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前編
04
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三年前と特に変わっていない家の門口を通り、広い庭を横目に僕は応接間へと案内された。
母は自ら別室へと足を進めてしまい、この部屋に居るのは僕一人だけだ。
父と母はもう長い間顔を合わせて居ないらしく、今日も合わせまいと僕に背を向けて足早に別室へ向かった母の姿を、退屈を紛らわすように思い出した。
畳の上で正座をし、体調の悪さに悩みながら父を待っていると、障子の向こう側の廊下から忙しそうな足音が近付いて来た。
視線をゆっくり障子へ移すと、その向こう側に二つの人影が見える。
僕は、何も感じない。
あの黒々しくて、思わず震えてしまいそうな程に獰猛な雰囲気が、全く感じられないのだ。
あの人は、もう居ないのか――。
そう考えた瞬間、僕は何だか、すとんと何かが落ちてゆくような、何だか分からない感覚を覚えた。
この感覚は何だろうかと不思議に思ったけれど、ゆっくりと開いた障子の向こう側から誰かが入って来たのを見て、直ぐに考えるのを止めた。
最初に入って来たのは、恐らく父だろう。
「待たせたな、」
まるで待たされたのは自分だとばかりに、何処と無く不機嫌そうな声で喋るのは、紛れも無く父だ。
顔は見たことが無いけれど、きっと不機嫌そうな顔をしているんだろう。
ゆっくりとかぶりを振って、全然大丈夫ですと返しながら、僕は視線をそろそろと上げた。
父は正面の上座で胡坐を掻いて座り、その斜め右後ろ辺りの丁度障子の近くに、品の良いスーツを着た人が座っている。
二人の顔も見ないまま、直ぐに視線を落として意味も無く畳を眺めた。
そう云えば、あの男を最初に見た時は、躊躇いもせずに自然と目が上がっていったっけ。
執拗に感じた男の視線が、気になったからなのか定かでは無いけれど、母以外の人の顔をあんなにも長く見たのは初めてだった。
あの男が相手なら、眼を見ながら言葉を交わす事も、出来るだろうか。
そんな考えが一瞬だけ頭の中をよぎった瞬間、父の声が耳に響く。
「今日が誕生日だったな。何か欲しい物は有るか?」
「いえ、特には……」
短く答えると少し沈黙が流れて、父は軽い咳払いをした。
「……あぁ、……お前は十七になったのか、」
僕を呼ぶ際に少し口篭った父の声を耳にして、思わず嘲笑が浮かびそうになった。
父は、僕の名前など覚えては居なかったのだ。
その上、僕の歳もちゃんと覚えては居ない。
これが、僕の父だ。
一瞬で何もかもが、どうでも良くなった。
訂正する気も失せた僕は、何も云わずに頷いて見せる。
本当の歳を告げても、この人は直ぐに忘れるだろう。
愛して居ないと云う事は、どうでも良い存在だと云う事だ。
父が僕をどうでも良いと感じているように、僕もこの人をどうでも良いと感じている。
こんなのは、親子なんて云えるのだろうか……。
そう考えると何だか胃がせり上がって来るようで、少しだけ眉が寄る。
元から体調が悪い上、来る途中の混雑した車内で人に酔ってしまったのも有って、吐き気は余計に強まった。
きっと顔色はかなり悪いだろうと考えるが、父は全く気にした素振りも無く、自分の会社の自慢ばかり話している。
軽く俯いて畳を眺めながら、早く家に帰りたいと、僕はただ切に願った。
父は自分の話を三十分程続けて話すと満足したのか、もう僕に用は無いと云った様子で解放してくれた。
ふらつく足取りで母の待つ部屋へと向かうと、母は僕の顔を見るなり不機嫌そうに眉を顰め、濃藍色の座布団の上から立ち上がった。
「全く、午後から兼原に会うと云うのに……遅れたらどうしてくれるのよ。……あの人も、もう少し考えて欲しいわね」
ぶつぶつと呟きながら彼女は、僕のコートを押し付けるように手渡してから、横を足早に通り過ぎて廊下を進んでゆく。
あの人は気紛れだと認めたのは、母さんじゃないか……と頭では考えていても、決して口にはしない。
母の機嫌を損ねて、こんな所に置いてけぼりにされるのは、まっぴら御免だからだ。
母は自ら別室へと足を進めてしまい、この部屋に居るのは僕一人だけだ。
父と母はもう長い間顔を合わせて居ないらしく、今日も合わせまいと僕に背を向けて足早に別室へ向かった母の姿を、退屈を紛らわすように思い出した。
畳の上で正座をし、体調の悪さに悩みながら父を待っていると、障子の向こう側の廊下から忙しそうな足音が近付いて来た。
視線をゆっくり障子へ移すと、その向こう側に二つの人影が見える。
僕は、何も感じない。
あの黒々しくて、思わず震えてしまいそうな程に獰猛な雰囲気が、全く感じられないのだ。
あの人は、もう居ないのか――。
そう考えた瞬間、僕は何だか、すとんと何かが落ちてゆくような、何だか分からない感覚を覚えた。
この感覚は何だろうかと不思議に思ったけれど、ゆっくりと開いた障子の向こう側から誰かが入って来たのを見て、直ぐに考えるのを止めた。
最初に入って来たのは、恐らく父だろう。
「待たせたな、」
まるで待たされたのは自分だとばかりに、何処と無く不機嫌そうな声で喋るのは、紛れも無く父だ。
顔は見たことが無いけれど、きっと不機嫌そうな顔をしているんだろう。
ゆっくりとかぶりを振って、全然大丈夫ですと返しながら、僕は視線をそろそろと上げた。
父は正面の上座で胡坐を掻いて座り、その斜め右後ろ辺りの丁度障子の近くに、品の良いスーツを着た人が座っている。
二人の顔も見ないまま、直ぐに視線を落として意味も無く畳を眺めた。
そう云えば、あの男を最初に見た時は、躊躇いもせずに自然と目が上がっていったっけ。
執拗に感じた男の視線が、気になったからなのか定かでは無いけれど、母以外の人の顔をあんなにも長く見たのは初めてだった。
あの男が相手なら、眼を見ながら言葉を交わす事も、出来るだろうか。
そんな考えが一瞬だけ頭の中をよぎった瞬間、父の声が耳に響く。
「今日が誕生日だったな。何か欲しい物は有るか?」
「いえ、特には……」
短く答えると少し沈黙が流れて、父は軽い咳払いをした。
「……あぁ、……お前は十七になったのか、」
僕を呼ぶ際に少し口篭った父の声を耳にして、思わず嘲笑が浮かびそうになった。
父は、僕の名前など覚えては居なかったのだ。
その上、僕の歳もちゃんと覚えては居ない。
これが、僕の父だ。
一瞬で何もかもが、どうでも良くなった。
訂正する気も失せた僕は、何も云わずに頷いて見せる。
本当の歳を告げても、この人は直ぐに忘れるだろう。
愛して居ないと云う事は、どうでも良い存在だと云う事だ。
父が僕をどうでも良いと感じているように、僕もこの人をどうでも良いと感じている。
こんなのは、親子なんて云えるのだろうか……。
そう考えると何だか胃がせり上がって来るようで、少しだけ眉が寄る。
元から体調が悪い上、来る途中の混雑した車内で人に酔ってしまったのも有って、吐き気は余計に強まった。
きっと顔色はかなり悪いだろうと考えるが、父は全く気にした素振りも無く、自分の会社の自慢ばかり話している。
軽く俯いて畳を眺めながら、早く家に帰りたいと、僕はただ切に願った。
父は自分の話を三十分程続けて話すと満足したのか、もう僕に用は無いと云った様子で解放してくれた。
ふらつく足取りで母の待つ部屋へと向かうと、母は僕の顔を見るなり不機嫌そうに眉を顰め、濃藍色の座布団の上から立ち上がった。
「全く、午後から兼原に会うと云うのに……遅れたらどうしてくれるのよ。……あの人も、もう少し考えて欲しいわね」
ぶつぶつと呟きながら彼女は、僕のコートを押し付けるように手渡してから、横を足早に通り過ぎて廊下を進んでゆく。
あの人は気紛れだと認めたのは、母さんじゃないか……と頭では考えていても、決して口にはしない。
母の機嫌を損ねて、こんな所に置いてけぼりにされるのは、まっぴら御免だからだ。
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