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(16)教授、事故に巻き込まれる②
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搬送先の病院にて。
神里と藤本は処置室前の廊下の椅子に座って、青年の治療が終わるのを待っていた。
「藤本」
「何ですか?」
「あの男、例の奴だよな。マンションから落ちて死んだ男の息子とかいう」
「はい。糸田悟郎さんの息子で、名前は哲大さんですね」
「ん? どこで知った?」
「これです」
藤本は茶色い紙袋を見せた。
その中には少し汚れた青い色の作業着が入っていた。
「この作業着に名札がついたままになってました」
「なるほど、そうか」
茶色の紙袋は青年こと糸田哲大の持ち物だった。
もう一つ、彼が身に付けていたショルダーバッグも今は藤本が預かっている。
「それは……」
作業着に刺繍されているスパナを模したロゴマークに、神里は気が付いた。
「有家自動車整備工場か」
「はい」
「懐かしいな」
「……はい」
「もう7年ぐらいになるか。お前さんがその作業着を脱いでから」
「そうですね」
有家自動車整備工場。
それは藤本がかつて就職していた会社だった。
中学卒業とともに児童養護施設を出て、就いた職場だった。
小規模の工場で、そこに在籍する人間は何らかの事情を抱えている者ばかりだった。
元犯罪者、元ヤクザ、家出人、他の会社に在籍できなくなった者、社会不適合者……等々。
どんな人間でも受け入れる。継続するかどうかは本人次第。
そういう方針の会社だった。
どうやら糸田哲大も、父親を亡くした後にこの「有家自動車整備工場」に就職していたらしい。
「さて、どうするかな」
神里がぼそりと呟く。
その時、処置室の扉が開いて医師が出てきた。
「ご家族の方ですか?」
藤本が立ち上がって対応する。
「いいえ、僕たちは事故現場に居合わせて、救急車を呼んだ者です」
「そうでしたか」
「あの、彼の容体はどうですか?」
「右足首の骨折が主ですね。全身の打撲もありましたが、こちらは軽傷です。
当然、命に別状はありませんよ。
まあ、しばらく入院してもらって様子を見ることにはなりますが」
「そいつは良かった。あの運転手も一安心だな」
椅子に座ったまま神里が笑う。
藤本は更に医師に問い掛けた。
「あの、糸田さんとはお話しできる状態ですか?」
「いや、それが体が極度の疲労状態でして。
その影響でしばらくは意識が戻らないと思います」
「そうですか」
「後のことはこちらで対応するので、貴方達はもう帰ってもらって大丈夫ですよ」
「分かりました。ありがとうございました」
立ち去る医師に藤本が頭を下げる。
その横をストレッチャーに乗せられた糸田哲大が通り過ぎる。
どうやら処置室から病室へ移されるらしい。
持っていたショルダーバッグと紙袋を看護師に託して、藤本は彼らの後ろ姿を見送った。
「さてと、じゃあ帰るとするか」
「はい」
藤本に肩を借りながら神里が立ち上がる。
そうしてゆっくりと出口に向かって歩き始めた。
「あの男、骨折程度で済んで良かったな」
「そうですね。ですが、ちょっと気になる事が」
「何だ?」
「あの人、事故にあった直後にこう言ってたんです。
“くそ、やられた……!”って」
「ほう」
「それから、僕が救急と警察に連絡しようとしたら、すごく嫌がったんです」
「ふむ」
「なぜでしょうか?」
「さあな。医者にも警察にも探られたくない『何か』を抱えてるのかもな」
「“やられた”の方は?」
「いきなり道路に飛び出してきたわけだから、
誰かに突き飛ばされたんじゃねえか。
しかも、その口ぶりからして誰にやられたのか心当たりがあるとみた」
「やっぱり、そうなりますか」
「普通に考えればな。まあ、実際のところは本人に聞いてみないと分かんがな」
「…………」
「どうした?」
不意に足を止めた藤本に、神里が訝しい顔をする。
「あの、実は……」
「ん?」
「僕の見間違いかもしれないのですが」
「いいから言え」
「あの人が車の前に現れた時のことなんですけど」
「うむ」
「すぐ後ろに人が居たように見えたんです」
「ほう」
「僕が車の外に出た時にはもう居なくなってましたけど」
「そいつの顔は見たのか?」
「……暗がりだったのでハッキリとは分かりませんでした」
「そうか。となると、あの糸田哲大って男はそいつに突き飛ばされたんだろうな。
“やられた”って言葉とも繋がる」
「そうですね」
「あの男、なかなか面倒な事情を抱えてるようだな」
「そうですね」
藤本が頷くと、二人は止めていた足を再び進め始めた。
「それにしてもお前さん、やけにあの男のことを気に掛けてるな」
「そうですか?」
「ああ。何か気になることでもあるのか?」
「なんとなくです」
「そうか。“なんとなく”ってのも侮れない直感の1つだからな。大事にするといい」
「はい」
そんな会話を交わしつつ、二人は病院の外に出た。
新たに呼んだタクシーに乗り込み、今度こそ帰宅の途につく。
