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(4)教授、現場に赴く①

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散りゆく桜が立ち並ぶ通り。
その道を抜けた先の住宅街に『マンション・樹』は立っていた。
白く塗装された壁が印象的な、12階建ての小綺麗な建物だ。

「ここか。兼河保志が住んでいたマンションってのは」

神里と藤本が、地上の出入り口からマンションを見上げる。

「普通に良い所ですね。最寄駅からも遠くない。
 僕が住んでる安アパートよりよっぽど良いです」
「そう言えば、この辺のマンションは学生にも人気があるらしいが、
 家賃は安い方なのか?」
「10万円ぐらいだと思います。
 親が払ってくれるのなら大学生でも借りれるでしょうね」
「兼河の場合は、誰が払ってくれてたんだろうな」
「さあ」
「まあ、その辺の調べは警察に任せよう」

そう言って、神里はマンションのエントランスに入っていった。
その後ろに藤本も続く。
オートロックが無いタイプなのでスムーズだった。
二人でエレベーターに乗り込み、事件現場を目指す。

「仏さん、随分と眺めの良い部屋に住んでたんだなあ」

エレベーターを出た先で神里が呟く。
兼河の部屋は最上階である12階にあった。
共用廊下から見える景色は中々のものだ。

「東京の街のジオラマでも見てるような気分になるな」
「良い感じですね」
「お前さん、ジオラマとか見るのが好きだろう。
 次に引っ越す時はここにしたらどうだ? 今なら空きが一つあるぞ」
「遠慮しときます」
「家賃も通常よりぐっと安くなるぞ?」
「……確かに」
「おいおい、冗談で言ったんだぞ。マジな顔で頷くな」

そんな雑談をしながら廊下を歩くこと数十秒。
二人は事件現場である兼河の部屋の前に辿り着いた。
開けっ放しの入り口には警官が立っており、更に『立入禁止』と書かれた黄色いテープが貼られている。

「ご苦労さん」
「え? あ、神里先生。お疲れ様です」

神里はこれまで捜査協力として頻繁に警察と関わっているので、顔見知りになっている警察関係者は多い。
入り口に立つ警官もその一人だった。

「そっちの千波刑事から捜査協力を求められたんだが、入って良いか?」
「はい、もちろん。あ、今は中に宇崎警部補がおられます」
「ちっ、あいつが居るのか……仕方ねえな」

警官の言葉を聞いて神里は忌々しげに舌打ちをした。
そして小さいため息を落としつつ、中に入った。

部屋の中では、数人の捜査員が事件解明の手掛かりを求めて隅々をチェックしていた。
その中には先ほど研究室に来た千波と深井の姿もあった。
神里に気付いた千波が笑顔を浮かべてやってくる。

「神里先生! さっきはどうも」
「ああ。捜査の方はどうだ?」
「今のところ進展なしです」
「そうか。ところで宇崎の奴はどこだ?」
「係長ならあっちですよ」

千波が示したのはベランダの方だった。
そこには恰幅のいい中年男性が立っていた。
地上12階からの景色を眺めつつ、何か考え込むように腕を組んでいる。
そんな彼に近付いて神里は声をかけた。

「よお、ぼんくら狸。調子はどうだ?」
「ん? ……お前、神里!」

男性は神里を見るなりあからさまに顔を顰めた。
それを見て神里はニヤリと口角を吊り上げる。
この男性こそ、現場で指示を出す警部補・宇崎頼晴うざきよりはるだった。

「くそ、こんな所にまで顔を出しやがって」
「捜査協力で来てやったのに酷い言い草だな」
「頼んだ覚えはない」
「そうか? さっき、お前の部下が俺のとこに相談に来たんだがな。
 兼河殺しの犯人像が分からねえってよ」
「ああ、話は聞いてる。アドバイスは結構だが、
 お前にこれ以上の捜査協力を求めるつもりはない」
「ほう。そんなに俺に美味しいところを持っていかれるのが怖いか」
「ふざけるな!俺はお前みたいな部外者に現場を引っ掻き回されたくないだけだ」
「そう強がるなって。俺のアドバイスで事件が解決するのが悔しいんだろ?」
「うるさい! お前は本当に昔から変わらん、ムカつく奴だな」
「おいおい、そう怒るな。ストレスで下っ腹が更に膨らんじまうぞ。
 これ以上情けねえ体になってみろ。嫁さんに愛想尽かされるぞ」
「ふん、3回も結婚に失敗してるお前にだけは言われたくないな」
「バカ言え。3回も結婚できるほどに魅力に溢れてるんだよ、俺は」
「結局、離婚してるくせによく言うよ」
「うるせえ。こっちにも事情があるんだよ」
「高名な心理学者様でも女心は分析できないようで」
「何だと?」

