救い

ken

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誓い

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退院して家に帰ると、部屋には猫のトイレやおもちゃ、餌皿などがたくさんあった。今すぐにでも猫が飼えそうだった。キャットタワーまであった。
「覚えていてくれたの?」
「もちろんだよ。玲が何か欲しいなんて言うの、初めてだったから。」
「ありがとう。」

「たかし、ぼくのこと救ってくれて、ありがとう。ぼくね、思い出したんだ。
たかしの人生を無茶苦茶にして…
ごめんなさい。」

たかしはぼくを抱きしめてくれた。

「僕の人生は無茶苦茶になんかなってないよ。僕が玲に、あの時の花森君に、謝らないといけないんだ。玲、お願いだから、もうどこにも行かないで。」

ぼくはたかしをギュッと抱きしめた。
どこにも行きたくない。
でも…

それからの生活は以前より穏やかだった。ワーキングメモリーはそれほど回復しないようだったが、記憶を突然失くす事もなくなり、恐怖やトラウマになった出来事のフラッシュバックもゼロになった訳ではないが、ずいぶんと減った。
何よりも、得体の知れない恐怖に怯える事がなくなり、パニック発作の時にどう対処したら良いかも徐々にわかってきた。ぼくは、このまま何も考えず、ずっと一緒に暮らしていけたら、と、何度も思った。でも、それはできない。

ぼくはすぐに迷ってしまう弱い自分をなんとか奮い立たせ、ようやくたかしのご両親に会う決意をした。

ぼくは、たかしのお父さんの経営する会社に出向いた。そこは大きな会社で、最初は全く話を通してもらえなかったが、何度も頭を下げて、なんとかたかしのお父さん、つまり社長と繋いでもらった。
ぼくの名前を聞くとすぐに電話をくれて、都合の良い日にご両親の住むマンションまで来て欲しいと言われた。そこはあのマンションではなかった。

ぼくは初めてたかしに嘘をついた。
1泊2日で一人旅をする、数週間も前からそう嘘をついて、その日ぼくは家を出た。そうすれば、大きな鞄を持って出ても不審に思われないだろう。鞄には、ぼくが置いて行きたくない全ての物が入っていた。記憶を失くした時用の、たくさんのノート。たかしからもらった、細々としたプレゼント。たかしの写真。

「行ってきます。」 

ぼくは玄関先でたかしに抱きついた。
たかしの匂い。薄い耳たぶ。がっしりとした胸板と肩。全部全部、大好きだった。
もう二度と会えなくなったとしても、絶対に忘れない。
絶対に。
この思い出だけを持って
生きていける。


たかしのご両親が玄関まで出迎えてくれた時、いてもたってもいられずぼくはその場で土下座した。

「申し訳ありませんでした。
ぼくは、あの時、たかしにとんでもない事をさせてしまいました。たかしと、それからご両親の人生を、めちゃくちゃに壊してしまいました。
ごめんなさい!
あ、謝っても…」

「やめて!
謝らないで。
立ち上がって下さい。」

たかしのお母さんが裸足のまま玄関のたたきに降りてきて、ぼくを立ち上がらせてくれた。ぼくは、それでもひどく申し訳ない気持ちで、2人の顔を見る事ができなかった。
俯いて立ち尽くしていると、お母さんは優しくぼくの足をはたいて、腕を引いて部屋まで連れていってくれた。

「謝らないといけないのは、私達の方です。たかしはあなたの人生を壊してしまった。あなたは、記憶障害が残って、今も苦しんでいらっしゃると聞いてます。」
「たかしが、記憶を失ったあなたと暮らすと聞いた時、私達は最初反対しました。たかしは加害者です。いくらあなたに記憶がないと言っても、加害者が被害者であるあなたと暮らすなんて、許されるはずが無い、そう思いました。
でも、たかしは、あなたがひどい状況で暮らしているのを、そのままにしてはおけないと。
今も、本当にそれで良いのか、私達には判断できないんです。
どんな事情があったにせよ、たかしはあなたを…
あなたを、こ、殺そうとしたのですから。許される事ではありません。」


ぼくは、全てをありのままに話した。
記憶がないまま、たかしと初めて出会ったと思ったまま、彼を愛するようになった事。彼が、辛い毎日の中での救いだった事。中学生の時も、そして今も。
治療して記憶が戻った事。自分は社会生活をうまく送れるようにはまだなっていない事。自分が、彼の隣にいるのにふさわしい人間とは思えない事。それでも彼が大好きで、愛する事をやめられない。

