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三浦涼子の憤慨──「スタッカート」とフィヨルド議会
しおりを挟むしんと静まり返った二十畳はある和室で、机を挟んで白髪を後に纏め、白い髭を垂らした老人と清楚な佇まいの長く切りそろえられた美しい黒髪の少女が無言で向き合っていた。
黒髪の下の端正な顔の口唇が開いて、透き通っているが、どこか責めるような声を上げた。
「……それでは、人事に問題があるのですか。それとも組織の運営に差し障りがあるのですか。あるいは野党や省庁の横やりでもあるのですか。マスコミは押さえてあるのでしょう」
老人は茶碗に入った匂い立つコニャックをグビリと飲み込むと腕を組んだ。
「人事は全て更迭した。ついでに口を封じるために「眠って」もらったがな。それでも厳選した委員も議長も新しくしたというのに、何かというと混乱しておる。はっきり言って訳がわからん」
「洗脳された害虫が紛れ込んでいるのではありませんか?」
「薫にプロファイル・テストを受けさせた者ばかりじゃ。CTやMRIも「健康審査」という名目で受けさせたし。そうじゃなくとも経歴・交友関係は全て洗ってある。万に一つも手抜かりはないはず。順当に行けば三日もあれば法案は纏まり、国会に提出される。そっちの方は勿論万全を期しているが、法案の骨子が定まらない限り前に進まん」
「……意味が解りかねます」
「わしが一番意味が解らん。ボトルに入った酒がグラスに入らないようなものだ。ボトルの口に何かが詰まって居る訳でもない。不可解という他はない。ただ、レコーダーを薫に解析させたのじゃが、委員の言動が突然偏向する事は解っている。…薫が言うにはマインドコントロールの線が一番可能性があるという。薬物では、ないな」
静謐な部屋に重苦しい空気が漂う。庭の鹿威しが遠く鳴り響いた。
「会議室に「虫」が隠されているのではないのですか。あるパターンの低周波発生装置やサブリミナル効果のある可聴域外の音声であるとか」
「もちろん「虫取り」は捻子の一本に至るまで調べてある。念のためビル周辺の建物までな。ただ、以前不審な人影が向かいのビルに認められたという報告は、ある。しかし蟻の這い出る隙間もないSSで固められ、包囲しておったのじゃが、該当するビルの何処を探しても見つけられなかったそうじゃ。無論空に逃げたとも考えられるので、空中探査も行った。何でも赤い髪と眼を持った女を確認したそうじゃが、まさかベニコンゴウインコがそうそう飛んでいる事は考えにくいしの」
「原因はまるで闇の中ですわね」
三浦涼子は顎に手を添え、考え込む。外の熱気とはうらはらに部屋は涼しかった。
「……これは言いにくいのじゃが」
三浦邪気は眉を曇らせて、恥ずかしそうに呟いた。
「儂の趣味のオカルトの方向でな、そこでは世には見えないあまたの世界があるという。仲間の話ではノルウェーかニュージーランドか、そこいらで真っ赤な髪と眼を持った女の話があった。まさかそんな所で何か、という訳ではないのじゃが」
「ノルウェー? ニュージーランド? それがどうかしたんですか」
「それはつまり、「幻視」する者が「フィヨルド」に女を見た、という馬鹿げた話でな。たまたまその女の風体がSSの目撃した女と符合するのじゃ。ま、世界で「フィヨルド」という氷河の副産物みたいな物はノルウェーかニュージーランド以外に考えられないしな」
「裁ち鋏を持ってきなさい…………………出来るだけ良く切れる物を」
円卓の議員が一斉に沈黙する。
「聞こえなかったのですか? 裁ち鋏を私に渡し、この間の馬鹿げた音楽をやらかした者で一番新しく検挙した一名を選んで私の私室に連れてきなさい。すぐにですよ? 良いですね」
「かしこまりました、皇姫様。しかし、先ほどの勅命については議会の審議にかけたいと希望しますが」ニキ・スチュアートと呼ばれた若い男が言った。
「服従を前提とした言葉。それを「勅命」と言うのです」
涼子は立ち上がると、円卓の議会の部屋を出て行った。
そのまま、ホールの左から二番目の扉を開く。そこには華やかな中にも落ち着いた気品が感じられる調度が揃っていた。
涼子はその中の居心地の良い椅子に座り、頬杖を突く。
やがて女性の家臣がやって来て、暖めた紅茶のポットとティーセット、そして新品の裁ち鋏を乗せたトレイを持って、うやうやしくテーブルに置いた。