長かった1日の終わりを感じて、神里はほっと息を吐いた。
こうして、彼の自宅に到着するまでの僅かな間、束の間の休息を得るのだった。
神里と藤本は処置室前の廊下の椅子に座って、青年の治療が終わるのを待っていた。
「藤本」
「何ですか?」
「あの男、例の奴だよな。マンションから落ちて死んだ男の息子とかいう」
「はい。糸田悟郎さんの息子で、名前は哲大さんですね」
「ん? どこで知った?」
「これです」
藤本は茶色い紙袋を見せた。
その中には少し汚れた青い色の作業着が入っていた。
「この作業着に名札がついたままになってました」
「なるほど、そうか」
茶色の紙袋は青年こと糸田哲大の持ち物だった。
もう一つ、彼が身に付けていたショルダーバッグも今は藤本が預かっている。
「それは……」
作業着に刺繍されているスパナを模したロゴマークに、神里は気が付いた。
「有家自動車整備工場か」
「はい」
「懐かしいな」
「……はい」
「もう7年ぐらいになるか。お前さんがその作業着を脱いでから」
「そうですね」
有家自動車整備工場。
それは藤本がかつて就職していた会社だった。
中学卒業とともに児童養護施設を出て、就いた職場だった。
小規模の工場で、そこに在籍する人間は何らかの事情を抱えている者ばかりだった。
元犯罪者、元ヤクザ、家出人、他の会社に在籍できなくなった者、社会不適合者……等々。
どんな人間でも受け入れる。継続するかどうかは本人次第。
そういう方針の会社だった。
どうやら糸田哲大も、父親を亡くした後にこの「有家自動車整備工場」に就職していたらしい。
「さて、どうするかな」
神里がぼそりと呟く。
その時、処置室の扉が開いて医師が出てきた。
「ご家族の方ですか?」
藤本が立ち上がって対応する。
「いいえ、僕たちは事故現場に居合わせて、救急車を呼んだ者です」
「そうでしたか」
「あの、彼の容体はどうですか?」
「右足首の骨折が主ですね。全身の打撲もありましたが、こちらは軽傷です。
当然、命に別状はありませんよ。
まあ、しばらく入院してもらって様子を見ることにはなりますが」
「そいつは良かった。あの運転手も一安心だな」
椅子に座ったまま神里が笑う。
藤本は更に医師に問い掛けた。
「あの、糸田さんとはお話しできる状態ですか?」
「いや、それが体が極度の疲労状態でして。
その影響でしばらくは意識が戻らないと思います」
「そうですか」
「後のことはこちらで対応するので、貴方達はもう帰ってもらって大丈夫ですよ」
「分かりました。ありがとうございました」
立ち去る医師に藤本が頭を下げる。
その横をストレッチャーに乗せられた糸田哲大が通り過ぎる。
どうやら処置室から病室へ移されるらしい。
持っていたショルダーバッグと紙袋を看護師に託して、藤本は彼らの後ろ姿を見送った。
「さてと、じゃあ帰るとするか」
「はい」
藤本に肩を借りながら神里が立ち上がる。
そうしてゆっくりと出口に向かって歩き始めた。
「あの男、骨折程度で済んで良かったな」
「そうですね。ですが、ちょっと気になる事が」
「何だ?」
「あの人、事故にあった直後にこう言ってたんです。
“くそ、やられた……!”って」
「ほう」
「それから、僕が救急と警察に連絡しようとしたら、すごく嫌がったんです」
「ふむ」
「なぜでしょうか?」
「さあな。医者にも警察にも探られたくない『何か』を抱えてるのかもな」
「“やられた”の方は?」
「いきなり道路に飛び出してきたわけだから、
誰かに突き飛ばされたんじゃねえか。
しかも、その口ぶりからして誰にやられたのか心当たりがあるとみた」
「やっぱり、そうなりますか」
「普通に考えればな。まあ、実際のところは本人に聞いてみないと分かんがな」
「…………」
「どうした?」
不意に足を止めた藤本に、神里が訝しい顔をする。
「あの、実は……」
「ん?」
「僕の見間違いかもしれないのですが」
「いいから言え」
「あの人が車の前に現れた時のことなんですけど」
「うむ」
「すぐ後ろに人が居たように見えたんです」
「ほう」
「僕が車の外に出た時にはもう居なくなってましたけど」
「そいつの顔は見たのか?」
「……暗がりだったのでハッキリとは分かりませんでした」
「そうか。となると、あの糸田哲大って男はそいつに突き飛ばされたんだろうな。
“やられた”って言葉とも繋がる」
「そうですね」
「あの男、なかなか面倒な事情を抱えてるようだな」
「そうですね」
藤本が頷くと、二人は止めていた足を再び進め始めた。
「それにしてもお前さん、やけにあの男のことを気に掛けてるな」
「そうですか?」
「ああ。何か気になることでもあるのか?」
「なんとなくです」
「そうか。“なんとなく”ってのも侮れない直感の1つだからな。大事にするといい」
「はい」
そんな会話を交わしつつ、二人は病院の外に出た。
新たに呼んだタクシーに乗り込み、今度こそ帰宅の途につく。
長かった1日の終わりを感じて、神里はほっと息を吐いた。
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