【完結】誓いの指輪〜彼のことは家族として愛する。と、心に決めたはずでした〜

山賊野郎

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33 雨音③*

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「翔太の仇だ、翔太の仇だっ! はあっ、はあっ……翔太の仇……!」
「うわっ……やべえわ、こいつ。めっちゃイイ! あー、凄え気持ちいい」
「いいぞ、もっと苦しめ。死んだ方がマシだと思うぐらいにな」
「ああ~、たまんねえ。お前、マジで名器だな。腰が止まんねえわ」
「まだだ。まだ足りない。翔太の仇だ、もっと抉ってやる」
「なあ、さっきから呼んでる“コウスケさん”って誰?
 そいつに遊んでもらってるから、こんなに具合良いの?」
「はあっ、はあっ……もっとだ。もっと抉り抜いてやる。
 お前の父親がショックで卒倒するぐらいになあっ!」
「あーらら、ガチで泣いちゃってるじゃん。かーわいい。ひゃひゃひゃ」
「まだだ。まだ楽にはしてやらんぞ。お前の体に、もっと苦痛を刻みつけてやる」
「うひょお、あれだけ出したのに、まだ締め付けてくるじゃん。
 マジで最高だわこれ。あー、後で殺しちまうのがもったいねえ」
「翔太の仇、翔太の仇……うおおおおおお!」
「おい、気絶してんじゃねえぞ! もっとしっかり鳴け!」
「ガキのくせに男を誘う穢れめ! 穢れた存在め!」



「────!」

ヘドロの中で溺れる感覚。
そこから必死で逃げるようにして楓は飛び起きた。
心臓が痛いぐらいに激しい鼓動を打ち鳴らす。
ままならない呼吸を懸命に宥める。
冷たい汗が、次から次に頬を伝う。
──苦しい。
酷い悪夢に打ちのめされて、何もかもを放棄したくなる。

──お前は穢れた存在だ──
──死ね。さっさと死ね。今すぐ死ね──

楓の頭の中に響く『悪魔の声』が追い討ちをかけてくる。

──穢い穢い穢い穢い穢い穢い穢い穢い──
──死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね──

その声に導かれるようにして、楓はぼんやりとした目で窓の方を見る。
──楽になりたい。でも……

「あ……」

その時、楓は背後から強い力で抱きすくめられた。康介だった。
窓の方を見ないように、康介は片手で楓の視界を覆い隠す。
そして優しい声で囁いた。

「楓、大丈夫だから。ゆっくり息をしよう。な?」

康介に言われた通りに楓はゆっくりと息を吐き出す。
やがて呼吸が落ち着いてきた頃、完全に康介の腕の中にその身を預けた。
意識を失った楓の体を再びベッドの上に横たえる。
楓の視界を覆っていた康介の手が、涙で濡れていた。

(いつの間に大降りの雨になってたんだろう)

窓ガラスを打ち付ける雨音を聞きながら、康介はため息をついた。
今日は、朝は小雨が降っていたものの、昼頃には止んだ。
雲の隙間から太陽が姿を見せたり消えたりを繰り返すような空模様の下、
康介と楓はいつぶりかの穏やかな時間を過ごした。
ありふれた日常という幸福を、噛み締めるように味わった。
それは、ともに眠りに就くまで続いた。

しかし、眠りについてしばらくした時、康介は鋭い雨筋が窓ガラスを叩きつける音で起こされた。
慌てて隣にいる楓を確認すると、やはり悪夢に魘されていた。
苦しそうに呻き、譫言を繰り返し、悲鳴を上げて飛び起きる。
もう何度も見ているが、恐怖で引き攣った楓の顔は未だに見るのが辛い。

(この子は、これからの人生で心から安らげることはもう無いのかもしれない)

なんとなく、そんな気がしてしまう。

(俺はどこまで支えになれるかな)

自分の腕の中で眠る楓の髪を撫でながら、康介は未来のことを憂う。
その時、楓がまた呼吸を荒くして苦しみ始めた。
「ああ、まただ」と、康介は身構える。
そして、声にならない悲鳴をあげて楓が飛び起きた。
康介はすぐに抱き締めた。楓を安心させてやろうと思っての行為だった。
しかし、楓は今までにないぐらい康介の腕の中で暴れ出した。

