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34 静けさ
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眩しい光に照らされて、康介は目を抉じ開ける。
「…………」
開けた視界に楓が居ない。
一気に覚醒した康介は慌てて飛び起きた。
辺りを見回すが、やはり居ない。
窓が閉まったままであることを確認すると、康介は立ち上がり急いで部屋を出た。
「あ、おはよう。康介さん」
「楓、起きてたのか」
「うん。もうすぐ朝ごはんできるよ」
リビングに行くと、食事の用意をしているエプロン姿の楓が居た。
人生で何度も目にしてきた、朝の定番風景がそこにあった。
とりあえず、ほっと胸を撫で下ろす。
「もう起きて大丈夫なのか?」
「うん。今日はなんだか気分が軽いみたい」
「そうか。それは良かった」
お茶や食器を並べてテキパキと作業している。
事件前の楓を彷彿とさせるその姿を、康介は感慨深い思いで見つめた。
もちろん、昨夜のことやその前の夜のことを忘れたわけではない。
これからも、楓が重いトラウマを抱えて生きていくことは間違いない。
それでも、こんな風に良い気分で過ごせることが少しずつ増えていけば嬉しい。
(昨夜、早まらなくて良かった)
もしもあの時、一線を超えていたら今とは全く違う楓の姿がそこにあったのかもしれない。
(これで良かった。楓を傷付けずに済んだんだ。あの判断は正しかった)
精一杯に左手を握り締め自分で自分を称える。
そんな康介を、楓が怪訝な顔で見つめた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。……ちょっと、朝飯の前にシャワーでも浴びてくる」
軽く笑って見せて、康介は楓に背を向けた。
その後、二人で温かい朝食を囲んだ。
お互いに昨夜のことは話題に上げなかった。
否、楓が例によって「悪夢の影響でおかしくなっていた」と謝ろうとしたが、
康介が「謝る必要はない」と言って断った。
「必要も無いのに謝ったら“罰ゲーム”だぞ」と釘を刺すと、楓は顔を赤くして黙ってしまった。
それ以降は、他愛のない話をして楽しく過ごした。
昨夜の雨が嘘だったかのように、今日は朝から日差しが強く暖かい。
部屋の中にいると、今の季節が春であるかのように錯覚する。
穏やかな時間。
ずっとこのままでいられたら、どんなに良いだろう。
おそらくは叶うことのない願望を心に抱き、そっと蓋をした。
「楓……ああ、また勉強してるのか。生真面だなあ」
午後1時半頃。
昼食後、自分の部屋に籠った楓の様子を見にきた康介が笑いながら呆れる。否、感心する。
「せっかくなんだから、伸び伸びとして過ごしておけば良いのに」
「もう二週間ぐらい学校に行ってないから、復帰した時に付いていけるかどうか不安で」
「そうか。まあ、不安になるのも当然だよな」
「蒼真君から借りてるノートのお陰で、ある程度は何とかなりそうだけど」
「ああ、あの少年か」
「あれ? 康介さんって蒼真君と面識あったっけ?」
「いや、成り行きでな。この間、病院で会って少し話をした」
「病院で?」
「楓が襲われた時のことだ」
「え? あ……」
一瞬、楓の顔が青くなる。恐らく、脳裏に浦坂の顔が過ぎったのだろう。
だが、楓はすぐに持ち直して笑顔を作った。
「そっか。そう言えば、あの時は蒼真君のお陰で助かったんだよね。
いつか、改めてお礼をしないと」
「そうだな」
大切な息子に良き友人がいるのは喜ばしいことだ。
そう思う一方、こんなに簡単に楓から笑顔を引き出す彼に軽い嫉妬を覚える。
そんな自分を「大人げない」と戒めて、康介は楓の肩に手を置いた。
「まあ、なんだ。お勉強はそこそこにして一緒にコーヒーでも飲まないか?」
「ああ、うん」
「て言うか、俺にコーヒーを作ってくれ。あのふわふわした美味しいやつ。
自分でやろうとしたんだけど、あのコーヒーメーカーの使い方が分からなくてな」
