その心理学者、事件を追う

山賊野郎

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(25)刑事、容疑者を見失う

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「よお、神里。お前、ぎっくり腰やらかしたんだってな」

現れたのは警部補の宇崎頼晴だった。
丸いお腹を揺らしながらニヤニヤと笑う宇崎を、神里は忌々しそうに睨みつける。

「何だテメェ、誰から聞いた?」

神里が問うと、宇崎の背後で申し訳なさそうに千波が頭を下げていた。
やれやれとため息を落とす

「お前、今まで自分は肉体年齢が若いんだって散々自慢してたのになあ。
 それがぎっくり腰なんてよ、いいザマだなあおい」
「煩え、だったらテメェもベンチプレスで160キロを上げてみやがれ。
 俺は上げるのは上げたんだからな」
「それで腰を悪くしたんじゃ何の意味も無いだろうが」
「煩え、黙れ」

宇崎から正論をぶつけられてしまい、神里は子供じみた悪態をつく。
それから、腕組みをして宇崎に尋ねた。

「それで、何の用だ? 
 まさかとは思うが、俺を揶揄う為だけに来たんじゃねえだろうな」
「バカ言え。こっちだってそんなに暇じゃないんだ」
「じゃあ何の用だ?」
「兼河殺しの事件でちょっと進展があってな」
「ほう。そいつは丁度いい。
 俺としてもお前らに情報提供をしてやろうと思っていたところだ」
「情報提供だと?」

宇崎が聞き返すと、神里は組んでいた腕を解いて応えた。

「ああ。久須野良也という男を調べてみろ。面白いことが判るぞ」
「久須野良也だと?」

その名を聞いて、宇崎と千波が互いに顔を見合わせる。

訝しい顔をする神里に、千波が一枚の写真を見せた。

「それってこの人のことですか?」

千波が見せたのは40代ぐらいの小太りな男性の顔写真だった。
何となく卑しさを感じる顔つきだった。

「あ、この人です。久須野さん」
「ほう、こいつがそうなのか」

藤本が頷いたので、その写真の男が久須野良也であることを神里も認める。
そんな2人に、千波が詰め寄った。

「なぜ、先生たちが久須野のことを知っているのですか?」
「ああ、うちの藤本の知り合いだったもんでな」
「藤本君の?」
「はい。僕が以前に働いていた職場に居た人です」
「そうなの? それって有家自動車整備工場で合ってるかしら?」
「はい。ちょっと用があって、
 さっきそこに行った時に久須野さんと会ったんです」
「久須野に会ったの? それって何時ぐらい?」
「11時半ぐらいです」
「ああ、11時半。何だ、そうなのね」
「はい」

前のめり気味に聞いてきた千波だったが、急にトーンダウンした。
それには構わず、藤本は話を続けた。

「その時、久須野さんが右手に包帯を巻いているのに気付きました。
 それで、この間『マンション・樹』で見せてもらった防犯カメラに
 映っていた二人組のことを思い出したんです。
 小太りの男性の方が、なんとなく久須野さんに似てるような気がして」
「と言うわけで、捜査の足しになるかと思ったんだが……
 その様子だと、お前らはお前らで久須野良也という男に辿り着いていたようだな」

神里が言うと、千波が頷いた。

「どういう経緯があったのか、聞いていいか?」
「はい。兼河保志が『金づる』と呼んでいた人間として、
 白井百合花という女が怪しいという話があったのを覚えてますか?」
「ああ。兼河がよく店で指名していたキャバクラ嬢とかだったな。
 確か、源氏名は『エリカ』だったか」
「はい。彼女の人間関係について調べていたところ、
 久須野良也という男性の存在が浮上したんです」
「ほう。女とはどんな関係なんだ?」
「キャバクラの客です。久須野もまた、『エリカ』をいつも指名してました。
 聞くところによると、久須野は『エリカ』に相当入れ込んでいたようで、
 彼女の為に相当なお金を注ぎ込んでいます。その為に借金までしてました」
「ほう、借金か」
「ただ、彼女にっては久須野は都合の良い客の1人だったようですが」
「夜職の女に惚れちまった男の悲しい運命だな」
「そうですね。それで、久須野良也の顔写真を確認したところ、
 マンションの防犯カメラに映っていた男と身体的特徴が一致していました。
 更に、事件当日の彼のアリバイがハッキリしていないことから
 捜査線に上がったんです」
「なるほどな」

