『水槽』 武闘派ヤクザ×失声症の青年

葦原

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「菅田の野郎……まだ見つからねぇのか、」
「申し訳有りません。しかし菅田の幹部連中は、ほとんどが組抜けしています。組員も大半が消えましたし……菅田の所はほぼ、壊滅状態と云っても良いでしょう」
 隣室から聞こえて来る声を耳にし、蓮は疲れ切った身体を起こす。
 戻って来てからこの五日間、今までしなかった分を取り戻そうとしているかのように嘉島は、あまり休む間を与えずに蓮を抱いた。
 その所為で、身体はまだ怠い。
 ようやく解放されてからずっと眠っていた為、時刻が分からず、今は何時なのかと壁時計へ顔を向けた。

「田岡、お前……俺の所に来て何年だ?」
 身が竦みそうになるほど鋭く、冷たい声が耳に入り、思わず動きを止める。
 微かに身体は震え始め、蓮は気を紛らそうと水槽へ視線を移し、泳ぎ回る魚達をじっと見つめた。
 が、耳だけは澄まし、嘉島と田岡の会話に聞き入る。
「十五年と百二十五日になります」
「そうか。それだけ長く居て、まだ甘い考えしてやがるのか……てめぇは。えぇ? 田岡……」
 鋭く、ドスの利いた声が隣室から響いて、身体がびくりと大きく跳ねた。
 嘉島の声はいつだって迫力が桁違いで、声に鋭い狂気を含ませていて、恐ろしくて堪らない。

「も、申し訳有りません……全力で、菅田の居所を突き止めます」
 田岡の震えた声が上がった瞬間、蓮の背筋に嫌な寒気が走った。
 菅田、と云う名前を今はっきりと耳にして、息苦しささえ感じる。
 その名前は、以前、嘉島から聞いた事が有る。
 菅田の事を何も覚えていないのか、と訊かれたその時も、こんな風に息苦しくなって吐き気が込み上げて来た。
 じわじわと込み上げて来る、得体の知れない恐怖感があまりにも辛く、蓮は俯いて目を瞑った。

「失礼します、」
 嘉島の恐ろしさを知っている田岡は、恐怖で青褪めたまま深々と頭を下げ、急ぎ足で部屋から出てゆく。
 その間も、張り詰めた重い雰囲気は決して和らぐ事は無い。
 嘉島は苛立たしげに舌打ちを零した後、少しだけ開け放されている隣室との仕切り戸に目を向けた。
 懐から取り出した煙草を口に咥えて火を点け、紫煙を深々と吐き出しながら、眉を顰める。

 蓮を保護してから一週間も経たない内に、今度は幹部の人間が一人、菅田の組員に殺された。
 田岡を除いた組の人間は皆、菅田に完璧にめられていると怒り狂っていたが、これで堂々と菅田を潰し、蓮を安心させる事が出来ると云う歪んだ喜びが、嘉島の内には在った。
 楽には殺さずに、死なせてくれと自分から哀願する程苦しめて……蓮にも、その場に居合わせてやろう。
 自分を痛めつけた男の、無様にのた打ち回る姿を見せ付けてやろう。
 紫煙をくゆらせながら、嘉島は口元に不敵な笑みを浮かばせる。

 蓮が拉致された時、龍桜会りゅうおうかいの幹部連中は、たかが玩具が一つ駄目になったぐらいでむきになるなと、大半が口を揃えた。
 しかし、今度は状況が違う。嘉島組幹部の一人が、殺られたのだ。
 流石に穏健派が多い龍桜会の幹部連中も、菅田を潰す事を許可した。

 ……機会が、やっと巡って来た。
 いや、自らの手で作り出したと云っても良い。

 嘉島は陶器製の灰皿を引き寄せて灰を落としながら、嘉島組幹部の一人を殺した相手の姿を、脳裏に浮かばせた。

 馬鹿な男だ。たった三百万握らせただけで、本当に殺しやがった。
 しかも自分の親と対立している俺の、言う通りになりやがった。

 喉奥で低い笑い声を零し、嘉島は緩やかに目を伏せる。
 これ程までに蓮に執着している醜い自分が、あまりにも滑稽に思えて自嘲的な笑みすら浮かぶ。
 蓮の為だけに、わざわざ敵の人間を買収して……自分の大切な組員を、殺させた。
 これが露見すれば、指詰めや破門どころの騒ぎでは無い。
 死んだ方が楽だと云うぐらいに、惨い仕打ちが待っている筈だと考えるが、不思議と後悔の念は抱かなかった。
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