「あはは。良いよ良いよ。カフェラテで良いのかな。すぐに作るから、ちょっと待ってて」
情けない顔でお願いをしてきた康介に笑顔で頷き、楓は椅子から立ち上がった。
香ばしいコーヒーの香りがリビングいっぱいに広がる。
濃ゆいコーヒーを抽出したカップに、ふわふわに泡立てたミルクを注ぎ入れる。
そうして出来上がったカフェラテにクッキーが添えられて、ソファーテーブルの上に差し出された。
「おお、見事だな。この綺麗なハートの模様ってどうやって付けるんだ?」
「ミルクを注ぐときに、うにゃうにゃーって」
「なんだそれ」
「うーん、うまく説明できない。適当にやってるから」
「そっか。器用なんだな」
康介に褒められて楓は照れ臭そうに笑う。
その刹那、楓の顔から笑みが消えて強張った顔になった。
『悪魔の声』が聞こえたのだろうと察して、康介は楓の手を握った。
「美味しいコーヒーをありがとう」
康介の手の温もりを受けて、楓は微笑みを取り戻し、小さく頷いた。
そして、康介が今まさにコーヒーカップに口をつけようとした、その時だった。
突如響いた電話の呼び出し音が、穏やかな時間に水を差した。
「何だ、こんなときに」
ため息混じりに康介が携帯端末を取り出し、通話に応じる。
恐らく仕事の電話だろうと思われたが、康介の口から「横井」の名が出たことで、楓は俄に緊張を覚えた。
やがて通話を終えた康介が気まずそうに楓を見た。
「仕事?」
「ああ。どうしても人手が足りないらしくて、泣きつかれちまった。
こっちは休暇中だってのに」
「やっぱり、大変な仕事なんだね」
「うーん。でもなあ……」
「僕なら大丈夫だから、行ってきて良いよ」
「いや、でも……」
「大丈夫。ずっと家に居るから」
「そうか。悪いな。出来るだけ早く片付けて帰ってくるから」
「うん」
「おっと、これだけは頂いておかないとな」
そう言って、康介はコーヒーカップを手に取って一気に飲み干した。
「ごちそうさま。やっぱり楓が淹れるコーヒーは世界一だな」
「ありがとう」
康介の気遣いを嬉しく思い、楓はにっこりと笑った。
そうして康介を仕事に送り出し、楓は一人でその場に残った。
「…………」
開けた視界に楓が居ない。
一気に覚醒した康介は慌てて飛び起きた。
辺りを見回すが、やはり居ない。
窓が閉まったままであることを確認すると、康介は立ち上がり急いで部屋を出た。
「あ、おはよう。康介さん」
「楓、起きてたのか」
「うん。もうすぐ朝ごはんできるよ」
リビングに行くと、食事の用意をしているエプロン姿の楓が居た。
人生で何度も目にしてきた、朝の定番風景がそこにあった。
とりあえず、ほっと胸を撫で下ろす。
「もう起きて大丈夫なのか?」
「うん。今日はなんだか気分が軽いみたい」
「そうか。それは良かった」
お茶や食器を並べてテキパキと作業している。
事件前の楓を彷彿とさせるその姿を、康介は感慨深い思いで見つめた。
もちろん、昨夜のことやその前の夜のことを忘れたわけではない。
これからも、楓が重いトラウマを抱えて生きていくことは間違いない。
それでも、こんな風に良い気分で過ごせることが少しずつ増えていけば嬉しい。
(昨夜、早まらなくて良かった)
もしもあの時、一線を超えていたら今とは全く違う楓の姿がそこにあったのかもしれない。
(これで良かった。楓を傷付けずに済んだんだ。あの判断は正しかった)
精一杯に左手を握り締め自分で自分を称える。
そんな康介を、楓が怪訝な顔で見つめた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。……ちょっと、朝飯の前にシャワーでも浴びてくる」
軽く笑って見せて、康介は楓に背を向けた。
その後、二人で温かい朝食を囲んだ。
お互いに昨夜のことは話題に上げなかった。
否、楓が例によって「悪夢の影響でおかしくなっていた」と謝ろうとしたが、
康介が「謝る必要はない」と言って断った。
「必要も無いのに謝ったら“罰ゲーム”だぞ」と釘を刺すと、楓は顔を赤くして黙ってしまった。
それ以降は、他愛のない話をして楽しく過ごした。
