僕の恋人

ken

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不意に、また斗真さんに抱き竦められた。斗真さんも泣いていた。
「優斗さん、ぼく、優斗さんが好き。どんな過去があっても、どんな身体でも、優斗さんが好きな気持ちは変わらないよ。そんな辛い事があっても、優斗さんが頑張って生きてきてくれたのが、本当に嬉しい。優斗さん、ぼくは優斗さんを離さないよ。ずっとずっと抱きしめて、ずっと2人でいようよ。お願いだから、優斗さん、2人で生きていこうよ。小さな頃の優斗さんも、恋人に愛されたくてもがいてた優斗さんも、みんな好きだよ。」
僕達は泣きながら抱き合った。時折通り過ぎるサーファーがジロジロと見るのも構わずにしっかりと抱き合った。世界に2人しかいないみたいな昼下がりだった。


「ぼくの身体にも、傷があるんだ。ぼく、母の再婚相手に暴力を振るわれてた時期があって。1年だけだけどね。15歳から16歳の時。母が気付いて、すぐに離婚してくれた。でも、小さな傷が幾つか、残っちゃった。だから、暴力を振るわれた時の、あの苦しさとか無力感とか、分かるよ。優斗さんの苦しみの全部は分からないかも知れないけど、でも、少しは分け合えると思うんだ。急がずゆっくりさ、分かち合っていこうよ。ぼくさ、1年間ずっと、ストーカーみたいに隠れて優斗さんの事、見つめてたんだ。優斗さんが時折辛そうにしてるの、見てた。抱きしめてあげたかった。だから、今、こうやって抱きしめてあげられる事が、嬉しいんだ。」
「うん。うん。」
僕はもう何も話せなかった。ただ、斗真さんの肩に頭をもたげて、海を眺めた。きれいな秋の海だった。いつか、傷付いたり傷付けてしまったりするとしても、それでももう、このぬくもりを離したくなかった。
涙が止まらなくて、頭がぼうっとしてきた。嬉し涙なのか、悲しい涙なのか、もうわからなかった。

帰り道、僕達は海沿いのカフェで遅い昼食をとった。カフェの中は暖かい日差しで溢れていて、コーヒーの香りと、パンを焼く香ばしい匂いが満ちていた。
「今度、僕の家に来て。兄に会って欲しいな。」
「うん!行きたい。お兄さんと暮らしてるんだっけ?」
「そう。兄はきっと喜ぶと思う。兄もね、苦しんでたんだ。母に気に入られてたけど、その分ある意味母に支配されてて。今は、僕に、罪悪感も抱いてるんだと思う。」
「そっか。そうだよね。
でもぼく、緊張するな~。『おにいさん!』『君のお兄さんじゃなーい!』みたいな感じに、ならない?」
「なにその妄想!笑」
「ぼくのお母さんにも会って!すごく優しいから。きっと気に入るな~、優斗さんの事。妹はさ、すごい反抗期だから、まだ会わない方が良いかも。『うざっ』と『キモっ』と『別に』しか言わないから。」
「へー、反抗期かぁ。あ、葵もあと10年したらそうなるのかな!やだな~。」
「なるね。」
「え~、うるせー!とか言うのかな。」
「言うね!あーまたあおちゃんに会いたいな。あおちゃん反抗期になってさ、家出したらぼくんちに来たら良いよ。」
「それ良いね。安心だ。」
「今度家に呼んでくれたら、あおちゃんにも会えると良いな~。よく預かるの?」
「うん。それにあおちゃんのママ、同じマンションの別の部屋に住んでるんだ。だから、けっこういつでも会えるよ。仲良いの、離婚しても兄さん達。」
「そっか!!良いね!凄く良い!楽しみだな~。」
こんな他愛もない会話が、僕にはとてつもなく幸せだった。不安で仕方がない気持ちはまだあったけど、もし何もかもうまくいかなくなっても、でも、僕はこの一瞬の幸せを抱きしめて、生きていけると思うくらい、幸せだった。


その後しばらくは、現場で彼と鉢合わせる度に胸がドキドキして顔が赤くなるのを抑えられなかった。中学生じゃあるまいし、30歳超えたおっさんが恋人と会って顔を赤くするなんて気持ち悪過ぎる。そう思うとますます顔が赤くなった。
「お願い!現場で声を掛けないで。ごめん、ドキドキしちゃって、仕事にならない。僕、すぐに顔が赤くなるし。」
そう言うと彼は可愛い可愛いと抱きしめてくる。
「だからさ、それがダメなんだって。思い出しちゃうから。もう、30歳超えてるんだよ、僕。気持ち悪過ぎるよ、仕事中に恋人に会って顔を赤くするなんて。」
ハーとため息を吐くと、彼は頬にキスをしてくる。途端に僕は嬉しくなってしまう。ダメだ、今日こそ現場で鉢合わせた時のルールを決めようと思っていたのに。彼に触られたり、抱きしめられたり、キスされたりしたりすることに、こんなにも心が温かくなる。
それなのに、僕は…