ずっと優位に立っていた神里が眉を顰める。
今度は宇崎がニヤリと笑った。

「大体、お前の方こそ少し腹が出てきたんじゃないか?」
「はあ? そんなわけあるか」
「いや、あるね。この間会った時よりも明らかに出てる。
 あ、そうか。腹以外のところも全体的に膨らんでるから気付かなかったか」
「ふざけんじゃねえ。これは筋肉だ。俺は常に体を鍛えてるからな」
「昔、スポーツやってた奴は皆んなそう言って誤魔化すんだよなあ」
「誤魔化しなんかじゃねえ、事実だ」
「どうだかな。お前の場合、肉やケーキの食い過ぎで内臓にもたっぷり脂肪が付いてそうだな」
「お前のぷよぷよ下っ腹と一緒にするな。どうせ酒の飲み過ぎだろう? 
 ストレスを酒で誤魔化してアル中からの熟年離婚まっしぐらだな」
「うるさい! こっちは日々現場で事件と戦ってる身なんだよ。
 いつまでも大学でお勉強だけやってる奴に俺の苦労が分かってたまるか!」

不毛な言い争いを続ける中年男二人を、周囲の人間が遠巻きに眺める。
その内の1人、深井がおずおずと千波に声をかけた。

「あの……宇崎係長と神里先生ってどういう関係なんですか?」
「昔の同級生だとは聞いてるけど、詳しいことは教えてもらってないのよね。
 藤本君、何か知ってる?」
「ええと、高校の頃からの同級生で、
 当時から勉強もスポーツも張り合うライバルだったそうです」
「へえ」
「更に高校の時に一人の女性を取り合ったことがあるそうです」
「あら」
「因みに、その女性の心を射止めたのは先生の方らしいです」
「ああ……」
「何か分かるわ」
「それ以来、ライバル関係はより激化して50歳を超えた今でも、
 会う度に小競り合いをしてるようです」
「なるほどね」
「何か、一周回って逆に仲良しなんじゃ……」
「それを言うと、全力で否定するんですよ」
「ああ……」
「面倒くさいんで、収まるまで放っておけば良いと思います」
「さすが助手くん。先生の扱いに慣れてるわね」

千波が感心する。
深井はまだ、大人げないおじさん達の姿に戸惑っているようだった。
そんな中、藤本が二人に向かって問いかける。

「ところで、捜査は進展してない様子ですか?」
「ええ。犯人の目的を怨恨ではなく強盗と判断したのは良いけど、
 捜査対象がより広くなっちゃってね」
「防犯カメラの再確認はどうでしたか?」
「例の怪しい二人組を改めて見たんだけど、やっぱり映像が不鮮明でね。
 それで、今は部屋に残ってる犯人の痕跡を探してる最中なの」
「なるほど。その防犯カメラの映像って僕たちにも見せてもらえますか?」
「ええ。良いわよ。じゃあ、1階の管理事務室に行きましょう。私が案内するわ」
「ありがとうございます」

ぺこりと千波に頭を下げると、藤本はベランダの方に顔を向けた。
そこでは、言い争いに疲れたらしい神里と宇崎が黙ったまま肩で息をしていた。

「先生」
「何だ。話はまだ……」
「防犯カメラに映っていた怪しい二人組について。
 映像を見せてもらえるそうなんですが、一緒に行きますか?」
「……ああ、そうか。そうだったな」

殺人事件の捜査協力の為にここに来たことを思い出し、神里は頷いた。
そして、宇崎に向かって言い放つ。

「おい、お前さんに構ってやるのはここまでだ」
「構ってやってるのはこっちだ!」
「うるせえ。俺は今から防犯カメラの中身を確認する。
 素晴らしいアドバイスをくれてやるから、覚悟しておけ」
「ふん、お前のアドバイスに期待なんかしてないから、せいぜい気楽に見るがいいさ」

最後に「けっ!」と悪態をつき合い、神里と宇崎はお互いに顔を背けた。
二人の子供じみたやりとりに呆れつつ、藤本は神里の腕を引っ張って部屋の外に連れ出した。

「……ふう」

外に出た途端、藤本は大きく息を吐いた。

「どうした? やけに大きなため息だな」
「いえ、深呼吸です。あの部屋の空気、ちょっとキツかったので」
「ああ、宇崎の奴がやたら絡んできたからな」
「そっちじゃなくて、部屋の中のにおいです。
 腐臭の名残りなのか、生臭いと言うか何というか……感じませんでしたか?」
「俺は別に」
「そうですか」
「他の奴らも平気そうだったぞ」
「そうですね」
「やっぱりあれだな。お前さん、しっかり昼飯を食わなかったから、
 体の機能全般がぼんやりしてるんだな」
「むしろ、しっかりと食べてなくて良かったと思ってます」
「やれやれ。お前さん、もう少し体を鍛えた方が良いな。
 体が強くなれば自ずと心も強くなる。今度、俺が指導してやろう」
「遠慮します」
「遠慮なんかするな」
「じゃあ、全力でお断りします」
「やれやれ」

つれない態度の藤本に、神里がため息をつく。
そうして二人はエレベーターの前に辿り着いた。
先に待っていた千波がボタンを押してドアを開ける。

「どうぞ」
「ああ」
「ありがとうございます」

こうして三人で乗り込んだエレベーターは一階に向かって下っていった。
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