救い

ken

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「おかえり、たかし。お腹空いたでしょう?すぐに夜ご飯できるよ。」
「ただいま、玲。」

玲は玄関まで出迎えてくれると、にっこりと笑って僕を抱きしめた。

「どうしたの?なんかあった?」
「んーん、何にもないよ。たかし、冬の空気の匂いがする。」

僕はそっと玲の手を取り、注意深く腕や掌に新しい傷がないか確認する。



花森君は僕が警察に捕まってから3日後に意識を取り戻した。意識を取り戻した時、花森君は全ての記憶を失っていた。それまでの記憶も、なぜ病院にいるかも、自分の名前も憶えていなかったらしい。

僕は警察にも児童相談所の職員にも弁護士にも、動機を含め何も話さなかった。花森君がさせられていた仕事の事を誰かに話すのは、花森君が嫌がるだろうと思ったからだ。
でも、僕が何も話さなくても、花森君を診察した医師は、花森君の身体中の傷や内臓の状態から、彼が長期間にわたって肉体的にも性的にも虐待されていた事をすぐに見抜いた。そのくらいに、花森君の身体はボロボロに痛めつけられていたのだ。

花森君のお母さんは逮捕された。
そして彼女の証言から、未成年を食い物にした大規模な売春組織が摘発された。被害者の中には親から売られた子供達もいて、小学生の子供までもいた。


僕は自殺幇助の罪で家庭裁判所で審判され、保護観察処分となった。
その後、僕は高校には行かず高卒認定試験を受けて大学に進学した。爆弾を作るためではなく、金を稼ぐことができるようになる為に、大学に行った。

花森君はその後数年間、精神科の閉鎖病棟に入院していた。退院後は自立支援施設に入所して、そこから数年遅れて高校に通った。最初は僕の両親が、働けるようになったら僕自身が、花森君の治療費を支払っていた為、花森君のその後の動向を知る事ができた。

花森君と世界を粉々にした日から10年経った頃、僕は大学院を卒業して父の経営する会社に入社した。

今、僕は花森君と2人で住んでいる。

花森君は記憶障害の後遺症が残った。
過去の記憶が欠落しているだけでなく、時々すっぽりと記憶を無くしてしまう時があって、自分がなぜそこにいるか、何をしようとしていたのか、ふいに分からなくなってパニックになる。最初の一年は酷い自傷行為に身体拘束されていた時間も多かったと聞いた。

僕は花森君がどのように苦しみ、どのように治療しているのか、守秘義務に反しない範囲で聞かされていた。治療費を支払うだけでなく、彼の苦しみをきちんと聞くことが、僕と僕の両親が考えた、彼への償いだった。そして、花森君の主治医は僕のその願いを理解してくれた。

花森君が乗り越えた長年の治療とリハビリの成果で、今は日常生活はなんとか普通に送れているが、それでも今もなお、パニックになると恐怖に駆られて自傷行為をする時がある。
そんな花森君を、僕は一生かけて守っていくつもりだ。それが、花森君の最後のお願いをちゃんと叶えてあげられなかった、僕の償いだ。

花森君は、僕たちが中学生の時に出会っていた事を、知らない。3年前に、コンビニでバイトをしている花森君と出会い、付き合うようになった、そう思っている。それで良い。



「今日はね、シチュー作ったよ。たかし、好きでしょシチュー。」
「うん、ありがとう。大好き。」

「たかし、お茶、いる?」
「たかし、パン、もっと食べるでしょ。切るよ。」
「玲、良いよ。座ってて。全然食べてないじゃない。僕がパン切るから。」
「あ、うん。」

玲は今日、元気がない。
何か辛い事があった時、玲は殊更に僕に尽くそうとする。まるでそうしないと、この部屋の中でさえ存在が許されないと思っているかのように。玲は、職場で何をされても、全部自分が悪いと思い込む。そしてひどく怒られた日は余計に、僕に何くれとなく尽くそうとするのだ。

