復讐を誓った亡国の王女は史上初の女帝になる

霜月纏

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陰謀篇

第4話 洗礼式──目覚め

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シャァァッッ


「王女殿下、ご起床のお時間です」


 可愛らしい声とともにカーテンが開けられ、薄暗い部屋に朝日が差し込んだ。


……もぞ…………もぞもぞ……


「……むぅぅ~っ……」


 目元に差し込んだ朝日の眩しさに私は布団を頭まで被り布団の中で丸まる。しかし二度寝は許されず、私を包んでいた布団は引き剥がされた。


「王女殿下、ご起床のお時間です」


ギィィ


 軽い木が軋む音とともに春先の冷たい風が部屋に吹き込んだ。数秒前まで布団に包まれていた肌にはほのかに温かさの余韻が残っている。しかし春先の冷たい風が温かい肌を撫でると微妙な肌寒さで身が締まった。


起きて下さい・・・・・・!」

「…………おきる……」


 私は起き上がると威嚇する猫のように背中を伸ばした。寝ている間に固まった筋肉が伸びて緩やかだった血流が少し速く身体を巡りだす感覚がする。


「はしたないですよ。王女殿下」


 そう言って苦笑いするのはルーシー私の侍女。彼女は私の乳母の一人目の子供で私より一つ年上だ。


「おはようございます。王女殿下」

「おはよぉ……」

「本日は王女殿下が楽しみにしていらした洗礼式ですよ。ドレスは如何致しましょうか?」


 ルーシーは私の手を引いて鏡の前に座らせると髪を梳かし始めた


「うーん……。どんなのがあるの?」

「四着ご用意して御座います」

「みせてー」

「畏まりました。お願いします」


 ルーシーがメイドの方に目配せして言った。


「…………畏まりました」


 メイドは不服そうな表情を浮かべ消え入りそうな声で言うと部屋を出ていった。


「あのひとだぁれ?」

「新たに配属されたメイドです」


 ルーシーは私の侍女────つまりメイドより立場が上位だ。それなのにメイドがルーシーに対して驕慢きょうまんな態度をとるのは彼女の身分と産まれた経緯によるものだろう。

 通常の場合、王女の侍女になるのは歳が近い上位貴族の娘だ。大抵は乳姉妹などのように幼い頃から繋がりがある者が多い。

 その理由は王女の乳母は王城に部屋を与えられ自分の子供と王女の養育を任されることにある。幼い頃から慣れ親しんできた者なら信頼できるし、一緒に過ごした時間が長いので行動も読みやすく世話がしやすい。侍女や従者になるのは至極当然のことだと言える。

 さらに王女が幼い間に付けられる侍女は友人も兼ねているので年齢が近い。つまり行動が読めるほど一流の侍女を付ければ年齢が離れすぎる。かと言って幼い侍女では行動が読めないので生活の邪魔になるのだ。
 
 では何故平民のルーシーが私の侍女、もとい乳姉妹なのか。

 乳幼児の頃の私は物凄い偏食だった。下位貴族の夫人に至るまで探したにも関わらず、雇われた乳母の乳を飲まず痩せる一方。そんな私の様子に耐えかねたお母様とお祖母様が身分を問わず国内で乳母を募った。そして私が選んだのが第二児を妊娠中のルーシーの母親だった。

 もちろん平民が登城するなどという前例はないので、ルーシーの母親は一代限りの叙爵をされた。大きな功績を上げて貴族に叙爵されたわけではないので貴族の義務を負うこともなかった。所謂、法衣貴族と言うものだ。

 そんなルーシーの母親は私が離乳し始めて少し経った頃に第二児を産み、産後の肥立ちが悪く亡くなったそうだ。第二児も先天性の障害児で生まれて一ヶ月で亡くなった。顔立ちの可愛らしい女の子だったそうだ。

 本来なら乳母が亡くなった時点でルーシーは父親に引き取られ、新しい乳母が選ばれるのだが、ここで問題が生じた。ルーシーの父親は実父ではなかったのだ。

 養父曰く、乳母は結婚間近に見知らぬ男に強姦されてルーシーを孕んだそうだ。当時の婚約者と乳母の両親は堕ろせと言ったが乳母は自分の子供であることに変わりはないと言って聞かず、婚約を破棄された上に実家から勘当された。結果、乳母は一人でルーシーを出産したのだ。

