれたメイドに聞いてみたのですが、平民もこのようなものは見たことがないでしょうと答えていました。

「イーリス、今日食べたものは料理というのはな、これからの世界を変えるに値するものだぞ」

 お父様が仰るように、原料は誰も見向きもしないもの、でも、それが確かに美味しく食べられるとなればこの国の……いえ、この世界の食事が一変するでしょう。

「ですが、お父様。あのような見たことも聞いたこともない代物、用意できる人間は限られるのでは?」

 ポーションが始めて出来た時には調合師や鍛冶師の天職を持つ人間を見つけ出すのに苦労したというのは、貴族に伝わる口伝や自伝で知っています。
 戦闘系や計算のできる天職はもちろん、農家やポーションに関係する独自性の高い天職は市井にも広く伝わっています。
 ですが、それ以外の何に仕えるのかよくわかっていない天職はよくわからないものと放置される傾向にあるのは仕方がないことです。

「私は今日出たのが料理と呼ばれるものだと教えたな。イーリスや、お前は自分の天職を忘れたのか?」

 忘れるはずがありません。
 貴族家にとって必要とはされない、よくわからない……料理人……という…天職……。

「そうだ、イーリスの天職、料理人とは今日出た料理を作るために特化した天職らしい。……お前の天職はこの世界を一変させるほど重要なものなのだよ」

 ハッとして、お父様の目を直視すれば慈愛にあふれた親の目をしていました。
 子供のころからよく見た優しい父親の目です。
 そうです、私は自分の天職を知ったあの日から、家族の、両親の目をまっすぐに見ることができなかったのです。

「……お父様、私にもこの領地のために……領民のために尽くせることがあるのですね……」

「ああそうだ、イーリスが自分のことを役に立たないと、貴族失格だとこぼしていたことは知っている。私たちはお前の天職がなんだろうと責めるつもりもなかったが、イーリスが自身を責めることは止められなかった」

 そうです、お父様もお母様も、お嫁に行ってしまったお姉さまも、次期領主のお兄様も、婚姻前なのに領主館に来てくださっているお義姉さまも私を責めることはありませんでした。
 私を責めていたのは、私だけだったのです。

「お父様、今日の料理を作った人に会うことは可能ですか?」

「ああ、この後に私が直接会うことになっている。彼がどのような人物かはまだ直接会っていないから何とも言えないが、ウィリアムからの反応は上々だった」

「私も直接会ってもよいでしょうか?」

 私の天職を生かすためには、今日の食事を作った人間の協力が必要です。
 ですから、私が直接会う必要があると思うのです。
 ですが、お父様は首を横に振っています。

「ウィリアムからの反応は良かった。自分の持っている情報で誰かを脅すような人物ではないと……。だが、一方で彼は騎士団の人間を殺している」

「……? 殺して…?」

 ウィリアムは騎士団で団長を務めています。
 その彼が騎士団の人間を殺されているのに、その人間に高評価を下すというの解せません。

「もちろん、非は殺された騎士にある。何もしていない彼に向って詰問し、あまつさえ無手の彼に向って剣を抜き、切りかかったそうだ」

 そんな、馬鹿な。
 騎士団に入った人間は規律を真っ先に叩き込まれます。
 騎士が守るべき民に向かって剣を抜くなどあってはならないことです。

「その騎士は例の問題児でな。非は彼にはないが、それでも私が自分の目で彼の本質を見るまでは安心してお前に会わせられないのだよ」

 ああ、血のつながりがあるからと言って無理やり騎士団に入ってきた例のあの人ですか。
 戦闘系の天職を持っているからと言って、団長のウィリアムを軽んじ、貴族だからと言って自分よりも強いベテランの騎士を馬鹿にしていた彼ならばそのような常識はずれなことをしても驚きはありません。
 本来ならば悲しむべき騎士団員の死というものですが、あのような人間……私やお義姉さまに対していやらしい視線を送っていた人ならば悲しむこともありません。
 むしろ、そのような騎士にあるまじき行為をした人間に対する怒りが沸々と湧き上がってきます。

「お父様、では、お父様がその人物のことを見定めた折には……」

「ああ、彼がまともな人間ならばお願いしてみるつもりだ」

 お父様の返答を聞いて、私は食堂を後にしました。
 直接会えないのは残念ですが、お父様が見定めた後ならば会えるのです。
 私の天職……そしてあのような不思議な食事を作る人物……楽しみになってきました。

 そう、この後に彼と会ったお父様は私に料理を教えてくださるようにお願いしてくださいました。
 彼と…マサト様と出会い、私の世界は変わるのです。
 ですが、今の私はまだそのことを知りません。
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