紅茶を味わいながら少し待つと、扉が開き、衛兵に挟まれる格好で、薄汚い作業服を着た男が引きずられるように涼子の前に連れてこられる。両手は後ろ手に枷を嵌められ、両足は鎖で一つに繋がれていた。
「ご苦労様、あなたたちは退いて。用があったらお呼びするわ」
涼子は薔薇のように華やかで清楚な微笑みを浮かべて二人の衛兵に言い渡した。
二人の衛兵は敬礼をしてから胸に斜めの十字を切り、部屋から出て行く。
静寂が皇姫である涼子の私室を満たす。
「ごきげんよう。貴方は音楽をやる人? それとも聴くだけの人? それとも両方かしら」
男は涼子の神々しい美しさに見とれ、震えた言葉を漏らす。
「……………聴く人っていうか、勿論聴くけど、主にその、警備に当たっていて」
「そう。それは好都合だわ………名前は?」
「ガリーっていうつまらんもんですよ。お姫様に名乗るべきものでもありゃしません
涼子の回りの温度が10度ほど下がる。そして深い漆黒の瞳が、みるみる濁りきった鉛色に変化した。右手が裁ち鋏を掴む。
「あなたたち、諦めないわよねえ。諦めずに続けるんでしょ? あの不快な毒音波を撒き散らすんでしょ? 次は何処でするのかな~、教えてくれない?」
「あ、あ、あれはビリー・シアーズが決めるもので、俺たちには解かんないっすよ」
「でも、出来る場所はある程度知っているわね? 何処でやる可能性が大きいか、ぐらいは解るわよね」
「ま、まるっきり解んないっす! 俺ら下っ端だから」
涼子は裁ち鋏を持ち、立ち上がり、男に近寄る。そして鉛色の瞳を輝かせて、鋏を男の左耳に添えた。
「………ちょきん」
男の耳の4分の1が断ち切られる。男は悲鳴を上げた。迸る血が床を汚す。
「あらあら、あの毒音波と変わらない声を出すのね。消音しなくっちゃ」
涼子はティーポットに乗せてあったカバーを取り、男の口に無理矢理ねじ込む。そして今度は左の耳の同じ場所を切り取る。男の絶叫はくぐもって母音しか聞こえない。うめき声と鳴き声がないまぜになった所で、カバーを引っこ抜く。
「どう、思い出したかしら? 私は現代彫刻には疎くて、上手く作れないのよ」
「ししししし知らねえものは喋れないようっ、かかかかんべんしてくれえうっ」
涼子は男の鼻の中に鋏を差し入れて、そのまま切り裂く。
「………ちょきん」
唇の下側に鋏を入れ、一気に断裂させる。
涼子は迸った血を掬い、舐めて恍惚とした表情を浮かべた。
「…ちょきんちょきん。うふふふふっ。私、濡れてきちゃったりしてる」
自分の股間から流れ出す湿り気と血液を淫蕩な唇で舐め、それを味わっては陶然とする。
男の残った両耳が残らず切り落とされた。男は白目を剥き、口から泡を吹く。涼子は黙ってティーポットを握ると、男の頭から熱湯を浴びせた。そしてまたカバーを引き抜く。
「………思い出したかな~?」
「…………た、多分、サクラ…ファミリアの……姉妹店…た、す、け、てっ」
「ほ~う。やれば出来るじゃない。でも、私の芸術のインスピレーションが湧いちゃって、もう大変なの。最後まで作らないとね~」そう言うと、涼子は非情にも奥深く念入りにカバーを男の喉の奥にまで突っ込んだ。
鼻の先を切断し、鼻の穴に沿って両側を揃えるように切り開いて行く。睫を引っ張って、右左交互に瞼を切り取って行く。下唇を引っ張り、右から左へと切断した。
男の顔は殆ど血の塊になり、床には血と涙、涎と鼻汁が飛び散り、惨憺たる光景を呈する。
「う~ん。どうかしら? ま、失敗作ね」
涼子はそう言い捨てると喉に詰め込んだティーポットのカバーを引きずり出し、丁寧に男の顔全体を覆うように被せる。
「サインをしなくちゃね」
止めのように男の顎を強烈な勢いで蹴り上げる。男はティーポットのカバーを被ったまま昏倒した。
涼子は汚れた両手をテーブルクロスで神経質に拭き取って、居住まいを正して大きく手を叩いた。すぐに扉が開き、衛兵が入ってくるが、その惨状に凍り付く。
「ごめんなさいね、そのゴミ、燃えるゴミの日に捨てておいて下さい。それから、「スタッカートの部屋」に精鋭部隊「ピチカート」を集めて。大至急お願いね」
そう言い捨てると、また華のような笑顔で衛兵に微笑み、「スタッカートの部屋」に向かって歩き始めた。
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