その心理学者、事件を追う

山賊野郎

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(19)助手、勘付く

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(さすがに理由付けが無理やり過ぎたか)

有家自動車整備工場を目指す道すがら、藤本は反省する。
事故に遭いまだ目を覚ましていない糸田哲大の為に、彼の職場に行って事情を説明する──身内ならともかく、赤の他人のすることではないだろう。

(まあいいか)

そこを押し切ってでも、藤本には有家自動車整備工場に行く理由があった。

(あの人の姿を確認できればそれでいい)

昨夜、乗っていたタクシーの前に糸田哲大が飛び出してきた時、彼の背後に誰かが居た。
その人の顔に藤本は覚えがあった。
神里には「暗がりだったので顔はハッキリと分からなかった」と言ったが、あれは嘘だった。
かつて勤務していた整備工場の元同僚に似ている、と思ったのだ。
しかし、藤本は7年も前にその職場を辞めている。
その為、元同僚が今はどんな風貌になっているのか確認する必要があった。
7年前とは全く違う外見になっていたのなら、彼は事件に関係ない。
しかし、7年前とほぼ変わらない姿なら、糸田哲大を突き飛ばした犯人は彼ということになる。

(さてと、どうなることやら)

午前11時頃、藤本は有家自動車整備工場に到着した。
板橋区の片隅に佇む小規模の整備工場。
寂れた雰囲気のその建物に、懐かしさと苦い記憶が甦る。

「……」

特に感慨に耽ることもなく、藤本は整備工場の中に足を踏み入れた。
年中無休で稼働しているこの施設は、今日も金属のぶつかる音や火花の散る音が響いていた。
管理担当者を探して辺りをきょろきょろと見回す。
そんな藤本に誰かが声を掛けてきた。

「失礼、どちら様かな?」
「あ……」

思いもよらず藤本は目を見開く。
そこには、人の良さそうな顔をした男性が立っていた。
他の従業員よりも濃い青の作業着を身に纏う彼は、藤本のかつての上司だった。
彼もまた、藤本を見るや否や大きく目を見開いた。

「お久しぶりです、末友主任」
「……まさか、藤本君か?」
「はい。覚えていて下さったんですね」
「ああ、そりゃあもちろん」

末友と呼ばれた男性は懐かしい思いに顔を綻ばせたが、すぐにその表情を曇らせる。

「君には迷惑をかけたからね。あの時は本当に……」

更に言葉を重ねようとした末友を、藤本は手で制した。

「その話はやめましょう。僕が今日ここに来たのは、
 糸田さんのことでお伝えしたいことがあるからなんです」
「糸田君?」
「糸田哲大さん、こちらで働いてますよね」
「ああ。そうだが、今日は来てないんだ」
「そのことで」
「ん?」
「糸田さん、昨夜事故に遭いまして。入院してるんです」
「何だって?」
「でも安心して下さい。怪我は右足首の骨折のみで他は大丈夫みたいです。
 しばらくは入院することになるみたいですが」
「そうか。道理で、あの真面目な糸田君が無断欠勤なんておかしいと思ったんだ」

藤本の話を聞いて末友はうんうんと頷く。

「しかし、足首の骨折か。ちょっと仕事に支障が出るなあ」
「何とかなりませんか?」
「そりゃあ、何とかはするさ。
 だが、この1ヶ月ほど彼の希望で仕事を増やしてたんだよ。
 お母さんの入院費とか妹さんの学費とかで、金が足りないと言っていたからね」
「なるほど」
「でも、足を怪我してるのならあんまり無理はさせられないなあ」
「そうですね」
「2年前にお父さんを亡くしてからずっと1人で家計を支えてるような子だから、
 何とか力になってやりたいんだが……」
「なかなか難しそうですね」
「ふーむ」

末友が腕組みをして考え込む。
が、すぐにその腕を解いて藤本に顔を向けた。

「君はこのことを伝える為にわざわざ来てくれたのか?」
「はい」
「そうか、ありがとう。君は糸田君と知り合いだったのか」
「いえ、そうではないんです。たまたま縁があったというか……」
「そうか。よく分からんが、まあいいか」
「はい。それでですね、もう一つお聞きしたいことが──」

その時、背後から声を掛けられた。

「あれー、新入りか?」
「……」

振り返ると、そこには小太りの中年男性が立っていた。
身に纏うよれよれの作業着からは、少しばかり腹の肉がはみ出ている。

「久須野さん」

その名を口にすると、男は肉の乗った顔を訝しく歪めた。

「何だ? お前、何で俺の名前を知ってるんだ?」
「久須野さん、彼は藤本君だよ。昔、一緒に働いていただろう」
「んー? こんなガキ居ましたっけ?」
「覚えてないのか?」
「7年前も前のことなので覚えてなくて当然ですよ」