 その後、ルーシーを養うために酒場で働いていた時に出会ったルーシーの養父に結婚を申し込まれた。最初こそは渋ったもののアプローチが続き絆された乳母は承諾したらしい。乳母も女だったということだろう。

 養父はルーシーが誰の子供でも乳母の子供であるなら良いと言って実の子供のように接していた。乳母が亡くなった時も自分がルーシーを引き取ると言っていたが、養父の実家の人間に猛反対され断念せざるを得なくなった。更に乳母の実家はルーシーを強姦の末に出来た子と忌避し、断固として引き取らなかった。つまりルーシーはよわい二歳にして天涯孤独の身となったのだ。

 昨年の洗礼式でルーシーの魔力量が多いことが判明し父親が上位貴族だと推測された。しかし上位貴族が強姦を働き私生児を作ったと知られるのは国の信用に関わるので箝口令が敷かれ、今では殆ど誰も知らない。

 今のルーシーは父親もわからない天涯孤独の私生児だ。しかも箝口令が敷かれる前に中途半端な噂が広がり、上位貴族の娘であることは知られていないが、強姦の末に出来た子供だということは周知の事実。強姦の末に出来た娘というドラマのあるストーリーは噂好きの雀の大好物で、ルーシーを馬鹿にするには十分すぎる内容だった。

 しかし、どんな理由があろうとも私の侍女を馬鹿にすることは許されない。


「あのひとのなまえ名前わかる?」

「いえ、私はメイドの方々と話す機会が少ないので……」

「そっか……」


 そんな話をしているとメイドがドレスを持って帰ってきた。


「お持ち致しました」


 メイドは私の方を見て笑顔で言う。


「ありがとうございます」


 ルーシーが礼を言って受け取ると、メイドは気に食わない様子で鼻でフンッと鳴らして顔を逸した。あまりにも露骨な態度に怒りがこみ上げてくる。


「まって! あなたのおなまえ名前は?」


 そのまま部屋を出ていこうとするメイドを呼び止めると、メイドは私の前で深く礼をして答えた。


「カリス・ディ・ネイズームと申します」


 真顔に徹しているように見えて口元がピクピクしている。喜びを隠しきれていない様子だ。家名があるので下位貴族だろう。部屋付きのメイドに取り立てられると思っているのかもしれない。


それを願うのなら叶えてあげましょう


あなた貴女へやつ部屋付きのメイドにならない?」

「わ、私めがですか?! 光栄です!」


 そう言って目を輝かせた。隣ではルーシーが不安そうな表情を浮かべている。私は安心させる為にそっとルーシーの袖を掴んだ。

 私がカリスを部屋付きのメイドにしようと思ったのは、現状では情報が足りていないからだ。家族構成、友人関係、恋愛関係、彼女自身の弱み、彼女の家族の弱み、王城に務める理由など諸々もろもろの情報が足りない。

 このまま厳罰に処して解雇するのは簡単だ。しかし、その程度では新たな職探しに苦労する程度だ。もちろんそれが彼女にとって大打撃であれば解雇も吝かではない。しかし、彼女にとって大した打撃がなければ、それはただの自己満足でしかない。

 ルーシーが社交界デビューを果たすまでに彼女の処遇を決める。思い切り厳しい処罰を下して誰もルーシーに手出しする気がなくなるように恐怖を植え付ける駒になって貰おう。


へんじ返事はゆっくりかんがえて。いそがなくていいよ」


 急がなくても良い。それは相手の能力を認め、どれだけ待っても構わないから自分の元へ来て欲しいという口説き文句だ。大抵は高待遇に恵まれる。

 名前を聞かれて家名を出すのだ。プライドが高く他人を卑下することで優越感に浸るタイプだろう。ここまで煽れば噂好きのメイドたちに自慢するはずだ。ついでに躾のなっていない雀も誘い出せそうだ。