このところ僕達はずっと僕の家で過ごしている。兄は仕事で2ヶ月いない。精神的にハードな作品に入る時、兄は都内で別のマンションを借りたりビジネスホテルに滞在したりする。独りになる必要があるらしい。今回は特に大変な役らしく、この2ヶ月葵にも玲香さんにも会わないと決めているらしい。荒んだ役を演じる為に、どこかの安い風呂無しのアパートを借りて荒んだ生活を送っているらしい。僕はそんな時の兄がとても心配。兄が気の毒になる。でも、彼は、どんなに辛くても演技をするのがやめられないと言う。仕事が彼を支えているのだ、そう思って心配する気持ちを抑えるけど、兄が仕事で大変な時に兄と住むマンションでこんなに甘い時間を過ごしているとなると、罪悪感を感じる。

「あのさ、今週末ね、葵を預かるんだ。日曜日から月曜日にかけて。僕月曜日は代休で休みもらってて。日曜日、現場休みでしょ。もし良かったら一緒に、どう?日曜日の夜、ここでたこ焼きするし。葵のママも来るんだけど、嫌じゃなかったら一緒に…」
「嫌じゃない!嬉しい!!あおちゃんに会いたいし。あ、でも、お兄さんに会う前に元奥さんに会うって、お兄さん嫌じゃない?」
「それは全然気にしないよ。」
「本当?なら良いけど。」
「あのさ、それでね。僕、ちょっと言ってないことがあってさ…」

実は…と僕が兄の職業の事を話すと、斗真さんはめちゃくちゃ驚いた。
「えー!!って事は、あおちゃんのママって…   えーーー!えーーーー!?」
斗真さんは喜怒哀楽がとても正直に態度や顔に出る。それがすごくチャーミングで、純粋で真っ直ぐな斗真さんの性格そのもので、僕はそんな斗真さんの喜怒哀楽を見るのが好きだ。
「うん、麻田レイカ。でも、玲香さんは普通の人だよ。紘兄ちゃんも、普通の人。たぶん、街で普通に歩いてる時にすれ違ったら気が付かないと思う。」
「そうなんだ~。でもそれってすごく素敵だね。」
「うん、紘兄ちゃんも玲香さんも、とっても素敵な人で、ぜひ会って欲しいな。」
「会いたい!会いたいけど、ますます緊張するな~。
ね、引かないでね。僕さ、優斗さんに惚れてから、HIROKIって優斗さんに似てるって思って、ちょっとファンになったんだよ~。映画とか、全部観たし!
あー、兄弟だったから似てたんだね。
だからか~。」
「似てるかな~。僕さ、子供の頃兄に憧れてた。今も、憧れてるとこ、あるかも。だから、似てるって言われると嬉しいんだけど、自分では似てるか分かんないだよね。僕ってちょっとナヨナヨしてるっていうかさ、なんか、あんまり自分の容姿は好きじゃなくて。兄みたいに男らしい顔だったらなーって、思ってるからさ、ずっと。」
「僕は優斗さんの顔、世界一好きだよ!」
「ありがと。僕は斗真さんみたいな身体になりたいよ。僕、筋トレしても全然筋肉付かないし。斗真さんはすごくキレイだから。顔も身体も。」
「なに~!照れちゃうじゃん。やめてよ。襲うよ?」
「うん、良いよ。」
「ごめん、冗談だよ!」

言わなきゃ、突然そう思った。

「あのさ、襲って良いよ。僕、斗真さんを喜ばせたい。だってさ、普通は恋人同士でする事でしょう。僕も、してあげたいよ、斗真さんに。僕のせいで我慢させてるのは、辛いよ。たぶん、僕、受け入れる事はできる、たぶん。頑張れる。」
斗真さんは今までのはしゃいだ顔からスッと真顔になった。斗真さんの笑顔が消えると、不安でたまらなくなる。
「ごめ、ごめん。ぼ、僕、気持ち悪い事言ったよね。ごめん。」
「気持ち悪いんじゃないよ!!悲しいんだよ!ぼくはさ、変態野郎じゃないよ!受け入れて欲しくなんかない!頑張って欲しくなんかないよ!優斗さんが心からぼくとしたいって思うまで、ぼくはしないよ!優斗さんがしたい事だけする。優斗さん、キス好きでしょう?だからぼく、優斗さんにキスするとすごくすごく嬉しいんだよ。抱きしめるのも手繋ぐのも、体触り合うのも、優斗さんが好きだから、優斗さんが心からしたいって思ってくれてるから、だからぼくも嬉しいんだよ!だからぼくも心が満たされるんだよ。」
「うん、ごめん……」
「ごめん。ぼくが変な冗談言ったからだよね。ごめん。」
「違うよ。でもさ、僕だって斗真さんがしたい事をしたい。僕だって斗真さんに気持ち良くなって欲しいって思うんだよ。」
「気持ち良いよ。優斗さんとキスするのも、抱きしめ合うのも、優斗さんの体に触るのも、触ってもらうのも、気持ち良いよ!」
「じゃあさ、これは?これは気持ち良い?お願い、させて。」

