その心理学者、事件を追う

山賊野郎

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(11)教授、腰をいわす①

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ランニングマシン、フィットネスバイク、ストレングスマシン、パワーラック……等々、各種トレーニングマシンが立ち並ぶ広い空間。
そこでは鍛え抜かれた肉体を誇示する男達が、更なる高みを目指して汗を流している。
そんな熱気に満ちた部屋の中で、やけに強い存在感を示す者が居た。
一般男性より一回り以上はある大きな体躯、現役アスリート並みの筋肉、白髪まじりの頭に厳つい顔つきの中年男性。
彼は、先ほどから誰よりもエネルギッシュにトレーニングを行っていた。
彼の勢いに引っ張られるようにして、周りの男達も自身の鍛錬に励む。
そんな中、件の中年男性はベンチプレスの台に寝そべった。
その手でしっかりとバーベルシャフトを握り締める。
ベンチプレス160kgにチャレンジする彼の姿に、周囲の人間の注目が集まった。
ゆっくりと、バーベルが持ち上げられる。
そして、それは男の野太い雄叫びと共に天井に向かって勢いよく押し上げられた。

「うおおおおおおおおおお!」

男の偉業を称えるように、周囲からは拍手と歓声が湧き上がった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー



日曜日の正午。
鳴り響く電話の呼び出し音によって、藤本眞は叩き起こされた。
コンビニで夜勤のアルバイトをしている彼は、大学が休みの日は昼過ぎまで寝ているのが常である。
が、今日は少し早めに起きる羽目になった。
携帯端末に映し出された名前にため息をつきつつ、電話に出る。

「もしもし」
『おお、やっと出たか』
「先生、今日は日曜日ですよ」
『そんなことは関係ねえだろ。緊急事態なんだ。今すぐ病院に来てくれ』
「病院? 何かあったんですか?」
『詳しいことは直接会って話す。とにかく、天樹記念病院あまききねんびょういんってとこに来い。いいな』
「ちょっと……」

藤本の返事を待たずして通話は切られた。
相変わらず身勝手な人だと呆れるが、いつものことなので彼もすっかり慣れていた。

(とは言え、病院ってのは気になるな。
 あの人、病気はおろか風邪ひとつ引いたこともないぐらい頑丈なのに。
 でも、そんな人に限ってということもあるし……)

少しだけ不安を覚えつつ藤本は身支度を始めた。

約30分後、藤本は天樹記念病院のロビーに到着した。
広い空間の中をたくさんの人々が行き交っている。
キョロキョロと辺りを見回すが神里らしき人は見当たらない。
取り敢えず、空いている長椅子に座って待つことにした。
何となしに行き交う人々を眺める。
病人、怪我人、付添人、見舞い客、医師、看護師……
その中に1人、見覚えのある顔が居た。

(あの人は……)

昨日、『マンション・樹』で見かけた青年だった。
2年前、そこで転落死した父親の為に白いユリの花を供えていた青年だった。

(確か、糸田悟郎いとだごろうって名前だったかな)

実は、昨日の内に藤本は過去のニュースを確認していた。
『40代男性、マンションの屋上から転落。自殺か』
そんな見出しの小さな記事を見つけた。
男性は行政書士事務所を開いていたが、経営に行き詰まりそれを苦にして自殺した。
記事はそんな内容だった。
そこに書かれていた40代男性の名前が糸田悟郎だった。

(今は息子さんが家計を支えているのだろうか)

通りすがる青年を何となく目で追う。

(あの制服……仕事の合間にここに来たのか)

彼は青い色の作業着を纏っていた。
怪我をしている様子はない。
病気なら作業着を纏っていない筈だ。
となると、仕事の休憩時間を使って誰かの見舞いに来たと推測される。

(そういえば、母親が入退院を繰り返してると言ってたかな)

青年の境遇を慮り、何となく同情心が湧く。
昨日会った時もそうだったが、彼は酷くやつれていた。
明らかに疲弊していた。

(苦労してるんだろうなあ)

父親の自殺、母親の入院……苦労してないはずがない。
気の毒にと思いはするものの、赤の他人である自分に出来ることは何も無い。
藤本はそっと青年から目を逸らした。

それからしばらくして、廊下の方から神里が現れた。
壁に手をついて立つ彼は、普段よりもラフなジャケット姿だった。
神里は藤本を見つけるなり軽く右手を上げて合図を送る。
気付いた藤本が頷いてその方に駆け寄った。

「よう。休日に呼び出して悪かったな」
「それはそうですが、何があったんですか?」

藤本が問うと、神里は少し気まずそうな顔で笑った。

「実はな、腰をやっちまった」
「はい?」
「急性腰痛症……つまるところ、ぎっくり腰だ」
「ああ……」
「ジムでちいとばかり頑張りすぎたんだろうな。
 トレーニング中は何も問題なかったんだが、
 終わってからシャワーを浴びてベンチに座って一息ついて、
 立ち上がろうとしたときにこう……ピキッとな」
「なるほど」
「おい、笑うなよ」
「笑ってないですよ」
「口角が上がってるじゃねえか」
「えーと、これは……突然病院に呼び出されたものだから、
 先生に何か良くない病気が発覚したんじゃないかって心配してたけど、
 そんなんじゃなくて良かったという思いからくる感情です」
「だったら、ちゃんとしっかり笑顔を見せろ。あと、普段からもっと笑え」
「すみません。これが精一杯です」
「もっと頑張れるだろ。ほれほれ」
「痛い痛い! ほっぺを無理やり引っ張り上げないで下さい」

病院のロビーで茶番を繰り広げる2人のそばを看護師が通りかかる。

「あなた達、病院内ではお静かに」
「あ、すみません」

看護師からの注意を受け、2人は共に素直に頭を下げる。
それから小さな咳払いを1つ落として、神里が改めて口を開いた。

「まあ、そういうわけでだ。
 今の俺は支えがなければまともに歩けねえんだ。悪いが補助を頼む」
「なるほど、分かりました」
「すまんな」

藤本に肩を借りながら神里は歩き出す。
ゆっくり、ヒョロヒョロとした足取りだった。
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