「とりあえず、きょう今日はもうやすんで」

「はい」


 メイドはスキップでもしそうな雰囲気で部屋を出ていった。


「王女殿下、何をするおつもりですか?」

「うーん。けんせー牽制すずめたいじ雀退治……かな?」


 私の言葉にルーシーは仕方ないとでも言うかのように深い溜息をした。


「ルーシー。ドレスみせて」

「はい」

さいきん最近はどんなドレスがはや流行ってるの?」

「近年は暗い色の布地に銀の刺繍が施されたドレスや赤などの鮮やかな布地に白い刺繍が施されたドレスが流行しています。上位貴族は重厚感のある上品な雰囲気のドレス、下位貴族は派手で華やかな雰囲気のドレスと二分化しています」


 ルーシーはドレスを手に取って見せながら説明する。


にぶんか二分化かぁ……。きぞくってめんどくさい」


 恐らく上位貴族と下位貴族の間で対立が起きているのだろう。ルーシーは私の独り言を聞き流して説明を続ける。


「百五十年ほど前までは伝統通り王室の女性は真っ白な布地に黄金と白銀の刺繍が施されたドレスを着ていたそうです。当時は顔を晒すことは恥とされていたので可憐で繊細なデザイン意匠のレースで顔を隠していたとか」


 そう言ってルーシーの手に取られたのは真っ白な布地に黄金糸と白銀糸がふんだんに使われたドレスだった。角度によって異なるデザインが艶かしく浮き上がる。


「すごいきれい……」

「きっとお似合いになりますよ」

「それにする!」

「では髪飾りは如何致しましょう。レースをお使いになりますか?」


 レースは透けるようで透けない絶妙な編み具合だ。折角の職人技を無駄にするのは忍びない。しかし顔を隠すのは国民への印象が良くない。それは当時の王族が顔を隠していた理由が国民の間で広く知られているからだ。それこそ城下町で走り回る子供たちですら知っている。

 顔を晒すのが恥だと言われたのは、当時の王族の専制君主的な発想からくるものだ。曰く、高貴なである王族が賤民に顔を晒すのは恥なのだそうだ。

 百五十年前のことで当時の人間は既は亡くなっているし、今日の外出は非公式。しかし人前に出たことのない王女が初の外出をするとなれば自然と人が集まる。第一印象は良いに越したことはない。

 国民の────特に女性の情報網は計り知れない。噂は噂を呼び、背ひれ尾ひれがつく。第一印象が悪ければ、例え転んだ人に手を差し伸べても、人を突き飛ばして転ばせたと言われかねない。


きれい綺麗だからつか使いたいけど、いんしょう印象わるくなったらいやだから……」

「では髪飾りにアレンジして使いますか?」


 そう言ってルーシーは適当な花の髪飾りを手に取ってレースを組み合わせた。花の下に段々になって重なるレースはとても可愛らしい。


「それなら、おりのかみかざ髪飾りがいい!」


 そう言ってアイスバーグ白薔薇ピンクプロスペリティ淡い桃色の薔薇で作られた髪飾りを指差す。


「畏まりました。では耳飾りは如何致しますか?」

しらゆり白百合のものがいい」


 アイスバーグの花言葉は『清純』『純潔』。ピンクプロスペリティの花言葉は『気品』『しとやか』。白百合の花言葉は『尊厳』『汚れのない心』。洗礼式にぴったりの花言葉だ。


「畏まりました。ではお着替えをの用意を致します」

いまはいいよ。あさはんべるでしょう? よごれたらいやだもん!」

「では朝食時に着る衣服を用意させます。まずは湯浴みを致しましょう」

「うん」


 ルーシーと一緒に室内浴場へ向かい身体を洗ってもらう。とは言っても、この世界にはまだ石鹸が普及していない。基本的に貴族は清浄魔法で身体を清めるか布で身体を擦って洗うくらいだ。髪も湯に浸して櫛で梳かして汚れを落とす。しかしそうすると必要な皮脂まで流れて髪は傷むし、皮脂の分泌が多くなって昼間でも髪がベトベトになる。なのでルーシーは必要な皮脂の代わりに香油を髪に塗って保湿する。この世界で言う所謂コンディショナーだ。

