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(7)助手、謎の青年に出会う
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風に煽られて桜の花びらが散る。
既に半分以上が散ってしまったその木には何とも言えない寂しさがあった。
穏やかな昼下がりの下、柔らかな風が吹く。
そんな清々しい空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「はあ……」
何度も同じような深呼吸を繰り返していた藤本が、その呼吸をため息に変える。
肺にこびり付いた腐臭を払いたいのだが、上手くいかないようだった。
(でも、あの部屋に行かずに済んで良かった)
神里の指示で、藤本はマンションの外で待機しておくように言われている。
エントランスの扉の横に立ってから10分ほどが経過していた。
(もうしばらく掛かるかな)
何となく気分転換をしたかった藤本は、少しだけ外を散策することにした。
マンションの周りを軽く歩く。
散りゆく桜に目をやって、その儚さに少し寂寥感を覚える。
そうして、マンションの裏手に辿り着いた時だった。
「あ……」
思わず藤本は足を止める。
その視線の先に、一人の青年の姿があった。
青年のその手には白い百合の花束があった。
彼はマンションの隅に花束を置くと、そっと手を合わせた。
深刻そうな表情からして、かつてこの場所で何か良くないことがあったのだと思われる。
やがて目を開けた青年が、藤本の存在に気付きその方へ顔を向けた。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ」
お互いに気まずそうに頭を下げ合う。
それから藤本が問いかけた。
「あの……失礼かもしれませんが、ここで何かあったんですか?」
「ええ、まあ」
青年は辛そうに俯く。
頰が痩けていて、本当に憔悴しているようだった。
そして、少し逡巡してからゆっくりと口を開いた。
「実はここで俺の父が亡くなったんです」
「えっ?」
「このマンションの屋上から飛び降りて……自殺だったみたいです」
「それは……すみません。辛いことを聞いてしまいました」
想像していた通りの答えだった。
藤本は申し訳なさそうに頭を下げる。
すると青年は力の無い笑顔を見せた。
「いえ、もう2年も前のことですから」
「2年前……」
「仕事で行き詰まっていて、追い詰められてのことだったんだと思います」
「………」
「ただ、今でもどうしても分からないことがあるんです」
「何ですか?」
「なぜ、このマンションだったのか」
「?」
「このマンション、俺たち家族とは何の関係も無かったんですよ」
「え? そうなんですか?」
これは想像していなかった。
てっきり家族で住んでいたマンションなんだろうと藤本は思っていた。
「警察の調べで事件性は無いと判断されたので自殺ではあるんでしょうけど、
何でこのマンションから飛び降りたのか、は謎のままなんですよ」
「それは……確かに謎ですね」
「考えても答えは出ないし、本人に聞くことも出来ないし。
元々病気がちだった母は、それ以来入退院を繰り返すようになって……」
そこまで言いかけて、青年は口を噤んだ。
「すみません。初対面の人に愚痴を聞かせてしまいました」
「いえ、大丈夫です」
「すみません」
もう一度、青年が申し訳なさそうに頭を下げる。
それから、マンションの上の方を見上げて言った。
「でも俺、最近思うことがあるんですよ」
「思うこと、ですか」
「父は本当は殺されたんじゃないかって」
「え?」
「このマンションの屋上から誰かに突き落とされたんじゃないかって」
「……」
思いもよらないことを聞かされて、藤本は押し黙る。
そんな彼を見て青年は力無く笑った。
「……なんて、根拠の無い妄想です」
「でも、何か心当たりがあるからそう思ったんでしょう?」
「それは……いえ、何でもありません。すみません、今の話は忘れて下さい。
現実から目を逸らしたい弱い人間の妄想です」
「でも……」
「では、失礼します」
軽く会釈して、青年は足早にその場を立ち去っていった。
残された百合の花束に目を落とし、藤本は考える。
(自分と関係の無いマンションからの飛び降り自殺は確かに不可解だけど。
もし、あの人が言うように本当は殺されたんだとしたら……)
更に思考を深めようとした時、背中に強い衝撃が加えられた。
「おい」
「痛いっ!」
「表で待っとけと言っただろう。何でこんなところに居るんだ?」
現れたのは神里だった。
背後から近づいて藤本の背中を叩いたのだった。
「すみません。気分転換にと思ってちょっとその辺を歩いてました」
「それでこんなものと出くわしたのか」
神里の視線の先には地面に置かれた百合の花束があった。
藤本が小さく頷く。
「ちょうどここに花を供えている人に出くわしまして……」
「なるほど。前にここで何かあったんだな」
「はい。聞けば自殺とのことでした。2年前に、このマンションの屋上から」
「ふむ。まあ、そんなところか」
なるほど、と神里が頷く。
それからやれやれと肩をすくめた。
「しかしまあ……2年前には自殺、今回は殺人か。
このマンションの管理者も災難だな」
「そうですね。ああそうだ、どうでしたか?」
「何がだ?」
「事件のことです。何か新しい情報は得られましたか?」
「ああ、そうだなあ。教えてやりたいところだが……取り敢えず場所を変えよう」
「大学に戻りますか?」
「いや、喫茶『隠れ家』に行こう」
