2 / 32
月見そばと天ぷらそばの混沌にまつわる謎の長身女子
しおりを挟むなんで都立大学の附属中学校に通っていた僕が私立で授業料が腐ったサンマからでろんと目玉が流れ出しそうな高額な学費を誇る私立黎明学園高等部に入ることになったかというと、世間や家庭やもろもろの因果すなわちカルマな事情による。
二年前の夏にガンであっという間に死んでしまった母親は僕に兄弟を残さなかったし、父親も一人っ子で両親も死んでいる。親戚づきあいはない。母親に至ってはその出生さえ定かではない。
加えて賃貸マンション暮らしで父親は大手の商社マン。めでたく四月から転勤の内示を受けたのは一月のこと。慌てて探し回ったところ、少人数だけど寮があってとりあえず「最高学府」までエレベーターなこの黎明学園に白い弓矢がよれよれと刺さったわけだ。父親は今頃エジプトのカイロへ向けてテヘラン上空を飛行中。僕の荷物は学校の寮に向かって輸送中である。
幸いにして進学校の黎明学園とは言え、僕は特に勉強しなくても成績は良かったし、知能テストで附属小学校始まって以来のスーパーな数字(350万人に一人だそうな)を叩きだしたので、テストもなくしかも特待生扱いとなった。
ほとんど瞬間的に解散してしまった「家族」という絆を、僕は教科書に出てくる美談みたいには把握できない。昨日見た夢みたいに、なんでもない事だった。
「天羽詩音君」
呼ばれたので椅子から立ち上がり、教壇に向かった。でもね、先生、僕の名前は「しおん」と読むのではなくて「シオ」と読むのだ間違えないでね覚えてね。
「R」のアルファベットの跳ねた部分が異常にしつこく伸びた藍色の学校のマークが印刷された封筒を手渡される。僕の名字の最初は「あ」だから、だいたい物事に「待つ」ということがないのはいいのか悪いのか。悪いか!
「わ」だったりする人は人生で換算するといったいどれくらいの時間を「待つ」に使うのだろうと余計な心配なんかしてみる。
僕がメインタンクをネガティブブローして潜行蛇を5度下向きに修正している時、最後の名前が呼ばれた。最後は背の高い、痩せた女の子。ボーイッシュな短髪がなかなか似合っていて小癪。 僕は女の子に魅力は感じないが、姿形への審美眼は持っているのだ。
「えー、君たちに渡した書類の中の一枚目にクラス分けが書いてあるから、それで自分の組、担任教師の名前とか確認してください。で、小冊子にしてあるのが学校内の施設の名前と地図と間取り。まあ、迷子になるような大きな学校じゃないから心配はいらないね」
分厚い黒縁の眼鏡をかけた40がらみで長身の教師がぱらぱらと書類をめくる。
「我が黎明学園は自由闊達を旨とする教育方針をとっているが、そもそも『自由』というものは勝ち得る物であって、与えられるものではないし、勿論何をやってもいいとかいう意味では断じてない。肝に命ずること。…………では、自由に食事を取って、好きに学校内を彷徨うなり友達を作るなりして、14時には指定された教室の指定された席に着席していること。以上、解散」
椅子と衣擦れ、金具や紙の摩擦音、探り合っているのか取り敢えずなのか既に友達モードなのか携帯の電子音と会話がぐちゃぐちゃと音楽室に響く。インド洋に浮上。曳航ソナー感度良し。風力2から3の微風、確認できる機影はなし。
外は見事に春めいて、かなりお年を召している桜がその図体からは少しばかり寂しい花を咲かせていた。百年を超える伝統を持つ学校に相応しく、足下は石畳で、ちょっとヨーロッパ・ロマン街道風味。ビルの影になった平屋建てのこちらはやや安っぽい作りの食堂がある。
僕は当然弁当など作る気力も時間も買っている時間も無かったので、他に選択肢はないから素直に薄い硝子の入った木製のドアを押して入った。そこはちょっとしたスクエアな空間になっていて、突き当たりを左に曲がると食堂カウンター、右へ曲がればトイレと、大雑把な張り紙があった。床はまあ何十年か前にはワックスをかけたことがあるようなどす黒い木の板が軋み、壁にはいまどき滅多にお目にかかれない柱時計が掛かっている。そんなレトロな様子とは裏腹にぴかぴかの食券販売機が居座っていた。
食券販売機とは、限りなく無機的なインターフェイスだが、そのボタンの位置、商品札の汚れ具合や退色、ボタンの汚れ具合でその利用頻度を読むことが出来る。加えて、厨房から漂う香りや金属音も状況証拠になる。総合的な状況判断ひとつで食後の気分もしくはその後の体調の趨勢までを決めるのだから、あだや疎かには出来ないのだ。疎かにしてはいけないが、その時間、疎かじゃないか?
僕がふうううむと考え込んでいると、左脇から黒いセーターに包まれた細い腕がするりと通り抜けた。長い。しかも速い。指に挟まれた何枚かの硬貨が瞬く間に食券販売機に飲み込まれ、あろうことか返す刀のようにボタンを叩き、舞を踊るように発券機の隙間から一枚の食券を抜き取った。流れるような動きは蛇のように無駄がない。ちょっと鉱物的に固まっている僕を見下ろしたその極めて長身短髪の女子は、細長い手からは想像できない力で僕の肩を掴むと、ぐいっと販売機に押しつけた。
「……じゃま」
足音のしない不可思議な浮遊感を伴う歩き方で長身短髪女子は黒いパンツスーツを翻して食堂へ向かってゆく。速い。とにかく速い。そして東京スカイツリーよりも高い。値段じゃなく背の高さが。女子の180センチをはるかに上回る長身というのは生まれて初めてマンハッタンのクライスラー・ビルを見た簡明に匹敵する。
しかも自分の状態とか礼儀とか感情とかTPOが全部蒸発する超速度。クロック数4ギガバイトは下らないであろうと考えた僕はメモリの規格とかキャッシュ容量とかチップセットや挙げ句はソリッドステートドライブは何処まで速くできるか予測しながら熱量の心配までしてしまった。
しかし、迂闊。短髪高速長身女子が選択したのは「月見そば」という呪われた選択。
状況から考えれば蕎麦は間違いなくゆで蕎麦だし、玉子の上からゆるゆると汁をかけ回すとは思えない。間違いなく最後に乗せるだけだ。「本当の月見そばとは」とか講釈を垂れる気はない。心の底でほくそ笑みながら、僕は「天ぷらうどん」のボタンを押し込んだ。天ぷらは間違いなく後から乗せる。それ以外には考えられないのだ。見た目重視の日本の文化ではそれが揺るぎない真実。
無礼で短絡かつ傲慢な輩にはそれなりの運命が待っているのだ呪われろ電信柱。 僕は心の中でほくそ笑んでしっかりとボタンを押した。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ほんの小さな好奇心
MEIRO
大衆娯楽
【注意】特殊な小説を書いています。下品注意なので、タグをご確認のうえ、閲覧をよろしくお願いいたします。・・・
好奇心が招き展開していく、下品な秘密のお話です。
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる