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(20)青年、目覚める①
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窓から真昼の強い日差しが入り込む。
その光を受けて、青年は不快そうに顔を顰めた。
そして、固く閉じられていた目をゆっくりと開く。
「うっ……」
その目に映るのは見覚えのない白い天井だった。
「ここは……」
「病院だよ」
思いもよらず返事が返ってきたので、青年は驚き慌てて体を起こす。
その時、右足に強い痛みを覚えた。
「ああ、気を付けろ。お前さん、右足首を骨折してるらしいぞ」
再び掛けられる低く野太い声。
その方へと顔を向けると、そこには白髪まじりの大男がパイプ椅子に腰掛けていた。
「あなたは……」
「昨夜、お前さんが接触したタクシーに乗っていた者だ」
「タクシー……あっ!」
「思い出したか」
昨夜の出来事が脳裏によぎり、青年はそのまま頭を下げた。
「すみません、ご迷惑をお掛けしました」
「そのセリフはタクシーの運転手に言ってやれ」
「え? じゃあ貴方は……」
「俺はそのタクシーに乗っていた客だ。因みに、こういう者だ」
そう言って男は懐から名刺を取り出して青年に差し出した。
そこに書かれていた名前と肩書きを見て、青年は目を見開く。
「慶田大学、教授……」
「神里だ。よろしく、糸田哲大君」
「え? 何で俺の名前を……」
糸田が更に大きく目を見開く。
すると神里は、サイドテーブルの方を指さした。
そこには、ショルダーバッグと茶色の紙袋が置いてあった。いずれも糸田の荷物だ。
「すまんが、あの紙袋の中身を見させてもらってな。
あれ、君の勤務先の制服だろう? 名札が付いてた」
「あ、ああ……それで、俺の名前を……」
「あの制服、有家自動車整備工場だな」
「え? 知ってるんですか?」
「俺の助手がかつて勤めていた整備工場だ」
「助手?」
「覚えてないか?
昨夜の事故の際、真っ先に君に声を掛けた若い男が居ただろう。
あいつは俺の助手なんだ」
「ああ、あの人……」
糸田の脳裏にメガネを掛けた小柄な青年の姿が浮かぶ。
それは、先日の父親の命日に『マンション・樹』で出くわした青年の姿と重なった。
「あの人が、有家自動車に勤めてたんですか?」
整備工場に勤めていた過去と、大学で助手をやっている現在がしっくりこないようで、糸田は訝しい顔をする。
神里は少し遠い目をして微笑んだ。
「藤本眞という奴なんだが、あいつは中卒でいったんあの整備工場に就職したんだ」
「え? 中卒で?」
「児童養護施設の出身でな。その施設は金に余裕が無かったから、
あいつは就職して施設を出ることを選んだ」
「…………」
「君と同じだ。周り人間の為に進学を諦めたんだ」
「どうしてそれを⁉︎」
「実はついさっき君の妹さんがここに来てな。少し話をさせてもらった」
「霧子が?」
「ああ。霧子さんというのか。妹さん、泣きながら心配していたよ」
「そう、ですか」
「随分と苦労しているようだね」
「…………」
「余計なお世話かもしれないが、何もかもを一人で背負い込まない方がいい。
君はこれまで十分に家族の為に尽くしてきた。
だが、君が家族を支えるばかりでは負担が大き過ぎる。
君も家族に支えてもらうべきだ。足の怪我は良い機会になるんじゃないか」
「それは……」
神里から労いの言葉を受けて、糸田は俯いた。
丸まった背中が僅かに震える。
それを見て神里は困り顔で笑った。
「ああ、すまんな。それぞれ事情があるだろうに、
つい要らんことを言ってしまった。
人間、歳をとると説教くさくなっていかんな」
ははは、と神里は笑う。
そんな彼を見て糸田は問うた。
「あの人は……」
「ん?」
「藤本さんは……」
「ああ、あいつなら君の事情を説明する為に整備工場に行ったよ。
そろそろ戻ってくる頃なんじゃないかな」
「藤本さんは、どうやって先生の助手になったんですか?」
「何の話だ?」
「あの人も俺と同じで進学を諦めたんでしょう?
なのになぜ、今は大学で先生の助手を務めるまでになったんですか?」
問いかける糸田の目は真剣だった。
その目の奥に潜む感情を察して、神里は少し表情を曇らせる。
「色々あってな。俺が無理やりあいつを大学に引っ張った」
「色々って?」
「きっかけは、あいつが俺の講演を聞きに来てくれたことだった。
それからは……説明すると長くなるな。
まあ、一言でいうとたまたま縁があったってところだ」
「……」
神里の言葉を聞くと、糸田は再び黙って俯いた。
その時、部屋の扉が音を立てて開かれた。
その光を受けて、青年は不快そうに顔を顰めた。
そして、固く閉じられていた目をゆっくりと開く。
「うっ……」
その目に映るのは見覚えのない白い天井だった。
「ここは……」
「病院だよ」
思いもよらず返事が返ってきたので、青年は驚き慌てて体を起こす。
その時、右足に強い痛みを覚えた。
「ああ、気を付けろ。お前さん、右足首を骨折してるらしいぞ」
再び掛けられる低く野太い声。
その方へと顔を向けると、そこには白髪まじりの大男がパイプ椅子に腰掛けていた。
「あなたは……」
「昨夜、お前さんが接触したタクシーに乗っていた者だ」
「タクシー……あっ!」
「思い出したか」
昨夜の出来事が脳裏によぎり、青年はそのまま頭を下げた。
「すみません、ご迷惑をお掛けしました」
「そのセリフはタクシーの運転手に言ってやれ」
「え? じゃあ貴方は……」
「俺はそのタクシーに乗っていた客だ。因みに、こういう者だ」
そう言って男は懐から名刺を取り出して青年に差し出した。
そこに書かれていた名前と肩書きを見て、青年は目を見開く。
「慶田大学、教授……」
「神里だ。よろしく、糸田哲大君」
「え? 何で俺の名前を……」
糸田が更に大きく目を見開く。
すると神里は、サイドテーブルの方を指さした。
そこには、ショルダーバッグと茶色の紙袋が置いてあった。いずれも糸田の荷物だ。
「すまんが、あの紙袋の中身を見させてもらってな。
あれ、君の勤務先の制服だろう? 名札が付いてた」
「あ、ああ……それで、俺の名前を……」
「あの制服、有家自動車整備工場だな」
「え? 知ってるんですか?」
「俺の助手がかつて勤めていた整備工場だ」
「助手?」
「覚えてないか?
昨夜の事故の際、真っ先に君に声を掛けた若い男が居ただろう。
あいつは俺の助手なんだ」
「ああ、あの人……」
糸田の脳裏にメガネを掛けた小柄な青年の姿が浮かぶ。
それは、先日の父親の命日に『マンション・樹』で出くわした青年の姿と重なった。
「あの人が、有家自動車に勤めてたんですか?」
整備工場に勤めていた過去と、大学で助手をやっている現在がしっくりこないようで、糸田は訝しい顔をする。
神里は少し遠い目をして微笑んだ。
「藤本眞という奴なんだが、あいつは中卒でいったんあの整備工場に就職したんだ」
「え? 中卒で?」
「児童養護施設の出身でな。その施設は金に余裕が無かったから、
あいつは就職して施設を出ることを選んだ」
「…………」
「君と同じだ。周り人間の為に進学を諦めたんだ」
「どうしてそれを⁉︎」
「実はついさっき君の妹さんがここに来てな。少し話をさせてもらった」
「霧子が?」
「ああ。霧子さんというのか。妹さん、泣きながら心配していたよ」
「そう、ですか」
「随分と苦労しているようだね」
「…………」
「余計なお世話かもしれないが、何もかもを一人で背負い込まない方がいい。
君はこれまで十分に家族の為に尽くしてきた。
だが、君が家族を支えるばかりでは負担が大き過ぎる。
君も家族に支えてもらうべきだ。足の怪我は良い機会になるんじゃないか」
「それは……」
神里から労いの言葉を受けて、糸田は俯いた。
丸まった背中が僅かに震える。
それを見て神里は困り顔で笑った。
「ああ、すまんな。それぞれ事情があるだろうに、
つい要らんことを言ってしまった。
人間、歳をとると説教くさくなっていかんな」
ははは、と神里は笑う。
そんな彼を見て糸田は問うた。
「あの人は……」
「ん?」
「藤本さんは……」
「ああ、あいつなら君の事情を説明する為に整備工場に行ったよ。
そろそろ戻ってくる頃なんじゃないかな」
「藤本さんは、どうやって先生の助手になったんですか?」
「何の話だ?」
「あの人も俺と同じで進学を諦めたんでしょう?
なのになぜ、今は大学で先生の助手を務めるまでになったんですか?」
問いかける糸田の目は真剣だった。
その目の奥に潜む感情を察して、神里は少し表情を曇らせる。
「色々あってな。俺が無理やりあいつを大学に引っ張った」
「色々って?」
「きっかけは、あいつが俺の講演を聞きに来てくれたことだった。
それからは……説明すると長くなるな。
まあ、一言でいうとたまたま縁があったってところだ」
「……」
神里の言葉を聞くと、糸田は再び黙って俯いた。
その時、部屋の扉が音を立てて開かれた。
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