昨夜の雨が嘘だったかのように、今日は朝から日差しが強く暖かい。
部屋の中にいると、今の季節が春であるかのように錯覚する。
穏やかな時間。
ずっとこのままでいられたら、どんなに良いだろう。
おそらくは叶うことのない願望を心に抱き、そっと蓋をした。
「楓……ああ、また勉強してるのか。生真面だなあ」
午後1時半頃。
昼食後、自分の部屋に籠った楓の様子を見にきた康介が笑いながら呆れる。否、感心する。
「せっかくなんだから、伸び伸びとして過ごしておけば良いのに」
「もう二週間ぐらい学校に行ってないから、復帰した時に付いていけるかどうか不安で」
「そうか。まあ、不安になるのも当然だよな」
「蒼真君から借りてるノートのお陰で、ある程度は何とかなりそうだけど」
「ああ、あの少年か」
「あれ? 康介さんって蒼真君と面識あったっけ?」
「いや、成り行きでな。この間、病院で会って少し話をした」
「病院で?」
「楓が襲われた時のことだ」
「え? あ……」
一瞬、楓の顔が青くなる。恐らく、脳裏に浦坂の顔が過ぎったのだろう。
だが、楓はすぐに持ち直して笑顔を作った。
「そっか。そう言えば、あの時は蒼真君のお陰で助かったんだよね。
いつか、改めてお礼をしないと」
「そうだな」
大切な息子に良き友人がいるのは喜ばしいことだ。
そう思う一方、こんなに簡単に楓から笑顔を引き出す彼に軽い嫉妬を覚える。
そんな自分を「大人げない」と戒めて、康介は楓の肩に手を置いた。
「まあ、なんだ。お勉強はそこそこにして一緒にコーヒーでも飲まないか?」
「ああ、うん」
「て言うか、俺にコーヒーを作ってくれ。あのふわふわした美味しいやつ。
自分でやろうとしたんだけど、あのコーヒーメーカーの使い方が分からなくてな」
「あはは。良いよ良いよ。カフェラテで良いのかな。すぐに作るから、ちょっと待ってて」
情けない顔でお願いをしてきた康介に笑顔で頷き、楓は椅子から立ち上がった。
香ばしいコーヒーの香りがリビングいっぱいに広がる。
濃ゆいコーヒーを抽出したカップに、ふわふわに泡立てたミルクを注ぎ入れる。
そうして出来上がったカフェラテにクッキーが添えられて、ソファーテーブルの上に差し出された。
「おお、見事だな。この綺麗なハートの模様ってどうやって付けるんだ?」
「ミルクを注ぐときに、うにゃうにゃーって」
「なんだそれ」
「うーん、うまく説明できない。適当にやってるから」
「そっか。器用なんだな」
康介に褒められて楓は照れ臭そうに笑う。
その刹那、楓の顔から笑みが消えて強張った顔になった。
『悪魔の声』が聞こえたのだろうと察して、康介は楓の手を握った。
「美味しいコーヒーをありがとう」
康介の手の温もりを受けて、楓は微笑みを取り戻し、小さく頷いた。
そして、康介が今まさにコーヒーカップに口をつけようとした、その時だった。
突如響いた電話の呼び出し音が、穏やかな時間に水を差した。
「何だ、こんなときに」
ため息混じりに康介が携帯端末を取り出し、通話に応じる。
恐らく仕事の電話だろうと思われたが、康介の口から「横井」の名が出たことで、楓は俄に緊張を覚えた。
やがて通話を終えた康介が気まずそうに楓を見た。
「仕事?」
「ああ。どうしても人手が足りないらしくて、泣きつかれちまった。
こっちは休暇中だってのに」
「やっぱり、大変な仕事なんだね」
「うーん。でもなあ……」
「僕なら大丈夫だから、行ってきて良いよ」
「いや、でも……」
「大丈夫。ずっと家に居るから」
「そうか。悪いな。出来るだけ早く片付けて帰ってくるから」
「うん」
「おっと、これだけは頂いておかないとな」
そう言って、康介はコーヒーカップを手に取って一気に飲み干した。
「ごちそうさま。やっぱり楓が淹れるコーヒーは世界一だな」
「ありがとう」
康介の気遣いを嬉しく思い、楓はにっこりと笑った。
そうして康介を仕事に送り出し、楓は一人でその場に残った。
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