腕時計に目をやって、それから神里は得意げに笑って見せた。
「ティータイムのお時間だ」
既に半分以上が散ってしまったその木には何とも言えない寂しさがあった。
穏やかな昼下がりの下、柔らかな風が吹く。
そんな清々しい空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「はあ……」
何度も同じような深呼吸を繰り返していた藤本が、その呼吸をため息に変える。
肺にこびり付いた腐臭を払いたいのだが、上手くいかないようだった。
(でも、あの部屋に行かずに済んで良かった)
神里の指示で、藤本はマンションの外で待機しておくように言われている。
エントランスの扉の横に立ってから10分ほどが経過していた。
(もうしばらく掛かるかな)
何となく気分転換をしたかった藤本は、少しだけ外を散策することにした。
マンションの周りを軽く歩く。
散りゆく桜に目をやって、その儚さに少し寂寥感を覚える。
そうして、マンションの裏手に辿り着いた時だった。
「あ……」
思わず藤本は足を止める。
その視線の先に、一人の青年の姿があった。
青年のその手には白い百合の花束があった。
彼はマンションの隅に花束を置くと、そっと手を合わせた。
深刻そうな表情からして、かつてこの場所で何か良くないことがあったのだと思われる。
やがて目を開けた青年が、藤本の存在に気付きその方へ顔を向けた。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ」
お互いに気まずそうに頭を下げ合う。
それから藤本が問いかけた。
「あの……失礼かもしれませんが、ここで何かあったんですか?」
「ええ、まあ」
青年は辛そうに俯く。
頰が痩けていて、本当に憔悴しているようだった。
そして、少し逡巡してからゆっくりと口を開いた。
「実はここで俺の父が亡くなったんです」
「えっ?」
「このマンションの屋上から飛び降りて……自殺だったみたいです」
「それは……すみません。辛いことを聞いてしまいました」
想像していた通りの答えだった。
藤本は申し訳なさそうに頭を下げる。
すると青年は力の無い笑顔を見せた。
「いえ、もう2年も前のことですから」
「2年前……」
「仕事で行き詰まっていて、追い詰められてのことだったんだと思います」
「………」
「ただ、今でもどうしても分からないことがあるんです」
「何ですか?」
「なぜ、このマンションだったのか」
「?」
「このマンション、俺たち家族とは何の関係も無かったんですよ」
「え? そうなんですか?」
これは想像していなかった。
てっきり家族で住んでいたマンションなんだろうと藤本は思っていた。
「警察の調べで事件性は無いと判断されたので自殺ではあるんでしょうけど、
何でこのマンションから飛び降りたのか、は謎のままなんですよ」
「それは……確かに謎ですね」
「考えても答えは出ないし、本人に聞くことも出来ないし。
元々病気がちだった母は、それ以来入退院を繰り返すようになって……」
そこまで言いかけて、青年は口を噤んだ。
「すみません。初対面の人に愚痴を聞かせてしまいました」
「いえ、大丈夫です」
「すみません」
もう一度、青年が申し訳なさそうに頭を下げる。
それから、マンションの上の方を見上げて言った。
「でも俺、最近思うことがあるんですよ」
「思うこと、ですか」
「父は本当は殺されたんじゃないかって」
「え?」
「このマンションの屋上から誰かに突き落とされたんじゃないかって」
「……」
思いもよらないことを聞かされて、藤本は押し黙る。
そんな彼を見て青年は力無く笑った。
「……なんて、根拠の無い妄想です」
「でも、何か心当たりがあるからそう思ったんでしょう?」
「それは……いえ、何でもありません。すみません、今の話は忘れて下さい。
現実から目を逸らしたい弱い人間の妄想です」
「でも……」
「では、失礼します」
軽く会釈して、青年は足早にその場を立ち去っていった。
残された百合の花束に目を落とし、藤本は考える。
(自分と関係の無いマンションからの飛び降り自殺は確かに不可解だけど。
もし、あの人が言うように本当は殺されたんだとしたら……)
更に思考を深めようとした時、背中に強い衝撃が加えられた。
「おい」
「痛いっ!」
「表で待っとけと言っただろう。何でこんなところに居るんだ?」
現れたのは神里だった。
背後から近づいて藤本の背中を叩いたのだった。
「すみません。気分転換にと思ってちょっとその辺を歩いてました」
「それでこんなものと出くわしたのか」
神里の視線の先には地面に置かれた百合の花束があった。
藤本が小さく頷く。
「ちょうどここに花を供えている人に出くわしまして……」
「なるほど。前にここで何かあったんだな」
「はい。聞けば自殺とのことでした。2年前に、このマンションの屋上から」
「ふむ。まあ、そんなところか」
なるほど、と神里が頷く。
それからやれやれと肩をすくめた。
「しかしまあ……2年前には自殺、今回は殺人か。
このマンションの管理者も災難だな」
「そうですね。ああそうだ、どうでしたか?」
「何がだ?」
「事件のことです。何か新しい情報は得られましたか?」
「ああ、そうだなあ。教えてやりたいところだが……取り敢えず場所を変えよう」
「大学に戻りますか?」
「いや、喫茶『隠れ家』に行こう」
腕時計に目をやって、それから神里は得意げに笑って見せた。
「ティータイムのお時間だ」
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