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日常
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初めて恐る恐るたかしの部屋に行った日に、たかしは免許証と会社の社員証を見せてくれた。まるでバイトの面接みたいで笑ってしまった。
ぼく達は、なぜか昔からの知り合いみたいにお互いの存在がしっくりと馴染んだ。ぼくは、たかしのマンションの豪華さに圧倒されたけれど、たかしの生活自体は質素だった。
ぼくはたかしのマンションからバイトに通った。時々着替えを取りに自分のアパートに帰ると、日の当たらない自分の部屋のあまりの暗さにゾッとした。六畳一間のその部屋には、生活の匂いが何もなかった。
半年ほどの間、ぼくはテレビも冷蔵庫もないその部屋で1人、仕事から帰って次の仕事に行くまでの間、ただただ一日に2回冷たい廃棄のお弁当を食べて眠るだけの生活をしていた。特に辛いと思っていなかったその毎日が、たかしとの生活をたった2週間続けただけで酷く寂しく思えた。
お試しの1ヶ月が終わってまたその生活に戻るのかと思うと、泣きたくなった。
その1ヶ月はバイトのシフトが減らせなかったので、実際のところはたかしとそれほど顔を合わせる機会はなかった。
たかしは毎日コーヒーを飲んでいた公園まで迎えに来てくれて、2人で部屋に帰るとたかしがコーヒーを入れて朝ごはんを作ってくれた。ぼくが廃棄のサンドイッチを持って帰って食べる事もあった。それからたかしは会社に行き、ぼくは少しだけ仮眠してからバイトに行く。
昼過ぎにバイトから帰った時には、たかしは会社だ。いつものように廃棄のお弁当を食べていても、たかしの物に囲まれて食べるだけでほんの少し美味しく感じた。電子レンジで温める事もできたし、冷蔵庫にはたかしが淹れてくれたお茶もあった。そんな些細な事が、こんなにも嬉しいなんて知らなかった。
仕事のない日は、たかしはぼくの帰る時間に合わせてご飯を作ってくれた。お昼ご飯には遅く、夕ご飯には早い時間だったのに、たかしは一緒に食べてくれた。たかしと向かい合ってご飯を食べていると、何故だか懐かしい気持ちになった。
あまり表情の変わらないたかしの、眼鏡の奥の細い目が少しだけふわりと柔らかくなる瞬間が、ぼくは大好きになった。
ぼくが仕事のない日は、たかしのためにご飯を作った。料理は毎回レシピを見て作る事ができるから、ぼくにとっては唯一まあまあうまくできる事だった。たかしは喜んでぼくの作ったご飯を食べてくれた。
お試しの1ヶ月が過ぎて、ここを出ていかないといけなくなったら、と考えると胸が苦しくなった。だから、たかしが、
「ずっと、ここにいてくれる?」と言った時、ぼくは思わず涙を流してしまった。
アパートのオーナーはコンビニのオーナーと同じ人だったので、アパートを出ると言ったら嫌な顔をされた。それまでもらえていた廃棄のお弁当はもらえなくなり、歳下のバイトの子に罵倒されても庇ってもらえなくなった。むしろけしかけるような事を言われたりした。
怒鳴られると恐怖でますますミスをしてしまい、記憶が突然失くなる頻度も高くなった。バイトの帰り、しょっちゅう自分がどこに帰るか分からなくなった。
そんな時はたかしに電話した。たかしは落ち着いた口調で、ノートを見てごらん、と言い、家に着くまで道を丁寧に教えてくれて、ぼくを落ち着かせてくれた。ぼくはたかしと相談し、バイトを辞める事にした。過労とストレスが記憶障害を悪化させていた。
たかしはぼくが働けない時も、変わらずにぼくに接してくれた。家賃も光熱費も払っていないからせめて食費は払いたかったけれど、働いていない時は難しかった。たかしは全然構わないと言ってくれた。
「玲が幸せに笑って暮らしていれば、僕はそれで満足なんだ。」
「どうして?どうしてそんなに優しいの?」
「そんなの決まってるでしょう。玲が好きだからだよ。愛してるんだよ。」
無表情とすら言えるクールな顔でそんな事を言われると、僕は嬉しくてすぐに笑ってしまう。
そして、たかしと暮らし始めて2年が経った。
その間にぼくは新しいバイトを見つけた。今度はたかしが一緒に探してくれた。賢くて物知りなたかしは、ぼくがどんなところが向いていてどんなところが向いていないか、ぼくよりも理解しているみたいだった。それに法律の知識も豊富で、ぼくが雇用の際に配慮してもらえる事をきちんとまとめてリストアップしてくれて、それからぼくがきちんと説明できない記憶障害の症状も分かり易く紙に書いてくれた。障がい者雇用に力を入れているところを探してくれたし、面接の時に伝えないといけない事もまとめてくれた。
そのため、新しい職場はとても理解のあるところで、ぼくは初めてのびのびと働く事ができた。
それなのに、やっぱりぼくはうまくできなかった。
その職場は電車通勤だった。でも、電車で15分の場所で、不便ではなかった。ミスも少なくなって会社にも慣れ、働く事に自信もついてきた。働き始めて、1年以上が過ぎていた。ずっとここで働いていきたいと思っていた。ゆくゆくは正社員にも…と言われて、胸が躍った。ようやく、たかしと肩を並べられる。そう思った。
それなのに。
2週間前に、電車の中で痴漢にあった。
怖かった。恐怖で体が震えて、動けなかった。そして気付いたら、床に倒れていた。気を失ったらしい。ぼくは医務室に連れて行かれて、少し休んでから会社に向かおうとした。でも、電車に乗る事がどうしてもできなかった。ぼくは歩いて会社に行った。着いた時にはもう昼を回っていた。
それからぼくは、電車に乗れなくなった。朝、駅まで行っても、どうしても来る電車に乗れなかった。歩いて行くには1時間半かかった。歩いていると、突然記憶をなくす事もあった。ノートを読みながら、どうして歩いているのか分からずに混乱した。
無断欠勤が続き、クビになった。
あんなに良くしてくれた人たちに、迷惑をかけてしまった。欠勤の電話くらいするべきだった。それは分かってる。でも、どう説明して良いか分からず携帯を眺めて固まってしまっていた。
ぼくは社会不適合者だ。
本当はたかしの隣にいるのは相応しくない。分かっている。でも、たかしに愛してると言われると、どうしてもその手を離せなくなってしまう。
ぼくもたかしを愛しているから。
ぼく達は、なぜか昔からの知り合いみたいにお互いの存在がしっくりと馴染んだ。ぼくは、たかしのマンションの豪華さに圧倒されたけれど、たかしの生活自体は質素だった。
ぼくはたかしのマンションからバイトに通った。時々着替えを取りに自分のアパートに帰ると、日の当たらない自分の部屋のあまりの暗さにゾッとした。六畳一間のその部屋には、生活の匂いが何もなかった。
半年ほどの間、ぼくはテレビも冷蔵庫もないその部屋で1人、仕事から帰って次の仕事に行くまでの間、ただただ一日に2回冷たい廃棄のお弁当を食べて眠るだけの生活をしていた。特に辛いと思っていなかったその毎日が、たかしとの生活をたった2週間続けただけで酷く寂しく思えた。
お試しの1ヶ月が終わってまたその生活に戻るのかと思うと、泣きたくなった。
その1ヶ月はバイトのシフトが減らせなかったので、実際のところはたかしとそれほど顔を合わせる機会はなかった。
たかしは毎日コーヒーを飲んでいた公園まで迎えに来てくれて、2人で部屋に帰るとたかしがコーヒーを入れて朝ごはんを作ってくれた。ぼくが廃棄のサンドイッチを持って帰って食べる事もあった。それからたかしは会社に行き、ぼくは少しだけ仮眠してからバイトに行く。
昼過ぎにバイトから帰った時には、たかしは会社だ。いつものように廃棄のお弁当を食べていても、たかしの物に囲まれて食べるだけでほんの少し美味しく感じた。電子レンジで温める事もできたし、冷蔵庫にはたかしが淹れてくれたお茶もあった。そんな些細な事が、こんなにも嬉しいなんて知らなかった。
仕事のない日は、たかしはぼくの帰る時間に合わせてご飯を作ってくれた。お昼ご飯には遅く、夕ご飯には早い時間だったのに、たかしは一緒に食べてくれた。たかしと向かい合ってご飯を食べていると、何故だか懐かしい気持ちになった。
あまり表情の変わらないたかしの、眼鏡の奥の細い目が少しだけふわりと柔らかくなる瞬間が、ぼくは大好きになった。