神里が頷くと、今度は宇崎が一歩前に出てきた。

「俺たちとしてはこう考えている。
 『エリカ』こと白井百合花は何らかの理由で
 兼河保志に脅されて金を巻き上げられていた。
 それを繰り返しているうちに白井百合花は兼河保志に殺意を持つようになった。
 そこで、彼女は自分に惚れ込んでる客・久須野良也を利用することにした。
 久須野を焚き付けて、兼河を殺すように頼み込んだ。
 そして事件は起こった」
「久須野と兼河に接点はあったのか?」
「いや、無かった。完全に赤の他人だ」
「好きな女に頼まれたからって、見ず知らずの人間を殺せるか?」
「借金してまで『エリカ』に貢いでた奴だから、
 彼女からお願いされたら何でもやるんだろう。
 それこそ、相手は彼女を苦しめていた男なんだからな」
「ふーむ」

宇崎の説明を聞いて、神里は再び腕を組む。
何か納得のいってない顔をしていた。

「どうした、神里。
 この状況、お前が見立てた通りだろう」

兼河保志殺害の犯人像として、神里は被害者と接点の無い人間を挙げた。
そいつは実行犯だが、そいつを動かした真犯人が別にいることも指摘した。
その真犯人は、兼河保志を恨んでいる人間だと示した。
そして、実行犯と真犯人は知り合いであることも言い当てた。
実行犯と真犯人、それはそのまま久須野良也と白井百合花に当て嵌まる。

「悔しいが認めるよ。お前の分析は役に立つ」
「それは当然だ。……だが、何かしっくりこねえんだよなあ」
「何がだよ。何か違うのか?」
「いや、大筋はそれで良いんだが、何かが足りてねえ気がするんだよなあ」
「そりゃあ、まだまだ情報は出揃ってないからな。
 もっと色んなことが判明すれば、しっくりくるようになるんじゃないか」
「それもそうか。じゃあ、せいぜい頑張って捜査するんだな」
「さあ、そこだ」
「何だ?」

ようやく本題に入れるとばかりに、宇崎は息を大きく吸い込んだ。

「渦中の久須野良也と白井百合花だがな、2人とも行方知れずになった」
「は?」
「この2人に焦点を当てて捜査を進めようとした矢先のことだ。
 久須野も白井も姿を消してしまったんだよ。
 自宅、勤務先、知り合い関係を探ってるが、まだ行方は掴めていない」
「逃げたのか」
「それも、2人で一緒にな」
「2人で?」
「東京駅の防犯カメラに2人が映っていたのを確認した。昼の1時半頃だ。
 でっかいスーツケースを持って東京駅の新幹線ホームを降りていった。
 その後、2人の行方は判らねえ」
「他県にでも逃げられると面倒だな」
「そうだ。だから、一刻も早く2人の身柄を押さえる必要がある。
 そこでお前の意見を聞きたい。
 犯罪者の心理として、こういう時はどこに逃亡すると思う?」
「…………」

宇崎からの質問を受けて、神里は腕を組んだまま考え込んだ。
そして、10秒ほどして口を開いた。

「こいつはフェイクだな」
「は?」
「この事件の犯人はやたら小賢しい。何かと目先のごまかしに頭を使っている。
 だから、東京駅の件もフェイクだ」
「と、言うと?」
「でっかいスーツケースを持って東京駅にいたことで、
 遠くへ逃げようとしている……と、俺たちにそう思わせようとしている。
 てことは、実際はその逆だ」
「東京から離れていないってことか」
「そうだ。都内の宿泊施設に身を潜めているはずだ。
 中でも、セキュリティがガバガバの安いホテルだな。
 どんな人間でも金さえ払えば受け入れる。
 どいつもこいつも訳ありだから、お互いに素性の詮索はしない。
 そんな条件が揃っている場所と言えば?」
「ドヤ街……山谷か」
「そうだ。山谷にある安ホテルをしらみ潰しに確認するといい。
 山谷でダメだったら次の候補は横浜の寿町だ」

神里の意見に納得して宇崎が大きく頷く。
そして、千波の方に顔を向けた。

「千波、君は深井と合流して先に山谷での聞き込みを始めておいてくれ」
「係長は?」
「本部に戻って捜査員の増員要請をする。それから俺も現場に向かおう」
「分かりました」

宇崎の指示に千波が頷く。
その時、思い出したように神里が話を振った。

「ああ、そうだ。なあ、お前さんら」
「何だ?」
「防犯カメラに映っていた2人組の内の1人は久須野だとして、
 もう1人の方なんだが……どうなってる?」
「それについてはまだ判ってない。
 まずは久須野と白井の2人を確保することが優先だ」
「そうか。分かった」
「じゃあ、俺たちは捜査に戻る。世話になったな」
「いや」
「まあ、あれだな。お前はせいぜい安静にしておくんだな。
 筋肉ゴリラでも寄る年波には勝てないだろうからな」
「煩え、さっさと行け。ぼんくら狸が」

最後には軽口を言い合い、宇崎は千波とともに研究室を後にした。
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