「バイト先で、何かあった?」
玲は俯いて黙りこくる。
「嫌な事、また言われたの?」

玲はゆっくり首を横に振って、言った。
「あの…あのね。ごめんなさい。」
「どうしたの?玲。」
「ぼく、またバイト首になっちゃった。」

「そっか…良いんだよ、そんなの全然。バイトしなくても良いよ。家の事全部やってもらってるんだから。
でも、クビって言われるのはつらいよね。何かあったの?今度のところは理解のある人だったと思ったんだけど。」
「うん。そうだったんだけど…」

玲は俯いてじっとテーブルの上の自分の手を見ていた。僕は玲の手をそっと握った。左手には爪を食い込ませたような傷跡がいくつもあった。
僕がその傷跡をそっと撫でると、玲はポツリと言った。

「急にね、電車に乗るのが怖くなって、何回かサボっちゃったんだ。だから。無断欠勤だから。クビになるのは当然。」
「そっか。そっか、ごめん!気が付かなくてごめん。」
「違う、たかしは何も悪くないよ。
ぼく、だめだね、こんなんじゃ。たかしは立派な大人でちゃんと会社で働いてたくさんお金稼いでるのに、ぼくは全然だめ。ごめん。」
「何言ってるの!僕は父親の会社で働いてるんだから。ズルしてるみたいなもんだよ。」
「たかしはちゃんと会社の役に立ってるよ。だからお父さんはたかしを入社させたんだよ。」
「お金なんてさ、稼げるやつが稼げば良いんだよ。そのかわり玲はご飯作ってくれるし、掃除もやってくれるし、それに、僕は玲がいるから働けるんだから。何回も言ってるでしょ。お金の事なんて気にしないで良いんだって。玲がいるだけで僕は幸せなんだから。」

「うん、わかった。でも、ぼくも少しはお金稼ぎたいんだ。たかしに全部世話になってるんじゃ、恋人って言えないでしょ。ヒモじゃん、そんなの。」
「そっか。でも、無理しないでね。」
「うん。ありがとう、たかし。」


玲には未だに克服できない怖いものがいくつかある。男の人が大きな声を出していると恐怖で固まってしまうし、急に身体を触られるのも苦手だ。車に乗るのも怖がるし、暗い場所も苦手。息を止めるのが怖いから泳ぐ事はできない。

僕達はSEXも、できない。

玲は自分の身体、特に男性器に嫌悪感があって、それも自傷癖の原因となっていた。SEXそのものはもちろん、性的なものへの恐怖と嫌悪感が強い。
僕も、SEXに対する嫌悪感がある。大学生の時に酔った女性に迫られた事があったが、強い恐怖心はなかったが身体は全く反応しなかった。
玲に身体が反応する事は極たまにあるけれど、僕は絶対にそれを玲には悟られないようにしている。

僕達は、健全な性欲を奪われてしまった。それでも、僕は幸せだ。玲を守って、彼が二度と恐怖や苦痛に独りで震えなくてすむように、その為だったら僕はなんだってやる。

彼は記憶障害でパニックになるだけでなく、時折訳もなく恐怖心がフラッシュバックしてパニックになる。
いくら記憶がなくても、心の傷まで消える訳ではない。悲しみや恐怖が、その原因となった事象の記憶がないままに不意に蘇る事がある、そう玲の主治医は言っていた。パニックの後、ひどく塞ぎ込む時もある。

そんな時僕は玲をしっかりと抱きしめて背中を優しくさすって、大丈夫、大丈夫、とらひたすら言う。

大丈夫、花森君。
もう怖い事は全部終わったよ。
大丈夫。もう大丈夫。

SEXはしないけれど、ベッドで、僕達は手を繋いで一緒に眠る。時にはしっかりと抱きしめ合って、眠る。

僕達は愛し合っている。

「玲、愛してるよ。」
「ぼくも!ぼくも愛してる、たかし。」
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