「ひっ……!」

なんとかして康介の腕を振り解こうともがく。
が、力も体格も圧倒的に差があるので、それは何の意味も為さなかった。

「楓、大丈夫だから。落ち着いてくれ」
「やめて……やめて……」
「どうした? 俺が分からないのか?」
「お願いだから、もうやめて……」
「楓、頼む。落ち着いてくれ」
「いや……もう、いや……」

泣きじゃくって何もかもを拒絶する。康介のことも見えていないようだ。
その様子から、楓はまだ忌まわしい悪夢の中にいるのだと康介は察した。
おそらく、今の楓の目に映っているのは、事件当時の浦坂実と田城昌司なのだろう。

「許して。もう許して。お願いだから、もう……」
「────!」

絶望的な顔で涙を流す楓が次に口にする言葉を思って、康介は咄嗟に楓を強く抱き寄せた。
そして楓の顔を自身の肩口に埋めさせた。
強制的に次の言葉を言わせないようにする為だった。
……その言葉を聞きたくなかったし、言わせたくなかった。

強引に口を塞がれてひたすら涙を流し続ける楓の頭を優しく撫でて、康介は自分も泣きそうになっていたのを堪えた。
落ち着いて、呼吸を整えて、康介は楓の耳元で囁いた。

「大丈夫。何もしない」
「…………」
「何もしないから、安心してくれ」

康介の言葉を受けて、楓の全身から力が抜ける。
そうやって再び意識を失うかと思ったら、楓は両目をしっかりと開けて康介を見つめた。

「康介さん……?」
「楓……! やっと俺が分かったか」
「ごめん。僕はまたおかしくなってたんだね」
「怖い夢を見て怯えてただけだ。お前は何も悪くないよ」

楓の頬を濡らしていた涙を手で拭いながら、康介は何でもない風に笑って見せる。
それから不安そうに顔を歪める楓を改めて抱き寄せて、二人で一緒にベッドに横たわった。

「さあ、もう一度ちゃんと眠ろう」
「う、うん」
「大丈夫だから。安心しておやすみ」
「ありがとう。おやすみなさい」

康介に頭を撫でられながら楓はすぐに眠った。
恐怖と緊張ですっかり疲弊していた楓の意識は、あっという間に落ちてしまった。
寝入った楓の白い頬を手でなぞりながら、康介はさっきの出来事を思い出す。

錯乱状態だった楓に「何もしないから、安心してくれ」と言った時、彼は強張っていた全身から力を抜いた。本当に、心から安心してくれたのだと思った。
それと同時に、ある疑問が湧いた。

(楓の中では“何もしない”ことが安心であり愛情ってことなのか?)

浦坂たちによる惨い暴力を受けたので、何もされないことに安心するのは仕方ないことだ。
そのことは、頭では理解できる。

(でも、それじゃあこれから先、楓は誰とも愛し合うことができないんじゃないか)

ずっと、孤独のまま一生を過ごすことになるのではないだろうか。

(良いのか? それで……)

楓の頬を撫でていた手を止める。

(ならば、いっそのこと俺が……)

あどけない寝顔を見せている楓の頬に、改めて手を置く。

(俺が、“愛し合う”ことを楓に教えてやれないだろうか)

距離を詰めてそっと顔を近付ける。

(浦坂によって刻み付けられた傷を、俺の愛情で上書きしてやれば……)

今まさに楓と唇を重ねようとした──その時、楓の頬に当てていた康介の左手が、
その薬指にはめられていた指輪がキラリと光った。
それは、康介の意識に触れて彼を本来あるべき姿に導く。

「…………」

手を止めて目を閉じて、康介は堪えた。

(駄目だ。この一線を超えてしまったら、長い間蓋をしていた思いが暴走してしまう。
 それは、今の楓には暴力にしか映らない。楓を本当に絶望させるだけだ)

目を閉じてて拳を握りしめて、康介は堪えた。

(そうだ。駄目だ。こんなことは。俺は親だ。この子の父親になると誓ったんだ)

左手に光る指輪の煌めきの中に自身の欲望を押さえ込み、康介は楓から手を離した。
そして、眠る楓の額に慈愛を込めて優しい口付けを施した。
親として出来ることはここまでだ。と、自分に言い聞かせた。

「愛してるよ」

優しい声で囁いて、康介は楓から体を離した。
そして、彼の隣に身を横たえて目を閉じた。
その際、楓の目尻から一粒の涙がこぼれ落ちたことに、康介は気付かなかった。

雨は明け方にかけて徐々に収まっていった。
その後は楓も悪夢に魘されて飛び起きることなく、朝まで静かに眠ったのだった。
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