「お父さんとお母さんが、彼の隣にぼくがいる事を許さないのではないかと、ぼくは思ったんです。ぼくは、自分が辛い生活から逃げるために、たかしにぼくを殺すように頼んだんです。その結果、たかしがどれだけ傷つくか、たかしの、輝かしい未来にどれだけの傷がつくか、ぼくはあの時考えられませんでした。
そして、今も、ぼくはまともに働けないのにたかしと暮らして、彼に、彼の、負担になっている。
ぼくは弱くて、たかしの元を出る事ができない。彼とずっと一緒にいたいから。彼の顔を見ると、彼と過ごす穏やかで幸せな日々を思うと…
彼の重荷になりたくないのに…
ぼく、ぼく…」

ぼくは堪えきれず、泣いてしまった。
本当は離れたくない。
彼と、ずっと一緒にいたい。

「許してください。ぼく、たかしと離れたくないんです。ぼくとたかしが一緒にいる事を、お願いします。お願いですから、どうか、許してください。」

「許すだなんて、そんな。」
たかしのお母さんも、泣き出してしまった。

お父さんが、ぼくの肩をそっと撫でて、言った。

「たかしのした事は、許されない事です。私達が、花森君とたかしの事を、許すとか許さないとか、言える立場じゃない、そう思ってます。
たかしが、酷いいじめに遭って転校して、それでも保健室登校でも毎日学校に行けるようになって、私達は少しホッとしていたんです。たかしが、性暴力の被害にまで遭ったとは、全く知りませんでした。もっと、私達は注意深くあの子を見て、あの子の話を聞くべきだった。私達の責任でもあるんです。
どうか、あなたが一番幸せになる道を、選んでください。花森君が、全てを決める権利があると、私達は思ってます。もしたかしの事を好きでいてくれるなら、私達はそんなに嬉しい事はない。」

ぼくは嗚咽が抑えられなかった。

「うっっ、、ぼ、ぼくは、たかしが大好きで、一緒にいたいんです。頑張って、早く働けるように、頑張ります。
だ、だからっ…」
「ずっとたかしと一緒にいて下さい。あの子のそばに、いてやって下さい。
たかしの事、よろしくお願いします。」
「はいっ…ぼく、今日、もしご両親が許してくださらなかったら、このままたかしの所から消えようと思って、それで、全部荷物持ってきたんです。行ってきますって言う時、もう二度と会えないかも知れないと思うと、胸が痛くて、苦しくて…」
「花森君、幸せになって下さい。私達が願う事は、それだけです。私、あの子の部屋でぐったりと横たわるあなたを見た時の事、今でも忘れません。
命が助かって本当に良かった。
あの子を、たかしを許して下さい。」

ぼくは、たかしの小さな頃の写真を数枚、貰って帰った。
家に帰ると、たかしは驚きながらも嬉しそうに出迎えてくれた。

「やっぱり1人はつまらないから帰ってきたよ。」
「そうなの?良かったの?
でも、本当の事を言うと、少し寂しかったから、嬉しい。」

やっぱり2人が良いね。
そう言い合ってぼく達は並んで手を繋いで眠った。

その数週間後、偶然、時々2人で行く喫茶店の常連さんが軒下で猫が子供を4匹産んで、2匹はもらわれていったがあと2匹、貰い手を探していると聞いた。僕らは早速仔猫を見せてもらった。どちらか1匹を貰うつもりだったけれど、仲睦まじく戯れ合う2匹を見て、引き離す事はできなくなって、結局2匹飼うことにした。ぼく達はすぐに、この鯖虎と黒猫の2匹のオスの仔猫に夢中になった。テテとトトと名付けたこの2匹の仔猫が、生活の中心になった。


今、ぼく達は、掛け値なしに幸せだ。
ようやく、ぼくは本当の人生を歩き始めたような気持ちだ。

ぼく達はセックスをしない。
でも、愛を確かめ合う方法は、セックス以外にもたくさんあるのだ。
そう、小さな仔猫のテテとトトのように。

幸せになる、ぼく達はそう誓い合った。
もう二度と、不幸に飲み込まれたりはしない。

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