困り顔の末友を藤本がフォローする。
それと同時に、久須野という男が7年前と殆ど変わっていないことを確認した。
外見も中身も。

「久須野さん、糸田君なんだが昨夜事故に遭ったらしいんだ」
「へえ、事故ですか」
「怪我をして今は病院にいることをね、藤本君は伝えにきてくれたんだよ」
「そいつはご苦労なことで。……ふーん、怪我ねえ」
「足首の骨折だそうだ。今後の仕事に影響が出るだろうから、
 彼が復帰した後は何かとフォローしてあげてくれ」
「へいへい」

面倒くさそうに伸びをして、久須野はその場から立ち去ろうとする。
その時、藤本が兼ねてから気になっていたことを久須野に問いかけた。

「あの、久須野さん」
「何だよ」
「その右手、どうしたんですか?」
「あ?」
「怪我をしているようですが」

久須野の右手には包帯が巻かれていた。
さっき声を掛けられて振り向いた時からずっと、藤本はそのことが気になっていた。

「ああ、これは作業中にうっかりやっちまったんだよ」
「いつですか?」
「2日前ぐらいじゃなかったかな。ねえ、主任」
「ああ、確かそうだったな」
「2日前、ですか」
「久須野さん、最近よく怪我をしてるので器具の取り扱いには気を付けるように」
「へいへい」

上司である末友からの注意でさえも面倒くさそうに受け流し、久須野は自身の持ち場に戻っていった。

「すまないね、藤本君。久須野さんはずっとあんな感じでね」
「変わってないみたいですね。7年前と」
「まあ、ね」
「ところで、久須野さんは頻繁に手に怪我をしてるのですか?」
「ああ、最近ちょっとね」
「じゃあ、2日前よりもっと前にも怪我をしていたことがあった、ということで良いですか?」
「ああ、まあそうだね。それがどうかしたのかい?」
「いえ、ちょっと気になっただけです」
「そうか」
「じゃあ、僕はこれで」
「ああ。糸田君のこと、連絡ありがとう」
「いいえ」
「会えて良かったよ」
「僕もです」

末友に別れを告げて、藤本は工場を後にした。
そうして駅に向かって歩きながら藤本は考える。

(やはりあれは久須野さんだった)

昨夜、糸田哲大が飛び出してきた時に背後に居た人間──それが彼だった。
久須野良也くすのよしなりという男に藤本は良い印象を持っていない。
有家自動車整備工場で働いていた頃、彼には何度となく嫌な目に遭わされたのだ。
「こんなガキに仕事が務まるのか」「ガキと一緒にされるとやる気が出ない」
「足手まとい」「給料泥棒」……そんな嫌味を言われるのは日常茶飯事だった。
間違った方法を教えられてわざとミスをするように誘導されたりもした。
更に、久須野のミスをこちらに押し付けられたこともある。
その度にフォローしてくれたのが主任の末友だった。

(いや、昔のことは関係ない。
 今の問題は久須野さんが糸田さんを突き飛ばしたことだ)

なぜそんなことをしたのだろうか?
二人の間に何があったのだろうか?

「二人……」

その時、ふと藤本の脳裏にある映像が再現された。
それは、『マンション・樹』の管理事務室で見た防犯カメラの映像だった。
兼河保志の部屋に忍び込む為にマンションを訪れた二人組。
その内の1人は小太りな体型の男だった。
立ち去る時には右手に怪我をしていた。
あの姿が久須野にぴったりと当てはまるのだ。
そうなると、隣にいたもう1人の男……細身で背が高いあの男は糸田哲大とイメージが重なる。

(いや待て。明確な根拠も無いのに話が飛躍しすぎている)

理性が冷静になるよう促す。
しかし直感は、彼らがあの事件の犯人だと告げていた。

(待てってば。そうであってほしくない。少なくとも糸田さんは……)

その時、藤本の記憶から糸田哲大についての情報が抽出される。
彼は金に困っていた。
日頃の生活費に加え、母親の入院費と妹の学費が必要だった。
少しでも多く稼ぐ為に積極的に残業もしていた。
その一方で、キャバクラに行っていた。
今週だけで2回行った、と彼の妹が言っていた。

(お金に困っていたはずなのに、お金がある人間の行動をしてる)

今週ということは、兼河保志が殺害されて部屋にあった多額の現金が奪われた、あの事件の後だ。
これらの情報から導かれるのは……

「……嫌だなあ」

ため息まじりに呟く。
その感情とは裏腹に、藤本の脳内では思考が次の段階に進んでいた。

(久須野さんはなぜ糸田さんを突き飛ばしたのだろうか?)

普通に考えれば殺害が目的だろう。

(ではなぜ、久須野さんは糸田さんを殺そうとしたのか?)

兼河保志殺害の共犯者を殺す理由……仲間割れか口封じか。
更にもっと別の理由があるのか?

(分からない。でも、本人は分かっているのかもしれない)

重い気持ちを引き摺って、藤本は柚芽総合病院に向かった。
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