『水槽』 武闘派ヤクザ×失声症の青年

葦原

文字の大きさ
上 下
2 / 21

02

しおりを挟む
「……あれは、逃げますね。」
 それまで一切口を開かなかった田岡たおかが、静かな口調で呟く。
 殴り込む前に、己の命惜しさに逃げ出すだろうと見抜いたが、嘉島も同様の考えを抱いていた。
「ああ、だろうな。だが……どっちみち、あいつはもう要らねぇ。役立たずと腰抜けは、俺の組には必要無い。」
 小馬鹿にするように鼻で笑い、短くなった煙草を壁に押し付けてもみ消す。
 舞い落ちてゆく火の粉を目で追う嘉島の顔は、相変わらず不機嫌なままだ。

 嘉島が苛立っている理由は、菅田を中々捕らえる事が出来無いのと……一ヶ月以上も自宅に戻っていないからだろうと、田岡は思う。
 田岡の脳裏に、一昨日様子を見に行った際、淋しげな顔をしていた青年の姿が浮かんで、消えた。

「組長……一度ご自宅へ戻られたら如何ですか? もう一ヶ月以上、れんさんに会っていない事ですし」
 多少遠慮がちに声を掛けると嘉島は眉を顰め、不機嫌な色を強める。
「田岡、てめぇ……やけにあいつの事を気に掛けてるんじゃねぇのか?」
 鋭さを含んだ低い声が耳に入ると、田岡は苦笑したくなる。
 嘉島が嫉妬心を抱いているのは、誰が見ても明らかだと云うのに……あの青年を好きだと、口にはしない。
 長年嘉島に仕えて来た田岡は、嘉島が横暴で傲慢で、そして見栄を張る人物だと云う事を知っている。
 恋だの愛だの、そんなものを男相手に抱いている事など、嘉島の性格からして決して口には出来無いのだろう。

「ええ、気に掛けています。蓮さんは、組長の大切な方ですから」
「……馬鹿言え。あいつは、ただの玩具だ。愛人でもねぇ」
 吐き捨てるような言葉に田岡は一度、胸中で溜め息を零す。
 素直になれば良いものを……と考えるが、それはやはり、この男には無理な話なのだろう。

 ――本当に、扱い難い人だ。
 再度胸中で溜め息を零して腕時計へ目を通すが、田岡は不意に、ある事を思い出した。

「そう言えば、組長……蓮さん、最近ろくに食事をとっていないみたいです。体調でも崩されてるのでは無いでしょうか」
「……何だと?」
「気になるのでしたら、部屋住みの人間に様子を見に行かせますが……」
「……いい、放っておけ。」
 忌々しげに舌打ちを零し、嘉島は素っ気無い言葉を返す。
 だが言葉とは裏腹に切れ長の双眸は落ち着きが無く、何度か室内を見回した後、舌打ちが数回零れる。
 苛立ったように煙草を取り出すと、田岡がすぐさまジッポライターを目の前へ差し出して来る。
 が、半ば迷惑げにそれを手で遮り、嘉島は自分で火を点けた。

 蓮のことがひどく気になるが、誰かに様子を見に行かせる事を極力控えている理由の一つは、つまらない見栄だ。
 男を囲っていると云う倒錯的事実など体裁が悪く、その上、他から恐れられている武闘派嘉島組の組長ともあろう人間が、抱き人形を何よりも気に掛けている事など、知られたくは無い。

「組長、やはりご自宅に戻られて、ゆっくり休まれたらどうですか。蓮さんの事も有りますし……妙な病気に罹っていたら、面倒です」
 尤もな言葉を掛けられ、嘉島は居心地悪そうに視線を彷徨わせた。

 ――あの美しい抱き人形を、他の人間の目になるべく触れさせたくは無い。
 そんな子供じみた独占欲も有る所為で、医者に診せる際は必ず、嘉島が付き添う羽目になる。
 菅田を捕らえた際、付き添いが理由で身動きが出来無いとなれば、他の組員への示しもつかない。
 いささか迷うものの、やがて舌打ちを一つ零した後、嘉島は荒々しい足取りで進み出した。
「……菅田を見つけたら、直ぐに知らせろ。」
 苛立った口調で言葉を放ちながら、部屋の扉を乱暴に開ける。
 後方で田岡が微かに口元を緩めたが、それに気付く事も無く、嘉島は返答を待たないまま部屋を後にした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

泣き虫な俺と泣かせたいお前

ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。 アパートも隣同士で同じ大学に通っている。 直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。 そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

幸せの温度

本郷アキ
BL
※ラブ度高めです。直接的な表現もありますので、苦手な方はご注意ください。 まだ産まれたばかりの葉月を置いて、両親は天国の門を叩いた。 俺がしっかりしなきゃ──そう思っていた兄、睦月《むつき》17歳の前に表れたのは、両親の親友だという浅黄陽《あさぎよう》33歳。 陽は本当の家族のように接してくれるけれど、血の繋がりのない偽物の家族は終わりにしなければならない、だってずっと家族じゃいられないでしょ? そんなのただの言い訳。 俺にあんまり触らないで。 俺の気持ちに気付かないで。 ……陽の手で触れられるとおかしくなってしまうから。 俺のこと好きでもないのに、どうしてあんなことをしたの? 少しずつ育っていった恋心は、告白前に失恋決定。 家事に育児に翻弄されながら、少しずつ家族の形が出来上がっていく。 そんな中、睦月をストーキングする男が現れて──!?

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

処理中です...