僕は斗真さんのズボンのファスナーをおろして、下着の上から斗真さんのモノにキスをしてみた。僕は、恋人同士が自然にする愛情表現としてのSEXを、斗真さんとしたいと思っていた。でも、キスしたり触れ合ったりしてどれだけ嬉しくても、どれだけ心が満たされても、僕の性器は全く勃起しなかった。
僕にとってSEXは、苦しくて悲しい思い出になってしまい、僕は自分を道具のように感じるSEXしかもう思い出せなかった。でも、斗真さんとなら、違うSEXができるかも知れない。
それに、斗真さんは隠してるみたいだから気付かないふりをしていたけど、時々、斗真さんが勃起してるのに僕は気付いてた。トイレに行ってこっそり自分で抜いているのも知っていた。その度に、僕は自分が役に立たないもののような気がして、悲しかった。

斗真さんはそっと僕の頭を撫でて、僕の頬を手で包んで、そっと持ち上げるように上を向かせ、体をスッとずらした。僕の目をじっと見て、それからさらに体をずらして立ち上がり、言った。
「お茶、飲もう。」
何も言えずに俯く僕に、斗真さんは優しく言った。
「ミルクティー、好きでしょう?淹れるね。この間買ったチョコもあるでしょう?こんな時間だけど、食べちゃお。」

斗真さんがトレイにマグカップに入れたたっぷりのミルクティーを2つと、小皿にチョコレートを2欠片持ってくるまでの10分ほど、僕は身体の震えを抑えられなかった。
ああ、きっと軽蔑された。まただ。いつも僕はヘマをして、嫌われてしまう。小学生の時に僕の物をよく隠したあの男の子も、最初は声をかけてくれていた。僕を遊びの仲間に入れてくれていた。でも、しばらくすると、彼は僕を嫌うようになった。彼だけじゃない。みんな、そのうち僕を仲間に入れてくれなくなった。僕は何かがおかしいのかも知れない。
ああ、斗真さんだけには軽蔑されたくなかった。役に立ちたかった。

「寒いの!?どうしたの?」
斗真さんはトレイをテーブルに置くと毛布を持ってきてくれて、すっぽりと僕を包んでくれた。毛布の上から抱きしめられると、僕はもう堪えきれなくなって、泣いた。
「ごめんなさい。気持ち悪い事して、ごめんなさい。嫌な事、するつもりはなかった。ただ、ただ…  斗真さん、僕のせいで我慢してるから、だから…」
「気持ち悪くなんかなかったよ。でもさ、ぼく、優斗さんの身体を使うみたいな事は、嫌なんだ。SEXって、2人で気持ち良くなるものだよ。どっちかがどっちかを気持ち良くさせてあげる、みたいなのは、僕は嫌。優斗さんがしたい事だけしたいの。」
「うん。でもね。僕、斗真さんがしたい時にできないと、なんか自分が役に立たないものみたいな気がして、辛いんだ。苦しいんだよ。」
僕は、そんな事ないって言って欲しかったのかも知れない。役に立たなくなんかないよ。役に立ってるよ。そう言って欲しかった。
でも、斗真さんはそうは言わなかった。

「役に立たないと、ダメなの?ぼくは、優斗さんの事、役に立つか立たないかなんて、考えたこともないよ。そんなの、関係ないよ、役に立つかどうかなんて。ただ、優斗さんが好きで、一緒にいたくて、優斗さんが幸せなら、それでぼくは嬉しいんだよ。優斗さんはぼくの事、役に立つから好きなの?」
「違う……  僕もそんな事、考えた事はないけど。」
「けど?優斗さんはそんな事考えないけど、それなのにぼくは、優斗さんの事、役に立つか立たないかで一緒にいると思ってるの?」
「ち、ちが!違う。そんな風に思ってないよ。ごめん、そんなつもりじゃ…」
「ごめんごめん、そんな事思ってないって知ってるよ。ごめんね。意地悪したね。でも、これだけは分かって欲しいの。優斗さんは、役に立たない人じゃないけど、仮に役に立たなくたって、ぼくは優斗さんの事が大好きで、一緒にいたいんだよ。だから、優斗さんが心からしたいって思うまで、SEXはしない。一生思わなかったら、それでも良い。」
「本当に?」
「うん。キスはしたいよ。手も繋ぎたい。優斗さんがしたい事だけしたいの。」


僕は、こんなにも愛されている。
信じよう。斗真さんを、心の底から信じよう。そして僕自身を、信じよう。

僕はギュッと斗真さんの手を握った。

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