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(3)教授、昼飯を食う
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オフィス街の路地裏にて、飲食店が密集して立ち並んでいる場所がある。
その一角に定食屋『夢屋』は堂々と佇んでいた。
古臭くてこじんまりとした店だが、味は確か。
神里はこの店の常連で、偶に藤本を連れて行く。
オフィス街の土曜日の昼時にも関わらず、今日も店は賑わっていた。
安い・美味い・大盛りが揃っている特色から、その客層はガタイの良いおじさんで殆ど占められている。
そんな中にあって、細身の青年である藤本は浮いた存在だった。
店の片隅にあるテーブル席にて、ちょろちょろと蕎麦(並)を啜っている。
そんな彼の向かい側では、神里がガツガツと特盛ステーキ定食を食べていた。
30も歳が違うのに、明らかに健康的で若々しいのは神里の方だ。
(やっぱり活力が違うなあ、この人は)
藤本がちらりと神里の方を見る。
そして、彼が自分には無いもの全てを持っていることを改めて実感した。
(まあ、そもそも住んでる世界が違うし。羨ましいとも思わないけど)
藤本は自分が大したことのない人間であることをよく自覚していた。
学者としての実績も無い。
お金も無い。
家族も後ろ盾も何も無い。
本来なら大学院はおろか、大学にも通えていなかった。
9年前、15歳で児童養護施設を出た藤本は、自動車整備工場で働きながら通信制高校に通う生活を送っていた。
世間一般の高校生とはまるで違う生活だった。
だが、幼い頃から普通とはかけ離れた生き方を強いられてきたので、藤本はそんな現実を甘んじて受け入れていた。
そんな中で、彼は偶然にも神里と出会った。
なぜだか神里は藤本のことを気に入った。
「鋭い洞察力と直感力がある」と評価した。
その後、神里からの強い勧めと支援を受けて、彼が教鞭をとる慶田大学へ進学することになった。
更に大学院に進み、今では神里の助手を務めている。
現状は学者の卵といったところだろうか。
そんな藤本だが、「このまま学者の道を進んで良いのだろうか?」と思い悩むことがある。
同学年の人間たちはとっくに社会に出て仕事をしている。
自分はこのまま学者の道を選んで、それでやっていけるのだろうか?
そんな不安に駆られることが少なくないのだ。
(僕には先生みたいな活力が無いからなあ)
将来への不安と一緒に蕎麦を飲み込む。
そんな中、神里が話しかけてきた。
「おい」
「はい」
「何だ、その食べようは。もっとしっかり食え。
そんなだからお前さん、ずっとペラペラのヒョロガリなんだぞ。情けねえ」
「そう言われましても、これが精一杯なんです。特に今日は」
「何だ? 風邪でも引いてんのか?」
「いや、そうじゃなくて。さっき見た写真が頭に残ってて食欲が湧かないんです」
「ああ、あの滅多刺しの腐乱死体か。まあ、確かにキツめの絵面だったな」
「先生は平気なんですか?」
「ああ、そうだな」
「どうして?」
「割り切ってるからだろうな」
「はい?」
「それはそれ、これはこれ。人生ってのは意識の切り替えが肝心なんだ」
「はあ……なるほど」
「納得してねえって顔してやがるな」
「あ、はい」
「じゃあ分かりやすく教えてやる。俺は強い。体も心もな。そういうことだ」
「なるほど。納得しました」
「よし」
頷くと神里はまたステーキを頬張り始めた。
「話は戻るが」
「はい」
「例の事件のことだが、お前さんが気になってる点ってのは何だ?」
「ああ……まずは被害者・兼河保志の素性ですね」
「確かに、謎過ぎるな」
「無職だけど、金には困っていない生活をしていた。
家賃・生活費に加えてパチンコや競馬場を趣味にしていた。
更に、5人以上の人にお金を貸すぐらい生活には余裕があった。
でも、その収入源は不明。何者だったんでしょうね、この人」
「さあな。それについては現状では何も分からねえ。
もしかしたら……銀行に預けてないあたりからして、
その金は綺麗な金ではなかったのかもな」
「犯罪絡みで得た収入とかですか?」
「その可能性もある。まあ、警察の捜査に期待するとしよう」
肉厚のステーキを頬張り、熱々の白ご飯を掻き込む。
口の中に広がる最高のハーモニーを楽しみながら、神里は話を続けた。
「他には?」
「犯人について、です」
「ほう」
「犯人が兼河さん宅を狙ったのはわざとなのか偶然なのか」
「ほう?」
「兼河さんは、
謎の収入源から得たお金を銀行に預けず、現金のまま自宅に置いていた。
つまり、他の家よりも多額の現金が兼河さんの自宅には常にあった。
ということですよね」
「ああ。そうなるな」
「兼河さんの部屋に押し入った強盗は、そのことを知っていたのでしょうか?