 そして香油は香る油と書くだけあって良い香りがするので、私が湯浴みを終えると決まって髪からいい香りがする。


「いいにおい……」

「本日は緊張していらっしゃると思いローズウッドの香油を混ぜたオリジナル配合の香油を使っております。ローズウッドには気分を落ち着ける効果がありますので……」

「このにおいすき!」

「ありがとうございます」


 私の言葉に満面の笑みで言うルーシー。彼女は香油の配合やアクセサリー作りなどの美容や服飾関係の作業が好きで、上手く出来たときに褒めると嬉しそうに笑う。以前はそこまで得意ではなかったようだが、いつの間にか好きだと言えるようになったようだ。これも彼女の努力の賜物だ。


「ルーシーはわらうとかわい可愛いねぇ」


 そう言うとルーシーは自分が笑ってることに気付いたようで顔を赤く染めたあと、真顔に戻ってしまった。


「王女殿下、朝食の際のドレスはこちらで宜しいですか?」

「ルーシーにまかせるよ」

「畏まりました」

「…………ねぇ、いつまでそんなはなかたするの?」

「私は王女殿下の侍女ですので……」

はじめてったときはそんなはなかたしてなかったよ! きも気持わるい!」


 私がそう言うとルーシーは呆れたように肩を竦め、溜息を吐いた。


「…………では他の人が居ない際には以前のように話させて頂きます」


 ルーシーは澄ました表情で言った。


いまだれないよ」


 そう言うとルーシーは真顔のまま押し黙った。心なしか表情が固い。バレたとでも思っているのだろう。


「…………」

「ルーシー」

「わかった。普通に喋るよ。もう…………ハァ……」


 諦めたようで何よりだ。


「よろしい!」


 私が胸を張って言うと、ルーシーは一瞬キョトンと呆けて吹き出すように笑いだした。


「よ、よろしいって…………に、似合わな……アハハハッ……」


 遠慮なしに笑うルーシーに驚き一瞬ポカンと呆けたが、すぐに顔に熱が集まり耳まで熱くなっているのを感じた。


「い、いいからっ! はやくドレスってきてよ!」

「う、うん……ちょ、ちょっと……っ……待ってて……」


 ルーシーは笑いを堪えきれずに息も絶え絶えに言いながら部屋の隅にあるワードローブへ向かう。


「うーん。どれが良いかな?」


 ワードローブの前で一頻ひとしきり唸ったあと、一着のドレスを持ってきた。ルーシーが用意したのはルージュピンクを基調とし、腰に大きな薔薇を中心とした小花が飾られたドレス。それは三歳の幼女が着るには少し大人びているように見える。


わたしにはおとな大人ぎない?」

「だからこそだよ! 今日は洗礼式を迎える特別な日だよ。着たことがなかった大人びたドレスに袖を通すなんて、大人に一歩近づいた感じがしない?」

「……まぁ、ルーシーにまかせるってったし…………」

「そうそう! 偶には気分を変えて大人の階段を登らなくちゃ!」


 ルーシーは慣れた手つきでドレスを着せていく。正直、似合うとは思えないので乗り気ではないが、ルーシーが嬉しそうな表情をしているので流されている。これで似合っていなければルーシーも他のドレスにするだろうし、似合っていればそのままでいい。


「はい、完成!」

「ありがとう」

「ほら見て。銀髪がドレスに溶けるように馴染んでいるし、首から鎖骨辺りまではレースだから大人っぽい印象があるけど、肌が透けて見えるようなレースじゃないから子供らしさも残っているでしょ!」

「……うん、いかも! わたし、おばあさま祖母様たちに挨拶してくる!」


 私はドレスの裾を翻しながら部屋を飛び出し、長い廊下を走り出す。


「王女殿下! そのように走られては危険です! 転ばれてしまいます!」


 さっきまでは友人のような口調だったルーシーも部屋を一歩出ると従者の口調に戻る。


「だいじょうぶ! これくらいでころんだりしないよ!」

「王女殿下! お待ち下さい!」




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