ぼくが仕事のない日は、たかしのためにご飯を作った。料理は毎回レシピを見て作る事ができるから、ぼくにとっては唯一まあまあうまくできる事だった。たかしは喜んでぼくの作ったご飯を食べてくれた。
お試しの1ヶ月が過ぎて、ここを出ていかないといけなくなったら、と考えると胸が苦しくなった。だから、たかしが、
「ずっと、ここにいてくれる?」と言った時、ぼくは思わず涙を流してしまった。
アパートのオーナーはコンビニのオーナーと同じ人だったので、アパートを出ると言ったら嫌な顔をされた。それまでもらえていた廃棄のお弁当はもらえなくなり、歳下のバイトの子に罵倒されても庇ってもらえなくなった。むしろけしかけるような事を言われたりした。
怒鳴られると恐怖でますますミスをしてしまい、記憶が突然失くなる頻度も高くなった。バイトの帰り、しょっちゅう自分がどこに帰るか分からなくなった。
そんな時はたかしに電話した。たかしは落ち着いた口調で、ノートを見てごらん、と言い、家に着くまで道を丁寧に教えてくれて、ぼくを落ち着かせてくれた。ぼくはたかしと相談し、バイトを辞める事にした。過労とストレスが記憶障害を悪化させていた。
たかしはぼくが働けない時も、変わらずにぼくに接してくれた。家賃も光熱費も払っていないからせめて食費は払いたかったけれど、働いていない時は難しかった。たかしは全然構わないと言ってくれた。
「玲が幸せに笑って暮らしていれば、僕はそれで満足なんだ。」
「どうして?どうしてそんなに優しいの?」
「そんなの決まってるでしょう。玲が好きだからだよ。愛してるんだよ。」
無表情とすら言えるクールな顔でそんな事を言われると、僕は嬉しくてすぐに笑ってしまう。
そして、たかしと暮らし始めて2年が経った。
その間にぼくは新しいバイトを見つけた。今度はたかしが一緒に探してくれた。賢くて物知りなたかしは、ぼくがどんなところが向いていてどんなところが向いていないか、ぼくよりも理解しているみたいだった。それに法律の知識も豊富で、ぼくが雇用の際に配慮してもらえる事をきちんとまとめてリストアップしてくれて、それからぼくがきちんと説明できない記憶障害の症状も分かり易く紙に書いてくれた。障がい者雇用に力を入れているところを探してくれたし、面接の時に伝えないといけない事もまとめてくれた。
そのため、新しい職場はとても理解のあるところで、ぼくは初めてのびのびと働く事ができた。
それなのに、やっぱりぼくはうまくできなかった。
その職場は電車通勤だった。でも、電車で15分の場所で、不便ではなかった。ミスも少なくなって会社にも慣れ、働く事に自信もついてきた。働き始めて、1年以上が過ぎていた。ずっとここで働いていきたいと思っていた。ゆくゆくは正社員にも…と言われて、胸が躍った。ようやく、たかしと肩を並べられる。そう思った。
それなのに。
2週間前に、電車の中で痴漢にあった。
怖かった。恐怖で体が震えて、動けなかった。そして気付いたら、床に倒れていた。気を失ったらしい。ぼくは医務室に連れて行かれて、少し休んでから会社に向かおうとした。でも、電車に乗る事がどうしてもできなかった。ぼくは歩いて会社に行った。着いた時にはもう昼を回っていた。
それからぼくは、電車に乗れなくなった。朝、駅まで行っても、どうしても来る電車に乗れなかった。歩いて行くには1時間半かかった。歩いていると、突然記憶をなくす事もあった。ノートを読みながら、どうして歩いているのか分からずに混乱した。
無断欠勤が続き、クビになった。
あんなに良くしてくれた人たちに、迷惑をかけてしまった。欠勤の電話くらいするべきだった。それは分かってる。でも、どう説明して良いか分からず携帯を眺めて固まってしまっていた。
ぼくは社会不適合者だ。
本当はたかしの隣にいるのは相応しくない。分かっている。でも、たかしに愛してると言われると、どうしてもその手を離せなくなってしまう。
ぼくもたかしを愛しているから。
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