それとも、何も考えずにたまたま押し入った部屋が兼河さん宅だっただけ
なんでしょうか?」
「ただの偶然の可能性もあるが、
もし兼河の事情を知ってて金目的で押し入ったってことなら犯人像がぶれるな」
「遺体を怨恨殺人風に偽装していたので、
犯人が兼河さんの身近にいる人ではないことは確かだと思います。
でも、兼河さん宅に多額の現金があることを知っていた。
なぜでしょうか?」
「誰か、犯人に情報を教えた奴が居るのかもな。
あいつの自宅にはたんまり現金があるぞ、と」
「……そうだとすれば、犯人は兼河さんと面識の無い人間。
犯人に情報提供をしたのは兼河さんと面識のある人間。
ということになりますね」
「そうだな。となると、兼河の交友関係を洗い直したほうが良いな。
直接の犯人ではないが、犯人に近しい人間がその中に居るってわけだ。
後で千波たちに教えてやろう」
ステーキの最後の一切れを噛み締めて、しっかりと味わう。
そして最後の仕上げと言わんばかりに、神里は一気に味噌汁を飲み干した。
「ふう、美味かった」
空になったお椀をテーブルに置いて、神里は満足気に笑う。
それから、向かい側に座る藤本に目を向けた。
「藤本」
「はい」
「良い着眼点だった。お陰で話が前に進みそうだ」
「でも、全部机上の空論というか、ただの憶測ですから」
「じゃあ、現場をちゃんと見て判断してみるか」
「え?」
「行くんだよ。事件があったマンションに」
「でも、警察が規制を入れてるんじゃ?」
「知ってるだろう? 俺は顔が効くから余裕で現場に入れるんだよ」
得意げに笑うと、神里は勢いよく椅子から立ち上がった。
それ合わせて藤本も立ち上がる。
会計を済ませて店を出ると、昼下がりの青空が広がっていた。
うららかな陽気の中、二人は事件現場となった『マンション・樹』へ向かった。
その一角に定食屋『夢屋』は堂々と佇んでいた。
古臭くてこじんまりとした店だが、味は確か。
神里はこの店の常連で、偶に藤本を連れて行く。
オフィス街の土曜日の昼時にも関わらず、今日も店は賑わっていた。
安い・美味い・大盛りが揃っている特色から、その客層はガタイの良いおじさんで殆ど占められている。
そんな中にあって、細身の青年である藤本は浮いた存在だった。
店の片隅にあるテーブル席にて、ちょろちょろと蕎麦(並)を啜っている。
そんな彼の向かい側では、神里がガツガツと特盛ステーキ定食を食べていた。
30も歳が違うのに、明らかに健康的で若々しいのは神里の方だ。
(やっぱり活力が違うなあ、この人は)
藤本がちらりと神里の方を見る。
そして、彼が自分には無いもの全てを持っていることを改めて実感した。
(まあ、そもそも住んでる世界が違うし。羨ましいとも思わないけど)
藤本は自分が大したことのない人間であることをよく自覚していた。
学者としての実績も無い。
お金も無い。
家族も後ろ盾も何も無い。
本来なら大学院はおろか、大学にも通えていなかった。
9年前、15歳で児童養護施設を出た藤本は、自動車整備工場で働きながら通信制高校に通う生活を送っていた。
世間一般の高校生とはまるで違う生活だった。
だが、幼い頃から普通とはかけ離れた生き方を強いられてきたので、藤本はそんな現実を甘んじて受け入れていた。
そんな中で、彼は偶然にも神里と出会った。
なぜだか神里は藤本のことを気に入った。
「鋭い洞察力と直感力がある」と評価した。
その後、神里からの強い勧めと支援を受けて、彼が教鞭をとる慶田大学へ進学することになった。
更に大学院に進み、今では神里の助手を務めている。
現状は学者の卵といったところだろうか。
そんな藤本だが、「このまま学者の道を進んで良いのだろうか?」と思い悩むことがある。
同学年の人間たちはとっくに社会に出て仕事をしている。
自分はこのまま学者の道を選んで、それでやっていけるのだろうか?
そんな不安に駆られることが少なくないのだ。
(僕には先生みたいな活力が無いからなあ)
将来への不安と一緒に蕎麦を飲み込む。
そんな中、神里が話しかけてきた。
「おい」
「はい」
「何だ、その食べようは。もっとしっかり食え。
そんなだからお前さん、ずっとペラペラのヒョロガリなんだぞ。情けねえ」
「そう言われましても、これが精一杯なんです。特に今日は」
「何だ? 風邪でも引いてんのか?」
「いや、そうじゃなくて。さっき見た写真が頭に残ってて食欲が湧かないんです」
「ああ、あの滅多刺しの腐乱死体か。まあ、確かにキツめの絵面だったな」
「先生は平気なんですか?」
「ああ、そうだな」
「どうして?」
「割り切ってるからだろうな」
「はい?」
「それはそれ、これはこれ。人生ってのは意識の切り替えが肝心なんだ」
「はあ……なるほど」
「納得してねえって顔してやがるな」
「あ、はい」
「じゃあ分かりやすく教えてやる。俺は強い。体も心もな。そういうことだ」
「なるほど。納得しました」
「よし」
頷くと神里はまたステーキを頬張り始めた。
「話は戻るが」
「はい」
「例の事件のことだが、お前さんが気になってる点ってのは何だ?」
「ああ……まずは被害者・兼河保志の素性ですね」
「確かに、謎過ぎるな」
「無職だけど、金には困っていない生活をしていた。
家賃・生活費に加えてパチンコや競馬場を趣味にしていた。
更に、5人以上の人にお金を貸すぐらい生活には余裕があった。
でも、その収入源は不明。何者だったんでしょうね、この人」
「さあな。それについては現状では何も分からねえ。
もしかしたら……銀行に預けてないあたりからして、
その金は綺麗な金ではなかったのかもな」
「犯罪絡みで得た収入とかですか?」
「その可能性もある。まあ、警察の捜査に期待するとしよう」
肉厚のステーキを頬張り、熱々の白ご飯を掻き込む。
口の中に広がる最高のハーモニーを楽しみながら、神里は話を続けた。
「他には?」
「犯人について、です」
「ほう」
「犯人が兼河さん宅を狙ったのはわざとなのか偶然なのか」
「ほう?」
「兼河さんは、
謎の収入源から得たお金を銀行に預けず、現金のまま自宅に置いていた。
つまり、他の家よりも多額の現金が兼河さんの自宅には常にあった。
ということですよね」
「ああ。そうなるな」
「兼河さんの部屋に押し入った強盗は、そのことを知っていたのでしょうか?
それとも、何も考えずにたまたま押し入った部屋が兼河さん宅だっただけ
なんでしょうか?」
「ただの偶然の可能性もあるが、
もし兼河の事情を知ってて金目的で押し入ったってことなら犯人像がぶれるな」
「遺体を怨恨殺人風に偽装していたので、
犯人が兼河さんの身近にいる人ではないことは確かだと思います。
でも、兼河さん宅に多額の現金があることを知っていた。
なぜでしょうか?」
「誰か、犯人に情報を教えた奴が居るのかもな。
あいつの自宅にはたんまり現金があるぞ、と」
「……そうだとすれば、犯人は兼河さんと面識の無い人間。
犯人に情報提供をしたのは兼河さんと面識のある人間。
ということになりますね」
「そうだな。となると、兼河の交友関係を洗い直したほうが良いな。
直接の犯人ではないが、犯人に近しい人間がその中に居るってわけだ。
後で千波たちに教えてやろう」
ステーキの最後の一切れを噛み締めて、しっかりと味わう。
そして最後の仕上げと言わんばかりに、神里は一気に味噌汁を飲み干した。
「ふう、美味かった」
空になったお椀をテーブルに置いて、神里は満足気に笑う。
それから、向かい側に座る藤本に目を向けた。
「藤本」
「はい」
「良い着眼点だった。お陰で話が前に進みそうだ」
「でも、全部机上の空論というか、ただの憶測ですから」
「じゃあ、現場をちゃんと見て判断してみるか」
「え?」
「行くんだよ。事件があったマンションに」
「でも、警察が規制を入れてるんじゃ?」
「知ってるだろう? 俺は顔が効くから余裕で現場に入れるんだよ」
得意げに笑うと、神里は勢いよく椅子から立ち上がった。
それ合わせて藤本も立ち上がる。
会計を済ませて店を出ると、昼下がりの青空が広がっていた。
うららかな陽気の中、二人は事件現場となった『マンション・樹』へ向かった。
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